第50話 ペアルック
「遼。起きなさい」
「……むにゃ……あと五分……世界救ってから起きる……」
「救わなくていいから起きなさい」
ぺしっ、と軽く額を叩かれる。
「いった!?」
飛び起きた。
目の前には腕を組んだ真琴先輩。
「……いつまで寝てるの。汗だくのままよ?」
「え……あ」
言われて気づく。
シャツがじっとり肌に張りついている。
あの羞恥イベントの後、時間潰しの戦闘とダブルパンチだ。
そりゃこうなる。
「……あの、まさか」
嫌な予感を抱きつつ聞くと、先輩はあっさりと頷いた。
「お風呂、使っていいわよ」
「おお……! 文明!!」
思わず両手を広げて天を仰ぐ。
そのままダッシュしようとした瞬間。
「というか、一緒に入る?」
「えっ、いいんですか!?」
脳内で何かが爆発した。
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!? 今なんて言いました!? 一緒にって!? え、マジで!? 俺の心臓が先に真琴に攻略されるんですけど!?」
完全にパニック。
意味のわからない動きでその場をうろうろする俺。
真琴先輩はというと――
「……冗談よ」
「はい!?」
「その反応、面白いわね。
ほら、さっさと行きなさい。湯船冷めるわよ」
「は、はいっ!!」
即敬礼して方向転換。
だがドアに向かいながらも心臓がうるさい。
(くそっ……冗談って分かってても威力高すぎるだろ……!)
指差された奥へ目を向ける。
そこには“バスルーム”と書かれたプレート。
(よし……とにかく風呂だ……! 今の俺に必要なのは、冷静さと温かいお湯……!)
自分に言い聞かせるように頷き、俺は勢いよくドアを開けた。
「失礼しまぁぁぁす!!」
全力で駆け込む。
背後で、くすっと小さな笑い声が聞こえた気がした。
風呂上がりの湯気をまとったまま、俺は食堂スペースへと戻ってきた。
体はすっきり、心もすっきり。だったが。
「……」
「……」
テーブルを挟んで向かい合う俺たち。
視線が、微妙に泳ぐ。
理由は一つ。
――服だ。
俺はさっき借りたパジャマ。
淡い色合いで、やたら柔らかい素材。
サイズは合っているのに、どこか“可愛い寄り”。
「……なんで先輩も同じなんですか」
「予備だから」
真琴先輩も、同じデザインのパジャマを着ていた。
色違いですらない。
完全一致である。
「いやいやいやいや!! これどう見てもペアルックですよね!?」
「騒がないの。聞こえるわよ」
「誰にですか!? モンスターですか!? 『あいつら付き合ってるな』とか思われますよ!?」
「別にいいんじゃない?」
「よくないです!! 俺の精神が持たない!!」
全力ツッコミ。
だが先輩は涼しい顔で席についた。
「はい、座る」
「……はい」
反射的に従ってしまう自分が悔しい。
そして。
テーブルに並べられたのは、真琴先輩の手作りである家庭的な料理。
白い陶器の皿に盛られたメインは、こんがりと焼き色のついたハンバーグ。
木のボウルにはたっぷりのサラダ。
湯気を立てるスープ。
最後に、炊きたての白ご飯。
一粒一粒が立っていて、ほんのりとした甘みがある。
ダンジョンの中とは思えないほど、現実的で、温かい。
「いただきます」
「いただきます」
フォークを入れ、ハンバーグを一口。
「うまっ……!」
思わず声が漏れた。
肉の旨味とソースのコクが一気に広がり、疲れた体に染み込んでいく。
さっきまでゴブリンに転がされていた男とは思えないほど、幸せな顔になっている自信がある。
「……そんな顔するほど?」
「しますよ! しますって! これ店出せますよ絶対!」
「大げさね」
そう言いながらも、先輩はどこか満足そうにスープを口に運んだ。
カチャ、とスプーンが触れ合う音。
静かな空間に、小さな生活音が溶けていく。
向かい合って、同じパジャマ姿で、同じ食卓を囲む。
湯上がりの体に、温かい料理と穏やかな空気が染み渡っていく。
「……なんか、普通ですね」
ぽつりと呟く。
「何が?」
「ダンジョンの中なのに、普通に夕飯食べてるの」
「そういう場所なのよ、ここは」
さらりと返される言葉。
でも、その“普通”が、今はすごく特別に感じた。
戦って、笑って、恥かいて。
そのあとにこうして同じテーブルでご飯を食べている。
「……いいですね、こういうの」
自然と口からこぼれた。
真琴先輩は一瞬だけ目を細めて、柔らかく微笑む。
「でしょ?」
その一言と一緒に、静かな空気がふわりと広がる。
食器の触れ合う音。
スープをすする小さな音。
時折交わす何気ない会話。
それらすべてが、妙に心地よくて。
(……こういう時間、ずっと続けばいいのに)
少しだけ思ってしまった自分に気づいて、俺は照れ隠しのようにご飯をかき込んだ。
「おかわり、あります?」
「あるわよ。ちゃんと食べなさい、勇者様」
「その呼び方だけはやめてください!!」
笑い声が、やわらかくテーブルの上に弾けた。
その余韻を残したまま、食事はゆっくりと終わっていく。
「……ごちそうさまでした」
「お粗末さま」
食器を軽く重ねながら、真琴先輩が立ち上がる。
その動作すら無駄がなくて、どこか見惚れてしまう。
「片付け、手伝います!」
「いいわよ。今日は頑張ったんだから、休んでなさい」
「いや、でも」
「いいから」
ぴしっと言い切られ、俺は素直に引き下がるしかなかった。
「……じゃあ、お言葉に甘えて」
そう言いながら、ベッドへと向かう。
休憩所のベッドはやけにふかふかで、ダンジョンの中とは思えないほど上質だった。
倒れ込むと、体が沈み込むように包み込まれる。
「うわ……これ、やば……」
今日一日の疲れが、一気に溶けていく。
戦闘して、転んで、裸になって、笑われて。
いろいろありすぎたはずなのに。
(……でも、悪くなかったな)
そんなことを思いながら、目を閉じた。
――どれくらい眠っただろうか。
ふと、目が覚めた。
静かだった。
あたりは薄暗く、休憩所の照明は最小限の灯りだけが残っている。
時間の感覚は曖昧だが、どうやら夜明け前らしい。
「……ん……」
ぼんやりとした頭で、ゆっくりと視線を動かす。
そして、気づいた。
すぐ隣に、人の気配。
視線を向けると、真琴先輩が、静かに眠っていた。
「……」
思わず、息を呑む。
規則正しく上下する胸。
長いまつげが影を落とし、柔らかな呼吸が静かな空間に溶けている。
結んでいない黒髪が、枕の上にさらりと広がり、月明かりのような淡い光を受けてほのかに輝いていた。
その寝顔は――
(……女神かよ)
思考が、その一言で止まる。
無防備で、穏やかで、どこまでも静かで。
まるで、この場所だけが別の世界になったみたいだった。
(……こんな顔、するんだな)
少しだけ、胸の奥がきゅっと締め付けられる。
今日一日、強くて、冷静で、時々意地悪で。
でもちゃんと支えてくれていた人が、今はこんなにも無防備に眠っている。
それが、なんだか。
やけに、愛おしかった。
(……寝よ)
これ以上起きてたら、いろいろと危険だ。
俺は目を閉じる。
さっきよりも少しだけ、穏やかな気持ちで。
隣から伝わる微かな体温と、静かな呼吸のリズムに包まれながら、ゆっくりと眠りへと落ちていった。
ダンジョンの奥深く。
本来なら危険で満ちているはずの場所で。
その夜だけは、確かに――
優しくて、静かな時間が流れていた。




