第三十四話、『王宮の花嫁』
『再会』編 【5/8】
塔の窓から朗らかな朝日が差し込む。
朝が来なければいいとどれだけ望んだだろうか。
重くだるい瞼を持ち上げ、倦怠感に苛まれた上体を起こす。
あたしの体じゃないみたいだ。
いや、その表現はあながち間違ってはいないのかもしれない。
所詮、あたしは政治の道具。
双子の姉、フィーネの代わりに連れ戻された、名だけの王女だ。
そしてあたしは今日、会って二日の男性と婚姻を結ぶ。
相手は世界最大の帝国、その第七王子。
昨日まで顔も見たことのない相手と、結婚して子供を産むことになるのだ。
何度もこの鳥かごから逃げ出したいと願った。
それでもいつも護衛とやらに阻まれた。
赤褐色の肌をして、二本の角を生やした男だ。
この国の問題や、政治については触れさせてもらえないのに、やたら礼儀作法は叩き込まれて肩がこった。
毎日吐きそうになりながらも頑張れたのは、ルノがいつか助けに来てくれるかもしれないという、淡い希望を抱いたいたからだ。
でも半年たった今も、憧れの王子様はどこにもいない。
『ルノはあたしにとって、ずっと王子様だったから』
こんなことなら、あの日、ちゃんと伝えておけばよかった。
あたしのことなんて妹として思ってないあいつを、少しくらい意識させてやれたかもしれない。
このままあのおじ様と結婚するくらいなら、窓の外に身を投げてしまおうか。
縁に手をかけ、そんなことを本気で思ったところで、扉がノックされる。
「お目覚めでしょうか。ソフィア様」
「ええ。残念ながらね」
「……浴槽の準備が整いました」
「すぐに行きますよーだ」
侍女にはこんな不機嫌な態度をとっているが、これでも感謝している。
捨てられ、政治の道具にするために連れ戻されたあたしを憐れんで、優しく接してくれた。
昨日、披露宴の直前に初めて婚約者と対面した。
容姿はとてもダンディな紳士。歳は40前後というところだろうか。
『お初にお目にかかります、ソフィア王女。私はイデアル連合帝国第七皇子、ウィリアム・チェン・イデアルです』
『ええ、初めまして。お会いしたくはありませんでしたわ』
笑顔で本音をぶつけるとウィリアム皇子は顔を曇らせた。
「ソフィア王女!?」とメイドが慌てふためき、「失礼であろう」とウィリアムの側付きが憤った。
あたしとしては、このまま婚約が破談してくれればいいと思っていたからだ。
『いや、構わないよ。歳もずいぶんと離れているし、顔も知らない男と結婚するなんて嫌だろうさ。君くらいの年頃なら、好きな男の子の一人や二人はいてもおかしくはない』
『……いませんよ、そんな人』
皇子と聞いて、ちょび髭の小太りで下品な笑みを浮かべる豚を想像していたが、蓋を開けてみれば案外真っ当そうだ。
それでも気の弱そうでパッとしない中年男性。あたしが求めていた王子様とは似ても似つかない。
ガラスに映った花嫁衣装を纏い化粧を施した自分を見て、この姿をルノにも見せたかったな、なんて乙女のようなことを考える。
流石のあいつでも、あたしの晴れ舞台ともなれば、「綺麗だ」の一言くらい言ってくれるだろう。
「ソフィア様。お時間です」
「分かっています。――って、どうしてそんな顔をするんですか?」
「……いえ、申し訳ありません」
「――今まで、あたしの世話をして下さりありがとうございました」
侍女に感謝の言葉を述べ、あたしは婚姻の儀に臨んだ。
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ステンドグラスの窓から奇怪の光が差し込む。
あたしとウィリアム皇子は冷たい拍手によって歓迎され、牧師の前で向かいあった。
先程から申し訳なさそうな顔をしている。
きっとこの人も、こんな結婚なんて望んでいないんだ。
牧師が何かをブツブツと呟いているが、あたしには何も聞こえなかった。
汚い大人たちのマリオネットとして、これからあたしはこの人の妻としてイデアル連合帝国に渡ることになる。
――さよなら、あたしの王子様。
――さよなら、あたしの最初で最後の恋。
僅かな希望を振り払うように、心の中でそう呟く。
もう忘れよう。そうすればきっと楽になれる。
そうやって希望を閉ざし、目を瞑った直後、教会内がどよめいた。
皆が同じ方向を眺め、その少年の乱入に目を丸くした。
『その結婚に待ったをかける!!』
あたしは自分の目を疑った。
不安に耐えられなくなって、ついに幻覚を見たのだと思った。
教会の扉を蹴り破り、黒刃の剣を掲げた少年は、懐かしい黒髪を靡かして笑う。
半年……たった半年会ってなかっただけなのに、まるで数十年ぶりの再会のようだ。
やっと忘れようとしてたのに。
なんで……今更来るんだよ、バカ。
「ルノ!!」
あたしは思わずその名を叫んだ。
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ルノ。そう呼んでくれるのなら、僕は命だって張れる。
「愛のない政略結婚など認めない! どこぞの馬の骨かも分からないおっさんに、妹はやらん!」
おっと。久しぶりにソフィアの姿を見て、テンションが上がってしまった。
『早くその謀反者を捕らえろ!』
僕の周りに兵士が集まってくる。
ソフィアの心配そうな双眸がこちらを向く。
何故だろう。感覚が麻痺しているのだろうか。
刃を向けられても何も怖くない――負ける気がしない。
『かかれ!!』
その号令とともに兵士が襲いかかる。
差し向けられた槍を躱し、魔力を纏わせた黒刀で薙ぎ払った。
その様子に、ソフィアが目を丸くさせる。
お前は知らないだろうけど、僕はこの半年間で、数え切れないほどの経験をしたんだ。
ルナと出会い、天空神殿に降り立ち、出会いと別れを繰返し、街をつくって色んな種族と一緒に暮らしてるんだ。
あとはお前だけなんだよ、ソフィア――。
水神の紋章が青く輝きを放つ。
僕がアルカディアの末裔なら、できるはずだ。
水魔法の応用。アルカディア王が最も得意としたと言われる攻撃魔法。
「森羅万象を凍て尽くせ――『氷河期』!」
不殺。動きだけを封じる効果的な方法。
一瞬で凍えるほどの冷気が教会を支配した。
そして次の瞬間、その場にいた全員が氷像と化した。
殺してはいない……はずだ。多分。いや、まずいな。解除方法も練習しときゃよかった。
「ルノ……? だよね……」
氷像の中、ソフィアが腰を抜かせていた。
そういえば、マッチの火をつける程度しかやってなかったからな。
「感動の再会だけど、説明は後でするから!」
「……え? うわっ!?」
「しっかりと捕まってろよ――」
花嫁姿のソフィアを抱きかかえ、深く沈み込む。
アリストリア流剣術『縮地』の応用。
僕は水弾でステンドグラスの窓を割ると、一気に跳躍して教会の屋根に登った。
自分でも身体能力が遥かに向上しているのが分かる。
ソフィア一人抱えた上で、軽々屋根に飛び乗れるほどに。
「本当に……ルノ、なの?」
「ん? おいおい。忘れられてるとか泣くぞ?」
「そうじゃなくて! だって、あたしの知ってるルノは、こんな軽々とあたしを持ち上げたりできない、ひ弱で――」
「確かに、僕はお前に守られてばかりだった。守るっていいながら、独りよがりの自己満足に浸って、結局肝心なところでは何の役にも立っていなかった」
僕はソフィアをそっと着地させる。
そして許しを乞うように跪いた。
「ごめん……あの日、守れなかった。それにすぐに助け出すつもりだったのに、結局半年もかかってしまった」
ずっと心の奥底に抱えていた後悔を吐き出すと、ソフィアがデコピンしてきた。
「謝んな、バカ兄貴。……あたしは、ルノが生きていてくれただけでよかった。――でも、また会えて本当に嬉しい」
ソフィアは涙ながらに微笑んだ。
潤んだその瞳には、僕の顔が映されている。
「絶対、あとで何があったか話してね」
「ああ。お前に話したいこといっぱいあるんだ」
僕は腰に着けた発煙筒を屋根に置いて着火する。
するともくもくと青い煙が天高くに登った。
計画が成功したことを伝える合図。
今王宮内はパニックになっている。
そんな時に、各地で暴動が起こればどうなるだろつか。
溜まりに溜まった民衆の怒りは、この王宮に向く。
「何なの、それ?」
「……ソフィアは知らなくていい」
「な、何その言い方!」
何も知らされないことに不満を漏らすソフィア。
この様子じゃ、きっとこの国の現状を教えられていないのだろう。
そして各地で白い煙が上がり始めた。
この国はこれから終末に向かう。
救いも、希望も、正義もどこにもない。
「今からこの国を脱出しよう。大丈夫。最も信頼できる人が来てくれるから」
「脱出って、意味分かんない。今この国で何が起こってるの!? フィーネは!?」
「フィーネは無事だ。僕達が保護してる。ごめん……説明は後でするから、今は僕を信じてくれ」
時間が無い。
もう直ここも安全じゃなくなる。
にしても、煙が上がったらすぐに来てくれる手筈になっていたが……どうしたんだよ、ルナ。
屋根の上で足踏みしていると、下から蒸気が上がってきた。
割れた窓から教会の中を覗くと、既に氷像が溶けていて、白い蒸気で満たされている。
「一体何が……」
「ルノア、伏せて――!!」
ルナの声に背を低くすると、直後何かが髪をかすめる。
殺気も気配も何も感じなかったのに――何かが、背後にいる。
『へえ。よく避けたじゃねえか!』
ドスの効いた声が頭上から降ってくる。
振り向きざまに拳を繰り出すが、そいつに軽々と止められる。
「助けに来てやったぜ、お嬢様ァ」
「……護衛。なんであんたがここにいんのよ!」
赤い肌。二本の小さな角。
その特徴を除けば、人族と変わらない。
でも、本当にいたんだ。
「――鬼、だ」




