episode 09
「だから、がんばったの。そこから脱出して、コレットに頼らなくてもいいように。同じだけど、違う自分になりたかったの」
自分の片割れに追いつこうと必死になった。苦手なものを克服すべく、敢えてチャレンジするようにもした。クラス委員へも立候補し、勉強やクラブ活動も積極的に行うようになった。目立つことを恐れない強さを得ようと足掻いた。
努力のすべては、憧れに近づくためだった。
妙な劣等感を抱くことなく、隣にいたいがためだ。
(私が私を見失うことを、あの子のせいにしないため)
自分に足りないことの言い訳を、大事な家族にかぶせないためだ。
「だけど、あの子は私の欲しかったもの全部、手放したわ」
あっさりと、こともなく。
コレットは何でも出来るから学校へ行く必要がない。
イリスはわだかまりを残しながら、無理にそれを呑み込んだ。
コレットがコレットであることには変わりないし、あの子が望むなら、今まで通り家では傍にいてくれるなら、学校に価値がないなら、強要はできない。そう自分に強く言い聞かせたのだ。
「確かに、〈ドール〉は学校へ通う必要ありません。知識は自発的に蓄えることができますし、必要であれば技術なりインストールすれば良いのですから」
そのため普通の子どものように通学できる環境は珍しい、と人形師は付け足す。それが可能であれば、子どもと同じ視点に立てる兄弟型〈ドール〉は、より主人を理解することができる。
しかし、〈ドール〉は人間の子どもとは違うため、彼らに混ざると奇妙に浮いてしまう。子どもは異分子に敏感であり、理不尽を平気で振りかざす。好奇心で人を傷つけることも陥れることもある。臨機応変に対応できなければ、馴染むことは難しい。
最適であると知りながら通学させない理由の一つは、〈ドール〉の破損を警戒してのことだ。兄弟型といえど、その多くは自宅で主人の帰りを待つのが常なのである。
「あの子はどうでしたか。学校へ通っているようすは」
予想外の質問に、「え」としばしイリスは考え込んだ。
「普通、だったと思う。普通にクラスに馴染んでいたわ。クラスメイトの誰とでも話せたし、うちの学校男子もいないし、不良もいない。……気の強い子とかいるけど、ココが〈ドール〉だと知ってもみんな態度は変わらなかった。私の知っている範囲では」
ココとは、〈ドール〉『コレット』の愛称だ。ココと呼ぶときのイリスは、無意識だが表情が柔らかくなる。
「良い環境だったのですね」
「……そうだったらいいと思うわ」
四六時中必ず共にいる訳ではないため、イリスの関知しないところで問題はあったかもしれない。『何でもできて当然じゃないの』『〈ドール〉なのにこんなことも知らないの』とせせら笑う声がなかったと、断言できなかった。
(あの子には、あの子なりの悩みがあったのかもしれない)
(私と同じように)
イリスは小さく苦笑した。
「でも、家にいてもあの子はあまり楽しそうじゃないの。私の話もよく聞いてくれるし、何も言わないけど……笑顔、明るく見えないもの」
「笑顔?」
「そう。笑ってるけど、笑ってない気がするの。昔のほうが、もっと笑顔だった。だってココは、人と話をするの大好きだったもの。だから……学校へ通う意味がなかったなんて、やっぱり思えない」
「あの子が、学校へ通いたいと思っていると」
「わからないけど、諦めさせたのは私だわ。私が、あの子の足を引っ張っているの。情けないけど、あの子が気遣ったのよ」
人形師は親指の爪を噛んだ。深く思案に沈んでいたが、ぽとりと訊ねる。
「あなたは、彼女を学校へ通わせたいのですか?」
回答にはしばしの時間が必要だった。答えを探すようにイリスは視線を漂わせ、
「私は……私が原因で……あの子のしたいことを諦めて欲しくないの。だけどあの子は、そんな必要がないと端から諦めているし、当然だと受け入れている。……自分の意思なんて不要だと考えているのよ。それが私は許せない。――だけど、どうしたいのかって言われると……」
イリスは言葉を濁して俯いてしまった。
その様子を人形師は静かに見つめた後、手元の記録へ目を落とす。
そこには、チャイルドタイプ〈ドール〉の成長と、子ども社会への適応、登校させることへの変化、主人との関係性、その優位性や危険性等の問題点が記されていた。ルタの祖父が残したコレットの記録である。しかしそれは三年前に中断されていた。理由は記されていない。
「……データ通りではあるんだけどね……」
がりがりと頭をかいて、人形師は面白くなさそうに足を組み替えた。その呟きは届かなかったのか、イリスは眉根を寄せてテーブルを凝視している。ややあって息を吐き出した。
「三日前、あの子を叩いたわ」
「へ? あなたが?」
「……ええ」
それを告白するのは、勇気が必要だった。右手を、左手でそっと押さえた。生々しい感触が残るそれを。
「もうすぐ私、誕生日なのよ。それ自体は大したことないんだけど、数年前まで……私の誕生日は、コレットがボディを変えて戻ってくる日でもあったの。だからだと思う。パパとママがあんなこと言い出したのは」
三日前の夜、ふと目覚めたイリスは隣に自分の〈ドール〉がいないことに気づいた。無意識に伸ばした手が触れたのは、ベッドに置いたぬいぐるみだった。枕元に置いた携帯末端で確認すると、時間は夜中の一時を大きく回っている。傍らで眠るはずのコレットがいない不安は、すぐに眠気を吹き飛ばした。
「……ココ?」
パジャマの上から大きめのカーディガンを引っかけ、ぺたぺたと家の中を覗いて回る。最初にトイレが浮かんだが、コレットには必要ない。リビングだろうか。
(こんな時間にココ、何してるの。どこにいるの)
〈ドール〉のコレットが、イリスの感知しないところで活動していたと今まで考えたことがなかったのだ。
ふと声が耳に入り、イリスの足は止まった。
「ねぇ、そろそろ頃合いじゃない? いつまでも小さいままじゃ不便でしょう」
母の声だ、と気づいた。両親の寝室から話す声が聞こえてくる。暗い廊下へ扉の隙間から明かりが漏れていた。
「イリスはもう大丈夫。あの子もじきに十三になるわ。積極性が増えて、安定してきている。一時、塞ぎこんでいたのが嘘みたいね。本当によく頑張っているもの。あなたのおかげよ、コレット」
「我が家自慢の娘たち復活かな? データによると、あの子の行動範囲もどんどん広がっている。コレットがついてくれると安心できるな」
「最近物騒だものね……。あの子は気むずかしいからあなた以外は寄せ付けないし。それに、またお揃いの二人が見れたら嬉しいもの。ね?」
両親の話している内容が自分のことだと知り、イリスはぎくりとなった。コレットと両親が密談していると、考えたこともなかったのだ。心臓が、高鳴った。緊張に呼吸が浅くなる。それぞれのベッドに腰掛けた両親が見入っているものは、空中に映し出されたイリスの映像だった。にこにことコレットに話しかけている姿、食事中に学校で起こったことに愚痴る姿――
(何、あれ)
コレットは両親の前に立ち、映像を次々に再生していく。その顔は不自然なほどに無表情だった。両親やコレット、並べられた観葉植物の影を映像の明かりが揺らしている。
「ふふ。最近のイリスは元気みたいね。安心したわ」
「学校や登下校での様子を知れないのは、少し残念だね。コレットが大きくなったら、またあの子の傍にいつもついていてくれるのかな」
楽しそうに両親は笑いあっている。
イリスはそれを盗み見しながら、そうか、と得心がいった。会話が少なくても娘のことをよく把握している両親だった。ああしてイリスの情報を入手してきたのだ。
「……前にもお伝えしましたが、外に私がいると……イリスは嫌がります」
まごついた小声は、コレットのものだった。
「イリスは努力しています、とても。積極的にクラスメイトともコミュニケーションを取って、勉強にも力を入れています。それを壊すことはできません。……今のまま、離れているからこそ彼女は安定できるのでは」
「確かに成績は上がっているね。学校からの評価も変わってきている」
「それとコレットはどう関係するのかしら? 何故一緒にいてはいけないの? 家のことの心配なんて無用よ? あなたはそんなことをするために、うちにいるんじゃないのだから」
イリスは息を呑む音がしないよう口を押さえた。三人が気づかないうちにと、身を翻す。あれ以上彼らの会話を聞くのが怖くなったのだ。
部屋へ戻ってからも、あの会話が耳の奥にへばりついていた。今の話は何だった? どういう意味だった? なぜこんな時間に自分の映像を三人は見ていた? 明かりを付けることさえ忘れて、イリスは自分自身を抱きしめる。
しばらくすると、不意に小さな明かりが点った。びくっとイリスは肩を弾ませる。戻ってきたコレットが「まだ起きていたんだ」と珍しそうにしていた。「どうしたの、眠れなかった?」と話しかけてくる態度は、いつもと何ら変わらない。
今までもああして、パパやママに何か報告していたの。内緒だって打ち明けたことも全部、あの人たちに筒抜けだったの。カッとなってイリスは問い質そうとした。だが、腹の内で渦巻くばかりで声にならない。きっと、その通りだからだ。子どもを管理するために、兄弟型の〈ドール〉が存在している。プライバシーなんてないに等しい。yesという返事なんて聞きたくない。
これは、両親の目として与えられた〈ドール〉だ。
命令に従って、傍にいてくれるだけ。
(誰より私の側にいてくれても!)
思い詰めた顔つきの主人を怪訝に感じたのだろう。イリス、と心配げに覗き込むコレットの両肩を、つかんだ。
「ねぇ、私はココといて、嫌だと思ったことは一度もないよ」
自分がどうしようもなく矮小な人間じゃないかと、自己嫌悪に陥ることはあっても。情けなく感じることはあっても。
「ココが私を傷つけるってどういう意味なのか、教えて。あなたとパパとママは、私に何を隠しているの。言ってよ」
「まさかさっきの話……聞いて……?」
「答えて! どうして私から離れなきゃならなかったの」
長い髪を切ったのも。成長することをやめたのも。
外との繋がりを断ったのも。男の子のような格好をするのも。――私から離れていくのも。
「ねぇ、コレット。あなたは私のために、何を手放したの」
今ではイリスよりずいぶん小柄なため、俯くコレットの旋毛が見えた。鏡に映し出された自分だと思う時期もあった。それほど近い存在だったはずの少女は、顔を上げると見知らぬ誰かのようだった。
(そんな顔、しないでよ)
髪を切ってからのコレットは、いつだって表層的に笑う。感情を殺した、上っ面だけの微笑なんて欲しくない。
(小さい頃のココは、そんな顔しなかったじゃない!)
手を引っ張ってくれていたころの、片割れは。
「イリス、私は何も手放してなんかないよ」
コレットが宥めるようにベッドへ上がり、イリスの腕に触れる。レースのカーテンごしに入ってくる月明かりに精一杯浮かべられた笑みが、白々しく見えた。
「私は短い髪が好きだし、学校も友だちもいらない。スカートより動きやすい格好の方が好き。家事をするのも楽しいし、喜んでくれるみんなの顔を見るのも好きだよ。私にとって大切なのはこのお家の人たちだけ。イリスだけ」
気づいたら、イリスの右手は小さなコレットに吸い込まれていた。パン、と乾いた音が響く。
「何が些細なことなのよ。全然些細なんかじゃない!」
コレットが、呆然とした面持ちで叩かれた頬を押さえていた。加減せずに叩いたイリスの右手もじんじんと痛い。だが、そんな痛み以上に心が裂かれるようだった。
「ねぇ、自分のことも優先してよ。自分のことを蔑ろにしないでよ。どうして……私に何も言ってくれないの。家族なんだって言ってよ!」
そんなに私は頼りないの。
そんなにコレットの足を引っ張っているの。
言うつもりのなかった言葉がどんどん口から溢れ出す。ひび割れた鏡が音を立てて崩れ落ちていくように、何かが脆く瓦解していく。
「私が傷つくですって? 余計なお世話よ! 離れたほうが支えていられるし、安心できる? 私がいつそんなことを頼んだの。勝手に決めつけないで。私は、あなたなんかいなくても立ってられる。どれだけ私を馬鹿にしたら気が済むのよ! そんなにみっともないの? 何にもできないって思ってるわけ?」
手近にあった枕やぬいぐるみを、イリスは感情のまま投げつけた。
「おち、落ち着いてよ。馬鹿になんてしてない。イリスはがんばってるよ! 私はその邪魔をしたくないだけ。どうすればベストな状態か、少し考えたらわかることだし」
「聞きたくない!」
弁明を遮るようにイリスは扉を指し示した。
「出て行って」
「……イリス?」
〈ドール〉から顔を背けたまま、さらに繰り返す。
「出て行きなさいと言ってるの! もうココの顔なんて見たくない! 出て行って! ココなんか大っきらい!」
窓ガラス越しに、呆然と立ち尽くした〈ドール〉の頬に涙が伝ったのを見た。つうっと溢れた涙にも気づかないほど真っ青になっている。
初めて見たコレットの涙だった。〈ドール〉も泣けるんだ、などと考えたイリスも、ドアの閉まる音を聞く前にベッドへ突っ伏した。
「あの子を見たのはそれが最後。翌日にはもう、屋敷から失踪していたわ」
長い説明が終わったころには、人形師が額に手を当てていた。




