第三十五話、『死闘』
『再会』編 【6/8】
ルナが動けずにいる。
それほどの強さなのか、この『鬼』は。
腰には僕の身長ほどの大太刀が下げられている。
「うぐぐ……!」
そいつは僕の拳を掴む力を強めた。
凄まじい握力だ。
骨がみしみしと悲鳴をあげ、爪が肌にくい込んで血が溢れ出している。
「やめて! ルノを離して!」
「あァ? 何故、お嬢様が庇うんだよ? こいつはお嬢様を攫った悪人だろォが」
ソフィアが丸太のような腕を掴む。
その様子に不快そうに顔を歪める鬼。
「まあ、関係ねェな。どの道、反逆者は死罪だ。それを庇う奴には罰が必要だよなァ!」
鬼はソフィアに向かって拳を振りかざす。
「ソフィア! 離れろ!」
その隙を見て、反対の手で氷魔法を放つ。
鬼の腕が氷漬けになり、僕は拘束から逃れた。
「無詠唱……魔術じゃねェな。だが残念だったなァ! 俺様に氷なんざ無意味なんだよォ!」
しかし、鬼は慌てることなく一瞬で氷を溶かした。
なんだ。魔術でも魔法でもない。
「どいてて……ルノア」
ルナの雰囲気が変わり、銀髪が逆立つ。
深く沈み込んだ直後、屋根の瓦が音を立てて破裂し、ルナの姿が消えた。
『龍化』は暴走の可能性があるから使うな、とは言ってあるが、それがなくともルナが負けるところは想像できない。
「テメェは俺様を楽しませてくれそうだなァ!!」
ルナの拳を鬼は両手でガードした。
衝撃波で瓦がめくれ上がり、二人の力が拮抗する。
空中に浮いたままの姿勢で蹴りを繰り出すルナだが、それも鬼は難なく捌いた。
力量はルナの方が上のはずだ。
でもなんだ? ルナの動きがいつもより鈍い。
「ボディがガラ空きだぜ!!」
鬼は岩のような拳を振りかざし、それをルナの腹へとくい込ませようとする。
「――――ッ!!」
ルナはそれを不格好に回避する。
が、生まれた一瞬で形勢は逆転する。
やっぱりだ。どこか本調子じゃない。過剰に防御を意識しているような、そんな動き。
「チッ。テメェも大したこたねェな。これで終わりにしてやるよ」
空中で自由の効かないルナの顔を、鬼は鷲掴みにした。
そして期待はずれとばかりに嘆息すると、ルナが聞いた事のないような呻き声を上げた。
「――ッ!? ルナを離せ、クソ野郎がァ!!」
アリストリア流剣術――初伝『流星斬』。
魔力を纏った黒刀は、凄まじい速度でルナを掴んだ無防備な腕へと吸い込まれ――抜刀された大太刀に受け止められた。
「なっ!?」
「遅ェ……遅すぎて溜息が出るぜ」
鬼の鋭い眼光がこちらを向く。
その直後、ルナの胸元の龍神の紋章が発光した。
鎌鼬が吹き荒れ、僕まるごと吹き飛ばした。
粗雑な風魔法。
冷静さを失ったルナは蹲り、必死に呻き声を堪えて治癒魔法を使っていた。
すると顔面の夥しい火傷跡が、本来の雪のような白い肌へと戻っていく。
「オイオイ、だらしねェぞ。もっと俺様を楽しませろよ、反逆者ども」
大太刀を肩に担ぎ、鬼が淡々と歩いてくる。
恐怖を煽るように、舐め腐った顔つきで。
必死に立ち上がろうとするが、さっき吹き飛んだ時に足を挫いたのか、再び膝を着いた。
「もうやめてよ!」
そんな時、ソフィアが僕を庇うように両手を広げて立ち塞がった。
「あたしを連れ戻しに来たんでしょ! だったらもう戦わなくていいでしょうが!」
「どけ。俺様が手ェ上げないとても思うのか?」
「それでも絶対ここはどかない!」
ソフィアは確固たる意思で鬼を睨みつけた。
まただ。あの時と同じだ。
僕を庇って、アークたちに連れされたあの時と。
「……やめてくれ、ソフィア」
「大丈夫だよ、ルノ。あたしが守るからね」
震えた声で、ソフィアがほほ笑みかける。
これじゃあまるで、何も変わっていないじゃないか。
僕はこの半年間何をしてきたんだ? 何のために、強くなったんだ?
「またお前を失うくらいなら、ここで死んだ方がマシだ」
僕は黒刀を杖にして立ち上がる。
ソフィアの前に出て、鬼と対峙した。
「ソフィア。あそこにいる銀髪の女の子と一緒に逃げろ。ルナなら絶対にお前を守ってくれる」
「嫌だ! ルノが死んじゃう! あいつ、あたしの護衛で剣の指南役でもあったんだけど、誰も逆らえなかった! 国軍が全員で戦っても勝てないからって!」
ソフィアが僕の背中に抱きついた。
震えとともに熱が背中を通して伝わってくる。
「絶対に行かせない! お願い、ルノ……」
「ごめん。でも、大丈夫。さっきは死んだ方マシだなんて言ったけど、死ぬ気なんて毛頭ないから」
死ねない理由は、もう沢山ある。
ソフィアを頼むと、心配そうなルナに目配せする。
そして手を振りほどいて歩き出す。
「オイオイ。テメェじゃ相手にならねェよ」
「相手になるかじゃない。僕はここでお前に立ち塞がらないといけない」
「へえ。俺様は雑魚は嫌いだが、お前みたいな馬鹿は嫌いじゃねェぜ!」
鬼が大太刀を構え、本当の意味で僕と対峙する。
一部の隙もない上段の構え――攻撃重視の『鬼神流』だ。
だが、ラガスのあの男とは比べ物にならない重圧だ。
「名を聞いてやる」
「ルノア。ルノア・アルカス」
「覚えといてやる。――俺様はゼオン。鬼王だ」
互いが名乗り終わると、静寂が臨んだ。
でも下が騒がしい。怒号が鳴り響いている。
もうウェルフたちが王宮に攻め込んでいるのかもしれない。
いや、今はいい。この戦闘だけに集中しよう。
〜〜〜
ルノが行ってしまう。
あたしのたった一人の家族。
「待って!」
咽び泣きそうになりながら歩き出すと、誰かがあたしの腕を引っ張った。
振り返ると、長い銀髪の美しい女性がいた。
確か、ルノが『ルナ』って呼んでた人だ。
「止めんな! ルノが……ルノが死んじゃう!」
「大丈夫! きっとルノアは大丈夫だから!」
「何を根拠に!」
「ソフィアちゃんは知らないだろうけど、ルノアはこの半年間、君のために強くなったんだよ。だから、信じてあげて」
ルナが自慢げに微笑む。
君の知らないルノを知っているぞ、と言わんばかりに。
この人、ルノのことを信頼してるんだ。
でも、本当は心配してる。一緒に戦いたいんだ。
その目を見れば、あたしには分かる。
この人は、ルノのことが好きなんだ。
「そ、そもそも、あんた一体誰なの!? ルノの一体何!?」
思わずそう聞いてしまった。
あたしは心に、ある一抹の不安を覚えたからだ。
ルナは困惑したように視線を逸らせようとして、今度は真摯な眼差しであたしの双眸を覗き込んできた。
「私は、ルノアの恋人だよ」
「…………え?」
「君のお兄さんを、私にくれないかな?」
唖然としながらルノの背中を見る。
逞しくて、大きい、あたしの知らない背中だ。
~〜〜
ゼオンが舐め腐った笑みを浮べている。
こいつが僕に油断しているなら都合がいい。
『虎神流』で受け流し、奇襲で決する。
いつまでも続くかに思われた、ほんの一瞬の静寂。
それはゼオンが目をカッと開くと共に消え去る。
どうやらじっとしているのが苦手なようだ。
「――――ッ!?」
ゼオンは巨躯を畝らせ肉薄し、刃がぶつかり火花を散らす。
見た目通りの乱暴な一振は、『虎神流』によって受け流され、屋根の瓦を粉々に粉砕して突き刺さる。
その一瞬、ゼオンに隙が生まれる。
だが知っている。『鬼神流』には第二第三の刃があると。
「お、りゃァァァ――!」
短い咆哮を上げ、地面を抉った大太刀が向きを変えて襲いかかる。
細く長い大太刀を、ただ力任せに振り回しているだけで、練り上げられた技があるわけじゃない。
だが、その全てを捩じ伏せるシンプルな力が、強い。
反動が大きい『鬼神流』の弱点を、更なる力でカバーしているんだ。
「どうしたオラ! 口ほどにもねェな!」
「――――ッ!」
防戦一方。何とか『虎神流』で捌いてはいるが、攻撃の間隔が狭すぎて反撃に移れない。
一撃必殺を美徳とする『鬼神流』
【悪因悪果】は相手の罪に応じてデバフをかけるスキルだ。
ゼオンは護衛として連れ去られたソフィアを取り返しに来ただけで、罪を侵したわけじゃない。
僕がそう判断してしまった以上、このスキルは使えない。
我ながら難儀な力だ。
それに今回はユシィの『軍姫の紋章』によるバフ効果もない。
デルタ戦のときとは話が違う。
なら――、
「奥義『虎威流牙』!!」
力の操作。その極致。
ゼオンの力任せな一撃を黒刀で受けると同時、身体を畝らせ受けた力を上乗せしてカウンターを放つ。
それは確かにゼオンの脇腹を切り裂いた――はずだった。
「――はぁ!?」
その光景に思わず驚嘆を漏らした。
刃はくい込むことなく、ゼオンの巨躯を吹っ飛した。
刃が通らない。肌が鋼鉄のようだ。
『鬼神流』は特殊な呼吸法によって、運動能力を向上させる。
その中に筋肉を収縮させ、鋼のように硬くする技もある。
まさか、刃すら防ぎ切るほどの硬度なんて、そんなことが有り得るのか。
「悪ィ。テメェを舐めてたこと謝るぜ。――次は本気で葬ってやるよ」
土煙の中からゼオンが悠々と姿を現す。
無傷。それどころか、雰囲気がさっきとはまるで違う。
舐めてもらっている内に決着を付けたかったが、仕方がない。
僕は剣を鞘に収め、抜刀の構えをとる。
ゼオンの身体から蒸気が発せられる。
やはりルナの顔を火傷させ、氷を一瞬で溶かしたときから薄々勘づいてはいたが、こいつは体温が異常なんだ。
体温は高いほど身体能力が向上する。
こいつは自ら体温を上げているのか。
ゼオンは深く呼吸する。
その度に集中力が研ぎ澄まされているのが分かる。
そして赤い肌が全身黒く染っていく。
「『鬼神流』筋肉硬化。その極致――金剛ノ鎧」
本能が逃げろと命令する。
張り詰めた空気に『死』を全身に感じる。
その時、僕はゼオンが体長3メートルは優に超える熊のように錯覚した。
こいつは――本気で僕を消し去るつもりだ。
「奥義『喰鏖』」
「――――ッ!!」
怯んだ直後、ゼオンが一気に肉薄する。
戦闘において、ほんの僅かな変化が、体感にして数倍にも感じさせる。
初見殺し。ゼオンの動きを認識したときには、ギロチンの刃はすでに下ろされていたも同然だった。
まずい。死――
「ルノア!!」「ルノ!!」
二人の声音が重なる。
その瞬間、世界がゆっくりと動き出した。
色を失い、音を失い、不必要な情報が消え失せた。
なんだ……走馬灯か?
『大丈夫だ。ルノア。お前には「力の流れ」を見る力がある』
記憶の中で、父さんが笑う。
稽古の中、何度も言われた言葉だ。
『虎神流』に一番必要な、力の流れを見る力。
それがもともと備わっている、と。
――今なら、その本当の意味も分かる気がする。




