第六章 其のニ 幻想の龍
栄光の塔の地下に広がる訓練場、攻略者ならば誰でも自由に使用可能な場所であるが、ある区域だけは違った。その場所へと続く入り口は他とは一線を画す厳重な警備がしかれていた。隔壁の如く空間を仕切る重厚な扉、その両脇に佇む大型警備ゴーレム、アリーシャエンターテイメント技術部の知恵と技術を終結させた二つの障壁が許可無き者の通行を許さない。そこから先は特別訓練場となっていた。そこは灼熱や極寒などの過酷な環境の再現、並の攻略者ならば敵わない強敵、特殊型ゴーレムや魔法生物などを相手とした模擬戦闘など、通常の何倍ものハードトレーニングが可能となっている。
あまりにも過酷な内容のため、そこを使用できるのは許可を与えられた者、すなわち通り名持ちだけとなっていた。また使用されている技術を悪用すれば街一つ掌握することも可能なため、社員でもそこに入れるのは限られた者達だけだった。
その特別訓練場の廊下を竜の爪・前衛であり『鬼殺し』の名で知られるシュラ・アカバネは歩いていた。汚れを許さない白い鉱石で構成され、しんと静まり返り自身の足音や息遣いしか聞こえてこない廊下は訓練場と言うより、何かの実験場のようでシュラは居心地の悪さを覚えながら奥を目指す。事実、訓練をする際の動きや結果などは全てデータとして収集され新たな技術開発に利用されているため、実験場というのもあながち間違いではなかった。
「シュラさん来てくれたんですね」
シュラの顔を見るなり待っていた技術部の面々は安堵の表情を浮かべる。
「ウチの我がままお嬢さんは今何してんだ?」
シュラは扉の奥を指差しながら問う。
「今日も低酸素下での無限組手です。これで五日目ですね」
「はーそれはまた殊勝なこった」
「呑気な事言ってる場合ではありませんよ。連日の無茶な特訓で疲労もピークに達し、動きも通常の五割程まで低下しています。いくら量産型ゴーレムが相手と言ってもこのままでは」
「かと言って私達の話には耳を貸そうともしませんし。シュラさんどうか説得してください」
「説得って俺に何を期待してんだ?俺はただ伝言を預かっただけだ。まあ、無茶なトレーニングはちゃんと止めさせる。お前らはゆったりと飯でも食べてな」
真剣な面持ちの技術部の面々と違い、シュラは緊張感に欠ける態度でトレーニングルームへと入っていく。その中で彼がまず目撃したのは大量のゴーレムの残骸に囲まれる『龍少女』リィ・リィの姿だった。その姿を見たシュラは眉をひそめる。リィは肩で息をし、今にも倒れそうな程やつれているが、その表情は行き場の無い怒りに満ちていた。
日を追うごとにマシになるどころか、ひどくなる一方のその姿にはシュラはため息をつく。
「こんな息苦しい所で毎日よくやるぜ…。おいリィ!お前にお客さんだ!」
リィは刺すような目つきでシュラを睨みつける。
「誰?」
「サクヤだ。またお前に会いに来たよ」
「会わない。帰ってもらって」
「あいつも真面目だよな。つい二日前にもお前に門前払い食らったのに。会ってやれよ。いつまで拗ねてるつもりだ?」
「うるさい!とにかく私は会わないから!放っておいて!」
「そうかよ。でも、こっちは断れねえぞ」
「なに?」
「団長がお呼びだ。さっさと行ってこい」
「後で行く」
「今すぐだ。どうしても嫌だってんなら力づくでも連れて行く」
「…やれるもんならやってみなさいよ」
「威勢だけは一丁前だな。だが、その状態で粋がるのは褒めたもんじゃねえな」
シュラは小馬鹿にするように喉の奥で笑う。リィは変わらず怒りを込めた目で睨み続ける。変わる様子の無いリィの態度にシュラは笑うのをやめ、真剣な表情を覗かせる。
「お望みなら本気で相手してやろうか」
シュラとリィはしばらく睨みあう。リィの短絡的な怒りに対して、シュラはあえて闘気をぶつける。シュラはリィが委縮して大人しく引いてくれれば僥倖、仮に戦いとなっても多少は憂さ晴らしになり落ち着きも取り戻すだろうと、どちらに転んでもよかった。
そんなシュラの考えを知ってか知らずかリィは観念したかのように肩の力を抜く。
「…わかった。行けばいいんでしょ」
「おう。サクヤには俺から言っとく」
リィは何も言わずに部屋を出て行く。その胸中は顔を伏せていたせいで推測することも出来なかった。
まだ小さな少女の背中を見送った後でシュラはあることに気づく。
「このガラクタの山を片づけるのは……俺しかいねえよな」
ムカつく、ムカつく…!
リィは全てに腹を立てていた。
勇者を辞めたサクヤ、それを認めた竜の爪の仲間達、勇者でないサクヤを応援する社長や会社幹部達、最初は自分と同じように怒っていたのに今ではサクヤ達の痴態を見て笑う視聴者、そして何よりサクヤが勇者を辞めた一番の原因であるイチ・アマノと友人達。世間の全てがリィの神経を逆なでする。
訓練場を出たリィは怒りを再燃させ、その感情に身を任せ荒々しい歩みを見せていた。そんな彼女の前から一人の少女が歩いてくる。迷宮攻略の実況解説を行うキャスターの一人で、ラビちゃんの愛称で親しまれている彼女はリィを見るなり、委縮した態度をとる。関係者の中でリィはいつ爆発するかわからない爆弾のように扱われていた。
「あっリィさん…。お疲れ様です」
そんなラビの態度がリィには疎ましかった。
憧れたサクヤの横に並びたくて必死に努力して、追いかけて、ようやく夢が叶ったと思った矢先、サクヤは自分の元から離れてしまった。ただあの時自分を救ってくれたサクヤの隣に立ちたい。たったそれだけを望んでいただけなのに、どうして自分がこんな扱いを受けなくちゃならない。
勇者の代わりなんてどうにでもなるとサクヤは言った。そんな訳が無い。私をあの場所から連れ出してくれたのは勇者サクヤ、ただ一人。他の誰かじゃない。私の勇者はサクヤだけ。
リィの怒りはさらに熱を帯びる。
そんなリィにラビは恐る恐る話しかける。
「あのリィさん、お疲れのようでしたらこれ、よかったらどうぞ」
ラビはポケットから飴を取り出す。リィは差し出された手を眺めるばかりで受け取ろうとしない。そんなリィの反応にラビの不安は膨れていき、何かに急かされるように弁明を始める。
「あのこれはですねアマクサ先輩がくれたものでして体にいい薬草だったり特別なハチミツだったりとにかく体に良いんですよ。特に喉に良くて歌手や俳優さん私達みたいな声を使う人達の間で今とっても話題になっていて。あの『桜姫』さん達も食べているみたいで、あっもちろん喉だけでなく疲労軽減の効果もあるらしいんですよ」
「いらない」
「そう、ですか…。あっだったらこれを」
「いらないって言ってるでしょ!」
思わず飛び出た言葉にリィ本人も戸惑う。ラビは怯えた表情を見せ、リィは自身の行動を後悔するが、もうどうすることも出来ず取り返しのつかない現状に奥歯を噛みしめる。そんな二人のもとへ一人の女性が声をかける。
「なんじゃなんじゃ、随分と荒ぶっておるのう。人の善意は受け取っておくものじゃぞ?」
女性の名はセリア・エンスフィー、『百華狂乱』の通り名を与えられた攻略者。まだ二十代であるがその口調はなぜか老人風である彼女は飄々とした調子でリィの眼前に顔を寄せる。
「ふむ、肌の調子が悪い。疲れが出ておる。目も赤いところを見ると寝不足でもある。いかんのう、若いうちからそんなでは身体を壊すぞ。そんなお前さんにほれ、これをやろう」
「なに、これ」
リィの手に渡されたのは小さな木片だった。
「その昔多くの権力者が求めたとされる伝説の香『御琉豪琉』。それをワシなりに再現したものじゃ。さすがに伝説とまではいかんがリラックス効果はそこらのものより遥かに大きい。と言ってもまだ試作段階でのう、使った後はぜひこのアンケートに記入を」
「いらない。もうこれ以上私に関わらないで…!」
木片を投げて返すとリィは肩を怒らせその場を去る。その様子をセリアは笑いながら見送った。
「ふはは、難しい年頃よのう。よいよい、反抗期は若者の特権じゃ。大いに反発するがよい。…というわけで、これはお主にやろう。試作品はこれ以外にまだまだあるから試したいものがあるなら遠慮なく申せばよいぞ?」
「いやあ…それは、ちょっと、あの、失礼します!」
詰め寄るセリアに危ない気配を感じたラビは上司のビットのように余裕のある態度で受け流そうとしたが、ビットのような経験も度胸もなく頭が真っ白になった彼女は脱兎の如く逃げる。
「あれま、残念」とセリアは笑いながら肩をすくめた。
竜の爪団長、ドミニク・ジーニアスのいる部屋へ来たリィは慎重に扉を開ける。
ドミニクは椅子に腰掛け静かにリィを待っていた。リィの顔を確認すると表情を変えることなく口を開く。
「よく来てくれた。そこに座り楽にしなさい。さて、話の前に何か飲むか?最近、よい茶葉が入ったのだが」
至極丁寧に話すドミニクだが、発せられるその言葉一つ一つがまるで質量を帯びているかのように重く、リィの身体は自然と縮こまってしまう。ドミニクの声はリィの身体だけではなく、部屋全体の空気まで重くする。先程までいた低酸素のトレーニングルームの方が幾分か呼吸をしやすく感じられる。そんな中リィは声を振り絞る。
「大丈夫、です」
「そうか。ならば早速本題に入ろう」
ドミニクは淡々ともう覆すことのできない決定事項を述べる。
「貴殿には当面の間攻略者としての活動を控えてもらう。迷宮への立ち入りはもちろん、訓練場の利用も禁止とする」
「なっ…!ど、どうしてですか!?」
「理由はわかっているであろう?」
歴戦の猛者が持つ隙の無い鋭い眼光がリィを貫く。勢いのまま立ち上がったリィはそこからどうすることも出来ず、唇を噛みしめ俯く。
「ここ最近、集中を欠いた動きが目立つ。その理由を今ここで無理に問い詰めるつもりは無い。だが、それが原因でマリーとロビンを危険に晒したことは貴殿もわかっているな?」
「……はい。でも…次は、ちゃんとします…から」
「次?」
ドミニクは片眉を上げ、聞き返す。リィはそれに返答できず俯き続ける。その様子にドミニクは小さくため息をつき、それ以上少女を刺激しないようにそっと語り掛ける。
その声は諭すように優しくはあったが、内容は反論を許さぬ厳しいものだった。
「リィ、命に次は無いのだ。一度失ってしまえばもう二度と取り戻すことは叶わぬ。我はお前達の長、つまりは命を預かる立場なのだ。自分の命を、ましては仲間の命を危険に晒すような者は連れて行くことは出来ぬ。わかってくれるな?」
リィは悔しさと情けなさから唇を噛みしめ声を出すことが出来ず、代わりに一度だけ小さく頷く。その姿が何とも惨めに思えてリィの肩はわなわなと震える。
「一度しっかり体と心を休めなさい。何かして欲しいことがあるなら遠慮なく言うといい。可能な限り叶えよう」
「だったら…」
サクヤを勇者に戻して。
言いかけた言葉を喉の奥へ押し込んだ。その願いがもう叶わないことは痛い程知っていた。今のサクヤは勇者の頃とは比べ物にならないほど、だらしなく不格好でヒーローとはお世辞にも言えない。しかし、それ以上に笑う姿がよく見られた。その笑顔が何を意味するかはわかっていた。わかっていたのだが、どうしても納得出来なかった。
理性と感情、そのズレを自分の中で修正することができず、そのもどかしさをリィは怒りで無理矢理上塗りしようとしていた。けれども怒れば怒るほどズレは広がるばかりで、負のスパイラルが止まることは無く結局リィの怒りは鎮まるどころか燃え上がるばかりだった。
「なんでも、無いです」
リィは早足で部屋を出る。ドミニクはその背中を静かに見守っていた。どんな言葉も少女を慰めることは出来ず、刺激にしかならなかった。ドミニクがリィへの対応を考える中、少女と入れ違いで一人の男が入ってくる。
「失礼しますよ。その様子だと説得は上手くいって…ないみたいですね」
サクヤの代わりとして竜の爪へと参入した国立魔法研究所所長ディン・テズロは同情するように苦笑いを浮かべる。
「さすがのあなたも子供相手ではいつものようにとはいきませんか」
数少ない友であるディンを前にドミニクは珍しく困った様に眉をひそめる。
「これならば国家予算会議の方がまだ言いたいことを言える」
それを聞いたディンは思わず吹き出す。
「仕方ないですね。あの年頃は何かと繊細ですから。何がどんな作用を及ぼすか法則でもあればいいのですが」
「お主も数多くの研究者をまとめていたのであろう。このような場合どのようにしていた?」
「生憎と俺は名目上のトップですので、こういう能力はあなたよりずっと下ですよ。それに俺は研究者であって教育者ではないので、子供の相手は心得がありません」
ドミニクは首を左右に振り、ため息をつく。
「未熟者だな。我も貴殿も」
「いや、まったく」
ドミニクから活動謹慎を言い渡されたリィは自室の近くにまで来てピタリと足を止めた。彼女の部屋は曲がり角を右に曲がったすぐの部屋であるが、角の奥から人の気配がした。いつもなら特別気にはしないが先程のラビとの件もあって人と会うのは躊躇われた。恐る恐る覗き込むと部屋の前にはサクヤがいた。動揺するリィに気づく様子の無いサクヤは扉を何度もノックする。
真剣な横顔をリィはじっと眺める。それが自分のためだと思うと嬉しくあったが、きっと彼女はその表情で自分が望むことを言わない。それどころか自分が一番欲しくない答えをくれるだろう。リィが怖気づき身体を角の影に隠していると反対側からシュラがやってきた。
「部屋にいないと思ったらやっぱりここか。待ってろって言っただろ」
「シュラさん…」
「リィはいないのか?まあ、いたとしてもお前には会わないってよ」
「…それでも会って話をしたいんです」
「そこまで言うなら無理に止めろとは言わねえけど。ただ、一つ聞かせてくれ。お前、勇者を辞めたことを後悔してねえだろうな?」
後悔してる。そんなことを言えば承知しない。
シュラは目つきや口調、全てで威圧した。そんなシュラの迫力を前にしてもサクヤはマイペースに視線を宙に泳がせ考える素振りを見せる。しばらくして「そうですね」とゆっくりと話しだす。
「勇者だった頃は美味しいものを毎日食べれたし、お風呂は大きいし、ベッドもキレイでふかふかで寝心地も最高でしたし、なによりみんな私を認めて尊敬してくれた。今は三食しっかり食べれない日もあるし、お風呂は小さいし、ベッドも薄くて固いし、軽蔑の目で見られることも多いですよ。それでも、私は後悔をしたことはありません。勇者だった私に戻ろうとは思いません」
「そうか。それならいい。…リィは納得しねえだろうな」
「リィちゃんは勇者の私を尊敬してくれている。だからこそあの子には伝えないといけないんです」
次にサクヤが放った言葉にリィは耳を塞ぎたくなった。
「私は勇者の私が嫌いだってことを」
気づけばリィは走り出していた。その顔に怒りは無く、今にも涙が零れそうなほど歪んでいた。
栄光の塔を飛び出したリィは当てもなく街を彷徨う。街の人々は彼女を見るとひそひそと話し、興奮した様子を見せる。街の人からすればリィは単なる少女ではなく最強と謳われるパーティー『竜の爪』に所属し、『龍少女』の通り名を持つ一流攻略者である。
いつもならその眼差しに応えるのだが、今の彼女にはそれが出来なかった。街の人々が抱く幻想の『龍少女』と一人茫然と立ち尽くすリィ・リィ。いつその幻想が剥がれてしまうのか、彼女は恐怖を感じ逃げるように路地へと入る。その背中を巨大な影が追っていたことに誰も気付くことは無かった。
人目のつかない路地でリィは座り込み膝を抱える。彼女が感じるのはどうしようもない無力感。それはサクヤと出会うまであの村で毎日苛まれていた思い。まるであの頃の自分に戻ってしまったようでリィの脳裏に忘れてしまいたい記憶が蘇る。恨みを孕んだ村人達の視線、呪詛を送るかのような暗い感情に染まった物陰から聞こえる声、そして彼女がそうした扱いを受ける原因である父の姿。もしこのまま竜の爪を辞めさせられるようなことがあったら皆またあんな風に自分を見るのだろうか。考えるだけでリィは身震いした。
違う。もう私は弱くない。父さんもいない。私は『龍少女』リィ。私は特別なんだ。
必死に自分へ言い聞かせるリィの鼻を不快な臭いが刺激する。
思わず臭いの方へと顔を向ける。そこには泥と埃、汗や皮脂などをひたすら染み込ませたボロ衣を纏う男が立っていた。男はかなり痩せているように見えたが、背丈はドミニクと並ぶほどだった。髪や髭を好き放題に伸ばしていたので顔はよくわからずじっとリィを見つめる真意が読めずにいた。だが、ただならぬ雰囲気だけは感じられリィは戦闘態勢をとる。
男はゆっくりと手を伸ばし彼女の名を呼ぶ。
「リィ…」
その声にリィは腹の奥まで冷えるような恐怖を覚える。記憶の中の人物とはかなり体格は変わっていた。しかしその声や髪の奥から覗く目は何一つ変わっていなかった。
それはもうこの世にいるはずのない人物。
「お父、さん…」
そこに『龍少女』と呼ばれる攻略者の姿は無く、いるのは死んだはずの父に怯えるか弱い少女だった。




