↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
束の間の常しえ  作者: 武井一仁


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
3/6

第一章 時空を超えて・・・②

旧盆に入った今も、うだるような猛暑と蝉の大合唱だけは衰えを知らない。

家の中に、おりんの音がちーんと響き渡った。

線香の紫煙が、エアコンの風に揺らめいている。


「悪かったなあ。葬式から何から、すっかり任せっきりになってしまって」

「ホントにごめんね。でも助かったわ」


仏壇に手を合わせていた叔父と叔母が振り返った。


「いえ、仕方ないですから」


爺っちゃんの次男で、今は亡き親父の、ただ一人の弟である。

商社に勤めている叔父一家は、ここ2年ほど海外勤務でシンガポールに在住していた。

バリバリの商社マンだ。

爺っちゃんが亡くなった時も、ちょうど東南アジアを股にかけたビッグプロジェクトの最中で、帰国が叶わなかったのだ。


「俺は相続を放棄するからさ、この家と親父の遺産はお前が継いでくれ」

「え、いいんですか?」

「それが一番、お義父さんが望んでることだと思うの」

「……分かりました。それじゃ、手続きは僕が進めます」


と答えたが、相続の煩雑さを思うと気が滅入った。

だが大学を卒業した今も、何の意欲も湧かずにプータローの日々を過ごしている。

これといってやることもない。

少しは暇つぶしになるだろうと、半ば投げやりに思う友也だった。


爺っちゃんの家は横浜郊外といっても、十分に田舎と呼べる環境にある。

その敷地も広大だ。

三方を里山に取り囲まれた、ゲレンデのようななだらかな斜面——いわゆる谷戸という地形である。

この斜面の右端を通る小道以外は、一面が関口家の敷地なのだ。

ここで代々、農業を営んできたらしい。


喧噪も少なく適度に自然に囲まれたこの環境は、今も昔も変わることなく、友也にとって心休まる場所だった。

初めて訪れた時から、まるで故郷に帰って来たような、デジャヴュともいえる不思議な感覚に捉われたものだ。


爺っちゃんは仕事を退職したあと、自給自足に近い生活を始めた。

敷地の畑で野菜作りを再開し、中庭にも鶏を放し飼いにして卵を産ませた。

そんなことをせずとも老後はのんびりと暮らせたはずなのに、爺っちゃんは何故かこの生活にこだわった。


21世紀の今、もちろん電気やガスなどのライフラインは整っている。

だが敢えて、薪を使う五右衛門風呂や薪ストーブを愛用した。

そのために、わざわざ母屋の横に風呂小屋を建てたくらいだ。


亡くなった両親や叔父夫妻も、爺っちゃんのこの生活にはほとほと呆れていた。

だが友也は、子供の頃からこの野趣溢れる生活が大好きだった。

休みのたびに訪れては、爺っちゃんとともに過ごした。

それはまるで冒険小説の1ページのように、友也の心をときめかせたのだった。


叔父と叔母は線香だけ上げると、慌ただしくシンガポールに戻っていった。

そしてまた、いつもの静かな夜が訪れた。


簡単に夕食を済ませ、友也は仏壇にあったハーモニカを手にした。

爺っちゃんが遺してくれた遺品である。

上下2段のクロマティックシングルと呼ばれるもので、下段が正常配列、上段が半音上がった音になる。

きわめてスタンダードなモデルであるが、友也はこの素朴な音色が好きだった。

子供の時から手ほどきを受けていた。

爺っちゃんの吹くハーモニカが大好きだったのだ。


おもむろに吹き始める。

『埴生の宿』——爺っちゃんに習った曲の中でも一番のお気に入りだ。

もともとはイギリス民謡で『Home! Sweet Home!』というタイトルだが、日本では明治の頃より『埴生の宿』で親しまれている。

貧しいながらも、野山に囲まれた我が家を愛しく思う——そんな哀愁に満ちた、望郷の念溢れるメロディーだ。


ハーモニカの音色は、次々と懐かしい情景を思い起こさせた。

爺っちゃんと畑を耕し野菜を育てた。

庭で飼っている鶏たちの世話をした。

薪割りが上手くなったと褒めてもらった。

鯉釣りにも行った。

釣った鯉で料理も作った。

夏休みや冬休みが待ち遠しくて仕方なかった。

そんな掛け替えのない思い出たちだった。


吹き終えたハーモニカをじっと見つめる。

随分と年季が入っていたが、手入れはしっかりと行き届いている。

爺っちゃんの人柄そのままだった。

見つめるうちに目頭が熱くなり、その輪郭が滲んでいく。


「爺っちゃん、俺はこれからどうすればいいんだろう……」


口をついた独り言が線香の残り香と相まって、ことさら寂寥感を掻き立てた。


いたたまれずに窓を開ける。

網戸越しにモワッとした熱気が入ってきた。

中庭の闇からコオロギの声が聞こえてくるが、それが何ともアンバランスに感じた。

暦の上ではもう秋なのに、まだまだ夏は終わりそうにない。


窓を閉めようとしたその時、かすかに鳴き声が聞こえてきた。

虫の声ではない。か細くて高い声だ。


「猫?」


しばらく様子を窺ってみる。

だが、再び声が聞こえてくることはなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。