59.結論
「なぜ生命は生まれてくるのだろう。」
ずっと思っていた。
この地球は、たぶん、この宇宙でさえ永遠ではないのに、なぜ、生まれてくるのだろう、と。
生命は、地球をよくするために生まれてくるのか?
人間に限っていうと、それはないだろう。
地球に寄生して、ウィルスのように、宿主の体を蝕んでいくだけな存在だ。今は。
汚し、搾取し、破壊する。
他の生物に対しても、支配し、淘汰し、人間のエゴのように護り、増やし、その手を逃れたものは、滅んでいく。可愛いと、美しいと、貴重だと、人間に判断されたものだけが生きることを許される。
この地球が、何を望んでいるのかはわからないが、得することは何も無いだろう。
太陽が今の形を保っていけなくなったとき、この地球も滅びの道を辿る。そのときがきたら、地球に留まる全ての生命も失われる。今形作られる誉れ高き人間における文明も、全て無と還る。
それでは、宇宙はどうか。
昔、宇宙は永遠だと信じていた。
永遠に膨張し、空間を創り上げ、新しい星も数多できて、この地球のように、生命の育める惑星も少ないとはいえ、できるだろう。
しかし、宇宙にしても永遠の存在ではないらしい。
ならば、宇宙の外側から見ている、あるいは世話をしている存在があるとする。
その『誰かさん』は、何のためにこの宇宙や、地球を見て、世話をしているのだろうか。
延々と続く生命を、外側から見て楽しんでいるのだろうか。まるで、我々人間が、メダカや金魚を繁殖させて、増やすように。そして、突然変異で美しい模様や尾びれを持つ金魚が生まれてくるのを、期待するように?
生命は、生まれて死んでいく。死んだら、魂はそれで終わりなんだろうか。
肉体から離れてしまったら、魂は霧散して地球の、宇宙の一部に戻る。そしてまた集められて、魂となり、生命としてこの地球で生まれ、一生を過ごし、子孫を残して、死んで霧散する。宇宙の外側にいる『誰かさん』が、より素晴らしい生命を造り出そうとするのならば、それはそれでありなのかもしれない。
けれど、それではあまりにも、この地球に生まれた一個体としては、意味がなさ過ぎる。
喜んだり、苦しんだり、悩んだり、悲しんだり、嬉しいことや楽しいこと、学んだこと、できるようになったこと、そういった全てが、死んだら無になってしまうのだったら、何のために、ここで一生を過ごすのか、わからなくなる。全てが無くなってしまうものだったら、ここで過ごした一生は、一個体にとって、あまりにも無意味だ。
何故、特に人間には、思考があるのだろうと。
何故、あらゆるできごとに、あらゆる感情で反応するのだろうと。
何故、ただ生まれて、ただ死んでいく、という無意味なことを繰り返すのかと。
何故?何故?何故?
わからなかった。
どんなに考えても、答えを探し出すことはできなかった。
それでは、意味のない一個体である『私』は何をするために、生まれてきたのだろう?
昔から、「何のために生まれてきたのだろう?」と思うことはなかった。
ずっと考えてきたことは、『何をするために生まれてきたのだろう?』だった。
何かの、誰かの、役に立つため、とは思えなかった。誰かの役に立つために生きていくなら、それは『私』じゃなくたっていいはずだ。でも、『私』は生まれてきて、『ここ』にいる。
長い間、答えはみつからなかった。
日々の生活に絶望し、惰性で生きていた。もう、どうでもよかった。死んだら全て終わりでも、早く霧散してしまいたかった。それでも、死は訪れはしなかった。
ある日、変性性脊髄症で寝たきりになってしまった幸の体を撫でていた。トイレを済ませ、水を飲ませて、再び布団の上に寝かせたところだった。11月になったせいか、部屋の中は冷え込んできていた。だいぶ寒くなってきたねと、毛布を幸の肩まで引き上げると、幸は少し目を開けた。
「こっち向きで大丈夫かな。」
そう話しかけると、幸は少しこっちを見詰めた後、掠れた声で
「わふ。」
と鳴いた。
「わかった。」
と頷いて、掛けたばかりの毛布を剥がして、幸の向きをかえた。
筋肉の無くなった体を撫でながら、
「これでいいかな。」
と、言うと、幸は目を閉じた。
何のために、この子は生まれてきたのだろう。
幸の毛布を元に戻しながら考える。
もっと楽しい事をいっぱいしたかっただろうに。走り回って、美味しい物沢山食べて、目一杯遊んで。
なのに、病気になって、走れなくなって、あんなに好きだった散歩にもいけなくなって、1年半も寝たきりになってしまった。
変性性脊髄症は、主にシェパードやコーギーの遺伝病で、脊髄が変性し、最初に後ろ足が麻痺し、続いて前足が麻痺して、最後に呼吸ができなくなって死に至る病だ。遺伝病なので、現段階での治療法はない。
「もう、治らないなら、この体から離れて、次に行った方がいいんじゃないかな。」
毛布の上から幸を撫でながら、私は呟いた。
一瞬、自分の言葉に時が止まったような気がした。
次に、いく?
「次にいく。」
声に出してみた。
「次にいく。」
何度も繰り返してみる。
次にいく 次にいく 次にいく 次にいく!
そうか、そうなんだ。
急に閃いた考えが、頭の中で膨らんだ。
そうだよ、きっとそうなんだ。それが正解なんだ。
この世界は、私がいるべき本当の場所じゃなくて、何かを学ぶために来ているだけなんだ。学ぶ、というか修行するために『ここ』に来たんだ。
この世界で体がなくなった、死んだ、としても、それで終わりじゃないんだ。私の本体、魂は、本来いるべき場所に還るんだ。ずっとずっと昔から『私』は存在していて、何かを得るために、ここに生まれてきた。
全てが腑に落ちた瞬間だった。
なんだよ、もっと早く気が付けば良かった。
だったら、できる限り沢山学んでいこう。
せっかく『ここ』に生まれてきたんだから。
数年後に、本当に『次にいく』ことになるとは、思いもしなかった。




