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幸湖日記  作者: 炎華
17/73

4月3日

いつまで、こうしていればいいんだろう。

早くこの体と折り合いをつけて、逝かなくちゃいけないのに。

みなみが待っているのに。

この体はまだ還りたくないと、俺を離してくれない。

下に眠るチューブだらけの俺の体を見下ろす。


  もういいだろう?

  俺が生きると決めたとしても、以前の様には動けないんだろう?

  下半身はもう動かないと、医者が親に言っているのを聞いたんだ。

  でも、そんなことはもうどうでもいいんだ。

  もう、逝かなくちゃいけないんだよ。

  そう俺は決めたんだから。

  あの、すぐ鬱になる面倒臭い性格のあの子を、

  いつまでも一人で待たしておくわけにはいかないんだよ。

  お前だって、わかってるだろう?

  あの子の体は、もう還ったんだ。

  お前も一緒に還りたいだろう?

  ・・・なんだ?


機械の音やちょっとしたざわめき、足音に混ざって、別の音が聞こえる。

病院にはあるはずのない音。

俺は耳をそばだてた。

この体が生きているせいで、この場から動けないので、

廊下に様子を見に行くこともできない。


  ・・・動物の足音だ。

  正確には爪音か。

  廊下に爪があたる音。

  また、飼い主の所に来たペットか。

  犬、かな?

  猫は足音しないしな。


懐かしい音だった。

コーギーの幸湖が生きているとき、こういう音をたてて歩いた。


  幸。

  みなみの傍に幸がいてくれたらな。


幸は、もう何年も前に死んだ。

とっくにあの世に逝ってるだろう。


  そんなことはないか。


俺は、今浮かんだ考えを打ち消しつつ、苦笑した。

廊下の足音はこの病室の前で止まった。

しばらく外の獣は、様子をうかがっているようだったが、

閉まったドアを、すうっと突き抜けて、犬の顔が覗いた。

「さちっ!」

その顔を見て、俺は思わず叫んだ。

何年経ったって、間違えるはずがない。

それは幸だった。

「ぱぱっ!」

幸はドアをすり抜けると、すごい速さで俺の所に走ってきた。

俺は床に下りて、幸が来るのを待った。

俺の腕に幸が飛び込むと同時に、俺の顔を舐め始めた。


幸のこうして走る姿を見て、俺は嬉しくなった。

生前、幸は突然走れなくなってしまった。

幸の足がおかしくなった次の日、俺が病院へ連れて行った。

医者は、幸の足を色々触ったり、もんだりしていたが、

原因がわからないと言った。

全然痛がらないから、神経の方からきているのではないかと。

最初、痛み止めを処方された。

だが、幸の足は一向に良くならなかった。

見た感じ、左の足に力が入らないようだった。

真っ直ぐに立てない。

左足に右足を添えるように立つ。

座るときも、左足が伸びたままだ。

次にステロイドが処方されたが、あまり状態は変わらなかった。


「迎えにきてくれたのか?」

幸は舐めるのをやめ、俺を見る。

「ぱぱ、驚かないの?」

「何を?」

「幸が、ぱぱ達と同じ言葉を喋ってること。」

「そう言えば。」

幸は、眉根を寄せて俺を見る。

「ままもそうだったけど、なんで驚かないの?」

『まま』という言葉を聞いて、俺は心が躍った。

「幸、ままと一緒か?」

「うん!一緒だよ。」

その答えを聞いて、俺はほっとした。

みなみは、一人で待っているんじゃないんだ。

幸と一緒なんだ、と。

「今日はままはどうした?」

と訊くと、幸は俯いた。

「おうちの桜が見たいって。

じゃあ、ぱぱの所にも行こうって言ったら、

ままは行かないって。

ぱぱに無理強いしたくないからって。」

「無理強い?」

「うん。

ぱぱに、よく考えてから決めて欲しいからって。

ままが姿を見せると、ぱぱは何も考えないで死ぬ方を選ぶからって。」


  あの子は・・

  死んでまで、後ろ向きなんだな。


苦笑いが顔に出ていたらしい。

幸が不思議そうに見ているのに気がついた。

「ああ、ごめん。

ままは、死んでも何か悩んでいるんだな、って思ったら・・」

「そうだよ!」

俺の言葉が終わらないうちに幸が叫ぶ。

「まま、もうこの人生は終わってるのに、まだ悩んでるんだよ!

そして、時々消えちゃいそうになるの!

だから、早くぱぱに来て欲しいの!

ままは無理強いするなって言うけど、

幸は早く来て欲しいの!」

一気にまくし立てる。

俺の返事も聞かず、俺の体を見ると、

「これのせい?これがぱぱを離してくれないせい?」

腕をすり抜け、俺の体の脇にすとっと降りた。

「幸が、かみ殺してやるよ!」

のど元めがけて、牙を剥いた幸を、俺は慌てて止めた。

「いやいや!大丈夫だから!」

「なんでっ!ぱぱは早くままの所へ行きたくないのっ!?」

「もう少しだけ、時間をくれ。

この体だって、本当はわかってる。

だから、もう少しだけ。」

幸はしぶしぶ喉元から離れた。

そして、病室を見回すと、

「真っ白だね。」

と、言った。

「そうだね。」

と、幸の頭を撫でながら俺は応える。

「ままは、ああ言ったけど。」

頭を撫でられて、目を細めたまま、幸が言う。

「幸は、ぱぱに来て欲しいよ。」

いつも俺を見ていた純粋なあの目で、俺を見る。

俺は頷いた。

「ああ。必ず。」

幸は、その後もずっと俺を見ていた。




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