第二十一話、『パンドラの箱』
『奴隷商会』編 【6/8】
下り始めて一分もない頃だ。
舗装された通路へと繋がった。
壁にはあの迷宮で見た模様が延々と続いている。
意識が深層へと引きずり込まれるような奇妙な感覚。
永遠と続くように思えたその通路には、果てがあった。
一層と開けた空間。そこに構える一枚の巨大な扉。
両端の松明、中央の王家の紋章。
ルナが封印された迷宮のものと似ている。
でも何かが違う。
この扉は重圧こそあるが何か空っぽなのだ。
そして太陽が描かれている。
確かルナのときは月が描かれていた。
同じように扉に触れようとした時、奥の方から話し声が聞こえてきて物陰に身を隠した。
「そ、そんな! ここを放棄するって本当ですか!?」
「当たり前だ。誰だかは知らないが、このアジトが嗅ぎつけられたのは事実だ。貴様、相手が世界連合だったらどうする?」
「で、ですが……」
「案ずるな。俺の『奴隷魔法』があれば、何度だって奴隷商会は復興できる。何度もな」
深いまとわりつくような低い声。
空気がピリついていて息苦しい。
あいつが頭首様なのか?
肌で感じる重圧に身体が強ばる。
只者じゃない――それは僕にも分かった。
「誰だ! そこに誰かいるのか!?」
と、鋭い視線がこちらを向く。
気づかれた!? 向こうからは見えていないはずなのに。
「貴様……どこから侵入してきた? ここへ入るための『鍵』は俺だけしか持っていないはずだが。――まあいい」
「お前が奴隷商会の頭首だな。大人しく投降しろ」
「威勢がいいな。勝てない相手の判断すらできないのか」
頭首は終始一切の動揺も見せなかった。
何故だろう……勝てる気がしない。
お得意の蛮勇すら湧いてこない。
「俺も時間がないんだ。怖いならそこで踞っていろ、臆病者め」
そう吐き捨て、頭首は踵を返した。
分かってる。安い挑発だ。
でも、このまま逃せば全部が台無しになる。
『虎神流』じゃ攻撃力に欠ける。ならば――。
僕は再び居合抜刀術の構えをとる。
最速最強の剣技。アリストリア流剣術。
「初伝『流星斬』」
抜刀から一気に加速して相手を斬りつける。
ルナが最初に教えたアリストリア流剣術の基礎的な技だ。
「……馬鹿な」
頭首が一瞬の動揺を見せる。
紫電一閃。
剣先が虚空に描く一本の線は、どこまでも愚直にその男の首元へと迫り――そして、いとも容易く捌かれた。
青白く可視化できるほどの魔力を纏った手刀によって。
「ひ、ひぃ!」
頭首の隣にいた男が覚束ない足取りで逃げていく。
「今の技……アリストリア流剣術か?」
「……何故、お前がその名前を知ってるんだ?」
「知っているとも。あの忌まわしき、アルカディアの一族が編み出した流派だからな」
「――ッ!?」
「そうかそうか。その髪、その目、貴様を見てから胸騒ぎがするのはそのためか。――アルカディアの意志は途絶えてはいなかったのか」
頭首の雰囲気が一変する。
「お前は一体――」
「気が変わった」
その男は一瞬で目の前に移動してきた。
そして魔法陣の描かれた右手で、僕の頭を鷲掴みにした。
「『奴隷王』デルタの名の元に、貴様を奴隷に堕とす。我が傀儡となりその血肉を捧げよ」
額に黒い刻印が刻まれる。
相手を強制的に従わせる『服従の刻印』だ。
「……ぐあァ!?」
額が焼かれるように痛い。
身体が動かない。まずい――奴隷にされる。
「――何だ!?」
だが次の瞬間、黒い刻印を打ち消すように、青白い光が呑み込んだ。
額の元からあった魔法陣が発光している。安らぎを与えるような、そんな優しい光だ。
「俺の支配力が負けたのか……まさか、ただの仮契約にだと!?」
仮契約? そういえば、ルナがあの夜そんなことを……。
まさか、ラガスで奴隷を見てから、こうなるとを予想していたのか。
「残念だったな。デルタさんよぉ!」
デルタの腹部に触れる。
この位置なら発動できる。
『虎神流』力の操作。その極致。
「奥義『虎威破弾』」
全身で生じさせたエネルギーを回転させながら捩じ込む。
ただの打突じゃない。
これを極めれば内臓破壊にすら至るとされる危険な技だ。
デルタは後方に飛ばされる。
しかし、二本の足で直立していた。
「……すまない。貴様を舐めていたことを謝ろう」
無傷とは言えないが、そいつは悠々と背筋を伸ばした。
「出来れば殺したくない。貴様の血は有益だ。こちらとしても東和民を滅ぼしたのは痛手だったのでな」
「…………お前、今なんて言った?」
「ん? 残念だったとは思う。我々も、東和の村は放置するはずだったんだ。だが、ある男が『真実』に辿り着き、あまつさえそれを世界に公表しようとした。――故に、炎龍を使って村を焼き払った」
デルタはあくまでも冷静に、滔々と語った。
まるで悪びれる様子もなく、ごく当たり前のように。
「お前は、何を言ってるんだ?」
「俺はテイマーでもあるんだ。炎龍を使役するのは流石に骨が折れたがな」
「そうじゃない! 東和の村を、炎龍に襲わせたのか!?」
「だからそうだと言っているだろ」
それでもまだ、僕には理解できなかった。
そいつがあまりにも悪びれる様子がなかったから、それが悪いことではないとすら思わされたのだ。
「お前は、いやお前らは……一体何なんだ?」
「俺たちは――『パンドラ』。世界に災厄を齎す存在だ」
ガクッと、全身から力が抜けた。
パンドラ。その組織名を、何度も脳内で復唱した。
忘れまいと、脳裏に刻み付けた。
「お前らは、生きてちゃいけないんだ。存在そのものが間違っているんだ。――害虫が、人のフリしてんじゃねぇぞ!!」
再び短剣を鞘に収め。居合抜刀術の構えをとる。
「初伝『流星斬』!」
「その技はさっきも見た――何!?」
同じように手刀で捌こうとして、デルタの手首がストンと落ちる。
魔力操作によって、剣身に魔力を纏わせたのだ。
ユシィとの特訓の最中に習得した――魔力剣だ。
「中伝『星落とし』!」
『流星斬』から続けて放つ二連撃。
それをデルタは初めて回避した。
「お前は刺し違えてもここで殺す!」
「ちっ。面倒だ。来い――角土竜」
デルタの手のひらの魔法陣が黒く輝く。
次の瞬間、地面を掘って巨大なモグラが現れた。
討伐レベル50の魔物だ。
「どけぇ!! ――炎弾!」
宙に飛び上がり、モグラに向かって炎弾を放つ。
砂埃と煙が周囲を飲み込んだ。
「何故、東和民が魔法を使えるのだ!」
「やっぱり……これもテメェらのせいかよ」
アルカディアの一族は、魔法技能に長けていた。
しかし、東和民に魔術を使えるものはいなかったし、ルナがいなければ転移魔法陣を起動させることもできなかった。
『うぬら東和民には、悪い気の流れがある。正確には、正常な魔力の流れを妨害するような魔力の流れとのじゃ。――まあ、安心せえ。妾は天才じゃからの!』
ユシィは僕にある指輪をくれた。
体内の魔力の流れを正常に戻す魔道具らしい。
どうやらパンドラとやらは、東和民が魔法を使うと不利益なことがあるらしい。
それはきっと、この腕輪の紋章にも関係しているのだろう。
「初伝『星砕き』」
「クソがァァァ!」
僕は躊躇いなく左腕を切断する。
不死魔族でもなければ、魔法陣を切り離すと魔法は使えない。
――しかし、刃は腕の半ばで止まった。
「人間相手にここまで遅れをとるとはな。やはりこのフォームでは全力は出せないか」
次の瞬間、デルタの肉体が変容した。
ボコボコと波打つように膨張する。
虎威破弾を打ち込んだ時点で嫌な予感はしていたが、こいつは人間じゃない――。
「グゥガァァァァァ!!」
呻き声にも似た叫換とともに変身が完了する。
黒光りの筋骨隆々とした体躯。
3メートルは優に超えようその巨躯。
手足は長く、漆黒の毛皮に包まれている。
それはもはや、魔物でも生物とさえ言えないのかもしれない。
『ば、化け物だぁぁ!?』
戦闘をずっと陰で眺めていた手下の男が腰を抜かす。
デルタはそいつに掴み、犬のように汚らしく貪った。
骨を噛み砕き、肉を噛みちぎる生々しい音がする。
その様子を、呆然と眺めることしかできなかった。
「……なんで、殺した?」
「この姿を見たからだ。貴様も直に殺す」
「ふざけるなよ……ッ」
「何を怒っている? 貴様だって豚や牛を殺しているではないか」
「食うために殺すのと、殺すために食うのでは意味が違う! これは倫理観の問題だ!」
「倫理? くだらん。貴様らの勝手な価値観や正義心を押し付けるな」
赤い血走った眼が僕を俯瞰する。
そうだな。化け物に倫理を説いても仕方ない。
「聞かせてくれ。何故、奴隷を生み出すんだ?」
「簡単な話だ。世界から人族が孤立する。種族間に軋轢が生まれる」
「……なるほどな。訊いた僕が馬鹿だったよ」
それだけのために、ノノやラーファ達は傷ついたのか。
そんなことのせいで、大勢の人達が苦しんでいたのか。
「良かった。お前が生きる価値のないゴミで」
これで躊躇いなく殺せる。
「ウオオォオォォ!!」
デルタが雄叫びを上げて襲いかかる。
漆黒の剛腕が、僕の頭蓋を握り潰さんとまっすぐに伸びて――直後、血吹雪とともに切り落とされた。
「遅い」
抜刀から半円を描くように斬りつける。
アリストリア流剣術――中伝『三日月』。
「グァァァ!?」
黒い巨体が一歩後退する。
だが、次の瞬間には腕が再生し、また乱暴に殴りつけてくる。
殴打。殴打。殴打。
その技量も美徳もない、子供の悪足掻きのような連続攻撃を、僕は全て『虎神流』によって受け流した。
「な、何だ! 身体が……重い!?」
連撃の最中、デルタは膝を折った。
その異様なまでの倦怠感を無視できなくなったのだ。
「【悪因悪果】――背負え。それがお前の業だ」
このスキルは相手の罪に応じて弱体化させる。
真っ向勝負では勝ち目はなかったかもしれない。
だからこそ、お前がクズで良かったと思うよ。
「クソガキがァァァ!!」
腕輪の紋章が青白く発光する。
邪念が消え、思考が研ぎ澄まされる。
純粋な力が全身から湧き上がってくるようだ。
僕は負けない。
父さんが、ルナが、ユシィが、戦う術を与えてくれたから。
母さんが、ソフィアが、ノノが、アイリが、戦う理由を与えてくれたから。
「アリストリア流剣術――奥伝『月の輪』」
「調子に乗るな! 人間ごときがァァァ!!」
デルタの身体がよりどす黒く、さらに肥大化する。
その巨躯を畝らせて放たれた拳に、美しい弧を描きながら白刃の剣が食い込む。
「他人の痛みが分からないなら、その身をもって痛感しろ!――【因果応報】!」
奇怪な光があたりを呑み込む。
大気が震える。空気が張り詰める。
次の瞬間。
白刃が黒い塊を貫通し、胴体を真っ二つに切断した。




