解けない誤解
あれから十五が連絡を終えて帰ってきたため、茅と蝶子の会話は打ち切りになった。
二人の雰囲気に違和感を覚え、どんな話をしたのかと十五が帰りの車の中で始終、蝶子に問い詰めていたが、蝶子は明日の品評会の話だと誤魔化し続けた。
あまり納得していない表情を浮かべていたけれど、これ以上問い詰めても無駄だと思ったのだろう。
十五は急に明後日の話を始めた。
「どこへ行きたいですか?」
「……?どこへ?……とは?」
「デートですよ。約束していたでしょう」
ケロリと言ってのけた十五の言葉に、蝶子は息を詰まらせた。
あの話は本気だったのかと、今更ながらにして痛感し、突然のことで蝶子は頭が回らなかった。
デートだなんて、生まれてこの方したことがない。
それはつまり好意を寄せ合う異性同士が二人でどこかへ出かけるという認識はあるが、自分がその立場に立たされた途端、理解不能となっている。
とりあえず蝶子は頭の中で必死にデートスポットと呼ばれる場所を検索した。
相手は先生だし、まず近場は却下される。
最近新しいテーマパークが隣町にオープンしたのは知っているが、遊園地のようなその場所は大人の十五にとって子供っぽくはないだろうか。
ショッピングモールを回るにしても、自分の財布が悲鳴をあげそうだ。
映画はどうだろう?
趣味、趣向が合わなければつまらないに決まっている。
だからと言ってゲームセンターなんて十五には似合わな過ぎる。
カラオケは?
自分としては好意的な場所ではないけれど、以前栞に無理矢理連れて行かれたことがある。
人前で唄うだなんて滅多にないことだったし、流行の歌がよくわからなかったから、あまり面白くなかった。
十五が歌を唄うだなんてまったく想像できないところからすれば、まあ却下だ。
どうしてもいい場所が思い浮かばず、助手席でうーんと唸っていれば、それを横目に見た十五が笑っているのが視線に入った。
「……笑わないでくださいよ」
「すいません……とても真剣だったのでつい……」
そう言いながらも、今度は遠慮なしにクスクスと声を漏らして笑う十五に、蝶子はむぅっと頬を膨らませてみせた。
「なかなか決まりませんか?」
笑いを噛み締めながら尋ねてくる十五に、蝶子は膨れるのを止めて落ち込みながら小さく頷けば、十五はハンドルを握り締めながら静かに尋ねた。
「小さなものですけれど、住宅フェアに行きませんか?」
「住宅フェア?」
そんなデートスポットがあったのだろうか?と蝶子は思わず首をかしげる。
もしかしてとても流行っていて、ただ自分がそれを知らないだけなのかもしれないと内心で焦っていたが、冷静になって考えてみると、なんてことはない、住宅展示のフェアのことだと理解した。
しかしなぜ住宅フェアなのかと新たな疑問に直面し、蝶子はむぅっと可愛らしく眉をひそめて考え込んでいると、その様子を見ていた十五はクスクスと笑いながら補足説明を開始した。
「父の会社が今度、新聞社主催の住宅フェアに出展するんです。たいしたことはない、個人住宅ですのでそんなに大きなものではないのですが、新プランを公開するので気合が入っているんですよ」
「新プラン?」
「住宅にもプランがあるんですよ。なんて言えばいいか……携帯の機種みたいなものです」
「携帯……」
「……例えが悪かったようですね」
「す、すみません」
なかなか理解しない蝶子の様子に、十五が苦笑いを浮かべながら「いいえ」と優しく返答してくれる。
十五に持たせられるまで、携帯を持ったことがなかった蝶子にとって、携帯の機種を例に取り上げられたところで、理解ができなかったのだ。
自分の無知さに萎縮した蝶子を横目に、十五はしばらく口を閉ざし、数分後に蝶子の住まうマンションに到着したところで、人気のない脇路地に車を止め、エンジンを止めた。
「デートに住宅フェアなんてセンスがないかもしれませんが、案外面白いんですよ。大道芸人がやってきたり、テントの店が並んでいたり。もちろん住宅を見るのも面白いのですが」
自分のシートベルトをはずし、蝶子の方に向き直りながら話す十五は、なんだかいつもよりウキウキとしているように感じられ、蝶子はようやく笑顔を向けながら静かに頷いた。
「とても楽しそうです」
「よかった。では土曜日、10時にお迎えにあがります」
「はい、お願いします」
蝶子がやんわりとそう答えれば、十五は満足そうに微笑む。
それからふと、フロントガラスからすでに暗くなった周りを見渡した。
何があるのだろうか?と、蝶子もつられるようにフロントガラスの向こう側を見つめる。
すると、ふと自分の視界に影ができ、そちらに視線を向けなおせば。
すぐ近くに十五の顔があり、蝶子は驚きのあまり、思わず目を閉じた。
チュッと小さな音とともに、柔らかな感触が唇に生まれる。
それはすぐに離れ、終わったのかとうっすら目を開くと、十五の顔が間近に存在し、蝶子はまた自然と目を閉じる。
角度を変え、幾度と繰り返される唇への愛撫。
唇が離れるたびに名残惜しい気持ちがこみ上げ、唇が重なるごとにその欲求は満たされて。
胸の奥から熱いものがこみ上げて、その熱で脳が溶かされた気がするほどくらくらとする。
ついばむ様に、それは徐々に深いものへと変化して。
自然と半開きになった蝶子の口内へ、自分のものではない熱い異物が進入してくる。
絡みを求め、激しさが一層増してきた口付けに、蝶子は体制を保てなくなり、自分の上半身が次第に後ろに倒れていくのを感じる。
しかし、十五の手が蝶子の後頭部にまわされ、しっかりと自分のもとへ引き寄せると、カチッと互いの眼鏡のぶつかる音がした。
それはきっと一分にも満たない、短い時間だっただろう。
ようやく終わりを迎えた愛撫に、蝶子は目を潤ませて足りなくなっていた酸素を必死に補給しようと細かな息を繰り返す。
まだ間近で自分を見つめる十五の眸に、自分の眸が絡めば、どうしようもなく恥ずかしい気持ちが怒涛のように押し寄せ、蝶子は思わずうつむいた。
きっと真っ赤になっている。
キスが終わったと知った途端、まだ……と思ってしまった自分が心底恥ずかしい。
そんなことを考えるだなんて、自分はいつからそんなにいやらしい娘になってしまったのか、と、蝶子は俯いたまま、激しく蹴り上げる心臓を必死に抑えようとすれば。
十五が蝶子の手を優しく握り締め、静かに覗き込んできた。
「蝶子……さん?」
自分の様子がそれほどおかしかったのだろう、十五の心配そうな声が聞こえてくる。
なんと言い訳すればいいのだろうか、と悩んでいれば、十五は蝶子の体をそのまま静かに抱き寄せて、蝶子の耳元でつぶやいた。
「すいません……抑えられなくて……。嫌な思いをさせてしまった」
「い、嫌な思いだなんて……してません……」
なぜそう思われてしまうのかわからないが、とにかくそんなことはないと、即座に否定すれば、十五は蝶子から体を引き離し、けれども蝶子の両肩に手を置いたまま顔を覗き込んできた。
「本当ですか?」
疑い深い、いや、確認するように聞いてくる十五の言葉に、蝶子は火照った頬をさらに赤らめながら小さく頷く。
そうすれば十五はうれしそうに、あどけない笑みを浮かべながら蝶子の額に自分の額をコツンと合わせ、ずり落ちる眼鏡を直すこともなく蝶子を見つめた。
「そんな可愛い反応しないでください。このまま連れ去りたくなってしまいます」
困ったように十五が言えば、蝶子も困ったように、けれど、たとえ冗談でもうれしいことを言ってもらえたと、素直に喜びながら蝶子はクスクスと冗談で返した。
「明日も学校ですから」
するとどうだろう。
十五は急に真面目な表情をつくると、静かに蝶子から離れてまじまじと見つめてくる。
何かおかしなことを言っただろうかと、蝶子が首をかしげると、十五は眉をひそめて尋ねてきた。
「次の日が学校でなかったらいいんですか?」
「え、あ、はい」
「よく泊まりに行くのですか?」
「はい。友達のお家に。母の仕事を知っている友人が、気を利かせて土日に泊まりに来たらいいって言ってくれるんです。一人の週末は寂しいだろうからって。本当、時々なんですけど」
蝶子が素直に答えれば、十五は「なるほど」と納得したように頷き、それから企みの含んだ笑顔を向けてきたことに、蝶子は思わず身構えた。
「土曜日、デートの後、家に泊まりにきませんか?」
「え?」
「僕のマンションに泊まりにきませんか?と、お聞きしました」
「えぇっ!?」
唐突な提案に、蝶子は素っ頓狂な声を上げた。
夜も遅いことだし、控えめではあったけれど、車の中を満たすには十分な声量で。
蝶子の驚きの声に十五が驚いて、互いに驚いた顔をしていれば、その状況があまりにも滑稽なことに気がつき、二人同時にぷっと吹き出した。
とてもくだらないことだったけれど、なぜこんなに可笑しいのかわからないほど二人は笑い合って。
それからようやく笑いが収まるころに、十五は改めて蝶子に尋ねた。
「それで、やはり泊まりとなると、ご都合はよろしくないですか?」
「いえ、そういうわけではなくて……。ただ本当に驚いたというか……」
こんな展開を予想していなかった蝶子が素直に答えれば、十五は小さく頷いて蝶子の返答を待った。
これ以上同じ質問を繰り返すのはあまりにも女々しいと感じたのかもしれない。
蝶子自身、自分で答えを出さなければいけないとわかっている手前、十五の真剣なまなざしを見つめながら少しだけ照れたように笑った。
「お泊りセット作って、土曜日のお迎え待っていますね」
蝶子の返答に、十五は笑顔の抱擁で答えた。
―*―
ざわめく教室内で日常的な会話をしていた蝶子と要の元に、別のグループに混じっていた栞が話し合いを終えて二人のもとに歩み寄ってきた。
「お疲れ様、栞。結果的に栞は何種目出ることになったの?」
「バレーとバスケの二種目。まったく、冗談じゃないっつーの」
悪態吐きながら近くの空いている椅子を引っ張りだし、栞が背もたれを前にして跨ぐ様にそれに座ると、蝶子はクスクスと笑って、栞に同情した。
来週開かれる全校球技大会の種目を決めるホームルームが開かれた。
クラス対抗学年混合で開かれる球技大会は、毎年この時期に行われるものらしい。
今頃の時期は、三年生にとって一番重要な時期になるのだが、普通科や理数科以外の生徒のほとんどは就職組だ。
受験という言葉がほとんど頭の中に存在していない。
逆を言えば、普通科や理数科の生徒はもちろん大学受験がある。
そういう生徒を考慮しないあたりが校長先生らしいが。
受験勉強で息詰まった生活に、新鮮な風をもたらす、という意味でこの時期を選んだらしいのだが、これが結構好評だ。
この学校に集まる生徒は祭り好きが多いし、受験生だってたまには息抜きもしなければ受験などやっていられないのだ。
程よく勉強、程よく息抜き。
どちらともやりすぎは禁物だ、というのが学校の指針だ。
知識を学ぶための学校がそんなのでいいのかって話だが、生徒としてはいいものはいいのだ。
自由と責任。
それが一番の課題であるこの学校にとっては、勉強するのも自由、あとで後悔するのは責任といったところだ。
そんなどこにもないような校訓を掲げる学校なものだから、毎年の受験率は非常に高い。
得に高い偏差値を持たなくとも入学できる高校であるが、蝶子も苦労したことを思い出せば苦笑いしか浮かばない。
お気軽な学校イベントはこれだけではないが、その紹介はまたの機会とする。
そういうわけで、蝶子たちのクラスも勢い込んで種目を分けていたのだが。
種目はバレー、バスケ、卓球、サッカー、野球の全部で五種類。
男女別で、バレー、バスケと卓球は男女ともにある競技だが、サッカー、野球、は男子のみの競技だ。
一クラス30人編成の学校であるため、競技の掛け持ちが必要になってくる。
運動神経があまりよくない、というよりも、ごくごく平均的な運動神経の持ち主である蝶子と要は卓球を選択し、すんなり受理された。
一方、クラスでも指折りの運動神経を持つ栞は、あっちの競技でもこっちの競技でも引っ張りだこになっている。
結局バレーとバスケという動きの激しい二つの競技を掛け持ちすることになったらしい。
本人はバレーだけで十分だとかなり文句をたれていたが、決まったものは仕方ない。
まだ納得がいかない様子の栞は、蝶子の机に頬杖をつきながら盛大なため息を漏らした。
「あーあ、蝶子たちはいいよなぁ……卓球で」
「ほら、私写真部だから、できるだけ出番の少ないものにしておかなきゃ」
「そりゃそうだけどさぁ……」
むぅっと頬を膨らます栞に、蝶子はそれ以上の弁解が思い浮かばずに苦笑いを浮かべる。
学校イベントがあると、毎回写真部の面々は記録係として借り出されるのだ。
それは新聞部と分担しての仕事だが、写真を撮ることによって、それが卒業アルバムに使われるという寸法だ。
アルバムだけではなく、撮影した写真は廊下に張り出され、生徒が欲しいと思う写真を自由に選べる。
写真にかかる料金は部費からの出金なので、焼きまわしをしてそれを部費にすることが許されている。
イベント時は稼ぎ時なのだ。
新聞部は新聞部で自分たちのネタになるものが中心だが、写真部ではとくに決まりなどはないため、自由に写真を撮り歩く。
今年の写真部の入部者は蝶子一人だけだったため、写真部総動員で毎回この仕事をこなしてきた。
何もない時は自由気ままに写真を撮っている部活動だが、結構忙しかったりするのだ。
そういうわけで蝶子は意図的に卓球を選んだ。
卓球だなんて、授業で一回やったかやっていないかほどの経験しかないのだが、トーナメント方式で行われるので、一度負ければ出番は終わりだ。
たぶん、そうなるだろうということを見越して卓球にし、後は自分の好きな写真に没頭できるのだから、それほど幸せなことはない。
運動を自分から率先してやるほうではないけれど、こういった利点のある球技大会を、蝶子はかなり楽しみにしていた。
「蝶子はまぁわかるとして、何で要まで卓球なのさぁ」
「あら、だって卓球で早々に負けておかなければ、栞の雄姿を見に行けないじゃない」
「負ける前提か。よくそんなので学級委員が許したな」
呆れる栞に、要は目を光らせてケロリと言った。
「脅したもの」
「脅したの?何て?」
要の言葉に栞はギョッとして言葉を失い、蝶子も驚きながらも冷静に聞き返す。
彼女の奇抜な発言は今に始まったことではないし、それに慣れてしまっている自分が居ることにも驚きだが。
蝶子の質問に、要はにっこりと笑みを浮かべ、さも当然かのように頬に手を当ててやんわりと言った。
「“昨日かけてあげた呪いは効いたかしら?”と、尋ねただけよ?」
途端、栞と蝶子の元に氷河期が訪れた。
完全に固まってしまった二人だが、蝶子が何とかぎこちなくも、教壇の位置に居る男子の学級委員をみれば、こころなしかやつれているように感じられる。
普段は食欲旺盛でふっくらとした体格の持ち主であると認識していた蝶子は、困ったような顔をして要に言った。
「通りであんなにヤツレているのね?ダイエットを始めたのかと思っていたわ」
「ツッコミどころが満載なんだけど、どこからツッこめばいい?」
蝶子の真剣な言葉に、栞はガックリとうな垂れて、キレのないツッコミを披露する。
栞の言葉の意味が理解できず蝶子がキョトンとした顔をしていれば、要がおかしそうにころころと笑った。
「蝶子のそういうところ、私すごく好きだわ」
「私も好きだが、天然と意図的なボケが二人居ると、自動的に私がツッコミ役になるんだよなぁ」
「あら大丈夫よ栞。栞にはツッコミの才能あるわ」
「誰がそんな心配したよ」
真顔でツッコミを入れる栞に対し、要は愉快だと笑みを浮かべるも、二人の会話の意図が理解できずに、蝶子は何度も首をかしげて考え込んだ。
その様子があまりにも可愛らしく、栞と要は会話をやめ、蝶子に向き直る。
結局話題に入れないまま終話してしまったことに、蝶子が少しだけ不満そうにしていれば、栞はほにゃぁっと気の抜けた笑みを浮かべて蝶子に抱きついた。
「もー本当可愛い蝶子。タカチ先輩にはもったいないよぉ」
抱きついてくる栞を無抵抗に受け入れながら、一瞬何を言われているのだろうかと考え、それからようやく言葉の意味を理解して大きく慌てた。
「あの、し、栞ちゃん……」
「あら、蝶子、高本先輩とお付き合いしているの?」
十五と付き合っていることは伏せておいても、高本の為に誤解だけは解いておこうと蝶子が口を開けば、それを無意識に要の言葉がさえぎった。
寝耳に水といった様子で、要が珍しく驚いていると、栞は蝶子に抱きつくのをやめないままニンマリと要を見つめる。
「そうなのよぉ。この子ったら、隠し事してたのこのことだったらしくてね?昨日なんてタカチ先輩、わざわざ教室まで蝶子のこと迎えに来てさぁ」
「まぁ」
「あ、違……」
「もうラブラブって感じよぉ」
完璧に誤解したままの栞が、要に誤解のままの情報を伝えると、要は「まぁ!」と驚きを繰り返し、栞はようやく蝶子から離れたものの「熱い熱い」と茶化すように自分の顔を手のひらであおぐ。
このままでは本当に言い訳ができない状況になるのではないかと、蝶子が意を決して口を開いた丁度その時、タイミング悪く授業終了のチャイムが鳴り、次が移動授業だったために、その話はそこで終話となってしまった。




