44.枝垂れ桜
「見事に咲いてますね。」
ここの区画で、もしかしたら、ここ全体の中で、
一番大きくて、美しい花を目一杯咲かせた樹を眺めていたときだった。
右側の上の方から、その声は聞こえてきた。
驚いて見上げると、光を反射して白い、いや、銀色の髪が始めに目に入ってきた。
あまりにも眩しかったので、思わず目を細める。
銀色の長い髪をしたそのひとは、こちらを見て微笑んだ。
その笑顔があまりにも美しくて暖かかったので、目は細まったまま、
口はぽっかり開いていった。
「とても綺麗でしょう?」
私はそのひとを見上げたまま無意識に頷いた。
すごく綺麗。綺麗なひと。
そのひとは、私が頷いたのを見て、いっそう嬉しそうに微笑んだ。
「これは、私の師匠が創り、育てた樹なんです。」
そのとき気が付いた。
「あっ、樹!
はいっ!とっても綺麗です!」
慌てて答える。
そのひとは、うんと頷くと、私から樹に視線を移したので、
私も同じように樹に視線を移した。
その樹は、大きく育った枝垂れ桜だった。
薄いピンクの花が形良く垂れ下がった枝に、
これまた美しく見える位置にぴったりあわせて咲いていた。
樹木は、沢山の細い幹がうねるように絡まって、
太い幹を形作っていた。
この世界の樹木の幹は皆、そういう形をしていた。
「・・綺麗です。本当に綺麗です。」
こんな見事な枝垂れ桜を、昔見たことがある。
ずっとずっと昔。
ずっとずーっと昔。
「・・三春の、滝桜・・」
千年以上、かの地に留まって、
見事な花を毎年咲かせるあの樹。
千年以上同じ所に留まって、何を見て、何を考えてきたのだろう。
「ああ。うん。」
と、そのひとは頷いて、そっと目を閉じた。
「あの子は、そう、うん。
綺麗です。とても。この樹に負けないくらい。」
「はい。」
そう答えて、私も目を閉じた。
目の前の桜の枝が、さわさわと風に揺られて、静かに音をたてた。
私の記憶の中で、昔に見た滝桜が鮮やかに蘇った。
花曇りの中に浮かび上がる、巨大な美しい姿。
柔らかな風に吹かれて、さわさわと音をたてる。
一目、見たかった。
最初にこの地に来たときは、花は咲いてなかった。
青々とした葉っぱに覆われていた。
それも美しかった。
けれど、やっぱり、花の咲いたところが見たかった。
写真じゃなくて、この目で。
「どうか、しましたか。」
その声に、心配を聞き取って、私は目を開けた。
美しい顔が、私を覗き込んでいた。
あまりの近さに、私はうろたえて、声も出なかった。
そのひとは、手をそっと挙げると、そのまま私の顔を拭った。
涙が流れていた。
慌てて手の甲で、涙を拭う。
恥ずかしい。人前で。それも、こんな綺麗なひとの前で。
だが、次から次から涙が溢れてきて、私の顔はくしゃくしゃになった。
「思い出して、三春の、滝桜。」
途切れ途切れに言う。
まるで弁解するように。
きっと、あきれてる。
変な奴だと、思われてる。
恥ずかしくて、見られたくなくて、顔をあげることができなかった。
もう、手の甲で拭うのも諦めた。
そのひとから見えないように、顔を背けた。
ふわっと風が動いて、甘い香りがしたかと思ったら、
私はそのひとに抱きしめられていた。
「いいんですよ、泣いても。沢山泣きなさい。
思い出すということは、あなたがちゃんと成長しているということですから。」
優しい声で、美しいひとは言った。
私は、目の前にあったその人の腕をぎゅっと抱きしめた。
空いている方の手でそのひとは、私の頭をゆっくり撫でてくれた。
「私は『null』と言います。」
「『null』。れい・・?」
そのひとは、少し笑うと、
「それは私の師匠の名前です。
私の名前は、師匠にいただきました。」
「ヌル・・ナル・・」
その言葉の響が私に教えてくれた。
私はそのひとの腕を抱いたまま、思わずその顔を見上げた。
そのひとは、少し悲しそうに微笑んだ。
桜の枝が、風に揺れて、さわさわと音をたてていた。




