第48話 休憩所の舞踏会
ダンジョン四階層の休憩所に足を踏み入れた瞬間、俺――藤堂遼は、思わず息を呑んだ。
「……なんだここ、ホテルのロビーかよ」
視界いっぱいに広がるのは、もはや“休憩所”という言葉では片付けられない空間だった。
磨き上げられた大理石の床は足音を柔らかく反射し、天井からは繊細な装飾のシャンデリアが幾重にも光を降らせている。
壁際には観葉植物が整然と並び、奥にはカウンター付きの洒落た食堂スペースまで完備されている。
植物の香りがほのかに漂い、どこからともなく流れてくる静かな音楽が耳に心地いい。
(絶対おかしいだろこれ……さっきまでゴブリンと死闘してたのに…?)
現実と非現実が、ここでは綺麗に混ざり合っていた。
まるでファンタジーRPGの“セーブポイント”が現代建築と融合したような光景に、俺の脳内では荘厳なオーケストラが鳴り響いていた。
「ふふ、遼くん。口開けたまま突っ立ってると、モンスターより恥ずかしいわよ」
柔らかな声に振り向く。
そこに立っていたのは、香坂真琴。
長い黒髪を高い位置で結んだポニーテールが、照明の光を受けてさらりと揺れる。
制服の上に羽織った黒の探索者ジャケットは無駄のないシルエットで、彼女の凛とした佇まいをより引き立てていた。
湿ったダンジョンの空気の中でも、彼女だけはまるで別の世界の住人のように澄んで見える。
「え、あっ……いや、その、先輩が輝きすぎて……」
「またそんなこと言って。はいはい、褒め言葉は後でまとめて聞くから」
軽くあしらわれた。
だが問題ない。俺の脳内翻訳機は優秀だ。
(今のは“嬉しいけど照れるから流したい”の意だな……)
勝手に納得して、勝手に満足する。これが藤堂遼スタイルである。
俺は少し背筋を伸ばし、改めて周囲を見渡した。
「にしても……本当にすごいですね。ダンジョンの中にこんな場所があるなんて」
「安全地帯の一種よ。魔物が侵入できないように隔離されている。
探索者が休むための場所ね」
「いや、それにしては豪華すぎません?」
「精神の安定も大事なの。緊張が続きすぎると判断力が鈍るから」
淡々とした説明。
だがその言葉の端々に、経験に裏打ちされた重みがあった。
(やっぱこの人、ただの“大学の先輩”じゃないよな……)
俺がそう思っている間にも、真琴はスマホを取り出し、先ほどの戦闘や宝箱で手に入れたアイテムを手際よく整理していた。
画面に表示されたインベントリは整然としていて、無駄が一切ない。
「遼くん、アイテムは私が預かるわね」
素直に頷き、躊躇なく。
俺はバッグの口を開いた。
バッグの中には、今までの探索で手に入れてきた“全部”が詰まっている。
バッグをひっくり返した。
ごとっ、と鈍い音。
床の上に、これまでの成果が広がる。
漆黒に輝く剣――魔鋼の剣。
淡い光を内側に秘めた魔石の数々。
見た目はただの金属片だが、妙に重みのある素材。
用途不明の布切れ。
そして、首にかけるには微妙に禍々しい――謎のペンダント。
さらに、小さなマナストーンがころころと転がり、回復薬の瓶がカランと音を立てた。
完全に“戦利品の山”だった。
「……」
真琴は、しばらく無言でそれらを見つめていた。
先輩は魔鋼の剣を手に取った。
あの、俺の“相棒”。
刃に青い光が走る。
その瞬間、空気がわずかに張り詰めた。
じっと刀身を見つめたあと、ゆっくりと俺に返してきた。
「これは遼が持ってなさい」
「え?」
「この剣、もう“あなたに馴染んでる”。下手に手放す方が危ないわ」
そう言われて、無意識に柄を握る。
ドクン、と脈打つ感覚。
やっぱり、こいつは“ただの武器”じゃない。
(……お前も分かってるんだな、俺が“相応しい”って!)
思わずニヤける。
「……回復薬とマナストーン以外は全部、私が管理する」
真琴がスマホを操作すると、インベントリの光が広がる。
床に広がっていたアイテムたちが、一つずつ淡い光に包まれ、吸い込まれていく。
魔石、金属、布、ペンダント、等。
すべてが、綺麗に整理されていく。
その様子はまるで、散らかった現実が一瞬で“正しい形”に戻っていくみたいだった。
「これでよし」
画面を軽くタップして、先輩は満足そうに頷く。
「……信頼してくれるのね」
ぽつりと、先輩が呟く。
「だって先輩ですから」
「……それ、理由になってないわよ」
「俺の中では、なってます」
きっぱりと言い切る。
真琴は一瞬だけ目を細めて、
「……バカね」
小さく、そう言った。
でもその声は、少しだけ柔らかかった。
「……あまり人に見せない方がいいの。特に、政府関係者には」
「政府? なんでです?」
思わず聞き返す。
真琴は、ほんの一瞬だけ視線を伏せてから、
「理由を知りたいなら、もっと強くなりなさい」
静かにそう言った。
「自分で納得できるだけの力を持ったら、そのとき教えてあげる」
柔らかく微笑む横顔。
けれど、その距離はどこか遠い。
そして俺は思う。
(ああ……たぶん、これでいい)
強さも、武器も、スキルも大事だ。
でも今の俺にとって一番の“安心装備”は――
この人に預けられるっていう事実、そのもの。
近づきたい。
その一歩を踏み出すためなら、俺は何度でも転ぶし、何度でも立ち上がる。
そんなことを考えながら歩いていると、不意に視界の端に奇妙なものが映った。
休憩所の隅にある、小さな扉。
プレートにはシンプルにこう書かれている。
『衣装部屋』
「……なんだよこれ」
嫌な予感と、抗えない好奇心。
その二つに背中を押されるように、俺はそっと扉を開けた。
そして、固まった。
「……おお……」
そこに広がっていたのは、まさに夢の空間。
壁一面に並ぶ衣装、衣装、衣装。
勇者のマント、魔法使いのローブ、騎士の鎧、盗賊の軽装。
どれも精巧に作られていて、ただのコスプレ用品とは思えない完成度。
そして、その中でもひときわ目を引くのが、煌びやかな踊り子の衣装。
光を反射する装飾、軽やかな布の重なり、どこか幻想的な雰囲気。
(これは……ロマンが詰まりすぎてるだろ……!)
気づけば俺は、勇者風のコスチュームを手に取っていた。
数分後。
鏡の前に立つ俺。
マントを翻し、剣を構える。
「……よし」
そこにいたのは――
「完全に勇者だな、これ」
自分で言うのもなんだが、かなりそれっぽい。
テンションが天井を突き破った俺は、そのまま勢いよく扉を開けた。
「どうだ、先輩!」
バァン!と登場。
一瞬の沈黙。
「……ふふっ」
真琴先輩が、口元を押さえて笑った。
「……似合ってるじゃない。遼くん、勇者気分?」
「でしょ!? これで士気爆上がりですよ! 俺が勇者ムーブをすれば、探索成功間違いなし!」
「理屈はよく分からないけど、勢いはあるわね」
軽く流される。
笑ってくれた時点で勝ちだ。
そんな俺に、先輩はふと視線を向け。
「じゃあ、私も合わせた方がいいかしら?」
「えっ?」
手に取ったのは、あの踊り子衣装。
「え、ちょ、ま、待ってください!? 本気ですかそれ!?」
「条件付きよ」
にやり、とわずかに口元が緩む。
「遼くんはその格好のまま、次の休憩所まで行くこと。それが守れたら、私もこれを着る」
「……交渉がうますぎる……!」
断る理由がない。
「やります!」
即答だった。
数分後。
目の前に現れた真琴先輩を見た瞬間、俺は時を忘れた。
煌びやかな衣装が彼女の肌を柔らかく包み、淡い装飾が光を受けてきらめく。
普段は理知的な彼女が、まるで幻想世界の姫君のように見えた。
「……どうかしら?」
「……すごい……似合ってます」
それしか言えなかった。
「ふふ、ありがと。じゃあ、始めましょうか」
その笑顔が、やけに近く感じた。
「は、始めるって何を!?」
「“舞踏会”よ。せっかくだから、この衣装にふさわしい遊びをしないと損でしょ?」
そう言って先輩は手を差し出した。
その仕草が、なんかもうズルい。完全に舞台女優だ。
こうして始まった、“休憩所での舞踏会ごっこ”。
「我こそは勇者トウドウ! 世界を救うためにここに立つ!」
「その勇者様を支える踊り子、マコトよ♪」
俺の全力ポーズに、先輩が軽やかにステップを合わせる。
衣装の飾りが揺れ、笑顔が弾ける。
完全に茶番。
意味なんてない。
効率もゼロ。
でも、最高に楽しい。
笑い声が、静かな空間に広がっていく。
やがて音もなくステップが止まり、ふたりの距離がふっと近づく。
「……楽しい?」
先輩が静かに問いかける。
一瞬だけ、言葉に詰まる。
「……はい。めちゃくちゃ」
素直に答えた。
先輩はほんの少しだけ目を細めて、満足そうに微笑んだ。
そして――
その時間は、確かに輝いていた。
(……ああ)
剣も、戦いも、強さも大事だ。
でも今は、それ以上に。
(この時間、守りたいな)
そう思った瞬間。
ほんの少しだけ、俺の“冒険”の意味が変わった気がした。
再びゲートへ向かう。
足音が石畳に響く。
その途中で、真琴先輩がふと振り返った。
「ふふっ、遼くん。ちゃんと最後まで演じ切りなさいよ?」
「もちろんですとも、真琴先輩!」
胸を張って言うと、先輩は少しだけ笑った。
その笑みが、いつもより穏やかだったのが印象的だった。
(……今日もまた、好きになってしまった)
心の中で呟く。
この気持ちは、たぶんまだ口にするのは早いけど…
でも確かに、ここにある。
俺は一歩、前に踏み出す。
次の戦いへ。
そして、その先にあるものへ。
――俺の冒険は、まだまだ続く。
恋も、成長も、そしてこの不可思議なダンジョンも。
全部まとめて、俺の物語だ。




