第二十二話、『何を恐れることがあるのか』
『奴隷商会』編 【7/8】
地響きが轟き、内壁が崩れ落ちる。
人体のリミッターを無視した英雄の一撃。
全身の筋骨が悲鳴を上げているが、どうやら今回は意識を失わずに済んだようだ。
デルタの半身が壁にめり込んでいる。
魔物は死ぬと魔素となって消失するが、それは黒いモヤを煙のように発しながら形を徐々に失わせていた。
「……屈辱だ。よりにもよって、アルカディアの意志を継ぐものに負けるなど」
まだ話す余力はあるらしい。
だが、ピクリとも動く気配がない。
「結局、お前らの目的は何なんだ」
「世界の浄化だ。再び世界に神を引きずり下ろし、ラグナロクを引き起こす。すでに駒は揃っているようだしな。もうすでに小細工をしている段階ではない」
「待て! 『神』って一体何なんだよ!」
「さあな」
デルタは答えず、負け惜しみのように不敵に笑むばかり。
小細工とは、ルナが指摘したこの世界の異変だろうか。
「貴様が計画を進めたのだ。アルカディアの意志を継ぐものよ」
「そんな覚えはない」
「そうだとも。貴様はパンドラの箱を開け、それに未だ気づいてはいない。いずれ世界に災厄が撒き散らされる。――貴様の顔が、絶望に歪むのを見られなくて残念だ」
不穏で含みのあることを言い残し、デルタは灰になった。
せめて悔しがるとかしてほしい。
勝ち逃げされたようで後味が悪い。
「にしても……何だこの揺れ」
戦いに夢中で気づかなかったが、先程から定期的に地響きがしている。
初めはルナかユシィの戦闘の余波かと思ったが、あまりにも長く地震のように揺れが大きい。
胸騒ぎがする。
何か良くないざわめきだ。
隣に聳え立っているこの扉を調べたい欲求はあるが、今はそれどころではないかもしれない。
それから急いで地下帝国に戻ると、瞬時にあらゆる異常を全身で感じ取った。
子供が泣き喚く声。怒号にも似た叫び声。
あちらこちらで破裂音が轟いている。
そして……釜戸の中にいるような蒸し暑さ。
「ルノア様!? 良かった。ご無事でしたか!」
「ラーファさん! 今、どういう状況ですか!?」
路地に出ると、逃げ惑う人達の中にラーファを見つけた。
ラーファがいるということは、少なからず『牙』の仲間たちが到着したということだろう。
「炎龍です! 今はルナ様とユクシア様が応戦していますが、苦戦を強いられているご様子で! わたくし達は今、一刻も早く奴隷の避難をと――」
ラーファが必死に状況を説明してくれるが、僕はその初めの単語のせいで放心していた。
『お前たちは地下に避難するんだ!』
『父さん! 嫌だ、置いてかないで!』
あの日の記憶が蘇る。
炎龍……? なんで、あの化け物がここに――?
「ルノア様? 危険です! お戻りください!」
僕は忠告を聞かずに走り出した。
デルタが呼び寄せたとして、あいつが死んだ今、炎龍はただ暴走しているモンスターだ。誰にも止められない。
『グオォォォォオ!!!』と、炎龍の咆哮が轟く。
薄汚れた布切れを纏った奴隷たちが『牙』の案内の元、出口に向かって逃げていっている。
その最中でも、容赦なく岩石の塊が雨のように降ってきている。天井に穴が空いて、地下自体が崩壊し始めているんだ。
――そこはまさに『地獄』だった。
息苦しいほどの熱風。立ちこめる黒煙。
そして地下帝国に降臨した、紅蓮の翼をもつ全長10メートルはあろうかという巨大なドラゴン。
「うわぁぁぁぁあ!!?」
その姿を見て、僕は頭を抱えて蹲った。
あいつだ。間違いない。
父さんと母さんを――村の皆を奪った炎龍だ。
あの日と同じだ。
人々が逃げ惑い、業火に呑まれていく。
悲鳴、泣き声、叫び声、呻き声。
「――――ッ!」
ドゴン。
そんな爆発音とともに何かが地面に激突した。
その砂塵の中から現れたのは、下半身が焼き爛れた瀕死のユシィだった。
「……嫌だ。置いてかないで」
あの日の記憶がフラッシュバックする。
一夜明け、豊かな村は黒い塊へと変貌していた。
その中に全身が焼き爛れた遺体をいくつも見た。
――ダメだ。また奪われる。大切なものすべて。
「……何じゃ、生きておったか。流石は我が主様……」
「ユシィ! 大丈夫なのか!?」
「安心せえ。不死魔族はこの程度では死なん。じゃが――思ったより再生が遅いの」
焼け爛れた肌が、綺麗な褐色の肌へと戻っていく。
だが、翼も焼き切れていて、直ぐには立ち上がそうにない。
そんなユシィは、僕を見て目を細めた。
「何を恐れておる? 恐れるものなどないじゃろ」
「だって、あいつは僕の家族を……」
「ならばうぬが決着をつけろ。自分の過去にの」
過去に? 僕にあの炎龍を殺せっていうのか。
父さんと母さんを奪ったあの炎龍を……。
ユシィは黙りこくる僕に、何も言わなかった。
そんな中でも、右手の甲に描かれた魔法陣だけは桃色に光り続けている。
「それって――」
それはユシィだけに天が与えた恩恵――『軍姫の紋章』だ。
ユシィが仲間と認めた者に強大なバフ効果を与えるものだ。
そういえば、ルナがこんなことを言っていた。
ユシィが本当に恐れられていたのは、率いた軍の全員をバフ効果によって強化するからだと。
僕がデルタに勝てたのは、『軍姫の紋章』によるバフ効果と、【悪因悪果】によるデバフ効果が相乗したからか。
「まさかずっと、僕のために使って――」
「ええいやめえ! そんな顔をするな気色悪い! 妾はただ、うぬが死んでルナ姫が悲しむのが嫌だっただけじゃ!」
変に素直じゃないユシィに笑みが零れる。
しかしそうか。ユシィが本調子でないのは、常に『軍姫の紋章』を発動させていたからか。
「そうだ! ルナは!?」
「まだ炎龍と戦っておる。ルナ姫ならあんな低俗のドラゴンなどに負けはせん。……じゃが」
「奴隷の避難が終わってないから、本気を出せないのか」
ユシィとルナが激突したときと同じだ。
ルナは被害を最小限に抑えるために、僕たちを庇いながら戦っているんだ。
「ルノア様! ユクシア様! 奴隷の避難が完了致しました! アイリ様もご無事です! 次はお二人がお逃げくださいまし!」
頬に火傷を負ったラーファが報告する。
ここに長居しすぎると煙を吸って死んでしまう。
「ルナ!! 奴隷の避難が終わった! 僕も無事だ!」
僕の声が虚しく木霊する。
黒い煙によってルナの姿は確認できない。
無事なのか。そうじゃないのか。それすら分からない。
「……ラーファさん。ユシィをお願いします」
「まさか、あの黒煙の中に飛び込むおつもりですの!?」
「ルナを放っておけません」
「お止め下さいまし! 天井の崩落で、入口が塞がりかけておりますのよ! ここにいては直に生き埋めに――」
「もう嫌なんだよ! 炎に家族を奪われるのは!」
ラーファの制止を促す声を一蹴する。
僕がやらなきゃいけないんだ。
炎龍を殺すのは、僕でなくちゃいけない。
「待て。主様よ」
ユシィが僕を引き止め、手を掴んだ。
『炎帝の刻印』が、青色の光によって別の魔法陣に描き変わっていく。
「使え。最上位の水魔法陣『水神の刻印』じゃ。――今のうぬになら、使いこなせるはずじゃよ」
「ありがとう、ユシィ」
「……では、わたくしからはこちらを。その刃こぼれした剣では戦えませんわよ」
ラーファが腰に提げていた黒刀を授けてくれた。
見るからに業物の黒刀には、赤い宝石が埋め込まれている。
「ありがとうございます。でも、この刃こぼれした剣も持っていきます」
「分かりました。――では必ず、二人で生きて戻ってきてくださいまし。ノノが貴方様に再会することを心待ちにしてますゆえ」
そう言い残して、ラーファはユシィとともに避難した。
僕はラーファから受け取った黒刀を腰に提げ、横穴の入口付近に立って炎龍と対峙する。
「久しぶりだな……3年振りか」
未だにあの日のことを夢だと思い込むときがある。
本当は父さんも母さんも死んでいないんじゃないかって。
いつもあの悪夢を思い出しては、震えて泣いてしまった。
でも、もう「さよなら」をしないと。
『何を恐れておる?』
そうだな。何も恐れることは無い。
ラーファから授かったこの黒刀で、ユシィに貰った魔法陣で、父さんから教わった『虎神流』で、ルナから教わったアリストリア流剣術で――僕は過去を断ち切る!




