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幸湖日記  作者: 炎華
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22.散歩の合間に-『みなみ』という人間-

桜の花が消えて、新緑の季節に変わったとき、

どちらからともなく言い出して、

ままと幸は散歩に行くのが、日課になっていた。


町が眺められるあの場所に来ると、

道の縁に腰掛けて、いつまでも町の様子を眺めた。

ままは人間の頃の感覚が抜けていないのか、

なぜか人間のように座る。

ままも幸も、死ぬすぐ前の形態の感覚が強いので、

常にそれで過ごす。

一度、うさぎでそのポーズは大変じゃないのかと訊いてみたことがある。

「え?あれ?うさぎって、こんなポーズしなかったっけ?」

と、何故かうろたえながらままは言った。

まま的には、つらくはないらしい。


幽霊なので、道を歩かなければいけないとか、

うさぎだから、犬だから、こういうことはできない、とか、

そういう制約はない。

幸も、まま達が事故に遭ったとき、

ぱぱの車のボンネットまで、飛び移ることができたし、

だいたい、あの車のボンネットには、

幸の体が全部乗るスペースはない。

なのに、幸はあの上に乗った。

乗って、中を、ぱぱとままの血で染められた中を、見た。


その光景を振り払おうとして、幸は頭を振った。

そして、そっとままに目を移す。

ままは、目を細めて、町を見ていた。


小学校の桜は、既に花を落とし、

青々とした葉っぱを纏っていた。

生きるため、日常を過ごすため、

植物は皆、緑色に染まっていた。

灰色の建物や道が多いなか、

色とりどりの屋根と、新しく出来た家々の、

黒に近い、グレーの屋根が規則正しく並んでいた。

「新しい町と道を造ったのに、

なんで、あの街路樹を染井吉野にしなかったんだろう。」

ふいにままが言った。

「春になったら、とっても綺麗なのに。

うちからも見えたのに。」

心から残念そうに、ままは言う。

もしそうだったとしても、それを見る事は。

「まま。」

「わかってるよ。」

少し泣き顔になったままが幸を見る。

「それを見る事はできないって。」

しばらく、何も話さなかった。

町からの車の音が、微かに聞こえてくる。

「もっと生きていたかった?」

幸の問いに、ままが静かに答える。

「うん。」

少し間をおいて、付け加えるように、

「もう少しだけ。」

と、ままは言った。


この、町を眺められる所は、道、といっても畔道だが、

その畔道から、畑一つを挟んだ南側にある。

畔道と平行に走る掘り下げられた線路の向こう側は住宅街で、

道路も綺麗に舗装されている。

ほとんどの人がそちら側を歩く。

こちら側の草の生い茂った狭い道を歩く人は、あまりいない。

まして、道を外れて、こちらに来る人などいないに等しい。

今、畑の向こうを、男の人が歩いている姿が見えた。

しかし、こちらに来る気配はなかった。


「『みなみという人間』でいられたのは、

ここ何年かだけだったんだ。」

こちらを見ずに、ままは話し始めた。

「幸は、私のお父さん、おじいちゃんは、どう見えた?」

何を突然、と思いつつ、おじいちゃんを思い浮かべる。

「んと、物静かで、落ち着いた感じだった。

まま達が死んだって聞いて、慌てて駆けだしたとき、

ずっと追い掛けて来てくれて、落ち着くように、って。

ままのこと、ここで待っててって。」

ままは、目を閉じて口元で少し笑った。

「自分では何もしないくせに、

相手が言うことをきかずに、

自分の思い通りにならないと、すごく不機嫌になって、

怒鳴って、脅して、物を投げつけて壊して、

それでも従わないと、平手で顔をなぐる人。」

「えっ、うそ・・」

思わず口に出た。

誰のことだ、それは。

「ほんとだよ。

私もやられたし、

子供じゃなかったお母さんは、個ができてたから、

もっとひどくやられたんじゃないかな。

歳をとってから、丸くなったけど、

でも、本質は変わらないよね。」

そんな・・あのおじいちゃんが・・

「お母さん、嫌だったんだって。

ずっと実家に帰ろうと思ってたんだって。

家のことみんなやって、お父さんの面倒見て、

それでもいつでも怒ってて、全然優しくないし、

女房がやるのが当たり前だって言うんだって。

今だったら、モラハラだってみんな逃げちゃうけど、

あの時代は、そうそう離婚もできなかったし。

それでも、本気で離婚しようと思ってたんだって。」

頭の中がぐるぐるしていた。

混乱して、ぐるぐる。

「さすがに、お父さんにもそれがわかったのね。

そこで、お父さんは、どうしたか。

もっとお母さんに優しくしようとか、

少し自分でやろうとか、そういうことは一切考えないのね。

そして出た答えが、『そうだ。子供ができれば、いいんじゃないか。』」

ままは、言葉を切った。

「そうしてできたのが、私。」

自虐的な笑みを浮かべ、そう言うままの目は暗かった。

「『みなみという道具』。

お父さんにとって、私は道具だったんだよ。

お母さんを繋ぎ止めるための道具。足かせ。それが私。」

ざぁっと音をたてて、風が吹きすぎた。

まるで、ままの心を表すかのように。

後ろの住宅街の中に立つ木々が、その風に吹かれて大きく揺れた。

「お母さんにとって私は、自分の一部。

自分の希望と夢を一身に受けてくれる、『みなみという自分の一部』。

「あんたの人生だから。」

と言いながら、自分の好きなこと、自分のしたいこと、

自分がやりたかったこと、を、全て私に押しつけてきた。

そして、自分がこうだから、私も同じはず、

自分がこうしたいから、私もこうしたいだろう、

自分ができないから、私もできないはず、

だから、それはやっちゃだめ、でも、あれはやりなさい。

自分と私は違うんだ、ってこれっぽっちも思ってくれなかったんだよ。」

ままのことを、心配そうに見ていたおばあちゃんの顔が浮かぶ。

一度あの世に逝って、還ってきたあの人達は、

本当はどんなことを思っていたんだろう。

「思い通りにならないと、怒るんだよ。

怒られて泣くと、更に怒るんだよ。

「なんで泣くの!なんであんたはできないの!」

心の中では、

「私はそんなことで泣かないのに、

なんで泣くの!

私はできるのに、

なんであんたはできないの!」

って思ってたんだろうね。

お尻しかぶったことないなんて言ってるけど、

何度も顔をぶたれたよ。

お母さんも、お父さんと同じことしてるって、

なんでわからなかったんだろうね。」

ままの目は、何も見てなかった。

あの頃のことを、見ているようだった。

「逃げ出したかった。

『みなみという人間』として見てくれる人が欲しかった。

そして、やっとそういう人が見つかって、逃げ出した。

でも、その人は、『みなみという人間』として見てくれたんじゃなかった。

私より大切な人がいて、その人の『代わり』としてだった。

・・・何だったんだろう、この人生。」

ままにかけられる言葉は、何も思いつかなかった。

ままは、何も見ていない。

あの頃の自分を見ていた。

ままの姿が、だんだん透明になっていくのに気がついた。




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