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幸湖日記  作者: 炎華
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49.うさぎ

「なぜ、あんなことをなさったのですか。

もうすぐ人として生を受けるというときに。」

そのひとは、美しい眉を少し顰めて私を見た。

真っ直ぐな視線を、そのまま見返すことは私にはできなかった。

目をそらし下を向く。

まるで叱られている子供のように。

私は、もうすぐ生まれるというときに、自分の体をあの子に譲ってしまったのだった。

「お腹の中で、自分で命を絶つなんて。

もしも上手くいかなかったら、母胎も入れ替わったあの方も、

そして貴女も、どうなっていたか。」

そう、私はお母さんになろうとしている人の体内で、自分で命を絶った。

私の体がこときれて自由になった瞬間に、手を伸ばしてあの子を掴んだ。

そして、その反動を利用して自分を、自分の魂を外に押し出したのだ。

掴まれたあの子の魂は、そのまま私だった体に納まった。

そのあと私は、助けを呼びに行ったあの子の『お兄ちゃん』を

助けてくれるだろう人の元へ導いて、全てが思い通りに運んだのを見届けてから、

ここへ還ってきた。


さわさわと頭の上で、大樹の葉が鳴る音が聞こえる。

その美しいひとは、私をずっと見ている。

顔をあげなくても、わかる。

きっと、眉を少し顰めたまま、悲しそうな顔をしているに違いない。

「あの子が、鳴く声が聞こえたからです。」

下を向いたまま、答えた。

「鳴く声?」

「はい。

『おにいちゃん、わたしは大丈夫だよ。

だから、もう鳴かないで。

もう、自分を責めないで。』

って。だから。」

「だから、体を譲った、と?」

俯いたまま、私は小さく頷いた。

「あの子のお兄ちゃんの声も聞こえました。

『今度は、ちゃんとボクが守るから』、と。

でも、守る相手は私じゃないと思いました。

だから、あの子に体を譲りました。」

そのひとは、何も言わなかった。

ただ、葉の鳴る音だけが聞こえていた。

ふいに顔をあげると、美しい顔がやはり悲しそうに歪んでいた。

何度もこの顔を見た。

また、この美しいひとに、こんな顔をさせている。

何故か私を気に掛けてくださるこの方に、何度もこんな顔をさせてしまう。

本当は、もう一つ理由があった。

「ナル様。

私は、『生まれること』が怖いのです。」

私は思いきって言った。

本当は、こっちの理由の方が大きいのかもしれない。

「私は前回、『うさぎ』に生まれました。

でも、人生を全うできませんでした。

なぜなら、まだ子供の時に喰われたからです。」

淡々と、そんな言葉を発していられたのは、ここまでだった。

自分で言った「喰われた」の言葉に反応して、

最期のときのことが、脳裏に蘇る。

「狩られて、追い掛けられる恐怖、

捕まったときの、喰われるときの恐怖と、想像を絶する痛み。」

呼吸がだんだん荒くなる。

「皆、見てるのに、助けてくれない。

誰も助けてくれない!怖い!怖い!!助けて!助けて!!

痛い!痛い!!」

そんな昔じゃない。

まだ、そんなに経っていない。

だって、つい最近のことで。

「ああっ!」

私は頭を抱える。

「怖い!怖い!!痛い!痛い!!!痛いよぉっ!!」

あのときの恐怖と痛みがありありと蘇り、それに取り込まれそうになる。

助けてと両手を差し伸べたとき、ふわりと柔らかいものが頬に当たった。

それはその美しいひとの長くて白い髪だった。

私は、いつの間にか抱きしめられていた。

「もう大丈夫です!もうそれは終わりました。」

穏やかだが、力強い声でそのひとは私に言った。

抱きしめる腕に力をこめながら、何度も何度も。

ふいに、体中の力が抜けた。

そのひとの胸に頬を当てると、微かに花の香りがした。


「申し訳ありません。

取り乱しました。

もう大丈夫です。

ありがとうございます。」

私は、ゆっくりそのひとから離れた。

「あらゆることを経験する。

だから、喰う方にも喰われる方にもなる。

殺す方にも殺される方にもなる。

憎むことも愛することも、経験する。

それはよくわかっております。

必ず、経験しなければいけないということは。

でも、今は、とても怖いのです。

生まれることが。また、『生きる』ということが。」

そのひとは、私の言うことに一つ一つ頷いている。

静かだった。

誰の声も、何の音も聞こえなかった。

ただ、真横にたっている大樹の葉の鳴る音以外は。

鳥のさえずる声さえしなかった。

「貴女はルール違反を犯しました。」

徐に美しいひとが口を開く。

「これは、私にもどうすることもできません。」

「はい。」

私は頷く。

そのひとも、目を閉じながら黙って頷き返す。

「貴女は、貴女と入れ替わったあの方と、再び会う約束を交わしました。

それは、この樹の25年後です。」

軽く大樹に手を触れながら、そのひとは言う。

「25年後・・」

私は小さく呟いた。

「そうです。25年後です。

ただ、それは、普通に時間が進んだら、のことです。」

私は、そのひとを見る。

悲しそうな表情は、ずっと消えない。

「今から、この樹の1年は、貴女の10年となります。

どういうことか、わかりますか。」

「はい。」

そのひとは頷いた。

「あの方達には、250年会えないということです。

それが、ルール違反を犯した貴女への罰です。」

一瞬、さっきより大きな音をたてて、大樹の葉が鳴った。

いや、そんな気がしただけかもしれない。

大樹は、風に吹かれて、いつもと同じ音をたてている。

あの音は、私の心の鳴る音だったのだ。

たぶん、そう、だったのだ。






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