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第七十五話、『命の芽吹き』

『終焉の足音』編 【7/8】


 ルノアは泣き疲れると、そのままルナの膝の上で眠ってしまった。

 涙痕のついた子どもっぽい顔を愛おしそうに撫でて、ルナは静かに微笑む。


「いいよ。入ってきても。眠っちゃってるから」

「……気づいてたんだ。ルナ」

「全部聞いちゃった? できるなら、知らないふりをしてて欲しいな」


 のそのそと扉を開けたのはソフィアだ。

 パーティ中のルノアの涙が気になり、扉の前で盗み聞きしていたのだ。


「……本当に、助からないの?」

「うん。多分ね」

「多分って、なんでそんなに落ち着いてんの! ルナが死ななきゃいけない理由なんてないじゃない」

「……ありがと」


 ルノアが泣き出して、ルナは薄く微笑むだけ。

 そんな二人を見て、自分に出来ることなんてないことはソフィア自身が一番よく分かっていた。

 でもソフィアは、怒らずにはいられなかった。


「ルノはどうなんの! 一番大切な人を殺さなきゃいけないなんて! ……あ、ごめん」


 声を荒らげたソフィアに、ルナは人差し指を唇の前で立てた。

 辛いのは残される側も、残す側も同じなのだ。

 そんなことはソフィアだって分かってる。


「ねえ、私がいなくなったらさ。ルノアのことよろしくね。もしかしたら、死のうとするかもしれないから」

「いなくなったらとか言わないで! そんな絶対許さないから! ルノにはルナしかいないし、ルナにはルノしかいないの。分かってんでしょ……」

「ソフィアちゃん……」


 誰よりもルノアのそばに居て、誰よりもルノアのことを好きでい続けたソフィアの恋は、突如として現れたルナによって儚く終わった。

 失恋から立ち直った今でも、ルノアを想う気持ちが完全に無くなったわけではなかった。


 しかし、ルナがいなくなれば……なんてことを考えて喜ぶような女ではない。

 ソフィアは心の底から、ルナとルノアが幸せになることを願っている。


「お願いだから神様……ううん。この際、悪魔でもいいから――誰か、二人を救ってよ」



〜〜〜



 時間はゆるやかに流れ、あっという間に3ヶ月が経過した。

 ルナを救う方法など見つからないまま、ゆるやかに終焉の足音は近づいてくる。


 望まずとも朝は来る。秒針は時を刻み続ける。


 正直、ルナと一緒に暮らすようになってから、幸せなはずなのに、毎日が不安で仕方がなかった。

 ふとしたときにいつか終わるこの幸せな日々を想起してしまって、心が瓦解してしまいそうになった。


 それでもこの三ヶ月は良いことばかりが起こった。


「よっ。久しぶりじゃねえか、旦那」


 一つはそう、この男が帰ってきたことだ。


「来てたのか、ウェルフ」

「ああ。久しぶりに顔出しておこうって思ってな。旦那は相変わらずそうだな」


 ノウム王国での一件で、ウェルフは革命軍を先導して多くの王族貴族を虐殺した。

 その後はスクルドに拘束されて処遇が分かっていなかった。


 世界連合と和解して手を結んだ後、スクルドにウェルフのその後について聞いた。

 「国際条約に照らし合わせて処刑」という発言が飛び出したときは肝を冷やしたが、どうやらゼクスの計らいでそれは免れたようだ。


「で、仕事の方はどうだ?」

「ぼちぼちだな。まあ、元々はしがねえ悪党の集まりだ。食えてるだけマシってだけだ」


 ウェルフはノウム王国には戻らなかった。

 革命を起こした自分はいるべきではないと。

 元密輸組織のメンバーと合流して、今は真っ当に運輸業を営んでいるらしい。


 誇ってはいけないが、密輸業をしていた頃の経験やノウハウが活きているようだ。


「それで言うと、旦那らのとこがやってる商会は順調そうだな」

「有難いことにな。もちろん批判的な意見もあったけど、物珍しさからか話題性もあって客は引けたからな」

「俺らのとこでも話題になってぜ。獣族やら天族やらが商いやってるってもんで、旦那らだってすぐに分かったよ」


 アルス商会。世界連合の協力を得て3ヶ月前に始めた新たな試みだ。

 今までは食料は基本的には自給自足し、たまに地上で作物などを売ったりしてお金を稼いでいた。

 アルスという紙幣を発行し、貧富の差がでないように天空神殿内で商業を発展させてきた。


 目的はいろいろとあるが、やはり地上での共存が大きい。


 世界連合と協力するようになってから、様々な状況が大きく変わった。

 その中で最も恩恵を受けたことと言えば、『牙』としての活動がより活発になったということだ。


 各大陸に支部もできて、世界連合の援助の元、世界各地の奴隷に反対する人たちが立ち上がった。

 今や構成人数は1000人を超え、奴隷解放団体『牙』は世界規模のものに膨れ上がっている。


 もしかすると、奴隷制度が撲滅される日はそう遠くは無いのかもしれない。


 また天族の子どもの目撃情報を辿り、別の場所で似たような天族の村がいくつか発見された。

 他種族に酷く怯えていが、シャリティアやレイナたち二番隊のおかげで警戒心を解くことができた。


 西大陸では獣族だけでなく海族の奴隷も発見されているが、ゾルマたちに保護されて海底都市アトランティスで暮らしている。


 海族が暮らしている『海溝層』は各地に分布している。

 今までアトランティスの住民は特殊な海流で外に出ることはかったが、今は転移魔法陣を経由してゾルマたちが交流を行ってくれている。



 そんなこんな、この3ヶ月で人数は爆増した。

 次第に天空神殿では部屋数が足りなくなり、少しずつ地上での生活区域を確保する方向に視野を広げた。

 もう保護する段階ではないのだ。

 これからは共存する社会を目指して活動していかなければならない。


 その一環として始めたのが、獣族が運営するアルス商会だ。


 幸いなことに獣族を受けいてくれる国はいくつも見つかった。

 世界連合は加盟国に奴隷制度の廃止を徹底させているため、すでに獣族が社会に溶け込みつつある国もある。


 でも、獣族の問題が解決の一途を辿る中、まだ問題は山積みだ。


 希少であり容姿が好まれるため、人攫いに遭う危険のある天族。

 いくつもの船舶を沈め、人族の長年に渡り犬猿の仲である海族。

 天族といがみ合い、全種族の中で最も忌み嫌われている魔族。

 そして、もはや完全に神話の存在となっている龍族。


 まだ六種族共存の社会の実現にはほど遠い。

 しかし、ゆっくりだが着実に夢へと近づいている。


「なるほどな。旦那らも上手くやってるようで何よりだ」

「ウェルフたちも頑張れよ。今度は密輸組織を撲滅する方としてな」


 そして海族との和平を果たし、海上での運輸ルートを広げるのが僕達の役目だ。


「というか、俺らがこんな近況報告し合う仲になるとは思わなかったぜ。人生、何が起こるか分かんねえよな」

「最初に会った時は、犯罪グループのトップとしか思ってなかったからな。なんでお前ら、僕に従順だったんだ?」

「ん? あの褐色の嬢ちゃんに酷い目に遭わされて、そのボスだって言われてたからだろ? あんときは死ぬ覚悟だったんだからな」


 あれ? そうだったっけ?

 ユシィが密輸組織を潰す……そんなこともあったような気がする。

 それにしても、確かにウェルフと友人のような関係になっているのは不思議な感覚だ。


「なあ旦那。これから先、もし旦那がデカい壁にぶつかったら、俺を呼んでくれよ。すぐに助けに行くからな」

「……別にそこまでする義理はないだろ。ソフィアを救った時点で、僕に対する恩は返せてる」

「違ぇって。俺はもう二回死んでんだ。死にそびれちまった。だから、死に方くらい選びたい。――これは仁義じゃなくてただの自己満足だ」


 ウェルフは強い眼差しで何かを伝えるように僕を見つめた。



〜〜〜



 天空神殿の住民数が増えてから、僕はちょっとした一国の主のような立場になった。

 朝起きて廊下を歩けば、いろんな人が尊敬の眼差しで見てくれて挨拶をしてくれる。

 正直今となっては、名前の知らない人の方が多い。


 それにこう多くなると、何日か会わない人だっている。

 その日はたまたま庭で遊んでいるある少女に声をかけた。


「あっ! お兄ちゃん!」


 声をかけようとすると、向こうから気づいて近寄ってきてくれた。

 僕を兄のように慕ってくれる子どもは結構多いが、それはノノのおかげなのではないだろうか。


「最近はベッドに潜り込んでこないけど、寂しくないか?」

「もうお兄ちゃん、私だってもう子どもじゃないんだから。それにラーファお姉ちゃんがダメって言うし……」


 少し残念そうにノノの耳が萎れる。

 ベッドに潜り込んで来なくなったのは、確かルナと初めて枕を共にした日か……ラーファさんには気を使わせてしまったな。


「でも確かに身長は伸びてるよな」

「そりゃ獣族だもん。すぐにお兄ちゃんも追い抜くからね」

「ははは、まさか」


 そう言えばアイリにも似たようなことを言われたことがある。

 初めて出会ったとき、ノノは男性にひどく怯えるひ弱な少女だった。


 確かにその時はもっと小さなかったような気がする。

 本当に見違えるほど元気になったものだ。


 でも、そのときのことあまり思い出せないんだよな。

 あの町の名前も、あの貴族やあの大男の名前も。

 確かに僕とルナはあの町でノノやラーファと出会い、何かしらの戦いの末に獣族の奴隷を解放した。


「……どうしたの、お兄ちゃん?」

「いや、何でもないよ。本当に大きくなったなって」

「えへへ。そうでしょそうでしょ! いつかおっぱいも大きくなってお兄ちゃんを籠絡するからね」

「誰だそんないらんことまで教えたのは!」

「ノルンお姉ちゃんだよ」


 ノルンのやつ……ってあれ?

 誰だっけ? いや名前は知ってる。何度か喋ったこともある。

 でも、顔が思い出せない。


『ルノアさん!』


 考え込んでいると、遠くから大きな声で呼ばれる。

 そこには肩で息をしたアイリが、今にも泣き出しそうな不安な表情を浮かべていた。


「ルナさんが……ルナさんが!」

「……え?」


 要件を聞く前に僕は走り出していた。

 ルナの身に何かが起こった。

 そう思うだけで心臓が飛び出そうになった。


 アイリが案内してくれた医務室には、慌ただしく人が出入りしていた。

 タオルやお湯の入ったタライを持っているのを見て、何が起こっているのかやっと分かった。


 僕は直ぐに、ベッドに横たわって苦しそうにしていたルナの手を握った。

 汗だくのルナは、僕に気づいて優しく微笑んだ。


「ル、ルノア……そんな心配しなくて、大丈夫だよ」

「だってだってさあ――えっと……、頑張れ! 僕は傍にいるから!」

「……うん。良かった」


 ルナのために何かをしたくて身体がうずく。

 でも、事前にこうなったときのことは聞いていた。

 素人が動くと迷惑だから、僕はルナの手を握ってじっとしていろ、と。


 幸いなことに、ここには何度も出産や助産を経験している強い女たちがいる。

 心強い。でも、胸騒ぎが落ち着かない。じっとしていられない。


 だから必死に手を握って励まし続けた。

 僕にできることなんてそれくらいしかなかった。

 ルナは妊娠したことを自覚してから、ずっと不安だったはずだ。


『いつの時代も、男は責任を取ることしか出来ない』


 シャリティアに言われた言葉が、今でも胸に突き刺さっている。

 だから今、何も出来なくても、ルナが不安な時には傍にいてあげたい。


 別ルートなんてもはや信用ならない。

 出産後に母親が亡くなるなんてそう珍しいことでもない。


「頑張れ! 頑張ってくれ!」


 他に言葉が出てこない。

 手を握り、願い続けた。

 節操なく動き続ける助産師の物音、声、あたりの雑音は僕には届かなかった。


 痛みに唸るルナを見ていられず目を閉じようともした。

 気が遠くなるほどの長い出産だった。

 一分一秒が今までにないくらい長く感じて、視界がぼやけていく感覚があった。


 ――ただその瞬間は、その声だけは鮮明に聞こえてきた、


 小さな赤子が、元気な産声を上げた。

 目一杯に空気を吸い、黒い眼で世界を見ようとしている。


「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」

「……だ、だっこしても、いいですか?」

「もちろんですよ、ルノア様。抱きしめて上げてください、パパさん」


 清潔なタオルで包まれた赤子を、助産師からそっと受け取る。

 抱っこの仕方はすでに習っている。

 それでも、小さな身体は簡単に崩れてしまうんじゃないかって、本当に優しく抱いた。


 名前は決めている。

 ルナと二人で、女の子と男の子の名前をそれぞれ。


 この子の名前は――クレイシア。


 天空神殿にだけ咲いている、淡いピンク色の花。

 花言葉は「幸福な未来」「母の愛」の二つ意味を持っている。


「ありがとう、ルナ……」

「そんな顔しないで、笑っててよ。パパ、なんだから――」


 ルナは事切れたように目を閉じた。


「ルナ……ルナ!?」

「大丈夫ですよ。落ち着いてください、ルノア様。疲れて眠っていらっしゃるだけですから」

「……そ、そうですか」


 取り乱してしまって、助産師さんたちに微笑まれる。

 急に大きい声を上げてしまって、クレイシアがまた泣き出した。


 その数分後、ルナは目を覚ました。

 そして起き上がり、クレイシアを抱っこした。


 我が子を見つめる、優しい母の眼差し。

 母の温もりを感じているのか、クレイシアはすやすやと幸せそうに眠っていた。



 ルナは暫くして一筋の涙を零した。

 いつまでこの三人でいられるのだろうか――。


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