第十九話、『地下帝国エイビス』
『奴隷商会』編 【4/8】
乾いた土の香り。
辺りは薄暗く、黄銅色の土壁に囲まれている。
意識は失わなかったようだ。
「る、ルノアさん……ここ、どこでしょうか」
薄暗い空間を照らすように煌めく金髪。
転移に巻き込まれたアイリが不安そうに僕を見つめる。
「多分、どこかの洞窟に転移したみたい」
「私のせいでしょうか……」
「そんなことないよ。心配するな。僕がついてる」
僕に何ができるのかはさておき、アイリの不安を和らげてあげなければ。
それに恥ずかしい話、僕は洞窟に閉じ込められるのは慣れている。
それにしても……腕輪の発光と転移。
可能性があるとすれば、やはり『四大迷宮』だろうか。
だかしかし、到底信じられない。
『四大迷宮』とは長年神話と信じられるほど、人類未踏の場所であったはずだ。
それがこんな散歩途中に知らない場所に迷い込んだような、たまたま発見してしまったで来れていいはずがない。
冒険者たちの3000年は何だったんだと言う話だ。
暗闇に目が慣れてきて、辺りを見回す。
部屋だろうか、土でできた机と椅子がある。
そしてその隣の窓から、その洞窟――否、その街の全貌が見渡せた。
太陽の光から完全に断絶された土塊の世界。
巨大な四本の支柱が天井を支え、地下に街が形成されていた。
中央には巨大な縦穴があり、円状に家々が建て並んでいる。
その街の全体像が目で把握できたのは、高低差があり階段状に街が広がっているからだ。
それに辺りには淡い光がポツポツと灯っていて明るい。
松明じゃない。石だ。石が光っている。
あれが魔石というやつだろうか。
「凄い……ですね」
開いた口が塞がらないアイリ。
無理もない。地上と比較しても遜色ないほどに発展した街並みだ。
しかし、あまりにもその町は死んでいた。
色は失せ、空気は淀み、活気などまるで感じられない。
しかしどこか人の気配はあるのだ。
「……あの、何か聞こえませんか? 子供が咽び泣くような……そんな声です」
そう言われて耳を澄ますと、僕にも僅かだが聞こえてきた。
それだけじゃない。
男の怒号。獣の唸り声。高らかな笑い声。
何人もの異なる声色が聞こえてくる。
「まさかここが奴隷商会の本拠地なのか」
遠くへと転移したわけではないらしい。
でも良かった。これならルナやユシィが助けにきてくれる。
にしても……本当にここが四大迷宮の一角――『地下帝国』だとして、そんな夢の場所が悪党のアジトとして使われているのは気分が悪い。
ルナから四大迷宮のことは事前に聞いている。
『地下帝国』とは本来、魔石や鉱石の採石場で、多くの罪人が強制的に労働させられていた。
やがてそこに街ができて、魔石を求めて多くの冒険者が集い、地下街が賑わっていった。
その反面、闇市やスラムなど犯罪の温床でもあったらしい。
なんでそんな場所が『四大迷宮』の一角として名を馳せ、後世に語り継がれているのかは気になる。
僕としては探検したい欲が込み上げてくるが、ここは無闇に動くのは適切ではないだろう。
「大丈夫? アイリ、怖くない?」
「だ、大丈夫です! 子ども扱いしないでください!」
必死に『怖くない』を装うアイリを気にかけながら歩き出す。
部屋の奥にポツンと設置された机。
そしてその上に、古い本のようなものが置かれている。
まさに古文書という感じの重苦しい雰囲気だが、文字が読めるほど保存状態が良い。
これもアリストリアの魔法技術なのだろうか、微生物によって紙が食われたりなどはしていない。
「神聖歴1634年って……これ、2700年前の日記だ!」
つまり、ラグナロクより後に遺されたものだ。
そうか。この地下帝国までは崩壊の余波は届かなかったんだ。
ラグナロクで生き延びた人々は、この地下の街に逃げ込んだ。
もしかすると、ラグナロクによって完全な滅亡を迎えなかったのは、地下に逃げ込んだ人々が後に地上に上がったからかもしれない。
そう考えると浪漫がある。
その日記帳の初めのページには、こう記されていた。
『神聖歴1358年。
アリストリアに神が光臨し、人類史の終焉をお告げになった。
地上は世界地図が描き変わるほどの天災に襲われ、生き残った人類は活動領域を地下に移すことを余儀なくされた。
だが大丈夫だ。きっとアルカディア王と、十二騎士たちが神を討ち滅ぼし、我々を救いにきてくださるはずだ
私は不死魔族でそう簡単には死なない。
だからここでの生活を日記として残そうと思う』
神? それがラグナロクの正体なのか。
想像すら覚束無い神話の存在。
これを読めば、僕は真実に触れることができるのか。
「…………」
僕は生唾を飲み込み、日記に記された文字を読み始めた。
そこには、地下帝国での日々が断片的に、そして写実的に綴られていた。
『地下生活3日目。
三日三晩、地響きや爆発音が絶えず轟いている。
そして地上へと通じる転移魔法陣が機能しなくなった。
地上の転移魔法陣が破壊されたのか、王家の人たちがこちらに被害がいかないように一時的に停止させたのかもしれない。
人々は王家の教えを守り、緊急事態だからこそ手と手を取り合い互いに励ましあっている。
備蓄された水と食料を平等に配分し、少しでも長く地下で生きていけるように取り決められた。
私は魔力を体内で消費することで生き延びれるため、食料は必要ないと言った。この場所では魔力の欠損も起こらないだろう』
『地下生活10日目。
7日目までは轟音が煩わしがったが、ここ数日は静かな時間が続いている。こんなに物静かな地下街は初めて見る。
やけに静寂が落ち着かない。戦いが終結したのだろうか。
しかしまだ転移魔法陣は回復していない』
『地下生活32日目。
備蓄されていた水と食料が底をつきそうだ。水は湧き水で何とかなっているが、魔素に富んだ土壌では上手く作物が育たず、常に食糧難に陥っている。
まだ助けはこないし、転移魔法陣は回復しない』
『地下生活35日目。
恐れていたことが起こり始めた。
少ない食料を巡っての殺し合いが始まったのだ。
私はそもそも食料を持っていないが、隠し持ってるだろと何人もの人間が襲ってきた。
もう誰もが生きる気力を失っている』
『地下生活52日目。
暗闇と飢餓で気が狂ったのか、あちらこちらで断末魔のような叫び声が聞こえる。
太陽の光に当たらないと人はああなるのか。
すでに多くの者が飢えて死に、互いに手を取り合う者などいなくなった。
これを地獄と言わずして何というのだろう』
『地下生活105日目。
そこらじゅうに死体が転がっている。
腐敗臭に鼻が歪みそうだ。もう人の気配などない。
私を含め、不食で生き残れる種族だけが生き残っている。
中には死体を食って凌いでいる奴もいる』
『地下生活1053日目。
生き残っているのはついに私だけになった。
転移魔法陣は相変わらず機能していない。助けも来ない。
死ねないというのも酷なものだ。憂鬱だ』
その日から日記は綴られなくなった。
白紙のページをいくつかめくると、最後のページにこう記されていた。
『地下生活……いや、もういい。
おそらく私は200年くらいは生きたと思う。
流石に身体が動かくなってきた。
よく分からない感覚だ。
これが「死」というものなのだろうか。
ならば最後に再び、ユクシア様に会いたかった。
死を待つだけだった我々に、生きる楽しさを教えてくれたあの小さな魔王に感謝をしたかった』
浪漫の欠けらも無い、息苦しいほどの現実がそこにはあった。
300年近く生きたのは生き残った人類などではなく、たった一人の不死魔族だけだったのだ。
「何だよ……それ。そんなのってないだろ」
僕が知りたかったのは、こんな湿った真実なんかではなかった。
ここに逃げ込んだ人々は、ラグナロクからは逃れられたが、地上へ上がるともなくゆるやかな滅亡を迎えた。
僕がこの部屋に転移したのは、偶然地上と地下を結ぶ転移魔法陣を復活させてしまったからだろう。
「それ……読めるんですか? 確かそれって『古代文字』ですよね。おばあちゃんでも読めなかったのに……」
「……父さんが解読したんだよ。結局、父さんはそれを世界に公表しようとはしなかったけどね」
いや、公表したところで信じてもらえなかっただろう。
僕たちは東和民。薄汚い悪魔の末裔と蔑まれた民族だ。
「その解読書は失われたけど、僕の頭には残ってる。小さい頃、いつか役に立つって信じて覚えたからな」
「すごいですよ! 死者の伝言を読み解けるなんて!」
「凄いのは僕じゃなくて父さんだよ」
「いえいえ! 大切なのは誰から教わったかじゃないですよ! 少なからず彼の最期の言葉を受け取れるのは、ルノアさんだけだったんですから!」
一生懸命に褒めてくれるアイリが可愛くて思わず頭を撫でると、「子供扱いしないでください」と小さく呟いていた。




