27.ばぁばの家へ行く その2
ばぁばの家は、ままの両親が、-おじいちゃん達が生前に住んでた家だ。
お外が暑くなると、ままがお仕事に行くとき、
週末の一日だけ、そこに預けられていた。
落雷でブレーカーが落ちるときがちょくちょくあったので、
ままが心配して、おじいちゃんのところに幸を預けたんだ。
停電すると、エアコンが消えて、幸が死んじゃうって、大騒ぎをして。
だから、ばぁばの家の道順は、わかっていた。
アスファルトで綺麗に舗装された道を歩きながら思う。
生前のおじいちゃんは、幸にも「〇〇しなさいっ!」ってよく言ってたっけ。
機嫌が悪いと、尚更強い口調で。
おばあちゃんには、怒るような口調で、何か言ってた。
おばあちゃんも、怒った口調で言い返すこともあった。
忘れてた。
-ままのそばにいたお父さんは、ままのお父さんの記憶を持った別人。
うん。
ままの言う通りだと思う。
今ならわかる。
最初に感じた違和感は、そういうことだったんだ。
あの家の角を左に曲がると、真っ直ぐだ。
車がやっと二台すれ違える位の幅の道。
と、前から青い車がやってくののが見えた。
慌てて脇に避ける。
避けてから、
「あ。」
声が出た。
避けなくても平気なのに。
ままにしろ、幸にしろ、
生きている頃の習慣で、つい道の端に寄ってしまう。
へんなの。
なんだか笑っちゃう。
車をやり過ごしてから、また歩き出す。
少し行くと、右側の、少し凹んだ所が、今、じぃじとばぁばが住んでる家だった。
道路に面して車が二台停められる駐車場があるが、
今は一台分が、ばぁばの育てる植木鉢とプランターで埋め尽くされていた。
春は、ままが死ぬ寸前は、チューリップや桜草やベゴニアや、
色々な花が沢山咲いていた。
ばぁばが、ままを連れてきて、見せていたのを、傍で見ていた。
今は、オレンジ色の薔薇が、人間が観賞するにはちょうどいい高さで咲いていた。
立ち止まって、下から見上げる。
あの位置は、幸には高いかなぁ。
でも、匂いはいいね。
・・これは、菖蒲?
薔薇より少し奥に入ったところに、
紫と黄色の混ざった菖蒲が、大きな花を咲かせていた。
あとで、それは、ままが育てていたものだと知る。
ままがいなくなってしまったので、ばぁばがここへ連れてきたそうだ。
ばぁばの花畑の脇を通り過ぎて、少し奥に行くと大きな出窓があった。
そのすぐそばに、おじいちゃんとおばあちゃんが、
いつも座っていた革張りのソファーがあった。
窓には白いレースのカーテンがかけてあった。
それも、あの頃のままだった。
少し開いた隙間から覗くと、
ソファーに、ぼんやり座っているじぃじの姿が見えた。
そこはリビングで、幸が預けられていた頃と、だいぶ変わっていた。
窓際のソファーやその前に置かれたテーブル、
その更に向こうに置かれたテレビがあるのはかわっていなかったが、
奥のキッチンまでの間が、かなりすっきりしていた。
おじいちゃん達が住んでいたときは、
テレビから奥に繋がる壁際には、
おばあちゃんが育てていた花の植木鉢がのったテーブルや、
何が入っているのかわからない段ボールの箱が、
ごちゃごちゃと置かれていたが、
今は何一つなかった。
じぃじとばぁばは、あまり物を置いておくのが好きではないみたいだ。
突き当たりの壁には、電話ののったパソコン机があって、
そこも綺麗に整理されていた。
その脇には、預けられた幸のためのケージがあったのだが、
それももう片付けられていた。
週末、ままは朝早く、幸を連れて裏山を登る。
まだそんなにすごく暑くはないうちに、
幸をおじいちゃんの所に預けるためだ。
おじいちゃんの家に着くと、
ままは、少しおじいちゃんとおばあちゃんと話をしてから、
幸をおいて自分のおうちに帰る。
ままは、今、幸がいる出窓の前の道を通る。
そして、必ず「いい子にしてるんだよ。」と幸に手を振る。
それを見ながら、何でおいていかれるんだろう、と思った。
悲しかった。
「仕事が終わったら、迎えに来るから、大丈夫だ。」
と、おじいちゃんが幸の頭を撫でる。
ここに、この窓際にいれば、夜、ぱぱが迎えに来てくれる。
ぶーって車で、迎えに来てくれる。
幸は、ぱぱが迎えに来てくれる時まで、
ほとんどの時間を、この窓際で過ごした。
外は、色々なものが通った。
人や犬や猫や車、自転車。
幸に気がつくと、寄ってくれる人も沢山いた。
それで、だいぶ気が紛れた。
そのときは、嬉しかった。
でも、すぐに、みんな行ってしまう。
ぱぱ・・
まま・・
早く迎えに来て。
夜、ぱぱが車で迎えに来る。
幸をこの出窓から抱っこして車に乗せてくれる。
おうちには、ままがいて、
「おかえり。お腹すいたねぇ。」
と、言って、ご飯をくれる。
ぱぱとままが、並んで座っているのを見ると、
やっと、安心することができた。
その横で、ゆっくり眠りにつく。
あの日、
ままがいつものように手を振ったとき、
すごく不安になった。
置いて行かれるのが、すごく怖くなった。
本当に迎えに来てくれるのか、不安になった。
まま!嫌だ!行かないで!
幸も帰る!幸も帰るよ!
大きな声で鳴いた。
でも、ままは、そのまま行ってしまった。
まま!ままぁ!
突然、お腹が痛くなった。
ぎゅーって締め付けられるように、痛くなった。
お腹の中の物が込み上げてきて、口の中にいっぱいになった。
耐えきれなくなって、口の中の物を吐きだした。
次から次へと込み上げて来る物を、全部外へ吐きだした。
ぱぱ!まま!
苦しいよ!
出る物がなくなって、やっと吐き出すのを止められたとき、
もう限界だった。
ぐったり横になる。
ぱぱ・・
まま・・
幸、おうちに帰りたい・・
吐き出すのはやめられたが、
気持ち悪いのとお腹の痛いのは、治まらなかった。
その日は、ずっと窓のそばで横になっていた。
夜になると、ぱぱと一緒にままも迎えに来てくれた。
おじいちゃんが、ままが帰ってすぐに幸が吐いたことを知らせる。
「吐いた?私が行ってからすぐ?」
「うん。」
ままは、ぱぱに抱っこされた幸を見た。
その日から、幸はおじいちゃんの家に預けられることはなかった。
「誰かいるのか。」
さっとカーテンが開いて、じぃじの顔が覗いた。
窓は開いてなかった。
無意識のうちに、声が出ていたのだろうか。
じぃじには、幸の姿は見えないはずだ。
案の定、
「誰もいないな。」
と、呟くと、カーテンをゆっくり閉める。
幸は、窓とカーテンを通り抜けて、部屋の中へ入った。
「いるよ。」
と言うと、じぃじは、ひどく驚いて、こっちを見た。
「だ!誰だ!」
幸の姿は、やはり見えないようだ。
目は幸を見ていなかった。
「幸湖。ともぱぱとみなみままが飼ってたコーギー。」
「幸湖?コーギー?」
じぃじは、ひどく驚きながら、怯えながら?も、何かを考えてるようだった。
そして、何かに思い当たると、
「ああ、あの犬か。」
と、見下すように言った。
その言い方!
「いぬぅ?そりゃあ、犬だけど。
せめてコーギーって言ってよ!」
失礼しちゃう!
・・あれ?
なんだか、幸、ままに似てきた?
「なんでもいい。」
じぃじは、めんどくさそうに言う。
「で?その犬が、何で・・・」
そこまで言うと、何かに気がついて、
幸の方、正確には幸の声のする方を、怯えた目で見た。
「何で、犬が人間の言葉を喋ってるんだ!
本当は、どっかその辺の幽霊なんじゃないのか!」
じぃじはままに、死者の声が聞こえるようになったと言った。
それは、もしかしたら、ぱぱやままや幸の声だけじゃないのかもしれない。
この辺の、死者の声も聞こえるのかもしれない。
それにしても、犬が人語を話しているのを、
(自分で、『犬』って言っちゃったよ。)
こうも率直に指摘してくれると、嬉しくなる。
「幽霊なので、わかるし話せるの!」
面倒臭いので、そう言っておいた。
じぃじは、まだ『生あるもの』なので、
それに、ままの話からすると、かなり頭が堅そうなので、
説明しても、そう易々とは理解してもらえなさそうだったから。
「百歩譲ってそうだったとして、
その、とも達の飼い犬が、何しに来たんだ。
ともの生命維持を止めろって言いに来たのか。
だったら無駄だぞ。
わしの考えはかわらないからな。
とっとと、お前のもう一人の飼い主を連れてあの世へ逝け!」
顔を真っ赤にして、じぃじは怒鳴った。
幸は、その様子をじっと見ていた。
そして、ため息をつくと、心でぱぱとままに話しかけた。
まま。本当にそうだったよ。
ぱぱもままも、可哀想だったね。
「じ」
『じぃじ』と呼ぼうとして、止めた。
「あなたには、体から離れたぱぱの声が、聞こえたはずだよね。
ぱぱは、もう止めてくれと言ったんじゃないの?
ままと一緒に逝かせてくれと、言ったんじゃないの?
ぱぱ、どんな状態で生きてるかわかってる?
自分じゃ何もできないんだよ。
チューブで、体が生きるための栄養摂らされて。
それはまだいいよ。
でも、自分でトイレに行けないから、オムツさせられて、
垂れ流しの状態で、それを誰かに替えてもらうんだよ。
それをずっと見てるんだよ。
体から意識が離れてるとしても、それをずっと見てなきゃいけないんだよ。
そんな地獄って、ある?」
できる限り冷静に言ったつもりだった。
でも、幸の言葉は、じぃじの怒りを煽った形になった。
「あいつが何を言おうと、どんな思いをしてようと、
そんなことはどうだっていい!
もう死んでるんだ。
母さんの生きる意志が、あいつが存在していることだというなら、
それを叶えてやるのが、わしのすべきことだ。
あいつ自身が『そこ』にいるのなら、もっと都合がいい。
あいつには、ずっと好きにさせてきた。
今、それくらいの親孝行しても罰はあたらないだろう。
そんなことより、お前は何でここにきた?
『あれ』に言われてきたのか。」
だから!
その言い方!
「『あれ』ってなに?
みなみままのこと?
ままには、ちゃんと名前があるんだよ。
ままは、ここに行けなんて一言も言ってない。
幸が、自分の意志で来たんだ。
なんで、ままをそんなに嫌うの?」
訊いてみたかった。
じぃじが、ままを嫌う本当の理由。
「そんなのは決まってる!
根性が悪いからだ!
他人を平気で悪く言う、あの根性。
あの憎しみに満ちた目。
自分だけが正当だと主張するあの態度!
なるようにしかならないことも、
他人を踏みつけにしてまで、自分の道を行こうとする。
ともが最初に連れてきたあのときから、気に入らなかった。
過去に連れて来た子は、みんな可愛いらしくて、
明るくて、感じのいい子達だった。
なのに、『あれ』からは、そんなものは微塵も感じられなかった。
何年か経って、だいぶ笑うようになったかと思ったら、あの事件だ。
そもそも、『あれ』のせいで、あんなことになったのに、
それを棚に上げて、他人を貶め、無理矢理に事を運ぼうとした。
ああいう根性が、わしは大嫌いなんだ!」
まま。
相当嫌われてるよ。
「ままのそういう所が大嫌いなのは、よくわかったよ。
でも、あなたもままのこと、ずいぶん悪し様に言ってるよね。
ままはだめでも、自分はいいんだ。」
「なにを!」
と言って、じぃじは黙った。
「ぱぱに嫌われるはずだよね。
ぱぱのこと、何もわかってないし、
何も考えてくれてないんだから。
あのとき、今もだけどさ、トラブルのとき、
親なのに、ぱぱのこと、全然信じてくれてなかったんだってね。
ままだけが信じてくれたって、ぱぱ言ってたよ。」
本当は、ぱぱにはそのときのことは聞いてはいないのだが、
じぃじの言い方に、あまりにも腹が立ったので、わざとそう言った。
「あれは!あれは、ともに全面的に非があったんだ!」
「ふぅん。
だから、ぱぱの言ってることはみんな嘘だと決めつけたんだ。」
「そうだ。
誰が聞いたって、ともの言ってる事の方がおかしかった。」
じぃじは両手で堅く拳を握っていた。
その拳が細かく震えている。
怒りなのか、動揺なのかは、わからない。
「なるようにしかならないのに。
黙って、流れに従っていればいいものを。」
訊かれたことには素直に応え、
こっちへ行けと言われたら、言われた方に行き、
何か命じられたら、「はい。」と応えて、
どんなことでも真剣に取り組む。
そして、いつも笑顔。
まま。
死んでよかったね。
もう、逝こうよ。
ぱぱを連れて。
幸が、ぱぱの体を元に戻らないくらいに壊すから。
まま。
あなたの歩いて来た道は、とても息苦しい道だった。
可哀想だったね。
幸はひとつため息をつく。
「もういいや。
あなたと話してると時間が勿体ない。
ばぁばとお話しようと思ったけど、ここにはいないのね。」
そういうと、じぃじの返事も聞かずに、
カーテンと窓を通り抜けて、外に出た。
背後で窓が大きな音をたてて開いた。
「母さんに何かしたら許さんぞ!
必ず祓ってやるからな!」
じぃじが叫ぶ声に重ねるように言う。
「やれるものならやってみろ。
お前だけ、ここに遺るようにしてやるよ。」
・・・なんちゃって。
悪霊にでもならない限り、
そんなことはできないのはわかっている。
ままは、一瞬なりかけた、けれども。
でも、ままと幸を祓うことは、
どんな人間にもできないだろう。
それはなんとなくわかっていた。
じぃじは、すごい勢いで窓を閉めた。
間もなく、玄関から飛び出して、
鍵を掛けるのももどかしそうにしていた。
かけ終わると、ちゃんと閉まっているか確かめもせず、
走り出しそうな勢いで、西の方角へ向かった。
幸はじっとそれを見ていた。
ああ、そうか。
ばぁばの行き先は、病院か。
病院には、ままが行ってる。
幸は少し心配になった。
まさか、ばぁばのことを呪い殺すことはしないだろうが、
あの、『まま:』のことだ。
幸は、地面を蹴って、宙に浮く。
そのまま病院に向かって、空を駆けていった。




