25.散歩の合間に その4-同志と傍観者-
畑からいつもの階段へ向かうとき、思い切って訊いてみた。
今なら、ちゃんと答えてくれそうだったから。
ぱぱもままも、ぱぱのお父さんに関して何も言わない。
「ぱぱのお父さんって、あまりおうちに来なかったけど、なんで?
ぱぱは、
「犬が怖いんだよ。」
って言ってたけど。
ほんとにそれだけ?」
言い終わる前に、ままは
「とうとう来たか。」
という顔をしていた。
そして、少し間をおいてから、
「お義父さん、ままのこと好きじゃないんだよ。
好きじゃないなんて生易しいものじゃないか。
はっきり言って、嫌い。
ままのせいで、息子に嫌われたと思ってるだろうから、
余計にね。」
と言った。
ある程度予想した通りの答えだった。
幸がため息をつくと、
「ままは年上の男の人ウケが悪いんだよ。」
と、言い訳をするように付け加えた。
何、言ってんだか、今更。
あきれるよ、その言い訳には。
もう一度ため息をついた。
わざとじゃなく、自然に出た。
「何をやらかしたの?
ままは変なところで頑固だし、意固地だから。」
「なんだとー!」
ままは、顔をひきつらせて応じるが、はたと考え込んで、
「いや、そうなのか、も。」
うんうんと頷くと、ぽこっと体を叩かれた。
叩かれても痛くはないのだが、
「いったいなぁ!なんでぶつの!」
と、言ってみた。
「生意気だから。」
「ままだって、生意気じゃん!」
「ままはいいの!
いや、それはともかく。
どうやら、誤魔化せないみたいだね。」
えへん、と咳払いをした後、ままは真剣な顔になった。
「例えばさ、どろどろの沼の上に、橋が架かってるとするよね。
その橋を渡れば、楽に、汚れずに沼を渡れるのに、
ままは、わざわざ泥沼に飛び込んでいって、
どろどろになりながら、もがきながら、渡ろうとするわけ。
それだけじゃなくて、途中で、そのどろどろの汚れた体で、
泥沼に浮いているボートに乗り込んで、休憩するの。
勿論、ボートには人が乗ってる。
そこで少し休むと、また飛び込んでいく。」
泥沼を、もがきながら泳ぐままの姿は、容易に想像できる。
でも。
「なんで、ままは橋を渡らないの?」
「なんでって・・」
ままは大きく息を吸う。
「橋は、ままの望む方向に向かってなかったんだもの。」
少しトーンを上げて、ままは言った。
「それどころか、最悪の方向に向かって架かってた。
そんなものを渡れるか!」
と、続けて怒鳴った。
驚きはしなかった。
ままにそういうところがあるのは、生前から知っていた。
大きく息を吸って、ままは自分を落ち着かせようとしている。
その表情を見ながら、本当にどんなことがあったんだろうと、
幸は思った。
「それでもお義父さんは、その橋の上を、
文句も言わずに渡る人が好きなんだよ。
私みたいに、がむしゃらに
泥沼に飛び込んでいくような人間は好きじゃないの。
それだけでも許せないのに、
汚れた体で、他人の迷惑も顧みず、
そこにあったからって、ボートに乗り込んで、
そこらじゅうのものを汚して、ぽーんと出て行くという行為が、
更に許せなかったのね。
勿論、勝手に乗り込んできて、ボートを汚して、
迷惑だ!すぐ出て行け!ってことの方が多かったけど、
始めは驚いたけど、「ここで、ゆっくり休んでいって」って言ってくれる人もいたし、
自分もボートも汚れるのにもかまわず、引っ張り上げてくれる人もいたんだよ。
でも、お義父さんからは、
そんな風に手を差し伸べてくれる人は見えない。
色んな人に迷惑をかけてまで、
自分の行きたい方向へ泳いでいく私が、
本当に嫌な人間に思えたんだろうね。
だから、ともちゃんから離れて欲しいと願ってる。」
ままは、確かに頑固で意固地だけど、
確かに傍若無人なところも多々あるけど、
息子の嫁に相応しくない、というか、
自分の義理の娘だと思いたくない。
そこまで嫌われるって、一体何があったんだろう。
そんな風に思われるって。
「まま。
具体的には、何があったの?」
口に出ていた。
訊いちゃいけないかな、と、心の隅では思っていたが。
ままは、一瞬、困ったような表情を浮かべると、
「ああ、やっぱりそうくるかぁ。」
と、あきらめ混じりに言った。
そして、覚悟を決めたように話し始めた。
「幸をうちに迎えようというきっかけにもなったんだけど、
ぱぱがトラブルを起こして、大変なことになっちゃったことがあったんだ。
そのときのぱぱの主張を、誰も信じてはくれませんでした。」
ままは、時々、自分達の話を、物語を読み聞かせるように話すことがある。
どういう感情の流れかはわからないが、
今は、そういう状態なんだろう。
気がつくと、いつもの調子に戻っていることが多いのだが。
「その頃、ぱぱとままの間には、不穏な空気が流れてました。
だから、実はままも、ぱぱの言うことが、
最初は信じられなかったんだよね。
だけど、やっぱり、ぱぱの言うことは信じたい。
トラブルのプレッシャーもある。
そこで、ぱぱの両親に相談することにしました。
当時、ぱぱの両親は、遠くに住んでたんだけど
すぐにこっちに来てくれて、
ぱぱとままから、今現在の状況を聞きました。
でも、やっぱりぱぱの言うことは、信じてくれなかったんだよね。
口にはださなかったけど、
ぱぱに後で聞いたことには、
そうなったのは、私のせいだと二人とも思ってたみたい。
そんなことも知らず、私は、ぱぱの両親に延々と話すわけ。
今、思ってること。
トラブルのプレッシャー。
ともちゃんのことを信じられないでいること。
ともちゃんと離婚した方がいいのかどうか。」
「ぱぱと離婚?ままが?」
ぱぱとままは、お互いに必要としているところがあるのに、
離れることを、『まま』が考えていた?
「ぱぱは、なんて言ったの?」
と、幸が訊くと、ままは困ったように笑って、
「ままがそうしたいなら、従うって。」
と、言った。
ぱぱのしょんぼりした顔が浮かぶ。
「・・・ぱぱさ、相当後ろめたいことしたんだね。」
「まあね。」
と、ままは少し笑った。
「お義父さんは、私が話している間、
常に、目を閉じて指を組んで膝の上に乗せてました。
・・・心理学的に、人の話を、目を閉じたり、指を組んだりして聞いてるのって、
「あなたのそんな話は聞きたくないし、受け入れることもできません。」
って事なんだってね。
後で知って、ああ、そうだったんだって納得した。
そういえば、体も真っ直ぐこっちに向いてなくて、
斜め向いてて、足も組んでた気がするよ。」
ままは納得したとばかりに、大きく頷いた。
「体中で拒絶されてたのに、全然気がつかなかったなぁ、あのときは。」
ままはさぞ傷ついただろうと思い、ちらりと横顔を盗み見たが、
想像とは反対に、すっきりした顔をしていた。
「でもね、常にそうだったのに、ともちゃんと別れる話になると、
かっと目を開けて、
「そう思うなら、そうすればいいじゃないか!」
って言うの。
私を責めるような、きつい口調でね。
ほとんど半泣き状態の私に、
その言い方で、それを言う?って思ったけど、
私も、そのときは誰かを思いやる余裕もなかったから、
そのせいかもしれないと思って何も言わなかったんだけどね。」
淡々と、ままは話す。
足下の小さな石が、踏まれて地面に跡をつけた。
「なんでそこにそんなに食いつくのか、
そのときはわからなかったけど、
元から私の事を好きじゃなかったんだろうね。
それに、トラブルを起こしたのが私のせいだと、
私の性格が悪いからだと思ってるからさ。
早く息子から離れて欲しかったんだろうと思う。」
さばさばとままは言う。
実は、ままもぱぱのお父さんのことが、あまり好きではないのか?
「ままは、悩んでたんだよ。
だから、一緒に戦ってくれるはずのお義父さんとお義母さんに、
色々聞いて欲しかった。」
がたんがたん、と電車の来る音がして、ままは口を閉じた。
音が遠くなって、声が聞こえるくらいになったとき、
ままは再び口を開く。
「ぱぱを信じようとすると、それは嘘だという主張がされる。
またその嘘だという主張が嘘だと、記憶の中からその証拠を見つける。
それの繰り返し。
自分との戦いでもあって、もうね、消耗戦。
愚痴の一つも言いたくなりますよ。
でも、ぱぱの主張が嘘だという主張は、常に嘘だと気がついた。
嘘って言い方は、違うこともあるかな。
勘違いってときもあったのかな。
だから、やっとぱぱを信じることができた。
でも、ままだけがそう言い切れる事であって、
それを証明する事象は何一つない。
でも、戦わなきゃならない。
頭を整理するためにも、プレッシャーと戦うためにも、
頭に浮かんだことは全部、ぱぱの両親に聞いてもらってた。
ずっと同志だと思ってたから、
かなり嫌な事も、聞き難いことも言っていたと思う。」
踏切まで来ると、ままは生きているときの癖か、
立ち止まった。
坂の下から、車が突然現れた。
かなり急な勾配なので、近くに来ないと姿は見えない。
車が目の前を横切って、踏切を渡って行った。
車が行ってしまうのを見届けて、ままは歩き出す。
「ある日さ、お義父さんが話の途中で急に立ち上がって、
「もうそんな話は聞きたくない!」
って、怒鳴ったの。
あまりにも突然だったから、すごく驚いた。
お義父さんはというと、そのまま隣りの部屋に入って、
乱暴にドアを閉めたんだ。
そのとき、理解した。
お義父さんは、一緒に戦ってくれてたわけじゃなかったんだって。
私の話を真剣に聞いていたんじゃなくて、流してただけ。
話し終わっても、話し続けてても、態度は同じ。
反応もなし。
自分が気に入らない言葉や考えが聞こえたときだけ、反論。
同志じゃなかった。
ただの傍観者だったんだ、と、気がついた。」
踏切を過ぎると、土だけの地面が、砂利混じりの道にかわる。
後ろで、警報機の鳴る音が聞こえた。
さっきすれ違った電車と逆方向へ向かう電車が、
大きな音をたてて通り過ぎて行った。
「お義父さんは、ぱぱの言うことを、何一つ信じてなかった。
窮地に陥った息子に、力を貸そうとか、
なんとかしてやろうとか、そういう気持ちは全然なかった。
親だから、しょうがないから『ここ』にいるんだってだけ。
お義母さんは、一緒に寄り添ってくれた。
でも、ぱぱが言うには、
やっぱりぱぱの言うことは信じてくれてなかったんだって。
だから、最前線で必死に戦ってたのは、
トラブルを起こした本人のぱぱと、ぱぱのことを信じた私だけ。」
寂しそうにままは笑った。
思わず目をそらした。
そんなままの寂しそうな笑みを、何度見たことだろう。
「いいの?ままはそれで。
ぱぱのために、泥だらけになったのに、
ぱぱのお義父さん達は、安全な所で見てたんでしょう?」
「橋の上でね。」
ままは少し笑って、幸の質問に付け加える。
「そう。橋の上で。
ボートに乗ってた人達には、
「迷惑だ!」
って言われたんでしょ?」
「「こっちへ来るな!」って、手を払われたよ。」
再びままが付け足す。
「そんな風に言われて、そんな風に思われたままで、
ままは、それでいいの?」
ままを見ずに訊いた。
今のままの顔を見るのがつらかった。
「そうだねぇ。」
ままは、伸びをしながらのような声で言った。
そして、殊更のんびりした口調で話し出す。
「あのときは納得できなかったけど、
今は、それでよかったんだと思う。
あの人達のとった行動は、正しかったんだよ。
『君子危うきに近寄らず』っていうからね。
ボートにも色々なのがあって、一人乗りだったかもしれないし、
私が手を掛けた途端、ひっくり返っちゃうのもあったかもしれない。
乗っかられて、汚されて、掃除がすごく大変だったかもしれない。
大切なボートを、泥だらけにされるのが嫌だったのかもしれない。
自分のボートを、それぞれが護ろうとした。
それは当然のことだよ。
あのときの私は、そういうことを考慮する余裕がなかったんだ。
少しだったら休ませてもらえるだろう。
知らない間柄じゃないから、大丈夫だろうなんて勝手に思って、
寄っていったり、手をかけたり、勝手に乗り込んだりね。
本当は、ボートに近寄っちゃいけなかったんだよ。
最後まで自分一人で渡って行かなきゃいけなかったんだ。
ままは、そういう所がだめな所なんだよね。
だから、手を払われても、迷惑だって怒鳴られても、
仕方がなかった。
それなのに、乗せてくれた人がいた。
その人達には、心から感謝しないとね。」
そう言うと、
ままは立ち止まって、幸の頭に手を置こうとした。
が、届かないのに気がついて、体に置いた。
・・・いい加減、慣れろ・・・
と、幸は心の中で思った。
再び歩き出すと、ままは話し始めた。
「普段だったら、私もあの橋を渡ってた。
でも、あのときはこの橋を渡ってたらだめだと思った。
この橋の行き着くところは、私が望む場所じゃないと。
躊躇うことなく、泥沼に飛び込んだ。
苦しかった。
息ができなかった。
なかなか前に進めなかった。
このまま沈んでしまえたらと、何度も思った。
でも、ここで沈んでしまったら、ぱぱが苦しむ。
だから、耐えた。
なんとか最後まで。」
ままは独り言のように言って、付け加えた。
「ただ、たださ、
ぱぱの両親には、
一緒に泥沼を渡れ、とまでは言わないけど、
せめてぱぱの言うことは信じて、
心だけは寄り添って欲しかったな。」
砂利の間から生えてきた草の量が多くなり、
その背も、だいぶ高くなっていた。
だが、草を避けることもせず、幸とままは歩いた。
お日様も、だいぶ傾いてきていた。
「ぱぱね、
そのときから、お義父さんとお義母さんのことを
あまりよく思ってないんだよ。
信頼してもいないし、親だとも思えない、って。
自分の言うことを、何も信じてくれなかったからって。
でもさ、きっと一緒に暮らしていなかったら、
何が本当かなんて、わからなかったと思う。
それも、ままが真実だと思い込んだだけで、
それが本当に真実かどうかは、
ぱぱ本人にしかわからないことなんだと思う。」
西側に傾いたお日様が、辺りを照らす。
いつもの階段の一番上に立って、その光に身をさらす。
突き当たりに見える町も、西陽に包まれていた。
ままは言う。
「子供の頃は、親は何でもできて、何でも知っていて、
まるで神様であるかのように、
言うこと、することはいつも正しいんだと思い込んでたけど、
大人になって、それは間違いだと悟ったよ。
親は神様なんかじゃなく、ただの『人間』だってこと。
人間だから、当たり前のように、『自分』だけが大切だってこと。
自分の命をなげうってまで、子供を守ろうとは思わないってこと。
そのくせ、子供は親に感謝して、心配するのが当たり前で、
何かあったら、いの一番に駆けつけて、
助けるのが当たり前だと思ってるってこと。
勿論、みんながみんなそうじゃないよ。
溺れた子供を助けようと、海に飛び込んで自分が死んじゃう人もいる。
だけど、残念なことに、
ともちゃんと私の両親はそうじゃなかったってこと。」
ままは寂しそうだった。
そして、目は相変わらず、遠くを見ていた。
「ままのお父さんは、
自分を甘やかして、護ってくれる『お母さん』が欲しかったんだね。
支え合って生きていく『妻』じゃなくてね。
娘の私は、子供の頃は『道具』だった。
なのに、お母さんが何もできなくなったら、
『お母さんの代わり』にしようとしたんだよ。」
ままは、ふん、と笑った。
「やなこった。」
と呟くと、一瞬悲しそうな表情になって、目を閉じた。
「・・ぱぱ、いつ来るのかな。」
幸は、なんて応えていいか、わからなかった。
だから、しばらく経ってから、そう言ってみた。
ぱぱ。早く来て。
ぱぱがいないと、ままも幸も寂しくて、つらいよ。
「もうすぐだよ、きっと。」
少し間をおいて、ままが言った。
幸と自分を元気づけるように、そう言った。




