39.友達
病室の大きな窓の外は、とても明るかった。
青い空に緑の山並みがとても映えて見えた。
5月の空だ。
今年は、桜を見に連れて行けなかった。
あのひとは、桜の花がとても好きだった。
雨の中でも、自分が濡れるのもかまわずに
桜の写真を撮っていた。
傘を差し掛けると、
「ありがとう。」
と言うが、心は桜に夢中だった。
そのままデジカメを仕舞おうとするので、
「ちゃんとレンズや周りを拭かなきゃだめだよ。」
と言うと、あっと気が付いたように、慌ててハンカチでレンズを拭く。
「貸してごらん。」
と言って、デジカメを受け取る。
渡してしまった本人は、デジカメの面倒をすっかり俺に任せて、
うっとりと桜並木を眺めていた。
「お友達に知らせなくちゃいけないから。」
母の声で、ここは病室だと気が付いた。
「いいよ。」
「え?」
母は戸惑ったようだった。
「友達なんていないから。」
そう、友達なんていない。
お母さん、俺が子供の頃、クラス全員に無視されてたの知らないのか。
小学校、中学校、ずっとだぞ。
俺は、他の家の子が羨ましいと思ったことはない。
あんな奴らの、何を羨むというんだ?
だから、ゲームがないから、みんな持ってるから、
買ってくれなんて言わなかった。
他の子の親なら、買ってくれるなんて、思いたくもなかった。
あんな奴ら。
あんな人間を育てた親だって、くそだ。
教師に助けを求めることもしなかった。
助けを求めたって、どうにもならないからだ。
だから、俺は『一人』がよかった。
一人でいいと思っていた。
だけど、
あのひとにも見捨てられるだろうと思っていたのに、
100パーセント諦めていたのに、
あのひとは、あのひとだけは俺を信じて一緒に戦ってくれたんだ。
俺は救われた。
それから、ずっとあのひとのために生きようと誓った。
あのひとのためだけに。
だから、あのひとがこの世にいなくなった今、
俺がここにいる意味はない。
だけど、昨日あのひとが来たとき、
「お義母さんだけが、私の味方だった。」
と言った。
だから、あのひとの唯一の味方だった母の気が済むまで、
ここにいようと思った。
『一人でも大丈夫』なはずの俺が、
みんな死んで、『一人』になることを想像して、
悲しむようになるとは思わなかったなぁ。
「みなみちゃんの職場とお友達には、
みなみちゃんが亡くなった事、知らせたの。」
母の声に、俺ははっとなった。
「お通夜とお葬式に来てくれて、みんな泣いてたよ。」
母は、ハンカチで目を拭った。
「なんで。」
「え?」
「なんで、わかった?職場はともかく、友達まで。」
スマホか?スマホ、壊れてなかったのか?
持ち主は、壊れたのに?
母は俺の剣幕に、うろたえたように応えた。
「みなみちゃんのスマホ、テーブルに置きっぱなしだったよ。
だから、悪いと思ったけど、アドレスのあった人に送ったの。」
俺は、母の方に乗りだしていた身を、またベッドに落ち着けた。
すとんと座ったとき、強ばった気持ちもすとんと落ちていった。
みなみ・・・
死ぬその日まで、貴女は貴女だったよ。
笑いが込み上げてきて、俺は声をたてて笑った。
母は戸惑っていた。
「ごめん。
俺のも職場に知らせて。
友達は、みなみの友達と同じだから、特に連絡しなくていい。」
母は、じっと俺の方を見ていたが、
おもむろにリュックからメモのような物を取り出した。
「お友達ね、みんなここに来たんだよ。
まだ集中治療室だったから、中には入らないで、外から見てた。
そのときにね、ともくんが気が付いたら、連絡してくださいって、
皆、書いて、置いていってくれたんだよ。」
母は、手に持っていたメモ帳を広げた。
それには、名前とその横にスマホの電話番号が並んでいた。
「アドレスだけじゃ、すぐには連絡できないだろうからって、
電話番号、を。」
母は再びハンカチを顔に当てて、そのまま動かなくなってしまった。
そこにあった名前を一つ一つ読みながら、不覚にも目頭が熱くなってきた。
「・・・ありがとう。」
声にならない声で、俺は言った。
その名前、一つ一つに、ありがとうと呟いた。




