第47話 放課後ダンジョン・先輩同行
放課後のキャンパス。
陽は西へ傾き、並木道を抜ける風が金色に染まる。
グラウンドからは部活の掛け声、遠くの講義棟からは笑い声。
日常の終わりと非日常の始まりが、ちょうど交差する時間帯だ。
その中で俺――藤堂遼は、門の前でそわそわと立ち尽くしていた。
(今日こそ真琴先輩に俺の“冒険力”を見せつける……!)
拳を握りしめる。
胸の奥では、ダンジョンの奥底で燃えるマグマみたいな熱がぐつぐつと沸騰していた。
何度も腕時計を見る。
まだ三分しか経っていない。
「落ち着け俺……これは戦いじゃない……いや、ある意味戦いだけど……」
ぶつぶつ呟く俺。
完全に挙動不審である。
そのとき。
コツ、コツ、と規則正しいヒールの音。
反射的に背筋が伸びた。
現れたのは、香坂真琴先輩。
黒髪を高く結ったポニーテール。
制服の上に羽織った黒の探索者ジャケット。
夕陽を受けて輪郭が淡く輝き、まるで現実から少しだけ浮いている存在みたいだった。
(……やばい、普通に見惚れる)
「待たせた?」
淡々とした一言。
「いえっ! 俺は先輩のためなら一生でも待てます!」
「……そういうの、他の女子に言うと通報されるからね」
「うっ……」
心にクリティカルヒット。
だが同時に、俺の脳内翻訳機が作動する。
(=“私だけに言いなさい”ってことか……!)
都合のいい変換力、発動中。
先輩の冷ややかな視線。
だが、俺の脳内では「照れてる」に変換されていた。
「で? そのテンション、ちゃんとダンジョンでも維持できるの?」
「もちろんです! 本日は完全に仕上がっております!」
「そう。じゃあ死なないようにね」
「軽いな!?」
くすっと、ほんの一瞬だけ先輩が笑った。
その“0.5秒の微笑”を、俺の脳は三分間のスローモーションで再生する。
(今の笑顔……保存したい……。
ふっ……今日も美しい。そして今日こそ、俺が守る番だ!)
俺たちは並んで歩き出した。
向かう先は、大学近場にある第5区ダンジョン。
ゲート前。
巨大なリング状の装置の中心で、光の渦がゆっくりと回転している。
見慣れてきたはずなのに、やっぱり胸がざわつく。
「IDタッチして」
「はいっ!」
ピッ、と音が鳴る。
「じゃ、入るわよ。私は補助だけ。基本は自分でやるの、いいわね?」
「もちろん! 俺の勇姿を目に焼き付けてください!」
「……あ、フラグ立てた」
「え?」
「ううん。なんでもない」
意味深な笑み。
いや、その“なんでもない”が一番怖いんですけど!?
だが俺は気にしない。
なぜなら。
それだけで俺のテンションはMAXだった。
転送。
視界が白に塗りつぶされ、次の瞬間。
湿った空気。
石壁。
かすかな水滴の音。
「……来たな、ダンジョン」
俺はゆっくりと息を吐いた。
「相変わらずカビ臭いわね」
「ロマンって言ってくださいよ」
「どこに?」
即答で切られる。
だが俺は負けない。
「この空気、この暗さ、この緊張感! 全部が冒険です!」
「はいはい、冒険ね」
完全に流された。
俺は庁スマホを取り出して、ドヤ顔で先輩に見せた。
「見てください、先輩! このインベントリ管理アプリ! 俺の宝箱コレクションが」
画面には、武器、素材、謎の布切れがずらり。
「……ただの整理アプリね」
「ち、違います! 冒険者の魂を管理する、心の倉庫です!」
「心の……はいはい」
冷たくあしらわれても、俺はめげない。
なぜなら今日の俺は“主役”だからだ!
最初の敵は、洞窟コウモリの群れ。
「ギィィィィッ!」
頭上から黒い影が降り注ぐ。
数十匹の洞窟コウモリが羽ばたき、闇の中を埋め尽くした。
「来たな……!」
俺は剣を抜き、叫ぶ。
「《アビリティジャック》――発動!」
光のエフェクトが走り、視界にステータス情報が浮かぶ。
《対象:洞窟コウモリ スキル:超音波探知》
「よし! これをコピーだッ!」
《スキルコピー失敗》
「……え?」
一拍。
「えぇぇぇぇぇ!?」
俺の絶叫が洞窟に響く。
「失敗? ぐぬぬ……!」
「ギャアアアアァァァッ!!」
俺は絶叫した。
俺の絶叫が洞窟に響く。
コウモリたち、一斉にビビる。
バサバサバサッ!!
逃走。
「……」
「……」
静寂。
「ふっ……恐れをなしたか」
「ただの大声よね……」
「違います! 魂の咆哮です!」
だが、先輩の口元がほんの少しだけ緩んだ。
(よし、ウケてる……!)
真琴先輩はため息をつきつつも、小さく「……まぁ、結果オーライ」と呟いた。
俺の勝利だ。
二階層。
どろり、とした青い液状のモンスターが通路を塞ぐ。
ブルースライム。
ぷるぷる震える青い塊。
「これはさすがに余裕。
よし、剣技で勝負だ!」
剣を構え、一閃。
斬る。
ぶしゅっ。
見事に真っ二つ……になったが、二つのスライムが蠢き始める。
「なんで増えるんだよ!?」
「教本に書いてあったわよ」
「読んでませんでした!!」
焦る俺。
再び《アビリティジャック》を発動。
光がスライムと繋がり――
《能力コピー:弾力》
「……ふっ。これで俺もプヨプヨボディだ!」
「なんか言い方がイヤ」
次の瞬間、スライムの体当たり!
俺の体は、ぷよん、と弾んで、壁に跳ね返る!
「……なんだこれ、楽しい」
「楽しんでる場合?」
跳ねる俺。
さらに二撃、三撃。全部バウンドで受け流す俺!
「はははっ! 俺は今、無敵の反発力を手に入れたッ!」
跳ねながらポーズを決める。
……が、カッコ悪い。
「見てください先輩! これが新時代の防御です!」
「……ただの事故よね?」
真琴先輩が微妙な笑みで呟いた。
(違う、絶対違う……)
先輩の心の声が、虚空にこだました。
ゴブリン小隊。
三階層への階段前。視界が開けた瞬間、空気が一段階重くなった。
石造りの広間。
その中央に、整列した影。
武装ゴブリンが十数体。
粗雑ながらも統一された装備。
短剣、棍棒、盾。
そして何より、連携を前提とした“陣形”。
「……うわ、なんか今までと雰囲気違くないですか」
思わず声が漏れる。
「ええ。あれは“群れ”じゃない。“部隊”よ」
真琴先輩が静かに答える。
「ぶ、部隊……ってことは」
「指揮個体がいる可能性もある。油断したら普通に死ぬわよ」
「さらっと怖いこと言うなぁ!?」
ここで引くわけにはいかない。
先輩の前で、カッコいいところを見せる絶好のチャンスだ。
「……ここが勝負どころ」
剣を構える。
心臓がドクン、と大きく鳴る。
「先輩、見ててください!」
「ええ、ちゃんと見るわ。“最後まで”ね」
「その言い方やめてください!」
だがもう止まれない。
「行くぞぉぉぉぉ!!」
俺は地面を蹴った。
俺は突撃のつもりだった。
カツン。
「あ」
ほんの小さな石。
たったそれだけで、俺の体勢は崩れた。
前のめりになり、
「うわああああああああああ!?」
盛大に転倒。
ゴロゴロゴロゴロゴロゴロゴロ!!
勢いよく転がる俺。
視界がぐるぐる回る。
(やばいこれ止まらない止まらない止まらない!!)
そして――
ドンッ!!
ゴブリン隊の先頭に激突。
「ぐえっ」
「ギャッ」
「ぴぎゃああ!」
そこからはもう、惨劇という名の芸術だった。
ドミノ。
完全なるドミノ。
一体が倒れ、隣が巻き込まれ、さらにその隣へ。
連鎖、連鎖、連鎖。
ゴブリンたちが雪崩のように崩れ、悲鳴を上げながら坂の先へと落ちていく。
ゴロゴロゴロゴロ――ドサァァァァン!!
……静寂。
数秒後。
生き残ったのは、数体。
そして――俺。
ゆっくりと立ち上がる。
髪にホコリ、服はぐちゃぐちゃ。
だが、俺はあえてそれを払わない。
あえて、静かに息を整える。
「……ふっ、計算通りだ」
立ち上がり、息を整えてドヤ顔。
沈黙。
「嘘でしょ……」
真琴先輩の一言が、すべてを物語っていた。
「いやいやいや! 今のは完全に戦術的突撃ですよ!?」
「どこがよ」
「敵の陣形を崩すための……こう、回転圧力的な……!」
「ただの転倒事故よね?」
ぐぅの音も出ない。
だが、その瞬間。
ピコン、と脳裏に通知が走る。
《アビリティジャック――発動》
《対象:ゴブリン兵 スキル:警戒力》
視界が変わる。
音が、匂いが、気配が、立体的に広がる。
空気の揺れ。
足音の残響。
敵意の“濃さ”が色みたいに見える。
「……なるほどな」
ゆっくりと顔を上げる。
「……俺はすべてを見通す目を手に入れた」
鼻をひくひくさせながら言う俺。
先輩は、完全に無表情になった。
「ねぇ遼。鼻で嗅ぐタイプの能力なの?」
「感じ取るタイプです!」
「……そう」
完全に呆れ顔。
その間にも残ったゴブリンが立ち上がる。
「ギィッ!」
襲いかかってくる影。
だが、見えるぜ。
「遅い」
一歩踏み込む。
剣を振るう。
ギィン!
攻撃を弾き、反撃。
一体、二体、三体――
流れるように倒していく。
「……おお」
思わず自分で感心する。
「今のは、ちゃんと戦えてたわね」
真琴先輩の声。
その声に、少しだけ誇らしさが混じっていた。
「でしょ!? やればできる子なんです俺!」
「最初からそれやりなさいよ」
「それは……その……演出です!」
「命懸けの演出はやめなさい」
魔物が、飛びかかってくる。
半ば諦めたように、先輩は残った
数体を氷鎖で一瞬にして拘束した。
最低限のサポート。だが、優しさは確かにあった。
――決着。
静寂が戻る。
戦いの余韻が、ゆっくりと広がる。
「……最低限のサポートよ」
先輩は肩をすくめる。
「いや十分すぎますよ!?」
「あなた一人じゃ、あと三回は転んでたわね」
「そんなに!?」
くすっと、ほんの少しだけ笑う。
その笑顔に、胸がじんわり熱くなる。
「……でも。
さっきの最後の動き、悪くなかった」
先輩がふと呟く。
「……っ」
その一言で。
全部チャラになった気がした。
転倒も、ドミノも、鼻スンスンも。
(よし……次はちゃんと最初から決める)
だが同時に、心のどこかでこうも思っていた。
(……でもあのドミノ、ちょっと気持ちよかったな)
戦闘を終え、休憩所に辿り着く。
転移陣を抜けた瞬間、空気が一変した。
湿った鉄と血の匂いは消え、代わりにほんのりと甘い、どこか人工的な香りが漂っている。
広々とした空間。
白を基調とした壁に、柔らかな間接照明。
壁際には整然と並ぶ自販機。
軽食や飲料のラインナップは、まるでコンビニをそのまま切り取ってきたみたいだ。
そして中央には、いくつかのベンチとテーブル。
ダンジョンの中とは思えないほど、穏やかな場所。
「……ほんと、ここだけ世界違くないですか?」
思わず呟く。
「そういう“安全地帯”を作らないと、探索者がもたないのよ」
真琴先輩は淡々と答えた。
「いや、精神的にって意味で?」
「物理的にもよ。人は普通、あんな連戦したら倒れるもの」
「俺、普通じゃないってことですか?」
「ええ、だいぶ」
「即答!?」
軽口を交わしながら、俺はベンチに腰を落とした。
ぐったりと背もたれに身体を預ける。
全身から、どっと疲労が抜けていく。
「はぁぁぁぁ……」
深く、長く息を吐く。
やっと、終わった。
そんな実感がじわじわと広がっていく。
手のひらを見る。
まだわずかに震えている。
(……やっぱり、怖かったんだな)
でも同時に。
(……楽しかった)
その感情も、確かにあった。
「ふぅ……今日の俺、けっこうやれましたね!」
少しだけ胸を張って言う。
半分は強がり。
半分は、本音。
真琴先輩は、無料自販機で手に入れた缶コーヒーを手にしながら、こちらへ歩いてくる。
プシュッ、と音を立てて開ける。
一口。
そして、俺の隣に腰を下ろした。
真琴先輩は微笑を浮かべた。
普段の冷たい表情が、わずかに柔らかくなる。
「……そうね」
短い返事。
けれど、その声はいつもより少しだけ柔らかかった。
「前より落ち着いてたし、ちゃんと戦えてた」
「ほんとですか?」
「ええ。無駄な動きも減ってたし、状況も見えてた」
淡々とした評価。
でもそれは、ちゃんと“見てくれていた証拠”だった。
胸の奥が、じわっと熱くなる。
努力は、無駄ではなかった。
「……成長してるし、かっこよかったよ」
「――っ」
一瞬、呼吸が止まった。
時間がゆっくりになる。
耳の奥で、自分の心臓の音だけがやけに大きく響く。
ドクン、ドクン、ドクン。
「せ、先輩……!」
思わず声が裏返る。
顔が熱い。たぶん赤い。確実に赤い。
でも、そんなのどうでもよかった。
その一言で。
今日の全部が報われた気がした。
転んだことも。
叫んだことも。
変な能力の使い方も。
全部、全部。
(……届いた)
ちゃんと、見てもらえた。
それが嬉しくて仕方なかった。
しかし、ナレーションは残酷である。
実際には転倒・絶叫・バウンド・ドミノのフルコースでカッコ悪かった。
しかし当の本人は気づいていない。
むしろ。
(よし……完全にカッコよかった判定もらった……!)
脳内で勝手に評価がSSランクに昇格していた。
「……なにニヤニヤしてるの?」
「い、いえ!? 別に!? なんでもないです!!」
「怪しいわね……」
じとっとした視線。
だが、その奥にはほんの少しだけ、楽しそうな色が混じっていた。
しばらく、静かな時間が流れる。
遠くで、自販機の稼働音。
どこかで水が滴るような小さな音。
戦いの緊張が、ゆっくりとほどけていく。
俺の心は晴れ渡っていた。
たとえ全世界が笑っても、
その微笑だけで、俺は勝利者になれるのだから。
「次はもっと、ちゃんと守ります。先輩のこと」
「……その前に、足元見て歩きなさい」
小さく笑い、立ち上がる真琴先輩。
その背中を見つめながら、俺は決意を固めた。
(次こそ完璧に決める。ダンジョンでも、恋でも――!)
「ええ、期待してる」
さらっと言う。
でもその言葉は、思ったよりもずっと重かった。
(……期待されてる)
その事実が、胸の奥にじんわりと広がる。
俺はゆっくりと拳を握った。
(次は、ちゃんとかっこよく)
決意を胸に刻む。
その隣で、真琴先輩はふっと小さく息を吐いた。
「……まあ」
「?」
「今のままでも、悪くはないけどね」
「――っ!?」
追撃。
不意打ち。
完全にクリティカル。
「せ、先輩それは反則です!!」
「なにがよ」
「心臓がもたないです!!」
「知らないわよ」
くすっと笑う。
その笑顔は、戦闘中よりもずっと柔らかくて。
ずっと、近かった。
だから俺は、思う。
たとえ全世界に“ダサい”って言われても。
この人に、ほんの少しでも認めてもらえたなら。
それでいい。
それだけで、十分だ。
(……よし)
俺は立ち上がる。
「行きましょう、先輩」
「もう少し休みなさいよ」
「いや、なんか今なら無限に頑張れそうなんで!」
「テンションで動くとまた転ぶわよ」
「うっ……」
図星だった。
でも、それでも。
足取りは、さっきよりずっと軽かった。
少なくとも俺の中では、今日は“勝利”だったのだから。
こうして、俺の放課後はまた伝説を刻んだのであった。




