第49話 勇者、消滅する
休憩所の扉が静かに開いた。
淡い光の粒がふわりと舞い、まるで祝福の紙吹雪みたいに俺の視界をくすぐる。
その中心へ、俺――藤堂遼は一歩、堂々と踏み出した。
「よしっ! ここからが本当の冒険だ!」
声がやけに響く。
勇者衣装のマントを翻し、胸を張り、視線は遥か彼方。
完全に“主人公モード”である。
(決まった……! 今の一歩、絶対カッコよかった……!)
そう思った――その瞬間。
ふわり。
マントの端が、光を帯びて溶けた。
「……ん?」
嫌な予感が、首筋をひやりと撫でる。
次の瞬間。
マントが、霧散した。
胸当てが、粒子になった。
ブーツが、光に変わった。
手袋も、ベルトも、勇者としての“威厳っぽい何か”も全部。
まるで『ここから先はリアルです』とでも言われたみたいに、まとめて消え去った。
「……え?」
ぽつりと漏れた声。
そして、視線を落とす。
「…………」
何も、ない。
うん。 見事なまでに。
「え、えええええええええええええええええええええええっ!?!?!?」
遅れて理解が追いついた瞬間、俺は絶叫していた。
そう。
完全に。
見事に。
スッポンポンである。
「な、な、な、なんで!? 俺、今、裸!? いや待って!? ダンジョンってこんな仕様あったっけ!?」
慌てて両手で隠す。
だが手は二本しかない。
絶望的に足りない。
文明って偉大だなと初めて思った。
その背後から――
「きゃっ!?!?!?!?」
短い悲鳴。
だがその音色、明らかに“笑いを噛み殺している”タイプだ。
振り向く勇気はない。ないが、分かる。
そこにいるのは――
「ま、真琴先輩!? 見ないでください今すぐ目を閉じてくださいお願いします!!」
必死の懇願。
しかし、返ってきたのは――
「……ぷっ」
耐えきれなかった、という音。
「そ、そういえば……休憩所の装備は、外に出た瞬間に消滅するのよね」
「重要情報が遅い!! 遅すぎます先輩ぃぃぃ!!」
振り返ると、真琴先輩は口元を押さえていた。
肩が震えている。完全に笑っている。
「だって……まさか本当に、そのまま出てくるとは思わなかったんだもの」
「思ってくださいよそこは!! 普通止めるでしょ!? “そのまま行くの?”って一言くらい!!」
「止めたら面白くないじゃない」
悪びれず言う先輩。
ああ、この人、確信犯だ……!
「わ、わ、わ、戻ります!! すぐ戻るから! 今は見ないでください!!」
俺は涙目で叫びながら、慌てて扉へ駆け戻る。
バンッ、と魔方陣に手を叩きつける。
「開け開け開けぇぇぇっ!!」
……しかし、光は一瞬ちらついただけで反応しない。
しかし――
ぴこん。
頼りない光が一瞬だけ点滅し、すぐに消えた。
「……あれ?」
もう一度叩く。
もう一度。
反応なし。
「……え? ちょっと待って? なんで? 俺の尊厳、今まさに崩壊してる最中なんだけど?」
その背後から、ぽん、と肩に手が置かれる。
「言い忘れてたけど、休憩所の魔方陣って一度出ると二十分再起動しないの」
「にじゅっぷん!?!?!?」
世界が終わった音がした。
「この格好で!? 二十分!? 長い! 長すぎる! 人生の中で一番長い二十分になりますよこれ!!」
「そうね……人生観は変わるかも」
「変わりたくない方向で変わるやつ!!」
「……でも意外と似合ってるかも?」
「どこが似合ってるんですかぁぁぁぁ!!」
しゃがみ込む俺。完全敗北ポーズ。
床が冷たい。現実も冷たい。
そんな俺を見下ろしながら、真琴先輩はスマホを操作した。
「……仕方ないわね。これ、送ってあげる」
ぴこん、と俺のスマホが震える。
《アイテム受信:探索者用服》
「せ、先輩……これ、まさか……!」
顔を上げる。
そこには、いつも通りの涼しい顔。
「うん、普段私が使ってる予備。伸縮素材だから男性でも着られるはず」
さらっと言ってのける真琴先輩。
俺は感動と羞恥の入り混じった顔で叫んだ。
「神ですか先輩!! いや女神です!! あ、でも今この格好で“女神”って言うのなんか!」
「いいから着なさい」
「はいぃぃぃっ!」
俺は震える手でスマホを操作する。
これで救われる。人としての尊厳を取り戻せる――!
が、画面には冷酷な文字が点滅していた。
《装備準備中…… しばらくお待ちください》
「お待ちできません!! 今すぐ欲しいんです俺は!!」
「ふふ……どうしたの、遼くん。焦ってる?」
「焦りますよぉぉぉっ!! もう羞恥心の限界突破してますからぁぁぁっ!」
連打。連打。連打。
だが画面は無情。
そんな俺を見ながら、真琴先輩は優雅に腕を組んだ。
「遼ってほんと、見てて飽きないわね」
「見てないで助けてぇぇぇぇっ!」
しばらく悪戦苦闘したあと、真琴先輩がぽつりと言った。
「あ、メッセージ欄に“装備一括適用”ってボタンあるでしょ。そこ押せば一瞬よ」
「あるなら最初に言ってくださいよぉぉぉぉ!!」
即タップ。
瞬間、光が身体を包み込む。
粒子が形を成し、新たな服が装着されていく。
「きたぁぁぁ!! 文明復活!! 俺は人間に戻――」
違和感。
胸元が、妙にきつい。
「……ん?」
おそるおそる上着をめくる。
そこにあったのは――
ピンクのブラジャー。
「ぎゃああああああああああああああああああああああああっ!!!!!」
通路に響く絶叫。
鳥がいれば気絶していたレベル。
真琴先輩の肩がぴくりと震えた。
心の中で頭を抱えながらも、彼女は表情を崩さず、淡々と告げる。
「……ちゃんと全部届いてるわね」
「届きすぎてますぅぅぅぅぅ!! 俺、今ブラしてますよ!? 何、羞恥プレイですかこれぇぇぇぇ!」
「それも含めて“機能性服”よ。サポート機能、悪くないと思うけど?」
「どんなサポートですかぁぁぁぁ!!」
俺は真っ赤になって飛び跳ねた。
もう何もかもがおかしい。
「ふっ……あはは……っ!」
真琴先輩は耐えきれず、とうとう吹き出す。
その笑顔。
心底楽しそうな、普段は見せない表情。
(……ああ)
胸の奥が、ふっと軽くなる。
(先輩が笑ってるなら……まあ、いいか……)
「……いややっぱよくないわ!!」
二十分後。
ようやく再起動した魔方陣が淡く光り、俺はほとんど転がり込むように休憩所へ戻った。
「……帰ろう……心が風邪ひいた……」
ベッドにダイブ。
ふかふかの感触が全身を包み込む。ああ、文明。ああ、布団。
お前たちは俺の味方だったんだな……。
「ふふ、お疲れ様。勇者様?」
「やめてぇぇぇ!! その呼び方トラウマになります!!
一生フラッシュバックするやつですから!!」
顔を枕に押し付けてじたばたする俺。
真琴先輩は隣のソファに腰を下ろし、穏やかに微笑んだ。
「でも……今日のあなた、悪くなかったわよ」
「え……?」
顔だけ上げる。
先輩の表情は、いつもの冷たさがほんの少しだけ溶けていた。
「ちゃんと前に出て、守ろうとしてた。転んでも、恥かいても、立ち上がってた
……それって、勇者の素質かもね」
その言葉に、胸の奥がじんと温かくなった。
「……先輩、それ反則ですよ……」
「何が?」
「そういうところです……!」
思わず顔を覆う。
たぶん今の俺、顔真っ赤だ。
真琴先輩は肩をすくめた。
「じゃあ、次も少しだけ冒険しましょうか。次は……服、ちゃんと持ってきてね?」
「……はい、絶対に!」
力強く返事して、そのままベッドにごろん。
天井を見上げる。
(――裸の勇者、ここに散る)
だがその魂は、ちょっとだけレベルアップした気がした。
……そのまま、意識が落ちた。




