50.かぎしっぽ
まぶしい。
目を開けると、太陽は上の方にあった。
あの高さからすると、9時くらいだろうか。
病院を出たのは夜だった。
あれから、どのくらい経ったのだろう。
まさか、何日も、いや、何ヶ月も経ったわけじゃないだろうな。
俺は慌てて身を起こした。
目の前に、見慣れた家があった。
ここは、俺の家のお隣りさんだ。
隣りと言っても、庭がかなり広いので、
俺の家からは少し離れた所に建っている。
白い洒落た造りの家だった。
その向こうを覗き込むように首を伸ばすと、懐かしの我が家が見えた。
でも。
あの家に、みなみはいない。
幸も。
俺は、自分の家を眺めた。
壁がだいぶ汚れたな。
でも、家の周りはずいぶん綺麗だ。
母さんが、まめに手入れをしてくれているのだろう。
俺は長い間そこにいて、もう二度と見ることのない、
そして住むことのない家を眺めていた。
楽しかった。
みなみがいて、幸がいて。
俺の人生で一番幸せだった。
・・・もう少しでいいから、続けていたかった。
思い出が後から後から浮かんでは消えていく。
急に泣きたくなった。
大声を出して子供のように泣きたくなった。
「にゃーっ!」
えっ?
今、「にゃー」って言った?
あれ、俺の声?
おそるおそるもう一度声を出してみる。
「にゃあ。」
なんだって?
なんだ?「にゃあ」って。
いやいや、ちょっと待て。
心の中では人間の言葉で考えてはいるが、
時々表に漏れる声は、「にゃあにゃあ」だった。
視線を下に落とすと、モフモフの薄いグレーの毛が見えた。
俺の手も体もモフモフ・・
ネコ、なのか?
首を回して、背中を見る。
この時点で、生きてるときとは違うということがわかる。
俺は体が硬くて、こんなに首がまわることはないからだ。
やはりモフモフの薄いグレー地に少し濃いグレーのシマシマが見えた。
「ままね、『うさぎ』になっちゃったんだよ。」
幸の声が言った。
「階段登るときまでは人間だったのに、
うさぎの方が楽に登れるんじゃないかって思ったら、
うさぎになっちゃったんだって。
茶色いちっちゃいうさぎ。
幸の頭撫でようとしても、届かないんだよ。
だから、いつも誤魔化して体ぽんぽんする。」
頭の中で、不満げな声が言っていた。
俺は、猫になりたいなんて思ってない。
ここにどうやってたどり着いたかもわからない。
いつの間にか、ここにいて、いつの間にか猫だった。
そのとき、ふと頭に浮かんだ言葉があった。
-ボクが、もっと強かったら-
これは、あの夢のせいなのか。
あの夢の中で、俺はどんな模様だった?
記憶を探ってみる。
妹は、白かった。
真っ白だったか、薄いグレーだったのかは思い出せない。
猫は、兄妹でもかなり模様が違うことがあって。
俺は、どうだったんだろう?
こんな色じゃなかったか?
ふと自分の尾が目に入った。
先が「く」の字に曲がっている。
「おにいちゃんのしっぽ、何で曲がってるの?」
夢の中の妹の声が聞こえる。
「幸せを引っかけてくれるしっぽなのよ。」
優しい声がそれに応える。
「そうなんだぁ!いいなぁ。」
あれは、夢じゃないのか?
俺は自分の尾の先を、じっと見詰めた。
俺は、あの後、強くなれたのだろうか。
そして、誰かを、一人でも、一匹でも、守れたんだろうか。
その後の事は思い出せなかった。
風がこれから登る山の竹の間を通り過ぎて行った。
ざわざわと音をたてて、過ぎていった。
「ともちゃん。」
「ぱぱ。」
その風に乗って、みなみと幸の呼ぶ声が聞こえた気がした。
「行かなくちゃ。」
この上で、二人が待ってる。
いや、二匹、か。
俺は階段に向き直った。
土と木でできた階段は、一段がとても高く思えた。
一歩前に出たときに、ふと思った。
ここで、他のものになりたいと望めば、もしかしたらなれるかもしれない。
人間は無理でも、ネコ科のもっと強い動物に。
例えば、トラとか、チーターとか。
俺は念じた。
トラ、チーター、ライオン、ヒョウ・・
・・・変わらなかった。
「前世になったことのあるものじゃないとだめらしいよ。」
幸の声が言う。
「俺は、猫にしかなったことがなかったのか・・・」
がっくりと、ない肩が落ちた。
だがすぐに、思い直す。
「いや!これでいい!これが俺らしくていいじゃないか!」
ざざっと風が通り過ぎていった。
「いいから、早く登れ!」
と言ってるようだった。
「わかったよ。今行く!」
俺は、階段を一気に駆け上がった。




