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頭の中の最強AI ──金も女も、そして世界も手に入れる──  作者: 橙色
東京大学一年生編

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47話 海外行こうよ



 一万五千ドルの報奨金が振り込まれたのは、二月十日の朝だった。


 海外送金を受け取ったという通知を確認し、銀行口座を開く。


 送金時の為替と手数料が反映され、百六十万円余りが入金されていた。


『本当に入ったね』


『はい』


『今の資産は?』


『保有株式の評価額と現金を合わせて、約四百万円です』


 八万円から始めた金が、一年も経たずに四百万円になった。


 投資で増えた分もあるが、映像制作とカジノ、今回の報奨金による収入のほうが大きい。


『税金はいくら残しておけばいい?』


『年間所得が確定していないため、現時点で正確な金額は算出できません。今回の報奨金については、少なくとも三割を使用せず確保することを推奨します』


『五十万円くらいか』


『はい。必要経費として認められる支出によって、実際の納税額は変動します』


『残りは投資へ回せる?』


『購入を推奨できる候補は、現在はありません』


『また待つの?』


『資金を保有していることは、投資を行う理由になりません』


『分かってるよ』


 入ったばかりの金から五十万円を分け、税金のために残す。


 今すぐ使う予定があるわけではない。それでも、口座に表示されている数字が減ると、少しだけ損をした気分になった。


 十万ドルの案件は、企業側で調査が続いている。


 そちらまで最高額で認められれば、一千万円を超える。だが、まだ受け取れると決まった金ではない。


 今ある四百万円だけで、次に何をするかを考えるべきだった。



 昼前、大学近くのトレーニングジムへ向かった。


 千尋とプールへ行く時期も、そもそも実現できるかどうかも決まっていない。


 とはいえ夏になってから身体を作り始めても遅い。


 受付で入会手続きを済ませ、更衣室で持ってきた服へ着替える。


『今日は何をする?』


『全身の動作を確認します。最初から限界まで負荷をかける必要はありません』


『筋肉痛にならないくらい?』


『筋肉痛が発生する可能性はあります。ただし、日常生活に大きな影響を与えない範囲に調整します』


『できるだけ早く鍛えたいんだけど』


『一度の運動で得られる効果には限界があります。過度な負荷は、以降の運動を妨げます』


 ジンが作った計画では、週に三回、全身を鍛える。


 胸や腕、腹だけではない。肩、背中、臀部、脚まで含まれていた。


 最初は器具を使わずに身体を動かし、関節の可動域を確かめる。その後、空いている器具へ移った。


『もう少し重量を上げてもいい?』


『現在の重量で、正確な動作を維持してください』


『まだ余裕があるよ』


『最初の一回です。余裕を残すよう設定しています』


 言われたとおりに動かす。


 軽いと思っていた重量でも、回数を重ねると腕や脚が熱を持ち始めた。鏡に映る身体は、服を脱いでも細身の印象があまり変わらない。


 腹に余分な脂肪が多いわけではないが、筋肉の線がはっきり見えるほどでもなかった。


『これが半年で変わる?』


『運動、食事、睡眠を継続的に管理すれば、外見上明確な変化が生じます』


『ジンが全部管理してくれるんだよね』


『実際に身体を動かし、食事を選択するのは和希です』


『本当はそこも代わってほしいけど』


『不可能です』


 一時間ほどで、最初の運動を終えた。


 疲れてはいるが、立てなくなるほどではない。早く結果を出したい気持ちは残っていたものの、明後日も同じ場所へ来ることを考えれば、初日から嫌になるよりはいい。


『食事は?』


『昼食では、蛋白質と炭水化物を充分に摂取してください。極端に摂取量を減らす必要はありません』


『腹筋を割るなら、食べないほうが早くない?』


『体脂肪は減少しますが、筋肉の増加も妨げます。現在の和希は、大幅な減量を必要としていません』


『なら食べよう』


 近くの店で昼食を取り、一度部屋へ戻った。



 夕方になってから、日菜たちが使っている練習場所へ向かった。


 扉を開けると、日菜の声が聞こえた。


 誕生日に贈ったマイクを手に、楽器へ合わせて歌っている。


 前日に送られてきた音源には、日菜の声とギターしか入っていなかった。今はベースとドラムが加わり、曲としての形が見え始めている。


 それでも、まだ完成はしていないらしい。


 途中で演奏が止まり、メンバー同士で言葉を交わしてから、少し前へ戻って再開する。


 僕は壁際に座り、最後まで口を挟まずに聞いた。


「どうだった?」


 曲が終わると、日菜が真っ先に近づいてきた。


「昨日より全然違った」


「どっちがいい?」


「今のほうが好きだよ。でもまだ途中なんだろ?」


「うん。最後が決まってない」


「今の終わり方も悪くないと思うけど」


「急に切れた感じがしない?」


「歌の内容には合ってるよ。言いたいことを残したまま終わったみたいで」


 日菜が僅かに目を見開く。


「歌詞、ちゃんと聞いてたんだ」


「聞くために来たんだけど」


「途中で飽きて、わたしの顔だけ見てるかと思った」


「顔も見てたよ」


 日菜の口元が緩んだ。



 曲は、近くにいる相手へ言葉を伝えられないまま、同じ時間だけが過ぎていく内容だった。


 手を伸ばせば届く。


 声を出せば聞こえる。


 それでも、今の関係が壊れることを恐れて、何も言えない。


 日菜が誰を思って書いたのかは尋ねなかった。


 尋ねれば、答えを聞かなければならなくなる。


「完成したら、また撮りたい」


「本当に?」


「前より綺麗に撮るって約束しただろ」


「覚えててくれたんだ」


「覚えてるよ。場所や撮り方は、曲が完成してから考えたいけど」


「みんなにも聞いていい?」


「もちろん。僕が勝手に決めることじゃないから」


 日菜はすぐにほかのメンバーのところへ戻り、映像を撮りたいという話を始めた。


 まだ報酬も予算も決まっていない。


 仕事になるかも分からないが、以前の機材と人数へ戻るつもりはなかった。


 必要なものを考え、日菜たちが用意できない部分は僕が出してもいい。


 今なら、それができるだけの金もある。



 練習が終わるのを待ち、日菜と二人で外へ出た。


「お腹空いた」


「何が食べたい?」


「肉」


「即決じゃん」


「歌ったから」


「僕も今日は運動したから肉がいいな」


 近くにあった焼肉店へ入り、向かい合って座る。


 日菜は注文を終えると、水を飲みながら僕の腕を見た。


「運動って、何したの?」


「ジムに行った」


「え? 和希が?」


「そうだけど。そんなに意外?」


「運動より、部屋でパソコンを触ってるイメージ」


「確かに。僕もそう思う」


「どうして急に?」


「夏までに身体を作ろうと思って」


「夏に何かあるの?」


「まだ何も決まってないよ。鍛えておいて困ることもないだろ」


「ふうん」


 日菜が疑うように見ていたが、深くは尋ねなかった。


「どんな感じになるまでやる気なの?」


「服を着ていると今とあまり変わらないけど、脱いだらちゃんと全身に筋肉があるくらいかな」


「腹筋は?」


「割る予定」


「触っていい?」


「え、今?」


「割れたら」


 料理が運ばれてくる。


 運動後だからなのか、普段より空腹を感じていた。


 日菜が肉を焼く速度に合わせて食べても、まだ足りない。


『食べすぎかな?』


『本日の消費量を考慮すれば、現在の摂取量に問題はありません。ただし、脂質の多い部位だけに偏らないでください』


『聞いたのは僕だけど、あんまり細かいことを言わないでよ』


 日菜が皿に焼けた肉を載せてくれるから、僕は食べるしかない。つまり、僕のせいではないはず。


 食事が半分ほど進んだところで、旅行の話を切り出す。


「日菜。春休み、何日か空けられる?」


「何日って、どのくらい?」


「五日から一週間」


「そんなに?」


「無理そう?」


「先に何をするか教えてよ」


「海外行こうよ」


 日菜の箸が止まった。


「……海外?」


「うん」


「二人で?」


「日菜と二人で行く約束したじゃん」


「言ってたけど……本当に連れていってくれるの?」


「そのために予定を聞いてる」


 日菜がゆっくり箸を置く。


 驚いている顔が、少しずつ笑顔へ変わっていった。


「行きたい!」


「なら、三月の後半は?」


「練習とライブの日を確認しないと分からない。でも、絶対空ける」


「無理に全部動かさなくてもいいよ。大学は休みだから、日菜が空けられる日に合わせるし」


「ずっと一緒にいられるの?」


「同じ旅行に行くんだから、そうなるよね」


 日菜は嬉しそうに笑った。


「どこに行くの?」


「まだ決めてない。日菜が行きたいところも聞いてから考えようと思って」


「わたし、海外なんて行ったことないよ」


「僕もフランスとモナコしかない」


「普通に経験者じゃん」


「日菜も一度行けば同じだよ」


 日菜はすぐにスマートフォンを取り出した。


「海があるところがいい」


「三月だと、行く国によっては泳げないよ」


「暖かいところにすればいいじゃん。あと、街も歩きたい」


「ほかには?」


「ご飯が美味しいところ」


「それ大体の人が言いそう」


「和希は?」


「日菜とゆっくりできるところ」


 画面を触っていた指が止まる。


「……今日、素直すぎない?」


「旅行に誘ってるときくらいはね」


「あとで嘘だったって言わない?」


「航空券を取ったら信じる?」


「今も信じてるけど、確認しただけ」


 日菜がまた画面へ目を戻す。


「そういえば、パスポートは持ってる?」


「持ってない」


「なら、先に取らないとね」


「あんまりそういうのわかんないけど……」


「申請に必要なものを調べよう」


「和希がやって」


「本人じゃないとできないところもあるから」


「一緒にやって」


「はいはい」


 旅行に行くことも、パスポート取得を僕に手伝わせることも、日菜の中では決定事項のようだ。


「お金はどのくらい必要かな」


「行き先によるけど、航空券と宿泊費は僕が出すよ」


「……そう言ってくれるのは嬉しいけど、駄目」


「僕が誘ったんだから出させてよ」


「五日以上でしょ? 絶対高いじゃん」


「今日仕事の金が入ったから大丈夫」


「また広告?」


「前に話した、安全上の問題を見つける仕事」


「いくら入ったの?」


「百六十万円くらい」


「……百六十万?」


「うん」


 日菜が呆れたように僕を見る。


「和希、会うたびに稼ぐ金額がおかしくなってない?」


「僕も少しそう思う」


「だからって、全部払ってもらうのは嫌だけど」


「なら、航空券と宿泊費は僕。日菜の買い物は日菜が出して、現地での食事は交代で払う」


 日菜はしばらく悩んでから、頷いた。


「……分かった、そうする。本当にありがとね」


 細かな金額は、行き先を決めてから考えればいい。


 少なくとも、日菜が費用を理由に旅行を諦める必要はない。


「旅行中、ずっと一緒なんだよね」


「さっきも聞かなかった?」


「確認!」


「一緒だよ」


「和希が一人でどっか行ったりしない?」


「しないって」


 それから日菜の希望を聞きながら、候補になりそうな地域をジンに探してもらう。


 今すぐに決めなくても、日菜がパスポートを取り、バンドの予定が分かるまで時間はある。


 とりあえず、春休みに二人で海外に行くことは決まった。



 食事を終え、日菜と僕の部屋へ戻った。


 コートを脱いだ日菜が、早速僕の腹へ手を伸ばす。


「まだ何も変わってないよ」


「始める前を覚えておかないと、変わったか分からないでしょ」


「触りたいだけじゃない?」


「それもある」


 服の上から腹を押される。


「普通だね」


「まだ初日ですよ」


「夏には本当に割れてるの?」


「ちゃんと続ければ割れるはずだけど」


「途中でやめそう」


「やめないよ」


「じゃあ、旅行のときにも確認する」


「三月じゃ流石にまだまだだと思うけど」


「いいの」


 日菜の手を取り、そのまま身体を引き寄せる。


「旅行、そんなに嬉しい?」


「嬉しいよ!」


「まだ行き先も決まってないのに?」


「和希と行けるなら、どこでもいい」


 日菜はそう言ってから、少し恥ずかしそうに目を逸らした。


「今の、忘れて」


「覚えておく。そんなに喜んでくれると、僕もすごく嬉しい」


「喜ぶに決まってるじゃん」


 日菜が僕の胸を軽くグリグリしてきた。


 その手首を掴み、唇を重ねる。


『ジン。共有を切って』


『承知しました』



 翌朝、目を覚ますと全身が重かった。


 隣では、日菜が僕の腕を枕にして眠っている。


 身体を起こそうとしただけで、胸と腹に鈍い痛みが走った。


『筋肉痛かな』


『はい。昨日行った運動によるものです』


『思ったより痛い』


『想定の範囲内です』


 日菜を起こさないよう腕を抜こうとすると、寝たまま抱き直された。


「どこ行くの?」


「どこにも行かないよ」


「じゃあ、このままでいて」


「腕が痛いんだけど」


「昨日ジム行ったから?」


「たぶん」


「もう諦める? 腹筋割れてなくても、私は気にしないよ」


「やめない」


「本当に? 頑張れる?」


「夏までには割るから、待ってて」


 日菜が僕の腹に手を置く。満足したのか、もう一度眠り始めた。


 枕元に置いたスマートフォンには、昨夜のうちに日菜から送られてきた旅行先の候補が十件以上並んでいる。


 海のある街。


 暖かい島。


 音楽で知られる国。


 五日では足りないと書かれた場所まであった。


『日菜の希望をすべて満たすことは可能?』


『一度の旅行では困難です』


『なら何回でも行けばいいか』


『次の旅行も決まっていません』


『まずは今回の行き先から決めよう』


 痛む腕を動かし、スマートフォンを取る。


 日菜を起こさないようにしながら、送られてきた候補を一つずつ開いた。




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