第二十三話、『炎龍戦』
『奴隷商会』編 【8/8】
「うおぉぉぉぉぉお!!」
裂帛の気合とともに斬り掛かる。
カンッ。
だが、そんな金属音とともに鋼鉄の鱗に弾かれる。
傷一つつけられない。
魔力の纏い方がまだ甘いのか。
『グオォォォォオォォォオ!!』
「…………ッ!」
炎龍がこちらを向いて咆哮する。
大気が震え、生じた衝撃波に身体が攫われる。
そして炎龍は大口を開け、辺りの空気ごと魔力を吸い込んだ。
口腔の奥が赤く照らされ――マグマのような炎が放出された。
炎龍のスキル《ヘルブレス》だ。
「大洪水!」
水の大魔法。
勢いよく生じた大量の水は放出されたマグマとぶつかり、一瞬で水蒸気となって霧散する。
「……くっ!」
飛び散った高温の水が肌に触れて火傷する。
ダメだ。適当に水を生じさせると自滅行為になりかねない。
同じ温度でも、気体と液体とじゃ訳が違う。
「ハア……ハア……ッ」
喉が乾いて息がしにくい。
汗が出ない。眼球が乾いて視界がぼやける。
呼吸する度、肺が焼ける。
頭がクラクラしてきた。
筋肉が硬直している。足が縺れる。
意識が朦朧としてきた。
「つまり、何の問題もない!」
全身に鞭打ち、手足を動かす。
鱗は無理でも、眼球なら潰せるはずだ。
抜刀の構えをとり、一気に加速する。
相手の死角から放つ剣技。
アリストリア流剣術――中伝『新月』。
「――なっ!?」
死角をついたつもりが、炎龍が的確に首を振った。
しまった。スキル《魔力感知》か。
炎龍が僕を喰らおうと口を開けている。避けられない。
まずい! 喰われ――
「――ッ!?」
直後、炎龍の頭が横に流れた。
光のような速度で何かが炎龍の左目を抉った。
「……なんで来たの」
炎龍の背に誰かが立っている。
頭を薙ぎ、僕を救った人物。
目も眩むような美しい銀髪の少女だ。
「良かった。無事で……ッ!?」
そう言いかけるが、その姿は到底無事とは言えなかった。
ルナは、頭から血を流して、左腕が焼け爛れていた。
まさか……あの《ヘルブレス》を一人で受けたのか。
そしてその姿は、僕が知る彼女ではなかった。
一本の気高き角。艶麗な銀翼。逞しい尻尾。
それはまさしく、伝説の龍族の姿だった。
「出来れば、この姿は見られたくなかったんだけどな」
残念そうにルナが呟く。
ユシィとルナが戦った時もそうだ。
「ルノアがいるってことは。奴隷の避難、終わったんだ」
「ああ。ユシィも無事だ!」
やっぱり聞こえてなかったか。
なら直接伝えに来てよかった。
でも、なんだ。何なんだこの嫌な感じは。
「ルナ……だよな?」
「うん。何言ってるの? 当たり前でしょ」
ルナは――笑っていた。
恍惚とした表情で。京楽に呑まれた笑顔で。
牙を見せ、頬を赤らめ、血走った鋭い眼光で、嗤っていた。
炎龍が起き上がって、こちらに向かって大口を開ける。
やはり、黒煙に包まれていても《魔力感知》で位置がバレるか。
「ルナ! 一旦ここは……ルナ!?」
大気ごと魔力が取り込まれ、口腔が赤く照らされる。
またあれがくる。全てを焼き尽くす地獄の業火が。
「アハ……アハハハ」
次の瞬間、《ヘルブレス》が放射される。
ルナに向かって真っ直ぐ。
だが、それを避けようともせず嗤っている。
直後、マグマのような炎がルナが直撃した。
そして、流れが堰き止められるように分散した。
致命的だったはずの左腕の火傷が完治している。
その下の白い肌には、ビッシリと刺青のような紋様が広がっていて、首元に到達している。
「アハハハハハハ!!」
ルナが狂気的に笑い、深く沈みこんで跳躍する。
その瞬間、地面が音を立てて陥没し、ルナの姿が消えた。
直後、炎龍が呻き声とともに壁に激突した。
あの巨体が、一発の殴打で勢いよく転がったのだ。
あれが、ユシィを圧倒したルナの本当の姿。
これが『龍化』――いや、誰だあれは。
炎龍が逃げるように翼を広げる。
「……まずい! 逃げられる!」
炎龍がかまいたちを生みながら空に飛翔した直後、銀色の流星が炎龍の翼に直撃して爆発した。
「アハハ! 堕ちろ! 堕ちろ! 堕ちろ!」
翼を失った炎龍が地面に叩きつけられる。
そして追い打ちをかけるように銀の雨が降り注いだ。
どうしてだろう。このままじゃいけない気がする。
ルナがどこかへ行ってしまう。
僕の心の中にそんな不安感が居座った。
「ルナ! やめろ! やめてくれ!」
その不安に駆り立てられて走り出す。
訳も分からず、炎龍の背に飛び乗り、ルナの元に駆け寄った。
「ルナ――」
冷たい眼光が無機質に僕を見つめた。
目が合った直後、ルナの拳が一直線に飛んで、
――――。
――。
―。
「…………あぇ?」
意識が戻った時、数十メートルも離れた位置で、ルナが一方的に炎龍を踏みつけるのを眺めていた。
顔面が死ぬほど痛い。
手で触れると、鼻血で手のひらが真っ赤に染まった。
まともに顔面に食らったのだ。
明らかに殺す気だった。死んでもおかしくなかった。
あの目は……完全に自我を失っていた目だ。
でも――自分でも自身の成長に驚いている。
完全に不意打ちだったあの拳を、鼻血程度の被害に抑えた。
咄嗟に『虎神流』で衝撃を全身に流したのだ。
地面に転がる時も、同様に受身をとれていた。
二ヶ月前の僕には到底なし得なかっただろう。
僕は鼻血を拭いて立ち上がる。
ルナには感謝してもし足りない。
あの迷宮で沈んでいく僕を救い出してくれたのだ。
お先真っ暗だった世界を照らしてくれた。
『漢たるもの、浪漫と矜恃を忘れちゃいかん! 好きな女のケツを追いかけ、惚れた女は命をかけて守れ。英雄になれ――ルノア!』
僕は、世界を救う英雄になんてならなくていい。
ただ――隣にいる女の子を守れる漢になりたいんだ。
「うおおおおおお!!」
僕は猛った。心の底から吠えた。
黒煙に紛れるように接近し、再び龍の背に飛び乗り、ルナの元に駆け寄った。
ルナは僕に気づき、拳を振りかざした。
そのモーションを見切った瞬間、僕は踏み込んで加速する。
アリストリア流剣術の基礎動作。
ほんの一瞬膝の力を抜き、前方に倒れかけた直後、全身で生じさせた力で踏み込んで一気に加速する『縮地法』。
「――ッ!」
それはルナの反応速度を超えて、胸に飛び込んだ。
ルナを抱き抱えたまま炎龍の背を滑り落ちる。
地面に叩きつけられ、暴れるルナを必死に抑え込んだ。
「離れろ!」
「……絶対に、離れない!」
何度も何度も、ルナは僕を殴りつけた。
打撲。骨折。それがどうした。
ルナがルナでなくなってしまう。
僕の頭にあったのはそれだけだった。
「……元に戻ってくれ。また優しく微笑んでくれ。――僕は、そんなルナが好きなんだ!」
力強く抱擁する。
希望に縋るように、必死に抱き止めた。
すると、ルナは抵抗する力を弱めた。
「……ルノア?」
「良かった! 正気に戻ったのか!」
ルナは呆然と空を眺め、一筋の涙を流した。
「私……なんで。あんなこと……ごめんなさい」
「いいんだよ。何も謝らなくて。僕は無事だ」
記憶はあるらしく、申し訳なさそうに泣き出すルナ。
そういえば、涙を見せたことはあったが、見たことはなかった。
そんな腕の中で震えるルナの頭を撫でた。
あの日、シェルターの中でソフィアにしてあげたように。
でも、あの日と違う。
震えているだけじゃない。隠れているだけじゃない。
父さんが勇猛果敢に戦ったように、今度は僕が戦うのだ。
『グオオオオオオオ!!』
炎龍が起き上がり咆哮する。
あれだけの打撃で死なないとは、やはり、首を落とさなきゃ完全に絶命させることはできないか。
「ルナはここで休んでて。――あいつは、僕が倒す」
はっきり言って、僕の身体はもう立ち上がれないほどにガタが来ていた。
しかし、アドレナリンというのだろうか。何の痛みすら感じず、思考が澄み渡っていた。
「無理だよ! ルノアが死んじゃう!」
「大丈夫だよ。たまには僕を頼れって。それにこれは、きっと僕がやらなきゃいけないんだ」
「ルノア……」
「分かってる。これは復讐なんかじゃない」
八つ当たりでも、弔い合戦でもない。
過去を断ち切るとは、そうことじゃない。
未来を見よう。
もう二度と、あの悲劇を繰り返さないために、僕は――炎龍を斬る!
僕は駆け出す。炎龍に向かって真っ直ぐ。
アリストリア流剣術――奥伝『流星斬・改』。
「――クソ! これでも通らないのか!」
あの鱗が、剣に纏わせた魔力を散らしているんだ。
どこか別の場所に斬撃を入れないと、決定打にはならない。
「うおっ!?」
尻尾が大きく振れ、突風が身体を攫う。
浮き上がり、宙を舞う。
僕は炎龍を上空から見下ろしていた。
「――――ッ」
その時、僕の前にまた光の精が現れた。
フラフラと飛び回り、そいつは首元のある一点で止まった。
そこだけ鱗が剥がれ落ち、その下に僅かだが傷がみえる。
そうか。……鱗は頑丈だが再生しないんだ。
誰かが鱗を破壊するほどの一撃を食らわせた。
そしてその傷は未だに完全には再生していない。
でも、どうしてだろう……それが誰か、分かる気がする。
光の精が神々しく発光する。
多分、僕だけにしか見えないそれは、人の形を模した。
とても温かい光で、僕を手招いている。
――ありがとう。もう大丈夫だよ。
『虎神流』力の操作。その極致。
身体を大きく畝らせて、全身の力で剣を振るう最大威力の技。
「――奥義『トラガミ』!」
黒き刀身が鱗の合間を縫って、炎龍の首元へと吸い込まれる。
炎龍の断末魔。黒刃が貫通する。
巨大な頭がズドンと音を立てて地面に落ちた。
血の雨が降る。
僕は為す術なく地面に叩きつけられた後、血の雨を浴びながらゆっくりと目を閉じた。
もう指一本動かせない。瞼を持ち上げるのも億劫だ。
――さよなら。父さん、母さん。
その日、地下帝国は跡形もなく消滅した。




