76 美しい湖
六月の初め、初夏の柔らかな日差しが心地よい中、レオさんに誘われて、公爵家が所有する緑豊かな湖へピクニックに出かけることになった。
馬車に揺られながら、広がる郊外の穏やかな田園風景に心が安らぐ。
湖に着くと、透き通った水面と色鮮やかな草木が目に飛び込んでくる。
レオさんの姿も、いつもより少し凛々しく見える。
バスケットにはサンドイッチやマカロン、クッキーなどが丁寧に詰められていて、レオさんの心遣いが感じられる。
公爵家の湖だけあって、別荘の近くには手入れの行き届いたテラスがあり、優雅さが漂っている。
馬車を降りた私は、どこに落ち着こうかと辺りを見回した。
レオさんがそっとバスケットを受け取り、テラスへと案内してくれる。
その落ち着いた仕草に、なんだか安心してしまう。
「この景色をエストさんにも見てもらいたくて、連れてきました」と、レオさんが笑顔を見せてくれる。
テーブルで待つように言われてると、レオさんは慣れた様子で別荘に入っていった。
白いテーブルクロスにバスケットの中身を並べながら待っていると、レオさんがティーセットを持って戻ってきた。
ティーポットに茶葉を入れ、熱湯を注ぐと、ふわりと花のような香りが漂う。
「バラやジャスミンを入れたフレーバーティです。別荘の茶葉の中から選んできました」
ティーカップに注がれた紅茶を口に運ぶと、初めて飲むけど、いい匂いですごく美味しい。
レオさんがまるで紅茶の王子様に見えるから、余計に美味しく感じるのかも。
お菓子にも合うし、涼しい風も心地いいから。
レオさんは向かいの席で紅茶を飲みながら景色を眺めて、満足そうに私の方を見てくれる。
ダンジョンや特訓の時は、ほとんどレオさんの背中ばっかり見てたから、こうやって向き合うのは、ほんと眼福よね。
レオさんの宝石みたいな青い瞳をじっと見つめてたら、ちょっと落ち着かなそうに目線をティーカップに逸らした。
「エストさんと出会って、日々楽しく過ごしています。話も楽しいですし、教えていただいたレシピも役にたってます。気が付けば結構一緒に時間を過ごしていますね。特訓で私もだいぶ強くなれたと実感しますし、あの一体感は良いですよね」
レオさんは憧れの先輩に近い感覚なんだろうなぁ。
経験ないからよくわからないけど、こんなに親しくなれるなんて。
ティータイムの後、午後の光が柔らかく差し込む頃、レオさんが湖のボートに乗ろうと誘ってくれた。
私は小さくうなずき、白いボートに足を踏み入れた。
ボートなんて初めて!
レオさんがオールを漕ぐと、湖面に映る空や木々が揺れ、まるで幻想の世界を進んでいるよう。
透明な水は湖底まで見通せ、魚の群れが陽光を反射してきらめく。
私は落ちないようにとボートの縁を握ったけど、つい水面に目を奪われてしまう。
「そんなに強く握らなくても大丈夫ですよ」と、レオさんが柔らかく笑う。
「落ちそうになっても、水魔法で守ります。湖面を歩けるようにしたり、クッションみたいにすることもできますから」
その言葉通り、彼が手を振ると、湖の中央に水の噴水が上がった。
陽光を受けて虹が架かり、水滴が宙で弾けてプリズムのように光を散らす。
花の形や弧を描く水の動きは、まるで光の舞踏会。
思わず息をのんだ。
「すごいです、レオさん! とても綺麗ですね、水魔法って」
「本来の使い方と少し違いますが、エストさんを喜ばせられたのなら良かったです」
レオさんが立ち上がると、ボートは魔法で固定されたように揺れなくなった。
彼が手を差し出すと、私はその手を握って立ち上がる。
立って見る湖は、まるで別世界。
湖面に映る木々や花壇が鏡のように完璧で、まるで地面に立っているような不思議な安心感があった。
まるで夢の中にでも連れてきてもらったみたいな気分だ。
水魔法の美しさに心を奪われ、気づけばレオさんの手を強く握っていた。
彼の方を見ると、前髪の隙間からいつも隠れているもう片方の瞳が見える。
アカデミーでは見慣れた素顔だけど、外ではいつも変装している。
帝国の皇子様ともなると、気軽に外にも出歩けないのね。
確かにこの姿で歩き回ったら、誰もが振り返ってきっと大変なんだろうなぁ。
私がじっと見つめているのに気づいたレオさんが、静かに微笑む。
「子どもの頃から、変装が癖になってるんです。でも、エストさんには隠す必要がないですね」
その言葉に、心が温かくなった。
もし最初からこの姿で出会っていたら、今のような親しさは生まれなかったかも。
公爵家で初めてレオさんと会った日のことを思い出しちゃうな。
⋯⋯っていうか、私まだ手を握っちゃってるんだけど、どう離せば良いの!?
そりゃ離したくはないけど、手汗がやばいことになりそう。
ええい! 普通に離せば大丈夫よ。
だけど、勢いよく手を離した瞬間、身体が湖の方に傾いてしまう。
しまった! と思った瞬間、レオさんが水魔法でボートの角度を調整し、私を抱き寄せてバランスを取ってくれた。
ゆっくりとボートが元に戻る。
「ほら、エストさんは落ちませんよ」と、彼の声は優しく響く。
彼の胸元に顔が近くて、ふわりといい香りが漂ってくる。
ダンスに慣れているレオさんの抱き方は自然で、密着は少ないのに、顔を上げるとちょうど彼の目が見える距離。
私は思わず赤面して固まってしまった。
落ち着け、私! 身体が火照ってるのがバレたら恥ずかしいし、水の上だからうかつに動くと落ちそう。
なんとか自分で立ち直り、レオさんにお礼を言ってボートに座った。
彼も座り、変装魔法でいつもの姿に戻して、ボートを桟橋へ寄せてくれた。
先に桟橋に上がったレオさんが手を差し出し、ボートから降りるのを手伝ってくれる。
そのままテラスに戻り、もう一度紅茶を淹れて、ゆったりとした時間を過ごした。
「今日は良い思い出になりそうです」とレオさんが微笑む。
「私も水の中に落ちそうになったりして、みっともなかった部分もありましたが、良い思い出になると思います」
するとレオさんが、「ボートで立たせたのは私ですし、エストさんは気にしないでくださいね」と優しく言ってくれて、私は素直に笑顔でうなずいた。
アカデミー以外でレオさんの素顔を見たのは、きっとこれが初めて。
ほんと、良い思い出になりそう。
陽が少し西に傾き、初夏の風が涼しくなってきた。
温かい紅茶のおかげで寒さは感じなかったけど、レオさんが「遅くならないうちに」とティーセットを片付け、「戻りましょう」と馬車に乗った。
帰りのバスケットは軽くなってて、馬車の中で膝に抱えながらレオさんに今日の感想を話した。
「素敵なところに連れて行ってくれてありがとうございました。また、別の季節にも来てみたいです。四季折々の良さがありますから」
「はいっ!」って答えた私。
他の季節の景色も、きっと素晴らしいんだろうな。
でも、レオさんと一緒だったから、今日の湖は特別に美しく感じたんだと思う。
穏やかな喜びを胸に話しているうちに、馬車は公爵邸に着いた。
先に降りたレオさんが手を差し出し、馬車から降りる私を支えてくれる。
そして、そっと私の手の甲に軽くキスをしてくれた。
一瞬、目を丸くして、心の中で動揺しまくった。
その様子を見ていたウィル君と、ローゼさん。
ローゼさんが「ああやってさりげなくやるんですよ」と言うと、ウィル君が「うん、さりげなくね」と返す。
「聞こえてます!」と、つい二人に駆け寄った。
するとローゼさんが私の背後に回り込み、羽交い締めにしてくる。
「今、さりげなくやるのです!」
「ローゼさん、どこがさりげないんですか!」
レオさんが小さく笑いながら近づいてくる。
その笑顔に、今日のすべてが温かく胸に残った。




