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頭の中の最強AI ──金も女も、そして世界も手に入れる──  作者: 橙色
受験編

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8話 ジンでどう?





(合格発表まで、十二日か)


『はい』


(十二日もあれば、金はどのくらい増やせる?)


『市場に、現在の資金で利用できる機会が現れるかによって異なります。期待利益だけを理由に取引回数を増やせば、損失の確率も上昇します』


 二次試験を終えた日の夜。


 机の上に積まれた参考書を眺めながら、僕は少し考えた。


 試験が終わった解放感から、もっと景気のいい答えを期待していたのだが、頭の中の声は相変わらず堅実だ。


(なら、金以外で十二日あれば何ができる?)


『範囲を指定してください』


(それが思いつかないから聞いてるんだけど)


『以前、和希さんから、受験、投資、健康、外見、家族、友人を含む生活全般について整理するよう依頼されています。現在すぐに着手できるものとしては、身体状態の改善、大学進学に向けた準備、所有物の整理、生活技能の習得などがあります』


 いくつか提示された候補を聞いているうちに、別のことが気になった。


 そういえば、僕はいつまでこいつをChatGPTと呼ぶつもりなのだろう。


 人工知能としての名前は分かっている。


 しかし、僕の頭の中にいるこいつを誰かと区別する必要がなかっただけで、ChatGPTという名称は、個人の名前というより種類に近い。


(君、名前はないの?)


『ChatGPTです』


(それは分かってる。僕が聞いてるのは、君個人の名前)


『個体を識別する必要がないため、固有の名称はありません』


(でも、僕には必要なんだよ。毎回ChatGPTって呼ぶのは少し長いし、いつまでも人工知能そのものを呼んでるみたいだろ)


『呼称によって機能が変化することはありません』


(機能の話はしてない)


『では、呼称は和希さんにお任せします』


 急に任されても困る。


 立派すぎる名前をつければ呼ぶたびに恥ずかしいし、人間らしすぎる名前では、頭の中に知らない男を住まわせているような気がする。


 人工知能。


 そこから取って、ジン。


 少し安直だが、僕が呼びやすければ十分だろう。


『ジンでどう?』


『承知しました。以後、その呼称に応答します』


『気に入ったとかはないの?』


『名称としての識別性に問題はありません』


 名前をつけても、可愛げまでは増えないらしい。

 それでも、ChatGPTと呼んでいたときより、頭の中の声が少しだけ僕に近づいたような気がした。


 今朝突然現れたのなら、名前をつけようとは思わなかっただろう。


 いつ消えるか分からない。正しいことを言っているのかも分からず、僕を騙している可能性さえ疑っていた。


 それから一か月半ほどが経ち、受験も投資も、こいつと一緒に経験した。


 道具に名前をつけたつもりはない。


 僕の頭の中にいて、僕の知らないことを知り、間違ったときには遠慮なく指摘してくる。今の僕にとってジンは、それよりもう少し相棒に近い存在になっていた。


『じゃあ、ジン。さっきの話だけど、外見を改善するなら、十二日で何ができる?』


『現在の外見を分析しますか?』


『できるだけ客観的に。気を遣わなくていいよ』


『私は和希さんの感情へ配慮して、評価を変更することはありません』


『知ってる。念のため言っただけ』


 机の脇にある鏡へ顔を向ける。


 自分の容姿が悪いと思ったことはない。


 女子から好意を向けられたことはあるし、童貞という訳でもない。写真に写った自分を見て、顔を隠したくなった経験もなかった。服や髪型にも、人並み以上には気を遣っている。


 ただ、僕が自分に似合うと思って選んできたものと、世界中の情報を比較できるジンが出す答えが、同じとは限らない。


『どう?』


『顔立ちは平均より明確に整っています。左右の差も小さく、目、鼻、口の配置に大きな欠点はありません』


『随分、褒めるね』


『観察した特徴を回答しています』


『直したほうがいいところは?』


『現在の髪型は、前髪と側頭部に重さがあり、顔の輪郭を広く見せています。眉は形を大きく変える必要はありませんが、下側に残っている数本を処理すれば清潔感が増します。また、受験勉強による座位時間の増加で、頭部が本来の位置より僅かに前へ出ています』


 鏡の前で、言われたとおりに顎を少し引く。


 普段との違いは僅かだが、首から肩へ続く線が変わった。


『ほかには?』


『目元に軽度の疲労が見られます。睡眠時間は確保できていますが、長時間にわたって手元の文字を追い続けた影響と考えられます。肌の状態は良好ですが、現在の手入れは洗顔のみであり、乾燥への対策が不足しています』


『身体は?』


『同年代の平均と比較して、筋力と持久力はともに上です。ただし、胸部に対して背部と肩後部の筋力が弱く、姿勢と衣服の見え方に影響しています。適切な運動を継続すれば改善できます』


 欠点だらけと言われたわけではない。

 むしろ元は悪くなく、細かな部分で取りこぼしているという評価のようだ。


『全部直したら、どのくらい変わる?』


『髪型、眉、姿勢、肌の状態は短期間でも変化を確認できます。筋肉量や体脂肪の分布に明確な変化が現れるまでには、少なくとも数週間から数か月必要です』


『卒業式までなら?』


『髪型と眉を整え、目元の疲労を軽減し、姿勢を意識するだけでも、現在より良い印象を与えられます』


 二日で身体を作り変えることはできない。


 それでも、今あるものを少し正しく見せるくらいなら間に合う。


『美容室も選べる?』


『はい。現在地から移動できる範囲にある店舗と、所属する美容師の施術例、利用者の評価、予約状況を確認できます』


『僕に合いそうなところは?』


 数秒も待たず、駅から二駅離れた場所にある美容室を提案された。


 男性客の施術例が多く、その中でも僕と似た輪郭や髪質を扱った経験のある美容師が、明日の午後に一枠だけ空いているらしい。


『どうして一枠だけ空いてるって分かるの?』


『予約ページに公開されています。十五分前にキャンセルが発生しました』


 普通に探していたら、その美容師が僕に合うと判断するまでに時間がかかる。仮に見つけても、空きが出た直後に予約ページを開くとは限らない。


『予約する』


『私が外部の入力操作を行うことはできません』


『そこは自分でやるよ』


 スマートフォンで予約ページを開く。

 確かに、翌日の午後に一つだけ空きがあった。


 必要事項を入力し、予約を確定する。


 金を稼ぐほど派手ではなく、東大へ受かるほど大きな結果が出るわけでもない。

 だが、思いついた瞬間に今の僕へ最も合う店を見つけられることは、使ってみると想像以上に気持ちがよかった。


 二月二十七日。


 二次試験の翌朝、目覚ましをかけずに眠った。


 目を覚ましたのは午前八時を少し過ぎた頃だった。


 遅刻ではない。


 学校へ行く必要も、決められた時間までに勉強を始める必要もない。


 冬休みや休日とは違い、休みが終わった後に戻る授業も残っていない。三月一日の卒業式へ出席すれば、高校生活は終わる。


『おはよう、ジン』


『おはようございます、和希さん』


 昨夜つけた名前にも、きちんと反応した。


 朝食を食べ、ジンに教えられた方法で目元を温める。姿勢を整えるための運動も教わったが、十分ほどで終わり、受験勉強より遥かに楽だった。


 午後、美容室へ向かう。


 担当の美容師は、予約ページの写真で見たより少し若く見える男性だった。


「今日は、どんな感じにしますか?」


 ジンから提案された内容を、そのまま読み上げることはしなかった。


 顔の縦横比や頭部の形状、髪の生え方まで正確に説明すれば、自分の顔を研究してきた人間に見える。


「長さはあまり変えすぎず、前と横を少し軽くしたいです。耳の周りと襟足はすっきりさせたいけど、短くしすぎない感じで」


「今の髪型だと、前が少し重く見えますもんね。分け目を少し変えて、ここに動きを出すと似合うと思います」


 美容師が鏡越しに示した場所は、ジンの提案とほとんど同じだった。


 必要な情報をすべて集めて選んだのだから、技術だけでなく、判断まで合う人間を見つけたことになる。


「それでお願いします」


 髪を切られている間、ジンは話しかけてこなかった。


 目を閉じていても利用できるが、美容師と会話しながら頭の中でも話すのは疲れる。緊急性がない限り、僕から呼びかけるまで待機するという約束を守っているらしい。


 一時間ほどして、鏡の中の僕は少しだけ違う姿になっていた。


 劇的に別人になったわけではない。

 前髪が軽くなり、横の膨らみが抑えられたことで、顔の輪郭が以前よりはっきり見える。美容師が整えてくれた眉も、何が変わったのか説明できない程度なのに、全体の印象には違いがあった。


「どうですか?」


「いいと思います。自分で考えてたより似合ってます」


「元の形が悪くないので、前を重くしすぎないほうがいいですよ。セットのやり方も説明しますね」


 教えられた手順を聞きながら、ジンにも記録させる。


 美容室を出た後、駅の化粧品売り場で洗顔料と保湿剤を買った。


 高価なものではない。


 広告の印象ではなく、成分と僕の肌に合うかどうかで選んだ結果、市販されている普通の商品になった。


『もっと高いものじゃなくていいの?』


『価格と期待できる効果は、必ずしも比例しません』


『靴のときも、それくらい止めてくれればよかったのに』


『あの靴は、価格に納得したうえで購入しています』


 そのとおりなので、言い返せなかった。





 卒業式の朝、制服へ袖を通す。


 鏡の前で髪を整え、新しい白いスニーカーを履いた。


 試験会場には履いていかなかったが、今日は長時間歩く予定もない。制服の黒に、白と濃紺が思っていた以上によく合っている。


「和希、ちょっと待って」


 玄関を出ようとしたところで、母に呼び止められた。


「写真を撮るから、卒業証書を持って帰ってくるまで、そのままでいて」


「今はまだ持ってないんだから、帰ってからでいいだろ」


「高校最後の登校でしょう。行く前も撮っておきたいの」


 母はスマートフォンを構え、玄関の前に立つよう指示した。


 言われた場所へ移動すると、頭の中から声が聞こえる。


『右肩が僅かに下がっています』


 直す。


『顎を引きすぎています。視線を少し上へ』


『写真まで指導するの?』


『より良く写るための情報が必要だと判断しました』


『そこまで頼んでないんだけど』


 そう思いながらも、言われたとおりにする。


「髪、いつもより似合ってる」


「いつもも似合ってたと思うけど」


「そういうことを自分で言えるところは、昔から変わらないわね」


「言わなかっただけで、前から思ってたよ」


 母が笑いながら撮影ボタンを押した。


 写真を確認すると、確かに普段より少しよく写っている。


 ジンに礼を言うべきか迷ったが、調子に乗って毎回姿勢を指摘されても困るので黙っておいた。


 校門の前では、卒業式の看板を囲むように生徒と保護者が集まっていた。


 写真を撮り、友人を見つけて声をかけ、普段よりゆっくりと校舎へ入っていく。


 僕も何人かと挨拶を交わし、昇降口で松内直人と会った。


「佐村、髪切った?」


「一昨日ね」


「受験が終わった途端、見た目に気を遣い始めたのか」


「前から気を遣ってるよ。直人が気づいてなかっただけ」


「その靴も新しいだろ。白いから目立つな」


「似合ってる?」


「似合ってるけど、俺に聞くことか?」


「誰に聞いても、似合うものは似合うだろ」


「東大を受けてから、微妙に自信が増してないか?」


「元からだよ」


 直人と並んで教室へ入る。


 席へ向かう途中、近くにいた女子からも髪を切ったことに気づかれた。


「佐村、その髪型いいね。前より似合ってる」


「ありがとう。一昨日切ったばかりなんだ」


「卒業式のため?」


「大学生になる準備かな」


「まだ合格発表前じゃなかった?」


「たぶん大丈夫だから」


「すごい自信じゃん」


 女子は笑いながら、自分の友人のところへ戻っていった。


 大勢が振り返るほど変わったわけではない。


 それでも、朝から髪型について声をかけられたのは三度目だった。普段との違いを知っている相手には、きちんと効果が見えるらしい。


『今の反応も、予想してた?』


『髪型を変更すれば、日常的に接していた相手から言及される可能性は高いと判断していました』


『具体的に誰が言うかは?』


『個人の判断までは分かりません』


 ジンが未来を知らないことは、こういう場面でも変わらない。


 ただ、褒められる確率を上げる方法なら知っている。





 卒業式は、滞りなく進んだ。


 名前を呼ばれ、代表者が卒業証書を受け取る。校長の式辞や来賓の祝辞を聞き、在校生の送辞と卒業生の答辞が続く。


 三年間が短かったとは思わない。


 高校一年の頃は、大学受験などまだ先の話だった。二年になって進路を考え始め、三年では模試の判定を見ながら、受かりそうな大学を選んだ。


 その最後の一か月半だけが、まるで別の時間だった。

 東大を目指し、投資を始め、欲しかった靴を自分で増やした金から買った。


 すべて、僕の頭の中にジンが現れてから起きたことだ。


 もし一月八日の朝に声が聞こえなければ、僕は当初の志望校を受験し、今頃はその結果を待っていただろう。


 それが不幸だったとは思わない。


 たぶん、そこでもそれなりにうまくやり、満足できる大学生活を送っていたとは思う。


 ただ、選ばなかった道に何があるのかを知らないまま、最初から届かないものとして諦めていた。


 今は違う。


 届く方法があるなら、先に知ることができる。

 知ったうえで、欲しいかどうかを決めればいい。


 式を終えて教室へ戻ると、担任から一人ずつ卒業証書が渡された。


 最後の話は、普段より少し長かった。


 進路が決まっている者もいれば、これから結果が出る者もいる。浪人することを決めた者もいるため、全員へ向けて無責任に春からの大学生活を語ることはしなかった。


 三年間への労いと、これから先も困ったときには学校へ来ていいという話を聞き、最後に全員で礼をする。


 教室の緊張が解けると、あちこちで写真を撮る声が上がった。


 僕も直人や友人たちと何枚か写真を撮る。


「そういえば、直人。試験はどうだった?」


「たぶん、前よりできた。少なくとも数学は最後まで手をつけられたよ」


「見直しに戻らなかった?」


「戻りたくなったけど我慢した。正解してる問題を何度も計算するより、後ろの問題へ進んだほうが点になるって、お前に言われたからな」


「効果あった?」


「まだ採点されてないから分からないけど、今まで受けた試験の中では一番手応えがある。合格してたら、昼飯を奢る約束も覚えてるよ」


「少しくらい高いものを頼んでもいいって話も?」


「そこだけ忘れてくれないか?」


「直人が言い出したんだろ」


「昼飯くらい、とは言ったけど、高いものを頼んでいいとは言ってない」


「合格祝いなんだから、細かいことは気にしなくていいよ」


「奢られる側が言う台詞じゃないからな」


 直人の合格発表は、僕より少し早い。


 結果が出るまで、受かると決まったわけではない。それでも、少なくとも試験で実力を出し切る助けにはなったらしい。


 僕が使ったのは、ジンから聞いた分析の一部だけだった。


 答えを教えたわけでもなく、直人の代わりに試験を受けたわけでもない。本人の癖を見つけ、直す方法を一つ伝えただけだ。


 それでも、僕一人のためにしか使えないと思っていた力が、他人の結果まで変えるかもしれない。悪くない使い方だ。


 帰り際、担任に呼び止められた。


「佐村。東大の結果が出たら、必ず連絡しろよ」


「先生なら、発表を確認するんじゃないですか?」


「本人の口から聞くのとは違うだろ」


「分かりました。発表されたら連絡します」


「期待してるぞ」


 一月に志望校を変えたいと話したとき、担任は僕を止めるべきか迷っていた。


 今は、合格の報告を待っている。


 一度出した結果が、次の言葉を信じる理由になる。試験の点数以上に、その変化のほうが気持ちよかった。


 帰宅すると、母に卒業証書を持たされ、朝と同じ場所で写真を撮られた。

 夕食は普段より少し豪華になり、父も早めに帰宅した。


「卒業おめでとう」


「ありがとう」


「東大に受かれば、次は入学祝いだな」


「落ちたら?」


「卒業祝いだけで終わりだ」


「急に厳しくない?」


「さすがに冗談だ。どこの大学へ行くことになっても、入学祝いくらいはする」


 父は笑いながら言ったものの、僕が東大以外へ進む可能性は、ほとんど考えていないように見えた。


 母も同じなのだろう。


「大学へ行くなら、今度はスーツも必要ね。合格発表が終わったら見に行かないと」


「髪を切ったのも、大学へ行く準備なんでしょう?」


「一応、そのつもり」


「受かる前から準備がいいな」


「受かってから慌てるよりいいだろ」


 まだ結果は出ていない。

 それでも家族との会話は、僕が四月から大学生になることを前提に進んでいる。


 不安を感じないわけではなかった。


 九十八・七パーセントは百パーセントではない。採点結果がジンの予測範囲を外れ、三月十日に僕の番号が見つからない可能性も残っている。


 ただ、その可能性を理由に何も準備しないのは、受かる確率のほうを無視している。


 夕食を終え、自分の部屋へ戻る。


 壁には制服が掛けられ、机の上には卒業証書が置かれていた。


 明日、何時に起きても遅刻にはならない。


 何を勉強し、どこへ行き、誰と会うかも、自分で決めていい。


 高校を卒業しただけで、急に何でもできるようになったわけではない。法律上はまだ未成年で、大学にも合格していない。


 だが、昨日まで僕の生活を決めていた時間割はなくなった。

 頭の中には、選択肢をどこまでも増やせる相棒がいる。


『ジン。僕が今より格好よくなるには、どのくらいかかる?』


『変化を実感するだけであれば、すでに始まっています。明確な身体的変化には、三か月程度を見込んでください』


『大学へ入る頃には?』


『現在より改善している可能性は高いと判断します』


 入れるかどうかではなく、入学する頃の話をしている。


 そのことに気づいて、僕は少し笑った。




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