33.君も、来てくれてたんだね
「なぁに、あきひろ。
みなみさんをご存じだったの?
だから、私に声をかけさせたのね。」
幸子さんが、ちょっと不服そうに言う。
あきひろさんは、困ったように少し笑った。
「でも、いいわ。
それで、みなみさんとお友達になれたし。
ね?」
と、幸子さんは私を見て微笑んだ。
戸惑いつつも、
「はい。」
と、返事をする。
もう、死んでるんだけど。
心の中で呟く。
そっとあきひろさんを見ると、同じ位置に、
最初に見かけたときと同じように、正座をしていた。
その目は、幸子さんと私を通り越して、外を見ていた。
幸子さんは、姿勢を直し、空を見上げた。
「本当に気持ちいいお天気ね。」
と言って、お茶を飲もうと湯飲みを少し持ち上げた。
湯飲みの軽さに、
「あら、そうだった、空っぽだった。」
と、お盆の上に戻そうとした。
しかし、お盆に着く前に、湯飲みは落ちて転がった。
幸子さんは、そのままスローモーションのように倒れていった。
「幸子さんっ!」
驚いて彼女の体を支えようとしたが、
私の手は彼女の体をすり抜けて、掴むことができなかった。
ぱさっと軽い音がして、幸子さんは床に倒れ込んだ。
「幸子さんっ!しっかりして!」
幸子さんの体に手を置こうとしても、触ることができない。
「幸子さん!幸子さんってば!」
涙が溢れてきた。
「幸子さんっ!」
声の限り、名前を叫んだとき、
「はぁい。」
ゆっくり幸子さんの手が挙がって、私の手を握った。
感じないはずの温かみを、その小さな手には感じる事ができた。
私の力を借りて、魂になったばかりの幸子さんは、ゆっくり身を起こす。
「私、死んだのね。」
床に倒れ込んでいる自分の亡骸を見て、幸子さんはのんびり言った。
そして、自分の体を見つめたあと、そっとその頬に手を触れる。
「こんなに年をとって。長い間、お疲れ様でした。」
と、言った。
「どうもありがとう。」
と。
私は、事故に遭った自分の体に、最後に会いに言ったときのことを思い出していた。
長い間、ありがとうと思った。
地球に還るんだね、と思った。
生きてる他人の体には触れなくても、自分の亡骸には触れるんだと、
余計なことを考えた。
ほぉうっとため息をつくと、
「とっても体が軽くなったわよ。
ほら、腕もさっさと挙がる。」
幸子さんは両腕を真っ直ぐ上に伸ばしながら、おどけるように言った。
それから、泣き笑いの私の頬に両手を当て、
「なんて顔をしてるの!」
と言った。
そのまま私の顔を拭いながら、
「あなたと同じになっただけよ。」
と、笑った。
幸子さんにされるがまま、うん、と頷いて、
私はようやく笑うことができた。
「母さん。」
声の主を振り向くと、あきひろさんは、庭を指さしていた。
幸子さんと私は同時に、あきひろさんの指さす方を見る。
そこには、軍服を着た男の人が立っていた。
後ろには、その姿にそぐわない現代の車がエンジン音を響かせ走っている。
そこだけ時の流れが違っているようだった。
カラーだけど、なぜか白黒の背景が見える気がした。
その人を一目見た途端、幸子さんは口元に手をあてた。
驚いて見張ったその目に、涙がみるみるたまっていった。
たまった涙が溢れて頬を伝ったとき、
幸子さんは立ち上がると、その人を真っ直ぐに見たまま、歩いて行った。
そして、その人の前に立つと、ゆっくり両手を伸ばした。
その手を、男の人が両手で握る。
「来てくれたんですね。」
その人は、幸子さんの手を強く握りしめて、ゆっくり頷くと、
「長い間、よく頑張ったね。」
と、言った。
「はい。すっかりおばあちゃんになってしまいました。」
そう言って、幸子さんは俯いた。
「おばあちゃんになっても、幸子は綺麗だよ。」
そう言って、その人は幸子さんを抱きしめた。
「もう、一人にしないでください。」
幸子さんは、そう言ってその人の胸で泣きじゃくった。
素敵だなぁ。
と、心から思った。
私は、二人のその姿を、ずっと眺めていた。
幸子さんが泣き終わるのを待って、あきひろさんが言った。
「さあ、逝こうか。」
幸子さんの手を取って、ふわりと三人が空に舞う。
私は、光の中の三人を、目を細めて見送っていた。
「ちょっと待って。」
そう言うと、幸子さんは振り向いて、
「向こうで待ってるからね。
そうしたら、今度はご主人も一緒にお茶しましょ。」
と、言って手を振った。
「あ、幸湖ちゃんも一緒にね。」
と、付け加える。
返事をする代わりに、私も手を振った。
大きく両手を振った。
幸子さんのご主人が、私に会釈をした。
あきひろさんは、大きく手を振っていた。
「大丈夫だよ。」
その口が、そう動くのが見えた。
うん、と頷いた。
そして、私はまた大きく両手を振った。
「あきひろ。
あなた、本当は私を迎えにきたんじゃないんでしょう。」
幸子さんは、少し不服そうに息子に言った。
「いや、まあ。」
あきひろさんは、前を向いたまま困った顔をしている。
「やっぱりね。」
幸子さんは、うんうんと頷く。
幸子さんのそんな様子を見ながら、あきひろさんが言う。
「たぶん、僕が来ても、何の助けにもならなかったと思う。
それに。」
「それに?」
純粋に訊いてくる母親に、少し困った後、
躊躇いながら、あきひろさんは答えた。
「あの人は、あの人達の旅は、まだ先が長いから。」
幸子さんは、その言葉の意味をすぐに理解した。
そして、悲しそうな顔をした。
「お茶会は、まだまだ先になるわね。」
そして、心の中で、今さっき友達になったばかりの人に言った。
「ずっと待ってるからね。必ずお茶しましょうね。」
幸が病院の近くまで空を駆けてきたとき、
真っ直ぐ上へ昇ってくる三人の人に会った。
男の人が二人と女の人が一人。
一人は、うん、あの服は知ってる。軍服を着て、
一人は、ぱぱと同じような今風のズボンとシャツ。
女の人は、濃い青の着物を着ていた。
その行く先を邪魔しないように、
少し離れた所に止まって三人が行きすぎるのを待った。
三人が幸の前を通り過ぎるとき、
一番右側の男の人と目が合った。
その人は、驚いたように大きく目を見開くと、
幸を見たまま前を通り過ぎたが、急に止まって向きを変え、
こちらへ向かって来た。
見覚えのない人だった。
幸は、すぐに逃げ出せるよう身構えた。
その人は、幸の前に来ると、その顔の高さに自分の顔を合わせた。
そして、目を細め、嬉しそうに幸を見つめた。
この人。
知らない人だと思ったけど。
なんだか、懐かしい。
「君も、来てくれてたんだね。
僕にはわかるよ。
君は本物だ。
誰かのために創られたものじゃない。」
その人は、そっと手を伸ばして、幸に触れる。
全然嫌じゃない。
少し首を竦めて、その手を受け止めたが、
なぜか嫌な感じはしなかった。
その人は、幸の顔をそっと挟むようにして、優しく撫でる。
「心配してくれたんだね。
あの人のそばにいてくれたんだ。」
あの人、って誰?
ともぱぱ?それともみなみまま?
首を傾げた幸を見て、
「そうか、君はまだ記憶が戻ってないんだ。
まだ、還ってないんだね。」
少し寂しそうにその人は笑った。
それから、悲しそうな顔になって、幸に言った。
「まだ、先は長いよ。
だけど、ちゃんと還っておいで。
みんなで。三人で。」
そういうと、その人は待たせていた二人と空へ昇って行った。
幸は、その人達を見送った。
その姿が見えなくなるまで。
ふと、地上を見下ろすと、
歩道を歩くみなみままの背中が見えた。
その後ろ姿は、なんとなく嬉しそうだった。
それを見送りながら、『あの人』っていうのは、
やっぱりみなみままのことなんだと思った。
先が長いって、どういうこと?
ともぱぱは、まだ病院からでられないってことなのかな。
それとも、他に何かあるのかな。
ままは、早足で歩いて行く。
このままだと、ままより先に病院に着いちゃうなぁ。
幸は、ままの歩く早さに合わせて進むことにした。
今、別れたばかりの人は、誰だったんだろうと考えながら。




