そういう関係
意識の向こうから、細々と誰かの声が聞こえてくる。
「…え…ざと…ですね」
「いま…でしょ…」
「…せい…悪い…」
「…じゃあないよ…に…クセ…たら?…なんだから…」
「無理…」
「じゃあ…俺……に…するなよ」
二人の会話は、やがてはっきりとしてくる意識の中で、現実のものとなってきた。
「お願いします…茅」
…茅?
「自分の態度を改めるべきだね。…あ、今田さん起きた?気分はどう?」
自分をのぞき込んできた顔を見て、蝶子はようやく意識をはっきりさせた。
なぜ自分が寝ているのか理解できていない蝶子は、ボーッとする頭で「はい」と呟いた。
蝶子の返答に満足したように高本が微笑めば、蝶子はゆっくりと上半身を起こして辺りを見渡した。
「今田さん、覚えてる?暗室に入って倒れたんだよ。アルが大慌てして今田さんを抱きかかえてるからビックリしたよ。体調が悪かったなら言ってくれればよかったのに」
優しく叱る高本の言葉に、蝶子は罪悪感を募らせた。
また迷惑をかけてしまったようだ。
まったく、自分のふがいなさに腹が立つ。
並べられていた椅子の上に寝ていたらしい蝶子は、自分の上にかぶせられていたブレザーに視線を落とした。
どうやら高本のものらしい。
蝶子は再び顔を上げ、申し訳なさそうに言った。
「あの…ご迷惑おかけしてすいませんでした。これ…」
蝶子がブレザーを差し出すと、高本は何も言わないまま笑顔でそれを受け取り、すぐに身につける。
それを見ていた蝶子は、部室に残っているのが十五と高本、それに自分だけだということに気が付いた。
「皆さんは?」
「とっくの昔に帰ったよ。今田さんが目を覚ますまで俺と黒澤先生が残ってることになってね」
悪意のない高本の言葉に、蝶子はただただ萎縮するしかなかった。
「本当にすいません…」
「別に構わないよ。疲れていただけみたいだったから、保健室にも連れて行かなかったんだ。俺たちが勝手にやったことだし、むしろこっちが感謝」
「感謝?」
「今田さんのかわいい寝顔が見られたからね」
高本がそう言って意地悪っぽく笑うと、蝶子はようやく感謝の意味を理解して顔を赤らめた。
それからチラリと十五の方を盗み見れば、十五は座ったままこちらを無表情で見つめている。
十五の様子から怒っているような雰囲気は感じられない。
蝶子は少しだけホッと息をつくと、高本はそれを見て十五に振り返り、静かに言った。
「じゃあ今田さんが起きたので、送っていきますね」
「ええ、頼みます」
高本の申し出をすんなりと聞き入れた十五の態度に、蝶子は密かに眉をひそめた。
あれだけ高本を敵視していた十五が、あっさりと高本が蝶子を送り届けることを許したのだ。
不審に思わないはずがない。
それに意識が朦朧とした中で聞いた会話が二人のものなら、ますますおかしいと思えてくる。
虚ろではあったが、高本が十五に対して、はっきりとタメ口をきいていた。
それに…。
「先生…」
「何か?」
「いつの間に高本先輩を…名前で呼ばれるほど仲良くなったんですか?」
特に深い意味は持たなかった。
ただ興味があって聞いただけなのに、十五は静かに眉をひそめ、それからチラリと高本を盗み見る。
高本も高本で、しまった…という表情を浮かべ、十五を見つめながらため息を漏らした。
「駄目だね…話を聞かれてたんじゃ言い訳しずらいよ。素直に話すべきだと俺は思うけど」
「まったくですね…すいません茅」
「本当だよ。今の今まで隠してたのに…。ま、知られたのが今田さんだったってことは救いだけどね」
「あ…あの?」
聞いてはいけなかったことだったのだろうかと蝶子が首を傾げながら声を掛けると、高本と十五は同時に蝶子に振り返り、先に口を開いた高本の言葉からとんでもない事実が発覚した。
「兄弟なんだ」
「…え?」
「俺と、黒澤先生。正真正銘、血のつながった兄弟なの」
あまりにも突然の事実に、蝶子は目を大きくしながら高本を見る。
高本の表情から冗談を言っているようには聞こえない。
蝶子は何も言わないまま十五を見れば、十五は無表情のまま立ち上がり、コクリと小さくうなづいた。
「まぁ、そういう関係です」
「えぇえぇっ!?」
一瞬にしてボーっとしていた頭が冴えた。
蝶子はその事実を受け止めようとするも、様々な疑問が浮かび上がってくるため、納得しきれない。
どちらに事実を確かめればいいのか、二人を交互に見つめれば、ようやく蝶子はひとつの事に気がついた。
確かに似ているかもしれない。
今まで感じたことはなかったけれど、顔はそれほど似ていないものの雰囲気がそっくりだ。
見比べれば見比べるほど酷似している。
蝶子は何をどう尋ねていいものかわからず、高本を見た。
「ちなみに、俺、今田さんと兄さんが付き合ってるのも知ってるよ」
ケロッとした高本の告白に、蝶子の心臓が一瞬だけ大きく跳ねた。
まさかこんな身近にいる人に知られていただなんて夢にも思っていなかったからかもしれない。
高本が十五の事を兄さんと呼んだ時点で、今まで受け入れがたかった二人のつながりに多少納得ができてきた。
頭の中に余裕ができてきた蝶子は浮かび上がってきた疑問をひとつひとつ解決していこうとすれば、十五がノートパソコンを閉じながら高本に言った。
「とりあえず学校を出ましょう。他の誰かに聞かれてはマズイでしょう」
「そうしたほうがいいね。ほら、今田さんも行こう」
「わ、私も?」
「俺たちが兄弟と知ったら、聞きたいこと山ほど出てくるんじゃない?」
高本の問いに、蝶子は素直にうなづくと、十五はそれを見てノートパソコンを持ちながら急いで部室を出て行った。
それを無言で見送りながら、高本は自分の荷物と蝶子の荷物を持ち、蝶子に部室から出るように促す。
蝶子は混乱したままそれに素直に従って、部室を出た。
十五の車に再び乗り合わせた蝶子と十五、それに十五の兄弟と発覚したばかりの高本は、十五の運転中、始終無言で車に揺られていた。
その堅苦しい雰囲気がなんとなく重く感じ、それでも蝶子は自分の頭の中が次第に整理されていくのを感じられる。
浮かび上がってきた疑問たちを本当に聞いていいものだろうかと、蝶子は酷く悩んだ。
きっと二人はどんな質問にでも答えてくれるだろうが、それは果たして自分が尋ねていいものかわからないものまで含まれているからだ。
立ち入ったことを聞かれるのは、人間誰しもが嫌がること。
二人の関係を知ってしまったら、自分はますます蚊帳の外のような感覚にとらわれる。
どうすればいいかと悩んでいれば、赤信号で止まったタイミングで、十五が口を開いた。
「どこへ行きますか?」
「あれ?この道、俺の家に向かってんじゃないの?」
「一応、実家の方向でもありますから。家が駄目なら食事をしながらでも構いませんが」
「ああそうか。じゃあ俺の家でいいじゃん。飯くらい用意するよ」
「では、そうしましょう」
兄弟である高本に対しても敬語を使う十五の態度に、蝶子は少しならずか疑問を抱いたが、後ろに座る高本に顔だけを向けて、今浮かんだばかりの別の疑問を投げかけた。
「高本先輩は…ご実家ではないのですか?」
「俺、一人暮らししてるから。実家はちょっと都合が悪くて」
肩を竦めながら漏らす高本の言葉に、十五は付け足すように言った。
「茅は黒澤家の人間であることを隠しているんですよ。だから苗字も母の旧姓を名乗っているんです」
「なぜですか?」
「金目当ての人間が近づいてくるからね。俺、そういうの嫌いだし。兄さんがそういうので、苦労してるの見てきてたから」
そう言われて初めて気がついた。
兄弟ということは、高本も正真正銘黒澤財閥の息子なのだ。
今までそういった雰囲気を見せなかったから、まったくと言っていいほどわからなかった。
ようやく二人が兄弟だという認識を持ち始め、二人の雰囲気から次の質問を繰り出してみた。
「でも…高本先輩、この前、先生の車を見たとき、とても驚いてらしたじゃないですか?」
「兄さんが、フェラーリ買ったなんて知らなかったんだ」
高本が半ば呆れながらそう言えば、信号が青に変わったのを見て、再び車を発進させ、十五は無表情のまま高本に言った。
「新車ですから。君たちを最初に乗せたのは、この車を購入して一週間しか経っていませんでした」
「前のBMWはどうしたのさ?」
「ちゃんと持ってますよ」
「これで何台持ってるの?」
「父から頂いたロールスロイスを合わせて3台です」
「あれ?母さんから貰ったベンツは?」
「好きになれなかったので兄さんに差し上げました」
「そんなことしたら母さん泣くよ?俺が免許取ったらどれか頂戴。このフェラーリがいい」
「これは駄目です。ずっと欲しかった車ですから。欲しいなら新車を買って差し上げます」
「やったね。実はポルシェも捨てがたかったんだ」
「悪趣味ですね」
「ポルシェを馬鹿にするなよ兄さん」
「馬鹿にしたのは車ではなく、茅です。兄に車をたかるとはいい度胸をしているなぁと」
「買ってくれるんでしょ?」
「約束します。そうでもしなければ納得してくださらないでしょう?」
二人のレベルの高い会話を聞いて、蝶子はもう何も言えなかった。
レベルとは会話ではなく金額のことではあるが。
どんな形とはいえ、二人の滑らかな会話を聞いていれば、それはもう二人の関係が兄弟だということを納得するしかないようだ。
二人が会話に花を咲かせている間、蝶子は何も言えず、口をつぐんで前を見据える。
それに気づいた十五が申し訳なさそうに蝶子に言った。
「すいません…黙っているつもりはなかったんですが…」
「いえ、怒っていませんよ。ただ本当にビックリしてしまって」
慌てて蝶子がそう言えば、後部座席に乗っていた高本は体を前に乗り出して二人の間に顔を出した。
「今田さん、兄さんに敬語使ってるの?」
「え?あ、はい」
蝶子が申し訳なさそうにそう言えば、高本は「ふーん」と生返事をして運転中の十五を見る。
「恋人でしょ?兄さんも今田さんにまで敬語?」
「そうですよ」
振り返りもせずに十五がそう答えれば、高本は面白くなさそうに蝶子に振り返った。
「兄さん、兄弟の俺にまで敬語なんだよ?昔は普通に話してたのにさ。急に敬語になっちゃって。気持ち悪いからやめてくれって言ってるのに」
「茅」
嗜めるように十五が高本の名前を呼ぶ。
高本は答えるように振り返るも、十五はそれ以上なにも言わず運転を続けている。
少しだけ気まずい沈黙が走ったが、蝶子はそれをかき消すように高本に尋ねた。
「先輩は…その…いつから私と…その…先生の関係を?」
「蝶子さん。また僕のことを先生と言いましたね?」
「だ、だって…」
「茅の前では別に構いませんよ」
言い訳をしようとした蝶子の気持ちを察してか、十五は問答無用と蝶子に言う。
蝶子が恥ずかしそうに頬を赤らめれば、高本はそれを見てクスクスと笑った。
「俺も今田さんのこと、これから蝶子ちゃんって呼ぼうかな?」
「駄目です」
「何で兄さんが駄目って言うのさ?」
「ただでさえ荒川君やアルフレッド君が彼女を名前で呼ぶのを不愉快に思うのに、血縁者の茅が彼女の名前を呼ぶと、そう思うだけで生き埋めにしたくなります」
「げっ。兄さんならやりかねない…やめとこ」
「私は別に構いませんよ?」
不機嫌そうな十五の言葉に、肩を竦めた高本が、あまりにも不憫に思え、蝶子が慌ててそう言えば、高本はキョトンとした表情で蝶子を見、それから十五にニヤリと笑みを浮かべて言った。
「だってよ、兄さん。本人が良いって言ってるんだからいいよね?」
悪戯っぽくそう言った高本の言葉を聞き、十五はようやく少しだけ無表情を崩し、眉をひそめれば、運転をしたまま蝶子に言った。
「…蝶子さん…。僕を嫉妬で狂い死にさせるつもりですか?」
高本の居る前でなんて事を言うのだろうかと、蝶子がギョッとした表情を浮かべれば、高本はそれが可笑しかったらしく、後部座席に身を沈めながらお腹を抱えて笑った。
初めて来た高本の住むマンションはいたって普通のマンションだった。
つい最近建てられたばかりの物件のようで、真新しい綺麗な作りだ。
蝶子が住むマンションは雇用促進マンションなので、お世辞にも綺麗とは言い難い。
高本は車を降りるとマンションの一階にある一番端のドアの前に立った。
どうやら家の鍵を探しているようで、体中をパタパタと触り、ポケットにはなかったらしく、だらしなく口の開いたままの鞄の中までのぞき込んだ。
「っかしいなぁ…どこやったっけ?」
「見つからないのですか?業者を呼んだ方が?」
「いや、多分あるはず…」
十五の提案に、高本は確信が持てないまま断りを入れる。
業者を呼ぶだなんて大げさではないかと思い、蝶子は「じゃあ」と口を開いた。
「大家さんに言いますか?合い鍵お持ちでしょうから」
遠慮がちに蝶子が言えば、高本は鍵を探す手を休めずに言った。
「無理無理、俺だもん」
「え?」
「このマンションの大家、俺だから。高校生が大家だなんて信頼性欠けるし、普段は中年男性のアルバイト雇ってその人に任せてるけど…。…あ、あった」
高本はケロリとそう言って、ようやく捜し当てたカードキーを取り出し、それを差し込んだ。
蝶子は高本があまりにもサラリと言った言葉に、一瞬理解ができなかった。
それを見ていた十五が、無表情ながら蝶子に尋ねた。
「ちなみに蝶子さん。僕の住むマンションは僕の所有物だってご存じでした?」
「えぇっ!!」
さすが…と言えばいいか、何と言えばいいか…とにかくもう何も言えず、蝶子がただただ驚いていれば、高本はクスクスと笑いながらドアを開け、蝶子と十五を招いた。
高本が手料理を振る舞うとやる気満々だったのに対し、十五はそれをやんわりと断り、ピザ出前を取ることになった。
どうやら蝶子に自分との関係がバレてしまった、高本への償いらしい。
ピザの出前は初めてだったらしく、十五は高本の家に届いていたピザのチラシを興味深げに眺めていた。
高本への償いが3だとすれば、ピザへの興味が7といったところだろう。
高本もそれに気づいていたらしく、飽きれ笑いを浮かべていたが。
この二人が決定的に違うのは生活感だ。
同じ財閥の息子とはいえ、高本はそれなりに一般に溶け込んでいる生活を送っている。
それに比べ、十五は真逆の高級志向のようで、一般庶民の生活は珍しいらしい。
いったい、今までどのような生活を送ってきたのか、そちらの方が疑問だ。
配達されたピザを食べながら、三人はたわいもない会話を繰り返した。
蝶子はその会話を聞いて、だんだんと自分の疑問が解決され始めた。
十五は、高本の趣味がカメラだと知らなかったこと。
高本が蝶子と十五が付き合っていると知ったのは、十五が顧問になった夜に、電話で事実を問いつめた時だということこと。
そしてどうやら、高本と自分が付き合っているという噂も二人とも耳にしていたこと…。
「兄さんね、俺と蝶子ちゃんが付き合っているって噂を肯定してほしいって言うんだよ」
「…どういう?」
「つまりはさ、俺と蝶子ちゃんが付き合ってることにしておけば、蝶子ちゃんと兄さんの間柄は疑われずに済むだろ?」
呆れたように高本がそう言えば、十五は無表情のまま、高本が入れてくれたコーヒーを口に含んでいた。
どうやら虚ろう意識の中で聞いた会話はこれだったらしい。
だから十五は高本にお願いしますなどと言っていたのか、と蝶子は一人で納得していた。
「でも俺、それじゃあ困るんだよね」
「そうですよね。私なんかと噂になったら、先輩、困りますよね」
「そうじゃなくてさ。俺にも好きな人ってのがいる訳。その人の耳に入ったら困るもん俺」
「えっ?!好きな方いらしたんですか?!」
すんなりとした、高本の想い人の存在発言に、蝶子は驚いた。
と言うのも、蝶子が知っている高本は、言い方が悪くなるけれどカメラ馬鹿だ。
部室くらいでしか顔を合わせないから、そう思えたのかも知れないが、恋沙汰などには人一倍疎く感じられる。
自分もあまり変わりないのだが…。
「蝶子ちゃんの身近な人だからなおのこと、そういった噂は避けたいんだ」
「私の知ってる人?…お聞きしても宜しいですか?」
遠慮がちに尋ねれば、高本はすぐさまコクンと頷いた。
「沖田だよ」
「え゛…」
高本の好きな人を聞いた瞬間、蝶子は言葉にならずに絶句した。
蝶子の知人で言う沖田と言えば、要しか思い浮かばなかったからだ。
「何?もしかして沖田って好きな人いたりするの?」
「いえ…そうではなくて…要ちゃん…もう…その噂…知ってます」
「げっ」
ようやく事実を知った高本は、眉間に皺をよせた。
「どうしてくれんのさ、兄さん」
「僕が噂をしたわけではありませんよ」
「もとはと言えば、兄さんが蝶子ちゃん目的で、写真部の正顧問になるからだろ?」
「蝶子さん目当てであったことは認めますが、だからと言って僕のせいにされるのは不愉快ですね」
正論のような、そうでないような十五の言葉に、高本はむぅっと口を尖らせた。
その時、丁度誰かの携帯が鳴った。
蝶子は自分の携帯かと、取り出すも携帯は微動だにしていない。
高本も同じだったようで、だとすれば…と、蝶子と高本は同時に十五の方を見た。
「…ちょっと席を外します」
十五は自分の携帯を見つめながら立ち上がると、早足で玄関へ向かっていく。
その背中を見送りながら、蝶子はあることに気が付き、頬を赤らめた。
「…蝶子ちゃんの携帯、兄さんと一緒?」
高本は目敏くその事実を知り、蝶子に確認する。
高本に指摘され、蝶子はますます顔を赤らめて小さく呟いた。
「そう…みたいですね…」
蝶子の答えで高本は何かを察したように、クスクスと微笑み、机に肘を突くと、外に出て行った十五に聞こえないようにか、静かな声で蝶子に尋ねた。
「ね、蝶子ちゃん。兄さん、蝶子ちゃんと二人きりの時ってどんな感じ?」
「二人きりの時ですか…?」
「そうそう、兄さん笑ってる?」
「はい。学校では決して見れないような、とても可愛らしい笑い方をされますよ」
蝶子がそう言うと、高本は素直に驚いて、それから、ふと目を細めた。
「そっか…よかった」
高本の言葉がいまいち理解できず、蝶子が首を傾げれば、高本は少しだけ悲しそうに眸を揺らして蝶子に言った。
「兄さん…俺たち家族の前でも笑わないんだ。…だから安心したっていうか…。今から言うこと、兄さんには内緒ね?」
高本の言葉に、蝶子は理解できないまま小さく頷いた。
「兄さんって大学ですごくモテたんだ。黒沢財閥の息子ってのもあったし、あの容姿だから、寄ってくる女は腐るほど居て。来るもの拒まず去る者追わずって感じで、女遊びが激しかったんだよね」
淡々と十五の過去を述べていく高本の言葉に、蝶子は黙ったまま耳を傾けた。
今の十五からは想像も出来ない話の内容ではあったが…。
「大学の二年の頃だったかな?兄さん、半年ほど行方不明になってた時があったんだ。どれだけ探しても見つからなくて、でも半年経ってから、急にフラリと帰ってきて。何があったのか全然言わなかったけど…その時にはすでに今みたいになってたよ。誰に対しても笑わないし、誰に話すにしても敬語になって。目なんて悪くないのに眼鏡かけて…。人を寄せ付けなくなってた…家族でさえ…」
そう言って高本は、静かに視線を落とした。
高本の姿が、あまりにも弱々しく感じられたのは、きっと蝶子の勘違いではないだろう。
けれど、次に顔を上げた高本の表情は優しく、蝶子は心の中で安堵した。
「大学卒業して、父さんの会社を手伝ってたのに…去年、急に教師になりたいって言い出してさ。もう家族皆ビックリだったよ。兄さんが教師になるだなんて夢にも思ってなかったから。しかも俺の居る神高に赴任して来てさ。ちゃんと先生やってんの。笑っちゃうだろ?」
自分の言った言葉に、高本はハハッと乾いた笑いを浮かべ、それから静かに蝶子と視線を絡めた。
「写真に興味がなかった兄さんが、いきなり写真部の正顧問になるだなんておかしいと思ったんだ。そしたら兄さん、素直に蝶子ちゃんとの交際認めちゃって。驚くどころか失神しそうになったよ」
大げさな高本の言葉に、蝶子は初めてクスッと笑みを漏らした。
高本も蝶子がようやく反応してくれたのが嬉しかったのか、クスクスと笑ってみせる。
「兄さん、よほど蝶子ちゃんのこと大切にしてるみたいだし、蝶子ちゃんも兄さんとうまくやってるみたいでよかった」
高本の優しい言葉に、蝶子は頬を赤らめるも、すぐに思い浮かんだ考えに表情を曇らせる。
それを察したのか、高本は蝶子の顔をのぞき込んでくる。
蝶子は聞いていいものかと迷いながらも、小さな声で高本に尋ねた。
「あの、先輩は、先生の知り合いで、私にそっくりな人ってご存じですか?」
「蝶子ちゃんに似た人?…んー、俺の思い出す限りではいないけど…。どうかしたの?」
「いえ…」
これ以上、言ってはいけない気がして蝶子が口を閉ざせば、高本は小さくため息をもらして蝶子に笑顔を向けていった。
「兄さんが君を傷つけるようなことがあれば、俺が蝶子ちゃんを守ってあげるから。だから今はただ兄さんの傍に居てあげてくれないかな?」
高本の優しい言葉に、蝶子は無言のまま静かに頷いた。




