第54話 甘い日常と、危険な入口
遼は、ほぼ死んでいた。
真琴に、HPがミリ残しになるほど徹底的に搾取された後、ショッピングモールに来ていた。
(……なんで俺、生きてんだ……?)
足取りが軽いようで重い。軽いようで、やっぱり重い。
体は動く。けれど芯が空洞みたいに抜けていて、踏み出すたびに身体の奥が遅れてついてくる感覚があった。
視界の端で。
さらり、と髪を払う真琴先輩。
息一つ乱していない。
脈も乱れず、まるで何もなかったかのような余裕。
「どうしたの? 遼」
「……いえ、ちょっと人生を振り返ってただけです」
「そう。短かったわね」
「まだ終わってませんからね!?」
即座に返すが、声に覇気はない。
それを見て、真琴はくすりと笑った。余裕のある捕食者の笑みだ。
二人がショッピングモールへとやって来た理由はシンプルだ。
――目立ちすぎる。
現在の遼と真琴の格好は、完全に探索者装備。
防具の継ぎ目には微かに魔力の光が宿り、装飾品は実用と威圧を兼ねた造りになっている。
街に溶け込む気が、最初からない装い。
モールに入った瞬間から視線が集まる。
ひそひそ。
ちらちら。
そして、あからさまな二度見。
(無理だろこれ……探索者プレイで押し切れる空気じゃない……)
「着替え、必要ね」
「ですね……ほんとに……」
遼は深く息を吐きながら、服飾フロアへ足を向けた。
――数十分後。
「はい、これ」
「え、ちょ、これ絶対高いやつ」
「いいから着てみて」
試着室へと放り込まれ、着替えさせられる。
カーテンを開けた瞬間。
店員と真琴の視線が、ぴたりと止まった。
「……あれ、似合ってる……?」
「ええ、思っていた通りね」
真琴は満足げに頷く。
シンプルなシャツに、落ち着いた色のジャケット。
無駄を削ぎ落としたコーデなのに、やけに映える。
(……なんだこれ、俺じゃないみたいだな)
「次はこれね」
「いや待って!? 俺まだ心の準備が」
「大丈夫よ。ちゃんと似合わせるから」
そんなやり取りを何度か繰り返して、お互いが気に入った服装に落ち着いた。
並んで歩く。
不思議と、距離は意識しなくても自然に近づいていた。
肩が触れそうで、触れない。
でも、離れようとはしない距離。
気づけば二人は、当たり前のように寄り添って歩いていた。
となりの真琴の服装は清楚そのもの。
彼の好みがこれでもかと詰め込まれた服装。
白を基調にしたブラウス。
淡い色のカーディガン。
膝丈のスカートが歩くたびに柔らかく揺れる。
一見すれば、落ち着いた綺麗なお姉さん。
襟元のわずかな開き。
指先を隠す袖。
ふとした瞬間に向けられる視線。
どれもが“偶然”に見えて、“意図”を感じる。
清楚の皮を被った、小悪魔。
(……やばいなこれ)
自分で選んだのに、破壊力を直撃で食らっている。
「どう? 遼。似合ってる?」
隣から、さらりと声が落ちてくる。
わずかに首を傾げる仕草。
その動きひとつで、髪がさらりと揺れる。
――完全に分かってやっている。
「……似合ってますよ。はい」
それ以上の言葉は、出てこなかった。
「……なんだあれ?」
モール中央の広場。
そこだけ、空気の色が違っていた。
派手な装飾がある簡易ステージに妙に明るい照明。
そして、ざわめく人の波。
『ただいま探索者募集キャンペーン開催中です!』
弾けるような声がスピーカーから響く。
モニターには大きく表示される。
《スマホ機種変更は“庁スマホ”へ!》 《今なら探索者適性を無料で審査!》
《新規登録でポイント三万円分プレゼント!》
「現実的な餌ね」
真琴が淡々と言う。
ブースの前には長蛇の列。
学生、社会人、一般人。
誰もが“もしかしたら”を胸に並んでいる。
係員は笑顔で誘導する。
「数分で終わる簡単なチェックです! ぜひ体験してみてください!」
横には小型の測定装置。
触れるだけで結果が出る簡易検査。
そして別のテーブルでは。
「こちらが庁スマホになります!」
黒い端末が整然と並ぶ。
「探索者専用OS搭載! ダンジョン内でも通信安定! 緊急時は自動で庁と接続されます!」
画面にはマップ、魔力反応、危険度表示。
(普通に性能やばいな……)
「探索者アプリのみ、ダンジョン内でも通信安定しますので……通常回線はほぼ圏外になります」
係員が、並んでいる客にだけ聞こえる声で説明していた。
「え? じゃあ……普通のスマホは?」
「はい。庁スマホへの移行が前提になります」
笑顔のまま。
けれど逃げ道を静かに塞ぐ説明。
「位置情報とバイタルも同期されますので、救助の成功率が段違いです」
さらっと付け加えられた一言。
だが、その裏にある意味は重い。
「さらに今なら!」
別のスタッフが声を張る。
「登録された方には三万円分のポイントを付与! 装備、アイテム、各種キャンペーン!」
ざわっ、と人の波が揺れる。
「無料なら……」
「ちょっと試すだけでも……」
興味が連鎖していく。
(……完全に“入口”だな)
遼はぼんやりと思う。
探索者という世界への。
軽く踏み込ませるための、よくできた導線。
「……遼。どう思う?」
「入りやすくはなってますね。良くも悪くも」
「敷居が下がる分、“危険”も近くなる」
その言葉は、軽くない。
(……ん?)
遼の視線が、ふと止まった。
列の中。
一人だけ、妙に“浮いている”人間。
笑っていない。
期待もしていない。
ただ、何かを押し殺しているような顔。
(なんだあいつ……?)
「……気づいた?」
真琴の声が、静かに落ちた。
「……はい」
二人の視線が、同じ一点を捉える。
賑やかな空気の中で。
そこだけ、温度が違っていた。
まるで――
何かが、始まる直前みたいに。




