62.おにいちゃん
ともぱぱとみなみままが、驚いたようにこちらを見た。
「おにいちゃん?」
二人同時に、同じ調子で言う。頭の中で言ったつもりだったが、口に出ていたのだろうか。
「なんでも・・」
ない、と言おうとして、ぱぱと目が合った。心配そうに幸を見る目が、とても懐かしい気がする。
何度もこの目に見詰められた。
何度も、この目に涙が浮かんでいた。
何度も、この目が微笑んで、幸をみつめて・・
なぜだか、涙が溢れてきた。次から次から。
「どうした?」
驚いたままが幸を抱こうとするかのように手を広げる。まだ、幸が生きてた頃、ままが人間の形をしていた頃、こうやって、幸をきゅっとしてくれた。
それが、なんだか嬉しかった。安心できた。息苦しくて嫌なときもあったけど。でも、それは、ナイショ。
実際は、うさぎのままは、幸の首辺りにしがみついているポーズだけれども。頭の毛と耳が顔に当たって、くすぐったい。
そっとぱぱを見ると、やはり心配そうに、あの目で幸を見詰めている。
ぱぱは、幸より少し高い所に顔があった。
「おにいちゃん、ここはどこ?お母さんは?」
茶色の壁に周囲を囲まれた小さな空間に、おにいちゃんとわたしはいた。
「わからない。」
おにいちゃんは言うと、立ち上がって、茶色の壁の縁に前足を掛けて、壁の向こうを見た。
おにいちゃんの背中が銀色に光っていた。本当は薄い灰色で、しっぽはかぎしっぽだった。
「幸福をひっかけるしっぽなのよ。」
お母さんは言った。わたしは、おにいちゃんが羨ましかった。銀色の体と幸運のしっぽ。わたしにはない。わたしの体は真っ白で、しっぽも曲がってない。でも、お母さんもおにいちゃんも、
「真っ白で綺麗だね。すごくふわふわ。」
と、言っていつも撫でてくれた。それなのに。
おにいちゃんは、他の壁に同じように前足を掛けて、壁の向こうを見ていた。
その背中をずっと見ていると、そのまま壁を乗り越えてわたしを置いて行ってしまうかもしれない、という恐怖に襲われた。
「おにいちゃん!」
と、呼んだとき、何かが視界を遮った。
痛い!お腹に鋭い痛みを感じた途端、空中に浮かんでいることに気が付いた。小さくなったおにいちゃんが、こっちを見て大きな声で鳴いている。
「おにいちゃん!」
前足を思い切り伸ばしたとき、急に地面が近くなった。地面に衝突したとき、今まで感じたことのない激しい痛みが体中を走った。
「ぎゃあああああああ!」
痛いよ痛いよ痛いよ!おにいちゃん!
再びお腹に鋭い痛みを感じて、また地面が遠くなる。
怖いよ怖いよ怖いよ痛いよ痛いよ!おにいちゃん!助けて!
体中に痛みが走った。すぐにまた地面が近くなった。地面に激突したとき、体のどこかが「ばきっ!」と鳴った。さっきも、そういう音が聞こえた気がする。
痛いよ・・おにいちゃん・・
もう、何も見えなかった。痛いのを通り越して、何も感じ無くなった。
おにいちゃん・・
温かいものが、顔を優しく撫でていく。
おにいちゃんが、わたしの顔を舐めていた。
「にゃあ・・」
やっと小さいけど、声が出た。
おにいちゃん。




