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episode 11

 コレットは目が真っ赤だった。一晩中泣いていたという人形師の話は本当だったようだ。泣き疲れたのか、ふらふらしている。なりふり構わず工房まで来たせいか、格好がくたびれていた。


「キール、私はコレットの傍にいてって頼んだんだけど」

 何をしているの、と人形師が説明を求めた。

「あー……、指示通りちゃんとそっちの話聞いてたけど、途中からいきなりおろおろし出して逃亡した。裏口やら窓から出て行こうとするんだよな。捕まえるんだけど、なんかずっと泣いてるし? 隙見てまた逃げようとするから、追いかけっこと隠れんぼばっかり」


 あいつ足早いし小さいから隠れるのも上手いしで、とため息混じりに小声でキールが報告する。えー……、という眼差しが注がれ、いたたまれない〈ドール〉はますます小さくなった。


「さっき紅茶作りにきてくれたときは、そう見えなかったのに」

「その後また逃げようとするから、ここまでやっと追い詰めたんだよ」

 馴染んだ紅茶は、やはりコレットが手ずから淹れてくれたものだったのか。困ったねぇ、と人形師が苦笑する。さりげなく戸口に陣取った二人の会話が聞こえ、〈ドール〉は居心地悪そうに身をよじった。顔が赤いのは、羞恥心によるものなのか。


 つかつかと近寄ったイリスが、うつむくコレットを見下ろす。まるで罪を言い渡される罪人のように、〈ドール〉は身体を強ばらせていた。無言で振り下ろされたイリスの腕は、目をつむった〈ドール〉へあたる寸前で止まる。手のひらをぎゅっと握りしめ、食いしばった歯の隙間から少女は息を吐き出した。


 暴れる感情をなだめ、ひれ伏すように項垂れる家族を、見つめる。そして、低い声を手のひらの代わりに叩きつけた。


「何、いきなり家出してるのよ。喧嘩ぐらいさせなさいよ。ぶつかってきなさいよ! どこまで私をコケにしたら気が済むのよ……っ。ココにとって私って何なのよ!」

 コレットに拒絶された手でスカートを握り締め、

「心配させないでよ。探したんだから! どうしてこんなとこいるのよ! ココの家はここじゃないでしょう?」

「……イリス、私……私は……」


 その背後から、ぬっとキールが中腰でコレットの頭を押さえた。わ、と迷惑そうにしながらも、ぐしゃぐしゃと頭を乱暴に撫でられることをコレットは嫌がらなかった。イリスがむっとして口を開く前に、二人の目前で何かが揺れた。

「ほら、落とし物。大事なものなんだろ」

「オルゴールボール? 私のはここに」

「え、お嬢さんのじゃないの?」


 イリスが思わず自分の胸の辺りに手をやったとき、血相を変えてコレットがキールの手に掴みかかった。あの大人しいコレットが、悲鳴じみた声を上げ、なりふり構わない必死さで、

「返して! 返してください! それは私の大切なお守り――」

 コレットが入ってきたときに聞こえた音は、これの転がった音だったのだ。



 私たちずっと一緒にいられますように。幸せになれますようにって二つお願いするから、二人で半分こにしていい?



 イリスは自分のお守りを握りしめた。同じく、お守りをそっと両手で包んだコレットが、耳まで顔を赤くしてイリスを窺う。とんでもない秘密を暴かれた、とでも言うような怯えかただった。

「ココはあの約束忘れたんじゃないの?」

 コレットは両手の中にある宝物へ目を落とし、何も言わず小さく微笑んだ。自嘲にも似た笑みだ。


「どうして黙るの? それを持っているってことは、覚えているんでしょう?」

 畳み掛けると、観念したようにコレットは顔を上げた。

「忘却なんて都合の良い機能は、備わってないよ。不要なログを削除することはあるけど……」

「それじゃあ、あの約束や願いごとは」

「私にとっての願いは、イリスが幸せになることだよ。イリスこそ、忘れちゃったの? 私はそのために役立つ自分でいたいんだよ」

 そういえば、ココは成長を止めた辺りから、口調も少し変わってきたんだ、とイリスは思う。もしかしたら数ある変化は、コレットが本来の自分を取り戻そうとしているためなのか。


 双子のようだと感じていた。

 自分の半身だと思ってきた。

 しかしそれは、両親が作り出した虚像なのだ。イリスの思い込みは、両親の思惑に乗せられたものだ。鏡に映し出された自分のようだと思った存在は、最初からどこにもいなかった。――憧れたもう一人の自分は。


「……じゃあ、ココが家からいなくなったのは、私の役に立つからなの?」

 低い声の問いかけに〈ドール〉は目を伏せたが、やがていつものようににっこりと感情の読めない笑顔を作る。

「そうだよ。主人を傷つけたり、阻害する欠陥品なんて不要だよね? 私は兄弟型として未完成の出来損ないだから、イリスの隣にそぐわない。もっと役に立つ〈ドール〉を選ぶべき――」


「その顔やめてよ!」

 悲鳴じみた声をあげ、少女は〈ドール〉の頬を両手で挟んだ。パンと音が鳴るほど、強く勢いを付けて。

「感情を殺したように、諦めたように、笑わないで。ココには感情があるんでしょう。嬉しかったり、悲しかったり、怒ったり、傷ついたり……できるんでしょう。どうして全部呑み込んでしまうの? この頬の痛さを、ココはわかるんでしょう!」


 目を丸くした〈ドール〉は困惑したように瞬いた。

「イリス、〈ドール〉は人じゃないよ。人を模した機械で、感情はプログラムされたものでしかない。痛みなんて本来感じるものじゃない。この人工皮膚の下にあるものは――」

「私は!」

 かたくなにコレットは自分は道具だと言い張るが、イリスにはそれが己への暗示に思えた。携帯末端と違わない。ハサミやペンと同等だとでも、コレットは言いかねない。


(全然ちがうわ! こころを持っているのに! どこが同じだって言うの。ココは一人しかいないのに!)

 人形師は言ったのだ。〈ドール〉は個性を持つ。人と同じように学習し、個を獲得する。ラブロックの〈ドール〉に、まったく同じ個体は存在しない。


 イリスは唇を噛みしめる。人と変わらないが故に、〈ドール〉たちは苦しむとも人形師は言っていたのだった。人に近づけば近づくほど、その絶望は〈ドール〉を苛むのか。それに耐えられないから、コレットは己を道具だと認識せざるを得ないのか。

(ちがうわ。それならすべての〈ドール〉が壊れるしかない)

 壁に一面に飾られたたくさんの画像を一瞥する。笑顔で写る彼らがコレットと同じ悩みを持つなら、ラブロックは〈ドール〉を生み出さなかったはずだ。

 原因は、別にあるのだ。イリス自身に、もしくは環境に、家庭に。

 苦々しいもやが、胸中を覆っていく。


「私は……私、は」

「イリス?」

 コレットの頬を挟んでいた腕が、だらりと力なく垂れ下がる。考え込むようにイリスは項垂れた。


「確かにね。……ココと一緒にいて、傷ついたり落ち込むことはあるわ。至らない未熟な自分に気づかされて、頭に血が上ることもある。苦しくなることも、泣きたいことも……それを否定しないわ。だけどね」

 ぐっとイリスはスカートを握る手に力を込める。

「その至らなさも、付いた傷も、痛みも、苦しさも、ぜんぶ私のものよ。一歩も前に進めないって塞ぎこんでも、それは私が向き合うものだわ。私が乗り越えるべき壁だわ! ココが背負うのは筋違いよ」


 二人の背後でキールが感嘆したように眉を持ち上げた。口を開きかけたところで、人形師に遮られた。唇に人差し指を当て、静かに見守るよう指示される。


「私を傷つけたから離れるって言うなら、認めないんだから。だって私の知る限り、ココはいつだって最善を尽くしていたわ。自分を殺して……うちの幸せを一番に考えてくれていたって、知っているんだから」

 

 強い光を宿した目が、睨むようにコレットを見つめた。

「言っておくけど、ココも一緒じゃなきゃ私は幸せになんかなれないから。誰が笑顔でも、ココがそうじゃないなら無理なんだから。わかってよ! 未完成でも欠陥品でも、ココじゃないなら他の〈ドール〉なんていらないの!」

 まくし立てて、呼吸が荒れる。唖然としているコレットに向けて、さらにイリスは言い放った。


「未完成なら、一緒に成長してよ……!」

 低く脅しつけるように吐き出した声は傲慢に響く。しかし、揺らぐ瞳がそれを裏切っていた。今にもくずおれそうな、懇願だった。


「それとも、私が愚かすぎて愛想尽きたの?」

 弱々しくイリスは問いかけた。

「イリスが、愚か……? え? そんなことない、けど」

 コレットが狼狽する。正解を求めるように、おどおどと視線を四方へ巡らせた。目だけで助けを求めたが、壁にもたれた人形師は苦笑したのみだ。舞い降りた重い沈黙を破ったのは、予想外のものだった。


『イリスは大人しくて、人を傷つけるような子じゃないし、やさしいし、頑張り屋で、学校をサボるなんて一度もしたことのない真面目な、いい子なんですから! 怒鳴ることだってほとんどない子なんです!』


 音声が響く。ぎょっとなって飛び上がった少女二人へ、キールがにやりと歯を見せた。自分の携帯末端をちらつかせ、

「ってそこのちびっ子は言ってたけど? イリスなんとかセルダンって子は結構凶暴だし、考えなしに学校サボってここにいるし、金ちらつかせて人に命令する高飛車なお嬢さんなんだけどなあ?」


「あ……あなたになんか訊いてないわよ。今はココと話してるのに」

 つかつかとキールへと歩み寄ると、イリスはその手から携帯末端を奪い取ろうとした。キールがひょいと避けると、次の音声も流れる。


『それも嘘ですよね。イリスは、だって学校があるんですから。こんな遠くの小さな町に、いるはず、ないんです。悪い人に絡まれるような危険を、あの子が冒すはずありません。きっと別人です』

 イリスがぴたりと動きを止めた。耳まで顔を赤くして小刻みに肩を震わせている。手放しの絶賛が刃になって、ざくざくとイリスに突き刺さった。特に、大好きな〈ドール〉から別人だと言い切られるのは堪える。

〈ドール〉はあわあわと目を回した。キールを止めるべきか、イリスのフォローへ回るべきか、逃げ出すべきか、どう動けば良いのかわからないのか。

 人形師が呆れて嘆息した。


「キール、それは?」

「面白いかと思って録っていたもの。まだあるけど、聞く?」

「いらないわよ! そんなのはココから直接聞くわ、バカ!」

 イリスがキッと目をつり上げ、キールのすねを蹴り飛ばした。いってぇ、と飛び上がった少年を無視し、彼女は自分の〈ドール〉へ向き直る。〈ドール〉は驚いたように目を丸くしていた。イリスは熱を帯びた頬を押さえながら、ゆっくり膝をつく。くしゃくしゃになった髪の下から上目遣いで〈ドール〉をうかがい、


「私は、ココが言うほど良い子じゃないわ。あの人が言うように、乱暴で短絡的で、傲慢。今だってなりふり構わずここにいるわ。だけど、これも私に違いないのよ。……呆れる?」

 山盛りの高評価をへし折る現状だが、コレットの好意は嫌と言うほど伝わってくる。


 今のはキールが自分で仕向けたことだけどね、と人形師が嘆息混じりにつぶやいたが、二人の耳には届かない。キールが顔をしかめながらも反論しないのは、自業自得だと理解しているからか。


 小さくコレットが笑った。自嘲にも似た、痛みを伴う笑みだった。

「イリスのこと、何だって知っているって思っていた。イリスの好きなこと嫌いなこと、嬉しいこと落ち込むこと、怒ること……一番近くにいるから何だって理解できているって。だけどまだ、知らないイリスもいるんだね。私……イリスの何を知っていたのかなぁ」

 あんな風にイリスが怒るところ初めて見た、と言われ、イリスがそっぽ向く。

「当然だわ。私自身だってこんな私、知らなかったんだもの」


 コレットが顔を歪ませた。

「私、イリスに置いていかれるの、怖かった。知らないイリスがいるの、認めたくなかったんだ。良かれと思ったのに失敗ばかりして、いらないって言われることが怖くて」

 イリスが傷つくことで、自分が傷つきたくなかった。そのために、距離を置くことは正しいことだと思っていたと〈ドール〉は告げる。オルゴールボールを握りしめ、

「だけど、寂しかったよ……!」

 たまらずイリスが小さな身体を抱きしめた。今の自分よりずっと小さい〈ドール〉は僅かに硬直する。


「……イリスの傍にいて、いいの?」

「うん」

「イリスの邪魔してないの?」

「してない!」


 恐る恐る手がイリスに伸びて、背中に触れた。喋る声が、涙に染まっていた。

「私、人間じゃないよ。人間じゃないから、イリスと同じになれない。イリスの痛みもわからない。また知らない間に邪魔だってするかもしれない。失敗するかも。私は大きくなるイリスにとって、いつか不要になるんだよ? 家族でも、いいの?」

「ココは、私の家族よ!」


 他人の前でみっともないと理性が告げても、ギリギリまでたわめられた感情は止まらない。瞳を揺らす涙が、ぽたぽたとコレットの肩に落ちた。

「私たちは同じじゃないわ。全然ちがう存在なんだもの、当たり前よ。無理に合わせるからひずみが生まれるんだわ」

 イリスは人間で、コレットは人に限りなく似せられた〈ドール〉だ。イリスとそっくり同じであっても、まったく違う別物だ。その違いに、二人は振り回されてきた。


「どんな姿のココだって、ココに違いないの。大好きなのに変わりない! でも、無理して笑うココは嫌。……お願いだから、無茶を受け入れないで。ココはこころを持ってるんだから」

 自分を蔑ろにしないで。道具だと感情を殺して、諦めないで。

 自分の思いが伝われば良いと、コレットは〈ドール〉を抱きしめる手に力を込めた。


 両親の注文に対し、何から何まで応じる必要だってない。〈ドール〉は着せ替え人形でも、召使いでもない。ちゃんと意思のある家族だ。友だちがいてもいい。好き嫌いがあっていい。ぶつかってケンカするのだって構わない。家族の繋がりは、簡単に途切れない。

「私、もっとしっかりするから。ココが遠慮しなくていいような、頼れるような、自慢の主人になるから。ココが支えてくれるように、私だってココを守るわ。……私だって、人形じゃない! パパやママとだって戦える!」


 だからお願い。

 今はまだ、そばにいて。


 大きく頷いた〈ドール〉から、ふっと力が抜けた。突然の脱力に、抱きしめたままのイリスが「ココ? ココ?」と揺さぶる。覗き込んだ人形師がコレットの具合を確かめ、嘆息混じりに「休止状態に入っちゃったかな」と呟いた。


「眠っているだけです。ずっと気を張っていて疲れたんだ。特にこの子にとって得るものが大きかっただろうから。でも念のため、後で目覚めたら状態をチェックしましょう。この三年メンテナンス不足だったのは否めません」

 そう、と胸をなで下ろしたイリスの身体も、ぐらりと傾いた。状況はコレットと似たり寄ったりだ。二日間、張り詰めていた緊張の糸がぷっつり切れてしまった。少女は意識を手放す前に、再度ルタへ問いかける。


「ねぇ、私は主人として……失格?」

 この答えだけはどうしても知りたかった。


「いいえ。あなたになら安心して任せられます」

 イリスは泣きそうな笑顔を浮かべ、すうっと眠りに落ちた。馴染んだ体温が心地よくて、キールと人形師が「こんなところで寝ちゃったら」とおたおたしている気配も、どうでも良くなっていた。


 大切なのは、この温かさなのだから。



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