第七十七話、『天空の結婚式』
最終章『神話の終焉』
最後の神殿会議から半月ほど。
天空神殿で僕とルナの結婚式が行われていた。
形式はアリストリアのものを採用した。
幸いなことに天空神殿には教会があった。
牧師はソフィアが務めてくれた。
『あたしがルノの幸せを一番近くでお祝いしたいの』と、ソフィアから申し出たのだ。
そういえば、こういった式は挙げていなかった。
恥ずかしい話、特別な言葉にすることはなく恋人関係になっていた。
普段から愛してるの一つも言っていない男だ。
式は皆が水面下でセッティングしてくれた。
そもそも結婚式を行いたいと提案したのは僕でもルナでもない。
お世話になったからそれくらいはしたい、と皆が提案してくれたのだ。
そして明日、少し早くはあるが非戦闘員の天空神殿からの退去が始まる。
だからこそこれは、天空神殿最後の大イベントであり、最後の思い出作りでもあるのだ。
教会の扉の前、フォーマットな衣装に身を包んだ僕は、花嫁衣装のルナが来るのを心踊らせながら待っていた。
にしても、よくこんな衣装を作れたものだ。
大量に生産して商会で売れば爆発的に人気が出るのではないだろうか。
「お、お待たせ……」
そんなことを考えていると、白を基調とした雪のような花嫁装束に身を包んだルナが到着した。
正直、想像以上だった。
美しさと儚さが同調し、直視できないほど眩しくて、思わず言葉を失って見惚れてしまった。
「……ありがとうございます」
「何それ。第一声は他にあるんじゃない?」
「すごく綺麗だよ、ルナ」
「……そう直球で言われると照れる」
ほんのり頬を染めて視線を逸らすと、ルナはそっと微笑んで隣に並んだ。
そして僕とルナは手を繋ぎ、暖かい拍手に包まれながら教会の一本道を歩き始めた。
優しく微笑んでくれる人達を、僕たちの幸せを祝福してくれる人達を、今となってはもうほとんど覚えていない。
多分、この半年くらいの記憶しかない。
東和の村で育ったこと、両親の顔、村を旅立ったこと、ルナと出会ったこと、記憶の箱に穴が空いたように古いものから気がつけばなくなっている。
「結婚おめでとう。ルノ、ルナ」
「ありがとうソフィア」
「ありがと、ソフィアちゃん」
僕とルナが声を揃えて感謝を口にする。
暫くソフィアは口を閉じて、真っ直ぐな目で僕たちを眺めた。
「良かった……あたし、ちゃんと祝えてる。もう大丈夫だから、安心して二人とも」
ソフィアは力強く、そして優しく微笑んだ。
そう言えば僕の知らないところで、ソフィアがレオの猛アタックに折れて付き合うことになったらしい。
なんだかんだ、二人は上手くやっているらしい。
そんな彼女のことですら、時折忘れてしまいそうになる。
いつか大切な人のことを思い出せなくなってしまうと思うと、酷く怖くなってしまう。
でも、僕たちが過ごした日々のことを、誰かが覚えていてくれると思うと少しだけ安心する。
「ありがとう、皆。僕はきっと、世界で一番幸せな男だ」
今日という日は、きっと一生忘れない。
何故かそんな気がしたんだ――。
〜〜~
教会は広いと言えど、もちろん大勢が入ることは叶わなかったが、結婚式後の披露宴では天空神殿の住民全員が参加してくれた。
ウェルフやソフィアの姉妹であるフィーネ、シェリティアやスクルドもお祝いの言葉をかけてくれた。
そして何より驚いたのが、意外にもゼクスが遠くで閲覧していたことだ。
輪に入れないのではなく、物憂げな表情で賑やかな披露宴を見渡していた。
「こんな未来も有り得たのだな」
声をかけようとすると、ゼクスはそう呟いた。
「私はこの王権能力のせいで、孤独に戦っているものだと思っていた。だから、誰かを頼るなんて考えもしなかった。この世界は、私が今まで見てきた世界とは全くの別物だ」
「だったら、まだ希望はあるかもしれないですよね」
「もう一度言うが、私はこのループに期待していない。敗北すれば、次は君をとことん追い詰めて覚醒させる方針を取ろう。その考えは今も変わらない」
遠い目をしたゼクスがニヒルに微笑む。
ここではない別の世界を見ている目だ。
「それが嫌なら頑張りたまえ。手筈通り、私は本部に戻るが四聖神はここに残す。そして7日後の夜、アレスは必ずここに現れる」
それが最後の防衛戦になる。
そこで倒しきれなければ未来はないとゼクスは言った。
「誰も死なずに生き残れるなんて淡い期待は捨てた方がいい。その上で、誰を戦場に送り込むかは君の判断に任せる」
「披露宴には参加して行かないんですか? もう二度と機会なんてありませんよ」
「そうなることを願っているよ。それに私には居心地が悪い。何せ、私は君たちの笑顔を奪ったのだからな」
そう言ってゼクスは、四聖神を残して天空神殿を去った。
もしかしたら多少なりとも罪悪感のようなものがあるのかもしれない。
今一度僕は披露宴を見渡す。
六種族が手を取り合って共存している。
種族の垣根を超えて笑いあっている。
天空神殿最後のパーティ。
陳列された豪勢な料理の数々に舌鼓を打ち、友人との談笑を楽しんでいる。
子供たちが元気にはしゃぐ笑い声の中に、別れを惜しむ泣き声が混じっている。
事情を知らない者からすれば、突然訳もわからず住む場所を追われ、多くの仲間と離れ離れにされる気分だろう。
「ゾルマくん、来てくれなかったね」
「……そうだな」
「本当にこれでよかったの? ルノア」
「もう決めたことだから」
数日前、僕はある決断を下した。
この戦いに参加するのは、僕とルナとユシィ、そして『雨龍十八人衆』と四聖神の計25人。
神殿騎士団は解散し、一斉退去の日に天空神殿から出ていく。
もちろん皆は拒絶した。
僕だって逆の立場ならそうしただろう。
皆の気持ちは痛いほど伝わった。
でもそれだけは受け入れなかった。
だから僕は心を鬼にして突き放した――足でまといになるからと。
実際、アレスとの戦いにおいて数の暴力は無意味と言っていいだろう。
それで多くのものは口を閉ざした。
その中で声を上げたのがラーファとゾルマだ。
ラーファは足でまといでもいいから一緒に戦いたいと強く志願した。
ゾルマは戦士の誇りにかけて一度決めたことは覆さないと言った。
そして僕は、その二人の言葉を一蹴した。
『……そうか、ならば勝手にしろ。――俺はお前を、戦友だと勘違いしていたようだ』
ゾルマはその日から姿を見せなくなった。
ラーファは頭でっかちな僕に不満を全身で表していたが、今までと変わりないように接してくれた。
いっそ嫌ってくれた方が楽だったかもしれない。
ラーファにとって、僕はいつまでも恩人なのだ。
こうして神殿騎士団は解散し、結局結婚式にすらゾルマは顔を出さなかった。
二人が……いや、皆がこの3ヶ月、アレスとの戦闘に備えて鍛錬を行っているのを知っているからこそ、突き放すのは胸が傷んだ。
でも、これで良かったんだ。
これで心置き無くアレス戦に臨むことができる。
〜〜~
楽しい時間はすぐに過ぎ去った。
祭りの後のような寂しさに包まれて、披露宴の片付けがゆっくりと進んでいく。
その手の動きにキレがないのは明らかだった。
皆、この時間が永遠に続けばいいと思っている。
そして片付けは終わり、それぞれが部屋に戻った。
明日、種族ごとに退去を行うため、『おやすみ』と言ってしまえばもう二度と会えないかもしれないのだ。
僕とルナは最後まで披露宴会場で片付けが終わるのを見守っていた。
主役だから片付けを手伝うことはしなかったが、数々のドラマが繰り広げられるのを見て胸が締め付けられた。
「おやすみなさい。ルナ様、ルノア様」
そう短く挨拶を交わし、少しずつ皆が部屋に戻っていく。
そしてだだっ広い披露宴会場に僕とルナだけが取り残された。
「じゃあ、僕たちも部屋に戻ろっか」
「ねえ。ちょっと付き合ってくれない?」
突然ルナがそんなことを言い始めた。
すると立ち上がったルナは、僕の手を引いて広場に飛び出した。
とても澄み渡った夜空に、いくつもの星が輝いている。
「ちょっとだけさ、ゆっくり星を見ない?」
ルナは草原に腰を下ろして、隣に座るように手招いた。
「ソフィアちゃんに聞いたんだ。東和の村では結婚式ってどんな感じだったのかなって」
「へえ。なんて返ってきたんだ?」
「特に儀式みたいのはなくって、二人で星でも眺めたらもうそれは夫婦なんだって」
そうなのかもしれないが、残念ながら僕は覚えていない。
「結婚式はアリストリア方式だったから、東和方式でもやりたいなって思ってさ」
「なるほどな。確かに最近じゃ、ゆっくり星を見ることもなかったしな」
「ラーファちゃんがクレアのことを預かってくれてよかったね」
結婚式のため今朝からクレイシアをラーファに預かってもらっている。
披露宴が終わると返してもらうことになっていたが、気を遣ってくれたのか明日の朝まで預かると申し出てくれた。
こういうことはたまにあったのでクレイシアもラーファに懐いているし、何も心配はいらない。
「結婚式なんて考えてなかったけど、挙げてよかったね。皆には感謝しなきゃ」
「そうだな。なんだかんだ、こうやって証になるようなことはしてなかったしな」
「……本当はさ、憧れてたんだ。その、お嫁さんってやつに」
ルナはこっぱずかしそうに心境を明かす。
勝手に、ルナはそういうのには興味がないと思っていた。
でも違っていた。
十二騎士の一人として厳格であることを求められたルナは、凛とした女性であり続けてきた。
窮屈だっただろう。ルナだって普通の女の子だ。
僕はそれを分かっていたつもりだったのに。
「ルノアってそういうとこあるよね。女心分かってないって言うかさ。愛してるの一つも言わないしさ」
「悪かったって。ちゃんと愛してるよ」
「うん。知ってる」
知ってる。そんな素っ気のない返答が、心の底から嬉しく感じた。
ルナは僕の手にそっと手を重ねた。
その手は温かくて、ほんの少し震えていた。
それから僕たちは何も語らず、ただ黙って星空を仰いでいた。
月はほんのり青く染まり出している。
それは決戦の日が迫っていることを意味していた。
多分アレスはいつでも僕たちの元に来られるし、常に位置を補足しているかもしれない。
到底逃げられっこないし、逃げたところでこの世界に未来はない。
この戦いが終われば、あとは僕がルナを殺すだけなのだ。
ふと隣に視線を移すと、ルナが一筋の涙を零した。
「……ごめん。なんでだろ、涙が止まらなくて……」
「ルナ。今だけは強がらなくていいんだよ。ルナが僕にしてくれたように、僕にだけは弱音を吐いてほしい」
いつも僕は弱音を吐いてばかりで、ルナの弱音を聞いたことがない。
あらゆる理不尽に対して文句を言いたいのは、誰よりもルナのはずなのに。
この一年、一度も弱音を吐かなかったルナの思いは、堰を切ってあふれ出した。
「私は……私は、死にたくない。もっと、ルノアとクレアと一緒にいたいよ! なんで、私が死ななきゃいけないの! 私は世界を滅ぼしたくなんてないし、悪いのは全部兄さんでしょ! 私は悪いことなんて何一つしていないのに……ッ!」
ルナは僕の胸に飛び込んできて、子供のように泣きじゃくった。
こんな弱々しいルナは初めて見た。
ずっと我慢していたのだろう。これは世界を滅ぼした自分への罰だと。
僕は震えるルナの身体を抱きしめることしかできなかった。
世界の真理を知ろうと、莫大な魔法知識を頭に押し込もうと、たった一人の大切な女の子を救うことはできなかった。
「死にたくない……死ぬにしても、君にだけは殺されたくなかった。そんな辛い役目を背負わせたくなかった」
冷たい夜風に僕たちは身を寄せあった。
そして眠れぬ夜が明け、ついにお別れの日がやってきた。




