episode 10
ここまで吐き出してしまうと、イリスは祈るようにオルゴールボールを握りしめた。コレットを普通の女の子と同じだと思っていた。しかし、〈ドール〉と人が同じだと考える方が、どうかしていたのだろうか。イリス自身が異常なのか。
「私が〈ドール〉だったら……コレットのことわかってあげられたのかな」
天井を仰いでいた人形師が、冷めたカップを片付け始めた。カチャカチャという音に混ざって、
「私の場合、逆の言葉をよく耳にしますよ。どうして私は、人じゃないんだろうって」
イリスが目を瞠った。
「人に対する劣等感は彼らのほうだってあります。自分が空っぽであることに苦しんでいて……苦しいだけなら『こころ』なんていらなかったと、よく……泣いています」
どうして私は、人じゃないのだろう。
どうして人に、なれないのだろう。
互いに近くて遠い、埋められない差にもがいている。
「〈ドール〉たちがどうして人を羨むのよ」
「彼らだって完璧ではないからです。迷うことだって、間違うことだってあります。彼らにとって人の心ほど難しいものはありません。それを理解したいと願っています。また、あなたの言うように、人と重なる面も持っているから、その違いに絶望だってしてしまう」
イリスが怪訝そうに眉をひそめる。
「知っていますか? 〈ドール〉にだって個性があります。過ごす環境によって得られる経験は、彼らを変えるんです。彼らのそれは、私たちがプログラムしたものではなく、彼らが個々に獲得したものです」
「うそ。従順な性格にプログラムされたものじゃないの?」
「祖父が生みだした〈ドール〉は、機械をより人に近づけました。ある意味で彼らは彼らなりに学習し、進化する。それでも絶対的に欠けているものがあります」
「欠けているもの……?」
「成長する身体です」
イリスは息を呑んだ。
「ボディの変化なんて負担でしかないのに、憧れる〈ドール〉は多いんです。特にチャイルドタイプは、こころが未熟な状態で送り出されるから」
主人となる子どもと同じ目線になるように、一緒に学習していくように、設計される。
時間が経つにつれ、望めない成長とも折り合いを付けて、〈ドール〉たちは主人を見守るポジションを自覚するようになるのだ。主人が社会性を身につけ、反抗期を経て親元を離れるにつれて、自分の存在意義を意識し始める。
人は、いつまでも手の掛かる子どものままではない。
いくつもある成長ステージを、〈ドール〉は共にクリアしていけない。しかし、共に成長できないことが、主人の成長を促す役目を担う。主人が自立するその時まで見守り続ける道具なのだ。
そういう意味で、コレットは特殊な〈ドール〉である。主人の成長に合わせて、同じようにボディを換装してきた。〈ドール〉たちが望めない成長を擬似的にも行ってきたのだ。
(ココ!)
こころの叫びは、声にならなかった。
「そうです。あなたの〈ドール〉には可能性があった。他の子では得られない可能性が。さっきも言いましたが本来許可できない無茶苦茶な類いなんですよ」
セルダン夫妻でなくとも〈ドール〉の成長を望む契約者は存在する。しかし、〈ドール〉の負担になるためラブロックではそのほとんどを断ってきた。コレットに限って、ルタの祖父エリック・ラブロックが試験的にでも要望に協力できたのは、環境が整っていたためだろう。
コレットがチャイルドタイプであり、イリスの姉妹として契約したこと、ボディの換装に伴う費用や家庭に問題がないこと、イリスと共に学校へ通うことができること、学校に問題がないこと、もちろんセルダン夫妻への大きな信頼もあったことだろう。
大きな問題がなくても、年に数回必ずメンテナンスを受けさせる余裕ある家庭であったことも理由の一つである。ルタの祖父は、コレットとその影響を受けるセルダン家の変化をも、つぶさに見てきたのだ。
「じゃあ、うちはその運用試験へ協力していたの?」
苦笑して「まだその段階とは呼べません」と人形師は言う。
「細かなサポートができなければ、祖父はセルダンさんの要望に応えなかったはずです。……思惑があって便乗したのは確かですが」
小さな子どものいる契約先の協力が、この試験には必要不可欠である。残念なことに、人形師の身内でこれを試す機会は設けられなかったのだ。
「うちの祖父は、あの子に一つの夢を託していたのかもしれません」
肉体の成長に伴うこころの成長とその変化を、〈ドール〉に与えられないかと希望を抱いた。それが及ぼす作用を調べる必要もあった。
きっとこちらもあの子には強い負担を強いていたでしょうね、と人形師が低く零した。
「あなたたちの抱える問題に大きく関わる話です。そのことが二人を苦しめていたようですね。祖父に代わり謝罪致します」
人形師の後頭部を見下ろして、イリスはぎゅっと拳を握りしめた。
「謝罪なんていらないわ。頭を下げないで。私たちの関係は、あの子の身体が成長するから捻れたんじゃない」
顔を上げた人形師は淡く微笑んでいた。それは、イリスの回答を予想していたからか、意外に思ったからなのか、安堵したからなのか、少女には読み取れない。
人形師は、紅茶を淹れ直すと告げて出て行ってしまった。イリスは再びぽつねんと部屋に残されたのだ。
(いつもならこんな時、ココが傍にいてくれるのに)
すでに窓の外は真っ赤に染められていた。その色はいつも見ている夕日よりも、深く、濃い。遮るものがない分、圧倒的に迫ってきた。こんなにも空は禍々しかっただろうか。背を向けると、自分の濃い影が床に伸びていた。それは内面の黒さを表しているようだ。
ああ、夕日が血の色に似ているんだ。
右手をイリスは押さえつけた。初めて誰かにふるった暴力は、あまりに乱暴で悲しく、痛かった。殴りつけた手も、胸の内側も痛い。
しかし、やさしい嘘に包まれて、その棘で互いに傷つけあうよりマシだと思ったのだ。
実際のところどうだったのだろう。
(私は、あの子がまた戻ってくると知って、動揺したんだわ)
コレットが成長することに不安を覚えたのは否めない。せっかく築き上げた自分の居場所を、ごっそり奪われるのではないか。真っ暗な闇に引き戻されるのではないか。何も出来ない、内気で惨めなイリスに逆戻りするのではないか。
腹を立てたのは、図星を当てられたせいだ。現に、コレットが消えただけで情緒不安定に陥った自分がいる。
(こんなにもあの子に依存してたんだ。これじゃあ重くて、重たくて……)
押しつぶされてしまうと、思わなかっただろうか。
――コレットにとって、私はどんな存在だったのだろう。
世界が軋んだとき、イリスはすっと内側にこもった。何もかもがどうでも良くなって、自身に価値が見いだせなくて、すべてから目をそらした。それは短期間の出来事だったが、コレットにはどう映ったのだろうか。
自分のせいだ、という妙な罪悪感を、イリスはあの子に植え付けたのではないか。コレットが屋敷から出てこられないよう、誘導したのではないか。自分とは違う存在になっていくコレットに、安堵したのではないか。
(あの子はそれもわかってたんだ。私が望んだから!)
イリスは手のひらに顔を埋めた。イリスの心情へ寄り添ってくれるコレットだからこそ、痛みに対し敏感に反応したのではないか。
ちょうど扉の開く気配がして、パッとそちらへ目を向ける。お茶を持った人形師が僅かに息を呑んだようだった。人形師は何かを言いかけて、口をつぐんだ。イリスは瞳に失望の色を浮かべる。
あの子を連れてきてくれたんじゃないの。そう問いかける気力もすでになかった。
思いを口にしてしまったら、立ち上がれなくなる予感があった。自分の弱さがひどく惨めだ。
テーブルに並べられたお茶の匂いが、ぷんと漂ってくる。
「ねぇ、私は主人失格だった……?」
人形師は無言で湯気の立ち上るカップを差し出してきた。口を付けるつもりはなかったのに手に取ったのは、馴染んだ匂いに似ていたから。コレットの淹れてくれる紅茶と、似ていたからだ。
マシュマロを浮かべたミルクティは、気が塞いだときにあの子がよく作ってくれた。お気に入りの葉っぱであまーく仕上げたそれを手に、『元気が出るよ』といつも持って来てくれたのだ。無言の時間が続いても、辛抱強くイリスの傍にいて、コレットは話を聞いてくれた。
(ねぇ。……コレットは必要ないって意味じゃないんだよ)
ぽたりとカップに波紋が刻まれた。ただ傍にいてくれるだけで、どれだけ励まされただろう。いつも隣にあった心地よい重さは、もう二度と戻ってこないのか。
(本当に、情けなくてみっともない。私の強さなんてただの虚像だわ。あの子がいてくれるから、頑張ってこれたの)
自分たちの関係が、どこか歪なことにイリスだって気づいていた。
家族と呼ぶには隔たりがあることも。
(だからって、このままで終わりたくない!)
「お願い、ココに会わせて……。あんな別れかた、したくないよ!」
不意に開けっ放しだった扉から、うわ、と小柄な影がまろび出た。コーンと耳に馴染んだ涼やかな音がする。驚愕に振り返ったイリスが見たのは、戸口で何かを突き飛ばしたようなポーズのキールと、目をまん丸に見開いて硬直したコレットだった。
膝をついたコレットの両肩をがっしり押さえ、キールがにやりと笑う。




