第一章4 隠密リングでも、エルフの照れ顔は隠せない
チンピラのボス達を撒いて目的の『お騒がせ精霊の古着屋』に到着した俺とアリアは、息を整えながら、怪しげな蔦の絡まる木製のドアを押し開けた。
カランカラン、とひび割れた真鍮の鈴が鳴る。
「うわぁ……。」
思わず声が漏れた。
薄暗い店内には、怪しげな光を放つ魔導具や、異世界の古着、意匠の凝った防具が天井までぎっしりと並んでいる。
大通りの喧騒が嘘のように遮断された空間だ。
「あら、アリアじゃない。それに……随分と奇妙でデタラメな気配を纏ったお連れさんね?」
店の奥から姿を現したのは、尖った耳に、背中から透き通る翅を生やした、手のひらサイズの小さな妖精──ではなく、大人の人間サイズの、どこか妖艶な雰囲気を持つエルフの女性だった。
どうやら彼女が、この店の主人のようだ。
「お騒がせ精霊っていうのは、この店の屋号よ。」とアリアが耳打ちしてくれる。紛らわしい。
「ルネさん、お願いがあるの。ギルドの監査を通していない、彼の莫大な力を完全に隠蔽できるような装備はないかしら?」
「なるよど……。いいわよ、非公認の職人たちが作った訳ありの防具なら、奥にいくつかあるわ。そこのお兄さん、ちょっとこれを試着してみてちょうだい。」
ルネさんが奥の棚から持ってきたのは、黒い魔獣の革で作られた、見るからに頑丈そうな『魔力抑制のベスト』だった。
「これならカナタのステータスも少しは落ち着くかも!さあカナタ、着替えてみて!」
「おう、わかった。」
アリアに促され、俺はホン・キホーテのポリ袋を一度床に置き、優しくベストを受け取って腕を通そうとした。
そう、本当に優しく、絹豆腐を扱うかのように細心の注意を払って、そっと袖に腕を──。
──メリメリメリッ……バリィィィンッッッ!!!
店内に、およそ服を着替えるときには鳴り響かないはずの、凄まじい破裂音が響き渡った。
「「…………え?」」
アリアとルネさんの声がハモる。
俺の右腕が通った瞬間、最高級のはずの魔獣の革ベストは、まるで完熟したトマトが弾けるように四散し、哀れな布切れとなって床へ散らばっていった。
「い、いや!そっと袖を通しただけなんだ!本当に、ただのポリエステル……いや、ただの布を扱うように優しく!」
慌てて言い訳をする俺の前で、アリアは怒るどころか、涙目になってオロオロと俺の体を調べ始めた。
「か、カナタ、大丈夫!?怪我はない!?」
「あ、ああ……。なんとかな……。」
「……よかった、服が弾け飛んだだけみたい。でも、やっぱりカナタの力はすごすぎるのね……。さっき食堂のテーブルに穴が空いちゃった時も思ったけれど、身に付けるものにはもっと気をつけなきゃダメみたい……」
アリアは怒るどころか、俺の身を本気で心配してくれている。
その優しい水色の瞳に見つめられ、俺のほうが申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。
「な、なんてデタラメな肉体かしら……。私の店の商品が、試着だけで消滅させられたのは初めてよ……。」
店主のルネさんが引き攣った笑みを浮かべて震えている。
「す、すみませんルネさん!すぐに弁償します!お金ならたっぷりあるので!」
「ううん、弁償は私が預かっているカナタのお金から出すから大丈夫だよ。ルネさん、本当にごめんなさい……!」
アリアは俺を庇うように一歩前に出て、店主にぺこりと頭を下げた。
どこまでもいい子すぎて、胸の奥がキュンと締め付けられるようだ。
「ふふっ、いいのよ。驚きはしたけれど、それだけたくさん銀貨を積まれたら文句なんて言えないわ。……それにしても、身に付ける防具を筋肉で弾き飛ばすなんて、お兄さん相当な力を隠しているのね?」
ルネさんは可笑しそうに笑うと、カウンターの奥から古びた小さな木箱を取り出してきた。
「服がダメなら、これならどうかしら?非公認の職人が作った、身に付ける者の気配と魔力を完全に隠蔽する魔導具よ。ただの指輪だから、さすがに破裂することはないと思うわ。」
木箱の中から現れたのは、鈍く銀色に光る、シンプルな細身の指輪だった。
「これなら……!カナタ、ちょっと手を出してみて?」
「あ、ああ……。」
言われるがままに右手を差し出すと、アリアは俺の大きな手を、両手でそっと包み込むように握った。
エルフ特有の、少しひんやりとしていて、驚くほど柔らかい手のひらの感触が伝わってくる。
「……ん。これでよし、と。」
アリアは壊れ物を扱うように慎重に、俺の薬指へと指輪を滑り込ませた。
その瞬間、全身を包んでいたあの理不尽な万能感が、すっと薄れていくのが分かった。
まるで、尖っていた神経が丸くなったような感覚だ。
「あっ、すごいわカナタ!さっきまで肌がチクチクするくらい凄まじかった気配が、すっかり普通の人みたいになってる!」
アリアは自分のことのように嬉しそうに声を弾ませ、満面の笑みを浮かべた。
至近距離で弾けるその笑顔が眩しすぎて、俺は思わずドギマギしてしまう。
「あ、ありがとな、アリア……って、指輪はこれでいいとして、俺のこの破けた服はどうしよう。」
ベストと一緒に袖が盛大に破けてしまった元の服を見て、俺は苦笑いした。
「ふふ、それなら私の出番ね!せっかくだから、この街に馴染むかっこいいお洋服、私が選んであげる!」
アリアは楽しそうにパタパタと店内を歩き回り、異世界の古着が並ぶ棚から次々と服を手に取り始めた。
「んー、カナタは背が高いから、この深緑の上着が似合うかな?あっ、でもこっちのシンプルな黒いシャツも捨てがたいかも……。ねえねえカナタ、これ当ててみて?」
普段のキリッとした冒険者の顔とは違い、まるで普通の女の子のように目を輝かせて楽しんでいるアリア。
鏡の前で、アリアが俺の胸元に器用に服を合わせる。
ふと鏡越しに視線が重なると、アリアは「あ……」と小さく声を漏らした。
あまりの至近距離に気づいたのか、彼女の白い肌がみるみるうちに赤く染まっていく。
「な、なんでもないわよ!ほら、やっぱりこの黒い上着にするわ!カナタ、すっごく似合ってる!」
アリアは照れ隠しのように俺の背中をポンと叩き、そっぽを向いてしまった。
尖ったエルフの耳が、真っ赤になっているのが、たまらなく愛おしかった。
「……あ、ありがとな、アリア。そんなに褒められると、ちょっと照れるな」
お世辞抜きで嬉しそうなアリアの反応に、俺は頭を掻きながら黒い上着の袖を引っぱった。
元の世界で着ていた量販店のTシャツとは違い、しっかりとした仕立ての生地は驚くほど体に馴染んでいる。
「ふふ、本当によく似合ってるわよ。アリアちゃん、お目が高いじゃない。」
カウンターの奥から、店主のルネさんがニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見ていた。
「もう、ルネさん!からかわないでください!」
「からかってないわよ。ただ、いつもは生真面目にギルドの依頼ばかりこなしているアリアちゃんが、男の人の服を一生懸命選んでいる姿が新鮮でねぇ。」
「そ、それは、カナタが服を壊しちゃったからで……っ!」
アリアはさらに顔を真っ赤にして、今度こそ俺の後ろに隠れてしまった。
背中にツンツンとアリアの細い指が当たる。
怒っているわけじゃなく、ただただ恥ずかしいのだろう。
その健気な仕草がたまらなく可愛い。
「さて、お会計ね。その魔力遮断の指輪と、アリアちゃんが選んだ上着。合わせて銀貨2枚ってところかしらね。」
「分かりました、俺が払います。……あ、えっと。」
俺は腰の革袋から銀貨を取り出そうとしたが、ふと、床に置いていたホン・キホーテのポリ袋に目が留まった。
その中には、さっきまでアリアが不思議そうに眺めていた『黒い手帳の5冊束』と『フリクションペン』が入っている。
「ねえ、カナタ。それは……何に使う道具なの?」
俺の後ろからひょっこりと顔を出したアリアが、水色の瞳を丸くしてその手帳を指差した。
「ああ、これか?これは手帳──文字を書き残すためのノートと、ペンだよ。俺のいた世界の日用品なんだけど……。」
俺がフリクションペンを一本取り出すと、ルネさんも興味を惹かれたのか、身を乗り出してきた。
「へえ、ずいぶんと細くて奇妙なペンね。インクを浸す先も見えないけれど、本当に文字が書けるの?」
「ああ、書けるよ。ちょっと紙を借りてもいいか?」
「ええ、いいわよ。その裏紙を使ってちょうだい。」
ルネさんが差し出してくれた羊皮紙の切れ端に、俺はフリクションペンを走らせる。
カチリとノックして、さらさらとアリアの顔の輪郭を真似て簡単な似顔絵を描いてみた。
「わあ……!本当にペン先をインクに浸していないのに、綺麗な細い線が書けるのね!」
アリアが俺の肩越しに覗き込んできて、感心したように声を上げた。
ふわりと甘いアロマのような香りが鼻腔をくすぐり、俺の心臓がまた少し跳ねる。
「それだけじゃないんだ。このペンの本当の凄さはここからでさ。」
俺はペンをひっくり返し、後ろについている半透明のラバーを羊皮紙のインクの上に当てた。
そして、文字通りごしごしと擦ってみせる。
「えっ……?ちょっと、カナタ、何をしているの?せっかく綺麗に描けたのに──。」
アリアが慌てて俺の手を止めようとした、その瞬間。
擦られた部分のインクが、跡形もなく綺麗に消え去り、真っ白な羊皮紙の地肌が戻ってきた。
「「…………え?」」
今日二回目になる、二人の声のハモり。
アリアは水色の瞳を限界まで見開き、ルネさんに至ってはカウンターから乗り出しすぎて床に落ちそうになっていた。
「き、消えた……!?魔力の残滓も、魔法の詠唱も一切なかったわよね!?お兄さん、今、何を感知して事象を消滅させたの!?」
「いや、ただの摩擦熱でインクの色が透明に変わっただけで……。」
「まさか、世界に刻まれた記録を『無』に還す神聖魔法の術式が、その小さな筒の中に組み込まれているというの……っ!?」
アリアがぶるぶると震えながら、俺の手の中にあるペンを神の遺物でも見るような目で見つめている。
いや、ただの百数十円の文房具なんだが。
異世界の感覚だと、書いた文字を消せるペンなんて、まるで魔法のアイテムか何かに見えるらしい。
「す、すごすぎるわカナタ……!こんなお宝みたいな道具を、ポリ袋に無造作に入れて持ち歩いてるなんて……!」
「ア、アリアもやってみるか?ほら。」
俺がペンを差し出すと、アリアは「いいの……?」と恐る恐る手を伸ばし、俺の指先からそっとペンを受け取った。
その拍子に、また指先がちいさく触れ合う。
アリアは一瞬ビクッとしたけれど、すぐに楽しそうに羊皮紙に拙い文字を書き始めた。
「……できた!これに、後ろの丸い部分を当てて……ごしごし、って。」
アリアが真剣な顔でラバーを動かすと、文字がみるみる消えていく。
「あ……本当に消えた……!すごいのね、カナタの持っている道具って!」
パッと花が咲いたような満面の笑みを浮かべ、アリアが俺を見上げてくる。
その純粋に楽しんでいる姿が本当に健気で可愛くて、俺は心の底から、この世界に来てよかったな、と思ってしまうのだった。
「ねえ、お兄さん。」
そんな俺たちの甘い空気を切り裂くように、ルネさんがギラギラとした目を輝かせながら、怪しげな笑みを浮かべて身を乗り出してきた。
「その『記録を消滅させる神聖の魔筆』……さっきのお会計と物々交換、なんならお釣りとしてこの店の商品全部持っていっていいから、私に譲ってくれないかしら?」
「えっ!?店の商品全部がお釣り……!?」
ルネさんのデタラメな提案に、俺は思わず裏返った声を上げてしまった。
百数十円の文房具が、一瞬にして店ごと買い占められるほどの価値に化けようとしている。
現代日本の技術力、恐るべしである。
だけど、俺は手の中のフリクションペンをそっと握りしめ、ゆっくりと首を振った。
「すみませんルネさん。このペンは譲れないんです。」
「ええーっ、どうして!?これさえあれば、私の一族は歴史に名を残す大発明ができるのよ!?」
「これは、俺がこの世界で生きていくために……どうしても必要で相棒のようなものなんです。だから、手放すわけにはいきません。」
記憶寿命の話をここで細かくするわけにはいかないけれど、俺の真剣な目付きを察したのか、ルネさんは「うっ……」と言葉を詰まらせた。
「そうですよ、ルネさん!カナタがダメって言っているんだから、無理に奪おうとしたら私、怒りますからね!」
すかさずアリアが俺の前に一歩踏み出し、小さな両手をいっぱいに広げて俺を背中に隠した。
まるで宝物を守る小動物みたいに、一生懸命ルネさんを牽制している。
「アリアちゃん、大好きなギルドの規則を破ってまでその男の子を匿っていると思ったら、もうすっかり奥さん気取りじゃないの。」
「お、おくさ……っ!?な、何言ってるんですかルネさん!私はただ、命の恩人のカナタが困ってないか心配で、その……っ!匿ってるとかでも……っ!」
まるで全てを知っているようなルネさんのからかいの言葉に、アリアは耳まで真っ赤にしてポカポカと空を仰いだ。
後ろから見ていると、その細い肩が恥ずかしさで小刻みに震えているのが分かって、なんだか無性に愛おしくなってしまう。
「はいはい、分かったわよ。そこまで覚悟の決まった目で見つめられたら、これ以上は無粋ね。お兄さん、大事な道具みたいだし、今回は諦めてあげるわ。」
ルネさんは降参するように両手を上げると、綺麗に包まれた新しい黒の上着と、魔力遮断の指輪をカウンターに置いた。
「じゃあ、お会計は銀貨1枚ね。アリアちゃんをそこまで夢中にさせるお兄さんだもの、これからの活躍を期待して、少しお勉強しておいたわ。」
「ありがとうございます。……ほら、アリア、行こうか。」
「う、うん……っ。」
まだ顔の赤みが引かないアリアを促し、俺は革袋から銀貨1枚を支払って、新調した黒の上着を身に纏い、指輪をはめて店を出た。
お騒がせ精霊の古着屋を無事に出た俺たちは、すっかり夕暮れに染まった街の大通りを並んで歩いていた。
新調した黒い上着は驚くほど体に馴染んでいて、ホン・キホーテのポリ袋を下げて歩く俺の姿も、少しはこっちの世界の住人らしく見えるだろうか。
指輪の効果は絶大で、歩くたびに周囲を威圧していたあのデタラメな気配は綺麗に消え去っている。
これなら明日からの街歩きも安心だ。
「……あの、カナタ。」
ふいに、隣を歩くアリアが声をかけてきた。
「ん?どうした?」
「その……さっきルネさんが言っていたこと、気にしないでね?私はただ、カナタがこの世界に慣れるまで心配だっただけで、別にその……奥さんだなんて、そんな変な意味じゃなくて……!」
アリアはまだ恥ずかしさが残っているのか、両手の指先をもじもじと動かしながら俯いている。
夕焼けの光に照らされた彼女の横顔は、白い肌がほんのりと桜色に染まっていて、息を呑むほど綺麗だった。
「気にしてないよ。むしろ、ルネさんから俺の大事なペンを必死に守ろうとしてくれて、すごく嬉しかった。ありがとう、アリア。」
「っ……!う、うん。カナタが大事にしている道具だもん、守るのは当然だよ。」
アリアは嬉しそうにフンスと小さな鼻を鳴らすと、宿の前で足を止め、俺を見上げて優しく微笑んだ。
「じゃあ、また明日も、朝正門で待ち合わせね。……今度は、絶対に寝坊しちゃダメだからね?」
「ああ、約束する。明日こそ遅れずに行くよ。」
「うん、約束!じゃあね、カナタ。」
パタパタと小さく手を振りながら、夕暮れの街へと帰っていく彼女の背中を、俺は見えなくなるまで見送った。
宿の部屋に戻り、静まり返ったベッドに腰を下ろす。
俺は床に置いたポリ袋から、まだ数枚残っている『黒い手帳』と『フリクションペン』を取り出した。
アリアが教えてくれた、この世界の『迷い人』が背負う『記憶寿命30日』の代償。
出会った人々の優しさも、今日歩んだ温かい思い出も、あと一ヶ月もすれば全てリセットされてしまう忘却のカウントダウン。
普通の人間なら絶望するしかない状況だ。
だけど、俺の心には不思議と暗い影はなかった。
「だったら、忘れる前に全部書き残すだけだ。」
カチリ、とペンをノックし、真っ白な最初のページに文字を刻み込む。
『4月2日。昨日出たばかりのアリアという最高に優しくて可愛いエルフの女の子。寝坊した俺を心配して、ギルドの目を盗んでまで必死に守ってくれた恩人だ。29日後の俺へ。もし世界がお前から全てを奪い去ろうとしても、このノートを読んで、彼女のこの優しさだけは絶対に思い出せ。』
インクを滑らせるたび、胸の奥の決意が確かな熱を持って固まっていく。
迫り来る忘却の呪いに向けて、俺は力強くペンを走り続けさせた――。
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