26.幸の夢
いつまで続くんだ。
こんなことが。
零戦が、この島に不時着して、
ちきしょう!21より性能がいいんじゃなかったのかよ!
・・・みんないっちまった。
俺をおいて!
「待て!待ってくれ!」
俺は両手を振り回して叫んだ。
「俺を、こんな所においていかないでくれ!」
しかし、どんなに声を限りに叫んでも、
あんな高い空の上まで届くわけがなかった。
例え、気がついたとしても、降りてくる奴なんているわけがない。
片道分しか燃料を積んでいないんだ。
前だけを見て、真っ直ぐに飛んで行くだろう。
敵に向かって。
あの日、俺は死ぬはずだった。
敵の空母に体当たりして、甲板に大穴をあけるんだ!
それが、最期のご奉仕だと、思っていた。
なのに、この島の近くまできたとき、エンジンが急に止まった。
「こんな所で死ねるかよ!」
操縦桿を握りしめ、きりもみにならないように、
上手く滑空させて、やっとの思いでこの島に不時着させたんだ。
でも、ここは、敵の占領する島だった。
ここに零戦が落ちたのは、奴らも察知しているだろう。
すぐに機体から離れなければ。
拳銃だけを持って、密林へ飛び込んだ。
食べ物が何もないのが不安だが、なんとかなるだろう。
まだ機体が見える所まで奥に入ったとき、奴らの言葉が聞こえた。
危なかった。少しでも躊躇していたら、命はなかっただろう。
きっと、すぐに追っ手がかかる。
密林の奥へ行くしかない。
靴をちゃんと履いていてよかった。
こんな所、靴がなかったら歩けやしない。
何が落ちているかわからない。
裸足でなんて歩いたら、何を踏むかわからない。
傷など作ろうものなら、そこから菌が入り込んで、
死ぬ運命だ。
例え、死ななかったとしても、
傷をこさえたその足は、確実になくなるだろう。
それに、蛭、毒虫、蛇、木の上からも降ってくるのに、
足下からも這い上がられたら、それこそ命にかかわる。
そこまで考えて、俺はやたらおかしくなった。
『命にかかわる』だって?
今日死ぬはずだったのに?
声をあげて笑いたくなった。
だが、それは思いとどまった。
どこに敵が潜んでいるかわからない。
笑い声などあげようものなら、
わざわざ自分の居場所を知らせるようなものだ。
こんな所で死ぬわけにはいかない。
なんとかして、国へ帰るんだ。
そして、今度こそは、甲板に大穴をあけてやる!
それにしても、暑い。
なんだ、この蒸し暑さは。
溶けてしまいそうだ。
容赦なく体力と気力を奪っていく。
俺は、吹き出る汗を、手の甲や肩で拭いながら、
張り出した木の根の上に座りこんだ。
直に座りたいが、こんなぬかるみに座るわけにはいかない。
膝に両手をついて、背中を丸める。
大きく呼吸をしても、湿った熱い空気で肺が満たされるだけで、
本当に酸素が吸えているのか、疑問だ。
息苦しい。
拭ったはずの汗が、頬や首筋、背中を伝う。
いつまで、続くんだろう。
本当に日本へ帰れるのだろうか。
日本も夏は暑いが、これほど蒸し暑くはない。
朝と夜は、かなり涼しくなる。
俺は団扇を片手に、縁側であぐらをかいている。
蚊取り線香の香り。
涼しい風が吹いて、風鈴が、ちりんちりん、と音をたてる。
庭では虫の声がして・・・
がさっと音がして、俺は我に返った。
しまった!身を隠す間がない!
ここでは、いつも気を張っていないといけないのに。
一瞬でも、気を許せば命取りになるのに!
死ぬ!俺は死ぬ!
パニックになりそうなのをぐっと抑える。
どうせ死ぬなら、道連れにしてやる!
姿を現したら、引き金を引くんだ!
俺は引き金に指をかけ、拳銃をかまえる。
がさがさと大きく藪が揺れる。
何かが姿を現した瞬間に引き金を引いた!
だんっ!
銃声が辺りに響き渡った。
弾を受けたそいつは、前のめりに倒れた。
あたった!
やった!
そこに倒れているのは、人間だった。
「女?」
長い黒髪が乱れて、ぬかるんだ地面の上に、扇の様に広がっていた。
倒れた衝撃で、泥が跳ね上がったのだろう、
髪も服も泥で汚れていた。
「現地民か?俺は、敵じゃない人間を殺した?」
動揺しながら、ゆっくり近付く。
女はぴくりともしない。
ぬかるみが赤く染まっていた。
殺した、殺した!人を殺した!
それも、女!敵じゃないかもしれない、のに。
息が荒くなる。
心臓の音が耳のすぐそばで聞こえる。
落ち着け。
落ち着け!
胸に手をあてて、自分に言い聞かせる。
「いや、待てよ。
この辺には民兵っていうものがいると聞いたことがある。
こいつもそうなのかもしれないじゃないか。」
俺は叫んだ。
「そうだ、そうだよ!
こんな密林に、女が一人でいるわけがない!
なんだ、そうだよ!
こいつ、民兵なんだ!
殺らなかったら、俺が殺られてた!
あははは!
そうだよ!俺は敵を殺したんだ!」
辺り構わず大声で叫んだ。
周りに気を向けていなくちゃいけないことも、
すっかり忘れて、笑い転げた。
「俺は自分を護ったんだ。
殺らなきゃ、殺られてた。
だから、俺は間違っていないんだ。」
心の中で、何度も自分に言い聞かせる。
突然、
がんっlと、後頭部に衝撃が走った。
あまりの勢いに、俺は女の横にぶっ倒れた。
後頭部に、何か生温い物が流れ出すのを感じて、無意識に手をやる。
目の前に持ってきた手についていたのは、血だった。
「よくも、○○を!」
後ろから、男の声がした。
実際は、何て言っているのかわからなかった。
たぶん、現地の言葉なんだろう。
「ジャップ!」
そいつは、何か堅い物で、
やっとの思いで身を起こした俺の頭を再び殴った。
無様に前のめりに倒れ込んだ目の前に、
口元から血を流し、絶命している女の顔があった。
「!」
間髪入れず、そいつは俺の脇腹を蹴った。
脇腹を蹴られて、俺は吐いた。
何も食べていないので、胃液しか出なかった。
「ちきしょうっ!」
俺は持っていた拳銃を、そいつに向けたが、
そいつは俺の手を蹴って、拳銃を遠くに飛ばした。
浅黒い、痩せた男が小銃を俺に向けて立っていた。
「あっ・・」
思わず声が出た。
「お前、お前は・・」
体中の力が抜けていった。
「お前も、〇〇のあとを追わせてやる。
あの世で、〇〇に詫びろ。」
その言葉を最期に、俺の意識は暗転した。
「ともちゃん、ともちゃん!
どうしたんだろう?
この子、急に暴れ出して。
でも、寝てる。」
「・・起こそう。これは、普通じゃないよ。」
「うん。
さち。さっちゃん。」
「さっちゃん。」
ぱぱとままの声がして、背中を優しく摩られて、
幸は目を覚ました。
「どうしたんだろう?私達を見て、固まってるよ。」
「なんだ。どうした幸。」
ぱぱは、幸を抱き上げた。
ままは幸の頭や背中を摩る。
怯えながら辺りを見回すと、おうちだった。
ぱぱとままと幸の暮らす、いつものおうちだった。
気がつくと、目の前に、ままの顔があった。
幸を見て微笑んでいた。
ぱぱの顔を見ると、優しい目で幸を見ていた。
ひどく安心して、ぱぱの肩に顎を乗せる。
よかった。
夢だったんだ。
怖かった。
とっても怖い夢だった。
そうだったんだ。
何度もみた、あの夢は。
いつもの階段の一番上で、ままと一緒に、まだ来ないぱぱを待っていた。
お日様は、もうだいぶ西に傾いていたが、
まだ明るさを保っていた。
生あるものが暮らす、今世の階段は、
雑草でだいぶ覆われてしまい、
人が一人通るのがやっとになってしまっているが、
幸とままのいる空間では、
ままがここに来たときの状態が保たれていた。
ただ、階段を覆っていた桜並木は、なくなっていた。
ままは相変わらず、突き当たりの町を見ていた。
もう、帰れなくなった、あの町を。
ままは、ただただ静かに見ていた。
あの夢を、ままに聞いて欲しい。
そして、何か言って欲しい。
「・・まま。」
ままの横顔、正確には横顔から少し斜め上の辺、を見ながら呼びかける。
「はい?」
ままは幸を見上げて、首を少し傾げた。
真っ直ぐに幸を見る。
あまりに真っ直ぐに見つめられて、
幸は言葉につまった。
「うん?どした?」
いつものように、ままが訊く。
その言葉に促されるように、幸は話し始めた。
「前に、散歩のとき、まま言ったでしょう?
生まれかわるのは、未来だけなのかな、って。」
「うん。」
「幸が兵隊さんのことを言ったとき、まま、何か思った?」
「うーん。」
ままは視線を斜め下にはずして、ちょっとの間黙った。
「そうだねぇ。あのときは思わなかったけど、
あとになって、なんで兵隊さんなんだろうと思ったよ。
記憶が戻ったあとならともかく、
まだ記憶が戻ってないはずなのになって。
もし、何度も生まれかわってきたなら、
兵隊さんだったこともあるんだろうな、って・・・
どした?」
そう言うままを見てたら、悲しくなった。
それを見て、ままは心配そうに幸に訊ねたんだ。
「まま。」
ままに顔を寄せる。
ままは幸に顔をぶつけられて、よろけた。
「どした?何か思い出した?悲しいこと?」
なんとか踏みとどまって、幸の顔をぎゅっとする。
しばらく何も言えなかった。
悲しいだけじゃなく、無性に怖くなった。
体が震えてきそうなのを、ぐっと我慢する。
「思い、出した、わけじゃ、ないけど。」
言葉がとぎれとぎれにしか出てこない。
「うんうん。ゆっくりでいいよ。
時間は沢山あるから。」
ままは幸の顔の横を、軽くぽんぽんとした。
「・・まだ、生きてるとき、」
耐えられなくなって、体をぶるぶる振るわせる。
「うわっと。」
ままは慌てて離れた。
そして、幸が落ち着くのを待って、ゆっくり同じ場所に戻った。
「夢で、何度もみたんだ。
兵隊さんになって、飛行機で飛んでくの。
零戦?52型?」
ままは眉をひそめる。
「特効隊員だった、ってこと?」
「わからない。
・・たぶん、そう。
敵の空母?の甲板?に大穴あけてやる!って、
いつも思ってて。
でも、いつもそうならない。
途中で、飛行機が、動かなくなって、知らない島に落ちる、の。」
ままは黙って、幸の話を聞いている。
「そこはジャングルで、すごく暑いんだよ。
蒸し暑い。溶けちゃいそう。
じめじめ、足の下もぐちゃっぐちゃっってしてて。」
怖い。
いつも本当に起こったようにはっきりした夢。
「感触も、ニオイも、あって、
虫に刺された痒み、痛み、気持ち悪さ。
拭いても拭いても吹き出す汗。
暑くて、すごく息苦しい。
お腹が空いて、草食べて、虫食べて、木の実食べて。
泥だらけになって、汗まみれになって、
でも、いつも緊張してないといけない。
周りに気を配ってないといけない。
一瞬でも気を緩めたら、死ぬ。
帰らなくちゃ、日本に。
こんな所で死ぬわけには、いかない。」
ままは、つらそうに幸から目をそらす。
でも、すぐに幸の目を見る。
「ずっと眠ることができなくて、
お腹もぺこぺこで、すごく疲れて、
木の根っこに座ったとき、
日本は、暑くても朝と夜は涼しくて、ちりんって風鈴が鳴って・・
なんて、一瞬気を抜いたときに、
突然、女の人が目の前に出てくるの。
幸は、その人を銃で撃つの。
女の人は、前のめりに倒れて血を流して動かなくなる。
そして、幸は、その人のだんなさんに。」
続く言葉を言うことができなくなって、
口を開けたまま、時間が止まったようになった。
声が、出てこない。
怖い。
その後の事を、思い出すのも、口にするのも怖い。
ままは、眉を顰めたまま、じっと幸を見てる。
「つらかったら、」
と、ままが言うのを遮って、
「ううん。
聞いて欲しいの。
少し待って。
ちゃんと話すから。」
深呼吸をして、心を落ち着ける。
もう一度、もう一度。
ゆっくり息をして、ゆっくりはいて。
何度か繰り返すと、少し落ち着いてきた。
「女の人が、倒れて、
幸は、その人のだんなさんに。」
息を大きく吸った。
「殺されるの。
殴られて、蹴られて、銃で撃たれて、死ぬ!」
体が、震えてきた。
止まらない。
痛い!すごく痛い!
怖い!殺される、殺される!
低くいけど、よく通る声。
憎しみのこもった目。
ままは、幸の顔をぎゅっと抱いた。
「もういいよ!」
「よくないよ!よくないんだよ。」
幸が叫ぶと、ままは幸の顔から離れた。
「何度も、何度も、みたんだ。
いつも、条件は同じなんだ。
気を抜いた瞬間に、女の人が出てくる。
銃でその人を撃つ。
そして、怒った男の人に殺される。
いつも、そこで、目が覚める。」
ままは、幸の顔を撫でた。
そっと、大丈夫だよ、というように、優しく撫でた。
ままが撫でてくれるところから、震えが治まってくる。
「生きてたときに、みてた、夢?
時々、寝ながらすごく暴れてるとき、みてた?」
幸はこくりと頷いた。
「散歩の時、ままの言葉を聞いたとき、
『兵隊さん』のことが、すぐ頭に浮かんだ。
何度も夢でみたからかもしれないけど、
すごく嫌だと思った。
すごく怖くなった。
もう、二度とあの夢はみたくないと思った。
あとから、考えれば考えるほど、
あれは、夢なんかじゃなくて、
幸の前世の記憶なんじゃないかって、思えて。」
幸を撫でながら、うんうん、と、ままは頷く。
「いつも、女の人を撃つところまでは同じなんだけど、
その後、何度か、違うことがあったんだ。
大体は男の人が残って、終わりなんだけど、
幸が二人とも殺しちゃうときとか、
男の人を幸が殺しちゃって、
でも、死んだと思ってた女の人はまだ生きていて、
ナイフで首を切られること、あって。
でも、一度も、三人とも生きているってことはなかった、よ。」
ままは、何も言わず、うんうんと頷いた。
うんうん、そうなのか、と。
幸は、黙ってままを見る。
ああ、やっぱり、そうなんだ。
今は、『うさぎ』の『まま』だけど。
この雰囲気。
「どした?」
「あの二人、夢の二人。
ぱぱとままなんだ。」
ざわざわと、風に竹が揺れる音がする。
眉を顰め、ままは幸を見ている。
「顔も姿も違うけど、
でも、やっぱり、あれは、ぱぱとままだったんだ。」
また、体の内側が微かに震える。
「幸は、何度も何度もままを撃ち殺したんだ。」
ままは、黙って幸を見ている。
「そうなんだ、あの二人は、ぱぱとままなんだ。
ぱぱとままのこと、知らないはずなのに、
知ってる!って、思ったんだ。
この人達は、知ってる人達だって。」
だんだん声が大きくなる。
竹の揺れる音は聞こえない。
「知らないのに、知ってる・・」
「そう!知らないのに、知ってる。」
いつの間にか日が沈んでいた。
町の灯りが、点り始めている。
「知らないのに、知ってる。
知らないのに、敵なのに、すごい罪悪感。
最初は、初めて人を殺したから、
その罪悪感だと思った。
でも、二人をはっきり見たとき、
心が押し潰されるような絶望感に変わった。
もう、抵抗もできなかった。
体中の力が抜けていった。」
ままは、黙っていた。
幸の耳に、少しずつ音が戻ってきた。
突き当たりの町から、
クラクションの音が、短く鋭く鳴るのが聞こえた。
「一度だけ。」
息を大きく吸う。
「一度だけ、ままの息がまだあって、
『自分を責めないで。』って、幸に言ったときがあったの。
その瞬間、体が動いて、幸は一生懸命、止血しようとしたの。
『触るな!』って、ぱぱに蹴られても、殴られても、止めなかったの。
自分の真っ黒になったシャツを破って、
ままの傷口に押し当てて、
「止まれ!止まれっ!」
って。
でも、でも、だめだった。
まま、少し笑って、
「ありがとう。」
って言って死んじゃった。
声を出して泣いたの。
泥だまりに顔を突っ込んで、大声で泣いたの。
悲しかった。
ままが死んでしまうことが悲しかった。
自分の過ちで、殺してしまったことが許せなかった。」
大粒の涙を流して、幸が泣いている。
「なのに、『自分を責めないで』って。
なんで、そんなこと言えるのか、わからなかった。
わからなかったけど、悲しかった。」
「幸。」
ままは、また幸の顔を抱きしめて、とんとんする。
ままの優しい温もりに、心が落ち着いてくる。
「そのときは、ぱぱは幸を殺さなかった。
ままの亡骸を抱きかかえて、黙っていなくなった。
そういえば、あのときから、その夢はみなくなったんだった。」
ままの手は、ずっと幸に触れていた。
幸が安心するように。
遠くで車のエンジンの音が聞こえる。
小さな赤い色が青い色にかわる。
それを合図に、
小さな白い光と赤い光が、それぞれ一列になって、
道路に沿って流れていく。
向こうの丘の麓で、右に曲がって見えなくなった。
ままは、幸を改めて見ると、柔らかな声で言った。
「幸は、その最後に見た夢を、どう思った?」
「悲し、かった。どんなにしても、ままは死んじゃうから。」
うん、と、ままは頷く。
そして、声と同じくらいの柔らかい視線で幸を見ている。
「それだけ?」
「それだけ、って。
前みたのより、マシだなって。」
「うん。」
ままは嬉しそうに頷いた。
「今まで、ままを助けようとしなくて、
ほとんどのとき、もう死んでたから。
あとは、ぱぱに殴られて、蹴られて、
絶望のうちに、死ぬだけだったから。
どうやって、生き延びるか、必死で、
ぱぱに抵抗して、銃を向けてたから。
でも、あのときは、最後の夢は、まだままの息があったから、
死んで欲しくなかったから、必死だった。
ぱぱにいつもみたいに、蹴られても殴られても、
すごく痛くても、殺されるかもと思ったけど、
すごく怖かったけど、でも、それより、ままを助けたかった。」
ままは幸の顔の横を、ゆっくり撫でた。
「それで、満足したんだよ。
だから、その兵隊さんの人生は終わった。」
幸は、ままを見た。
ままは、嬉しそうに微笑んだ。
「それで、誰かが満足した。
だから、その兵隊さんの人生は終わった。」
「誰が、満足したの?」
「それは、ままにはわからないなぁ。
この仕組みを作った神様なのかもしれないし。
でもね、幸にその記憶があるってことはさ、
まだ『夢』でしかないのかもしれないけど、
『幸』が満足したんだと思う。」
「ままを助けることができなかったのに?」
「ままはたぶん、『その人』の人生では、
そこで終わりだったんだよ。
そこで終わりになっても、
既に何かを得てたんじゃないのかな。
だから、あとのパターンは、『ままの人生』じゃない。
やり直しをして欲しかった『誰か』の希望、
または、やり直しをしたかった『誰か』の人生。
その人の人生の中の『まま』だから、
ままには、たぶんあっちへ逝っても、記憶はない。
『ままの年表』には、
『××島で、日本兵だった△△に、銃で撃たれて死亡。』
って、書いてあるだけだと思う。」
幸は、ままをまじまじ見た。
「ままって、そんな性格だった?
撃たれて、その人のせいで死ぬのに、
『自分を責めないで。』
なんて、言える?」
「だぁっ!今の『まま』じゃないもの!
その人は、そういう人だったのかもしれないじゃんか!」
・・・ぱぱを殺されて、ナイフで幸の首を切ったときの、
幸の血を浴びて、真っ赤に染まった顔で光っていた二つの目。
憎しみに満ちた目。
ままの目は、割れたガラス、みたいだった。
視線を向けられただけで、怪我をしそうだった。
二度と、あんな目で見られたくないと思った。
ずっとこの優しい目で、幸を見ていて欲しい。
ぱぱの、目。
ぱぱの目は。
「もうひとつ、悲しかったのは。」
思い出すだけで、涙が出てくる。
「ぱぱ。
ぱぱに、あんな目で見られたこと。
ぱぱの目。
氷の目。
氷みたいな冷たい目で、幸を見て、
あの世で、ままに詫びろ、って。
そして、表情一つ変えずに、引き金を引くの。」
止まっていた涙が、また溢れて零れた。
「嫌だよぉ。もう、嫌だぁ。」
「わかったわかった。
もう、終わったよ。
よく頑張った。
最後まで偉かったね。」
ままは、幸の顔を抱いて、よしよしした。
耳があたって、くすぐったかった。
ままは、ああ言ったけど、
全体的には、間違ってはいないと思うけど、
本当のところは少し違う気がする。
幸は、あの二人に笑って欲しかった。
あの二人に、笑いかけて欲しかったんだ。
だけど、日本兵だった幸とあの二人の関係、運命?が
あれ以上変わらなかったから、違う形で傍に来た。
そう、『コーギー幸湖』として。
「幸の『兵隊さん』は、あの後、どうなったのかなぁ?」
急に、ままが言った。
「あ、あの後?」
あまりにも急だったので、思わずどもってしまった。
「そう、あの後。
ぱぱがままの亡骸を抱いて去った後。
幸は、生きてたんでしょう?」
「うん。」
あの後、どうしたんだろう?
記憶を手繰ってみるが、どの夢でもその先はなかった。
当たり前だが、前世の記憶も戻って来てはいない。
だいたい、あれはまだ『夢』でしかないのだ。
幸の困惑を見て取って、ままは慌てて言った。
「わかってるよ、あれはただの『夢』かもしれないって。
でもさ、
もし、本当に前世の記憶だったら、どうなったのかな、って思って。」
ままの好奇心と想像力には、ほとほと閉口する。
でも、おじいちゃんのことは、ままの考え通りなんじゃないかと、思える。
「ない。
あの後がどうなったか、全然わからない。
敵に見つかって、撃たれて死んだかもしれないし、
捕虜になって、戦争が終わってから、帰されたかもしれない。」
うんうん、とままは頷く。
「もしさ、日本に帰れたとしたら、
その後、どうなったんだろうね?
お嫁さん、もらったよね。
そしたら、幸の子孫、生きてるかもしれないよね。
この世界が、『最後の兵隊さんの人生』から続いた軸だったら、
存在してるよね。」
ままは突拍子もないことを言い出した。
「そう、かなぁ。」
「そうだよ!」
目を輝かせて、ままは続ける。
「会ったら、今なら、わかるかもしれないね。」
「ええ~。」
幸の、子孫?人間の?
なんだか複雑な気がした。




