46.さくら さくら
辺り一面、炎に包まれていた。
私の大切だった宝物の風景が、真っ赤な炎に浸食されていた。
真っ暗な夜中のはずなのに、下界は町全体が夕方の赤い光に包まれたようだった。
「見たくないんだったら、行かなくてもいいよ。」
私は頭を振った。
行くよ。
独り遺ったあの人と私が育てたあの子達を迎えに行く。
あの人の手をとって、ここまで昇ってきた。
後ろを振り返ると、赤い火の粉も一緒に昇ってきていた。
昇るのを止めて、町を見下ろす。
木も、家も、燃えていた。
何一つ、燃えていない物はなかった。
桜の咲くときだった。
私の染井吉野が、花びらとなって私達の周りを取り巻いていた。
下界の炎の中で炎以外の何かが、ちらちらと動いているのに気が付いた。
それは、桜の花びらだった。
まるで炎と踊るように、ひらひらと、ふわふわと舞っていた。
「さくら さくら・・・」
口をついて、歌がでた。
「やよいのそらは みわたすかぎり」
「かすみか くもか」
一緒に来たそのひとが、声をあわせて歌う。
「あさひに におう」
一緒に来たその子も歌い始めた。
「さくら さくら はなざかり」
違う声が重なった。
そのとき初めて、沢山の人が周りにいることに気が付いた。
人だけじゃなかった。
犬も猫も鳥も、緑の中に潜んでいた色々な生き物たちも。
皆、燃える下界を見ていた。
こんなに沢山いるのに、今までとても静かだった。
誰一人、声を出す者はいなかった。
だが、『さくら さくら』を歌うと、堰を切ったように沢山の声が重なった。
「さくら さくら のやまもさとも みわたすかぎり
かすみか くもか あさひに におう
さくら さくら はなざかり」
声を揃えて歌った。
泣きながら、ぼーぜんとしながら、目はじっと町をみつめたまま歌った。
彼のひとが、言った。
「『収束』、します。」
だから、私は知っていた。
こうなることを。
知っていたから、来たかった。
知っていたから、見ておきたかった。
たとえ、来たことを、見たことを後悔したとしても。
舞い上がった火の粉と花びらを目で追いながら、
この使命を受けて実行した人に思いを馳せた。
さぞ辛かっただろう。
そのときは思わなくても、後で苦しむに違いない。
「さくら さくら」
人々の悲鳴のように、いつまでも歌声は続いていた。
さくら さくら
やよいのそらは みわたすかぎり
かすみか くもか
あさひに におう
さくら さくら はなざかり
「まま。」
呼ばれて振り向くと、幸が眉を寄せて私を見ていた。
「どうした?」
と訊くと、自分の記憶を検証しながら、答える。
「前から思ってたんだけど。
ままがいつも歌うその歌、一番と二番が混ざってるよ。」
その指摘に、私は正直かなり驚いた。
「えっ、そうだっけ?」
頭の中で、繰り返し歌う。
どこが違っているんだろう?
しばらくの間、幸は、悩んでいる私の様子を見ていたが、
やがてしびれをきらして
「いい?」
と言った。
そして私の返事を聞かずに、前を向いて、背筋を伸ばして、朗々と歌い始めた。
さくら さくら
のやまも さとも
みわたすかぎり
それを聴いて、私は再びとても驚いた。
そう言えば、そうだったような。
小学校で習ったときは、正しく覚えていたはずだ。
いつ、どこで、どの辺で混ざったんだろう。
もうずっと前から私の中では、「やよいのそらは」だった。
ずっと前の始まりはいつだろう?
記憶を遡る。
いつだろう?
いつ・・
ふと、歌声が聞こえてきた。
沢山の人が歌っている。
さくら さくら
やよいのそらは みわたすかぎり
かすみか くもか
においぞ いずる
いざや いざや
みにゆかん
真っ赤な炎が見えた気がした。
真っ暗な空に赤い炎が舞い上がっていった。
皆、泣きながら歌っている。
声が震えて歌えなくなっても、またしばらくすると、涙を拭って大合唱に加わる。
短い歌なのに、何度も何度も繰り返し繰り返し・・・
「さくら さくら・・・」
目を閉じて、深く息をする。
「あの中に、幸もいた?」
「えっ?何?」
聞こえなかったのか、もう一度言ってと幸は振り返る。
私は首を横に振った。
「ううん、なんでもない。」
もうすぐ、全てがわかる。
それまで、何も思い出さなかったことにしておこう。




