第二章 〈何らか〉の意志・・・④
東の空が白む頃、ようやく火は鎮まった。
ガソリンタンクと、戦闘機に装備された弾薬が爆発し、母屋は完全に焼失したのだ。
そこで寝ていた和正が助かるはずもない。
遺体は無残にも真っ黒焦げに炭化していた。
「そんな……和正が……」
まるで実の子を亡くしたかのような喪失感に、勇元の心は打ち沈んでいた。
これまでともに過ごしてきた和正の残像が、あとからあとから勇元の脳裏を駆け巡る。
その表情は、おしなべて爽やかな笑顔だった。
人は範疇を超えた悲しみに合うと、こうも感情が薄らいでしまうものなのか——涙ひとつ流せない自分に、驚く勇元だった。
「勇元さん、何があった? 敵襲か?」
険しい顔で馬淵が近寄ってきた。
勇元は虚ろな目で、力なく首を振る。
「分かりません。だが明らかに、操縦不能な様子でした」
「墜落、か」
小さく舌打ちをすると、無残に焼け焦げた、原形の欠片もない機体を見つめる。
「戦闘機——しかも一機だけ。いったいどこから飛んできたというんだ」
馬淵の疑念は至極当然である。当時の飛行距離を考えると、戦闘機ごときが太平洋を越えて、アメリカ本土から飛んで来られるはずがないのだ。
一年ほど前、米軍が本土を爆撃した『ドゥーリトル空襲』が実施されたが、それは空母による奇襲攻撃だった。
日本の東方海域に密かに侵入した空母から、爆撃機が飛来したのだ。
だがその後、日本本土への直接攻撃は、翌年六月の北九州空襲までなかった。
その時の爆撃機は中国の前進基地から発進したもので、これがぎりぎりの飛行距離だったのだ。
頻繁に本土空襲が実施されたのは、その年の七月に、サイパンが陥落したあとの話なのである。
では、この戦闘機は、いったいどこから飛来したのか——口をへの字に曲げ、苦虫を噛み潰したような馬淵の顔から、事の重大さが垣間見えた。
母屋の周りには、消火を終えた隣組や警防団の男たちが、呆けたように立ちすくんでいる。
その傍らで、膝をついて泣き崩れる娘がいた。
菊枝の長女の涼花であった。
辺り一面に立ち込めるきな臭い空気に交じって、魂を締め上げるような泣き声が、皆の耳に突き刺さる。
和正の死を受け入れられず、ただただむせび泣く涼花——その悲痛な姿が、皆の胸の奥を強く揺さぶった。
女たちは周りを取り巻くように佇んでいるが、誰も声を掛けられずにいた。
気持ちは痛いほど分かる。
分かるだけに、慰めの言葉も見つからない。
やがて、菊枝が涼花に寄り添うと、抱き抱えるようにして我が家へといざなって行った。
戦時中とはいえ、比較的平穏に過ごせていた地域だった。
それが突然、降って湧いたように戦闘機が現れ、民家に墜落した。
たった一夜で、集落の様相が一変してしまったのだ。
隣組の者たちは、目の当たりにした〈戦禍〉に恐れおののき、行く末を危惧した。
和正の遺体は収集され、明朝にも埋葬する手筈となった。
「あそこまで黒焦げになりゃよ、火葬の手間が省けたってもんだ。くっそ————っ!」
恭平の父の順平が、焼け跡の木杭を蹴飛ばして毒づく。
だが皆はうなだれるだけで、順平の怒りに追随するものはいなかった。
集落の誰からも慕われていた和正だ。
その悲しみは計り知れなかった。
父親の死も乗り越え、健気に頑張って生きてきたのに、何故——やり場のない怒りだけが、皆の心の中で燻っていた。
程なく陸軍憲兵隊がやってきて、戦闘機の残骸と米兵の遺体を回収していった。
何の前触れもなく、察知すらされずに飛来した敵機である。
重大事態として極秘に調査を行うことになる。
もちろん今回のことに関して、箝口令が敷かれたのは言うまでもない。
「そういえば、まだ名前を聞いてなかったな」
離れに戻った勇元は、土間に入って友也に問いかけた。
「関口友也です」
「関口……俺は山岡勇元だ」
「……」
「関口家の親戚にあたる。去年の東京空襲で焼きだされて、今はここで厄介になっている」
(東京……空襲?)
「知ってるかもしれんが、ここの家主は和正といってな、今しがた、そこの母屋で焼け死んだ。まだ、たったの十九だ……」
そう言うと、沈痛な面持ちで母屋に目をやる。声が震えていた。
「親父さんは戦争が始まった途端に駆り出されて、南方で戦死したらしい。それ以来、独りで頑張ってたんだが……な」
「……」
「まったくよう、神も仏もあったもんじゃねえっ」
吐き出した言葉が、行く当てもなく彷徨う。
しばし放心したように空を見つめていたが、やがてぼそっと「畑に行ってくる。もう少し横になってるといい」と言い残し、とぼとぼと上の畑へと歩いていった。
入れ替わりに、馬淵が土間に入ってくると、
「どうですか、少しは落ち着きましたか?」
と、早口に問いかけた。
改めて馬淵に目をやる。
時空管理局の職員ということは優翔と同じ未来人なのだが、どう見てもこの時代の人間にしか見えない。
友也は呻き声とともに上体を起こし、大きく息を吐いた。
「まだ、気持ちが追いつきません」
馬淵は、ふっと笑いながら座敷の淵に腰を掛ける。
「そうですよね、普通じゃ経験できることじゃありませんから。時空酔いもあるでしょう」
「時空酔い?」
ふとあの時の、捻じれるような違和感と、全身を襲う不快感を思い出す。
『過去にスリップしたんやからしゃあないで。なあ友也、あのあといったい何があったん?』
チャトのつぶらな瞳が友也を見上げる。
優翔が問いかけているのだと分かっていても、どうもまだ、このシチュエーションに慣れなかった。
「昨夜あれから君が抜けたあと、チャトが突然騒ぎ出したんだ。で、引き戸を開けたら一気に庭に飛び出した。そしたら戦闘機が……こいつ、俺を助けてくれたのかな」
頭を撫でてその瞳を覗き込むが、その実、優翔が乗り移っているのかと思うと変な気分だ。
「亡くなった和正って人、例の祖先だよね?」
『そう、友也の曽祖父。つまり、ひいお祖父ちゃんや』
優翔はその〈ひいお祖父ちゃん〉を助けるべく、この時代に来たのではないのか。
それが上手くいかなかったというなら、今後何が起こるというのだろうか。
「じゃあ、ことは起こってしまったんだ……」
『残念ながらな』
「どうなっちゃうんだろう?」
「分からへん。けどな、友也が〈何らか〉によってこの時代に召喚されたんだけは事実や』
歴史が歪んだせいで、ひいお祖父ちゃんは実際の死期よりも早くに死んだ。
そのために自分が召喚されたのは間違いないのだろう。
でも一体誰が、何のために——〈何らか〉って、いったい何なのだ——いくら考えたところで友也に分かるはずもない。
だが、このままで済まないということは、理解できた。
「爺っちゃんの父親か……聞いたことがないなあ」
『それはそうや、爺っちゃんが産まれる前に死んだんやから』
「ってか、そもそも爺っちゃんの子供の頃の話を、あんまり聞いたことがない」
『へえ、そやけど一緒に住んでたんやろ?』
「三年ほど前からね」
友也は思い出すように、爺っちゃんのことをぽつりぽつりと話し始めた。
爺っちゃん——関口友作は、戦後間もなくこの家で生まれたらしい。
父親は終戦直前に亡くなったので、顔すら知らない。
だから自分は、母親ひとりにここまで育てて貰ったのだ、と言っていた。
若くして建築家を志し、大学卒業後に二級建築士を経て一級建築士の資格を取得した。
だが設計するのは専ら一般の住宅やリフォームであった。
何故なら、〈人が幸せに暮らせる家づくり〉が生涯の目的だったからだ。
代々続く家も自分で設計し直した。
晩年は二十一世紀らしからぬ、自給自足の生活を送った。
畑を耕し、鶏を飼育し、可能な限り電気やガスに頼らない生活である。
薪で沸かす五右衛門風呂を使い、ストーブにも薪を使用した。
爺っちゃんは、何故かそんな生活に固執したのだ。
友也はそんな爺っちゃんが大好きで、休みのたびに泊まりに来た。
そして畑仕事や鶏の世話、風呂やストーブ用の薪割りなどを楽しんだのだった。
「このチャトという猫は、以前からその家に?」
不意に馬淵が口を挟んだ。
「いいえ、優翔が現れた日の朝からです。もっともその前の夜に、鳴き声だけは聞こえたんですけど」
「ほう——博士、これも偶然ですかね?」
『何とも言われへんけど、偶然にしては出来過ぎやね。友也の窮地を救ってんから』
と、チャトが訝しそうに首をひねる。
その姿はまるでCG動画だと友也は思った。
こんな時になんだと憚ったが、思わず込み上げる笑いをかみ殺した。
『で、馬淵さん、このあと友也は、どないしたらええと思う?』
「まあ、ここで厄介になるのが自然な流れかと。それが〈何らか〉の意志でしょうしね。問題は、何故ここを訪れたか——です」
『関口和正との接点?』
「それは遠縁でいいんじゃないですかね? 実際、血族なんですから」
『それってバレへんか? 勇元さんも親戚なんやし』
「父方の親戚と言えば大丈夫でしょう。勇元さんは和正の母親の兄、つまり母方の叔父です。和正の母親は彼を産んで間もなく亡くなっていますから、勇元さんは父方の親戚とは縁遠いはずです。それよりも、ここを訪ねて来る切っ掛けですよ」
『切っ掛けなあ——友也、ここで爺っちゃんと暮らす前は、どこに住んでたん?』
「弘明寺だけど」
「弘明寺——?」
馬淵は不意に立ち上がると、眼鏡越しに友也を振り返った。
「弘明寺というと、南区」
「はい」
馬淵はニタリと笑うと、「それだ!」と手を打った。
「では空襲に遭ったことにしましょう。勇元さんと同じ、ドゥーリトル空襲でやられたと」
「え、さっき確か、東京空襲って言ってましたよ」
「いや、南区にも爆撃があったと記録に残されています」
怪訝そうな友也を尻目に、馬淵は得意げに続ける。
「ドゥーリトル空襲は、空母から十六機の爆撃機で出撃しました。東京を始め千葉、埼玉、神奈川などに加え、名古屋、神戸など広範囲で行われたんです。真珠湾攻撃から、たった四か月後の奇襲です! 軍はこれを重大事態として徹底した箝口令を敷きました。だから爆撃のあった地域でも、爆心から離れていれば何があったか知る由もなかった。そういう時代、そういう国なんですよ。だから、バレやしませんって」
『馬淵さん、すごっ!』
眼鏡を押し上げ、上から目線で馬淵は続けた。
「いいですか、友也君は弘明寺に住んでいて、そこで空襲に遭った。ご両親も、そこで亡くなったんです。あ、足の怪我もね。その後、何とか大学を卒業したが働き口もない。食うに困り、和正を頼ってここに来た。そういうことにしておきましょう」
後ろ手を組んでしたり顔に話す馬淵は、もはや悪徳弁護士としか思えなかった。
「戸籍はこちらで細工しておきますからご心配なく。それからドゥーリトル空襲は、箝口令が敷かれていることを忘れないでください。だから質問されたら口を濁すんです。そうすれば、それ以上は追及されません。逆にペラペラ喋る方が怪しまれます」
一気に捲し立てる馬淵に、二人は驚きの色を隠せない。
「凄えーっ!」
『ほんまや、すらすらと嘘を並べてはる』
馬淵は勝ち誇ったように、「これも仕事ですから」と、ドヤ顔を見せた。
確かに馬淵の仕事には不可欠であった。
時空管理局の職員がその時代に溶け込むには、素性を偽り、第三者を演じなければならないのだ。
チャトと友也は、思わず目を見合わせる。
——なあ友也、このおっちゃんに任せといたら大丈夫やな。
——ああ、大したもんだ。まるで本物のスパイだね。
「これから勇元さんに成り行きを説明しましょう。そして勇元さんから隣組長の順平さんへ伝えてもらいます。そうすれば、何となく隣組の人には伝わるでしょう。問題は、勇元さんに悟られないように、一緒に生活できるか——ってことですね」
「え……っ」
『わあ友也、大丈夫?』
「出来る気が、しない……」
「ま、怪しまれたら、その時は勇元さんにもお仲間になっていただきましょう」
『お仲間って、事情を話すんか?』
「そんなところです」
そう言うと馬淵は、丸眼鏡を押し上げ、狡猾そうな切れ長の眼をいっそう細めて笑った。




