41話 お尻、ヒリヒリする ※
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二〇二〇年になった。
年が変わった瞬間、居間にいた家族で新年の挨拶をした。
美咲は挨拶を終えるより先にスマートフォンを見て、友人たちへ同じ言葉を送っている。彩香は眠そうな顔で欠伸をし、母は台所で明日の準備を始めていた。
「和希、今年の目標は?」
父から尋ねられる。
「去年より金を増やす」
「新年から変わらないな」
「毎年変える必要ある?」
「事故を起こさない、も加えておけ。免許を取ったんだから」
「分かった。金を増やして、事故を起こさない」
「おにい、順番逆じゃない?」
「事故を起こさなければ、どっちが先でも同じだろ」
家族が笑う。
昨年の元日には特に目標といえるものはなかった。そもそも自分が東大を受けることさえ考えていなかった。
今は金も欲しい。車も欲しい。映像も作りたいし、知らない国にも行きたい。
日菜からメッセージが届いたのは、午前零時を十分ほど過ぎた頃だ。
《あけましておめでとう》
《おめでとう。今年もよろしく》
《初詣、もう行った?》
《まだ年が明けて十分だよ》
《じゃあ二日空けといて》
《強制じゃん》
《嫌?》
《嫌なわけない》
《十時にいつもの駅ね》
僕の都合に関係なく、時刻まで決まっていた。
『一月二日の予定へ登録しますか?』
『うん。初詣って、どこに行くと思う?』
『待ち合わせ場所から移動可能な神社は複数あります。日菜の過去の検索履歴は取得できません』
『調べられたとしても、今日はやめておこう』
『承知しました』
分からないまま待つ楽しさを、ジンも少しずつ理解してくれている気がした。
一月二日。
待ち合わせ場所へ着くと、日菜は改札の外で待っていた。
白いニットの上に黒いコートを着て、首にはモナコで渡したスカーフを巻いている。
「明けましておめでとう」
「明けましておめでとう。今年もスカーフ使ってるんだ」
「和希もマフラー使ってる」
「気に入ってるよ。暖かいしね」
「わたしも、これ気に入ってるから」
日菜が僕の首元を整える。
「曲がってた?」
「少しだけ。和希、巻き方が雑」
「日菜に直してもらえるなら、このままでよかったかも」
「新年から甘えるんだ」
「嫌だった?」
「嫌じゃないよ」
日菜は隠さずに笑った。
向かった神社は、駅から電車で二十分ほどの場所にあった。
参道へ入る前から人が多い。出店の匂いと、参拝を終えた人の話し声が混ざり、列は鳥居の外まで続いていた。
「手、つなご」
日菜から差し出された手を取る。
「はぐれないため?」
「和希とつなぎたいからだよ」
「なんか今日は素直だね」
「お正月だから」
「それ関係ある?」
僕が笑うと、日菜の指へ少し力が入った。
列に並んでから賽銭箱へ辿り着くまで、四十分近くかかった。
「和希、何をお願いする?」
「金が増えますように」
「新年からそれ?」
「大事だろ。日菜は?」
「今年こそ、もっと大きなところで歌えますように」
「なら、僕も日菜が売れるように頼もうかな」
「自分のお金より?」
「神様が二つまで聞いてくれるなら、両方」
「一つだけだったら?」
「金は自分で増やすよ。日菜のほうを頼む」
日菜が僕を見た。顔が赤いのは、きっと寒いというだけじゃないはずだ。
「そういうの、急に言うのずるい」
「聞いたのは日菜だろ」
「あとでやっぱりお金とか言わないでね」
「言わないって」
二人で賽銭を入れ、手を合わせる。
日菜が何を願ったのかは聞かなかった。
僕は口にしたとおり、日菜が今より多くの人の前で歌えるよう頼んだ。
神様がどの程度信用できるかは分からない。僕にできることは、自分で手伝うつもりだ。
参拝を終え、おみくじを引いた。
日菜は吉。僕は末吉だった。
「和希、微妙だね」
「悪くはないよ」
「金運は?」
日菜が僕の手元を覗き込む。
「欲を出せば失う、だって」
「ぴったりじゃん」
「僕が損するのが嬉しそうだね」
「今年は少しくらい、お金以外も見なさいってことじゃない?」
「今は日菜を見てる」
「……普段そういうことあんまり言わないくせに」
日菜は顔を逸らしたが、僕の手は離さなかった。
おみくじを結んだあと、授与所の前で交通安全のお守りを渡された。
「これ、和希に」
「買ってくれたの?」
「免許を取ったばかりだから。車を買ったら、中に置いてね」
「まだ買う予定ないけどね」
「買うつもりはあるんでしょ」
「そりゃ、いつかは買うと思う」
「最初に日菜を乗せてくれる?」
「父さんより先に?」
「お父さんは運転を教える人。日菜は隣に乗る人」
「僕の運転、怖くない?」
「和希なら大丈夫」
「その信用は少し重いな」
「じゃあ安全運転して」
「分かった。約束する」
受け取ったお守りを財布と同じ内ポケットへ入れた。
車を買う時期は決めていない。その車の助手席に、最初に誰を乗せるかは決まった。
参道の店を見て回り、温かい甘酒と焼き団子を買った。
日菜は甘酒を一口飲み、眉を寄せる。
「思ってたより甘い」
「甘酒だからね」
「和希のと交換して」
「同じだよ」
「和希のほうが甘くないかもしれない」
「そんなことある?」
差し出された紙コップを受け取り、自分のものと交換する。
「どう?」
「同じ」
「だろうね」
「でも、こっちがいい」
「僕が飲んでたほうが欲しかっただけ?」
「今気づいた?」
同じ甘さの甘酒を飲みながら、日菜が楽しそうに笑った。
帰りの電車では、日菜が作っている新曲の話を聞いた。
「まだ全部はできてないけど、次の練習に来る?」
「行くよ。カメラも持っていこうか?」
「完成してからでよくない?」
「作ってる途中も見たいんだ。日菜が、何を残して何を変えるか知っておきたい」
「仕事みたい」
「撮りたいから見るんだよ。まだ頼まれてないし」
「完成したら、また和希に撮ってほしい」
「前よりいいものにするから」
「うん。期待してる」
日菜は夕方から家族と食事をする予定があり、駅で別れることになった。
改札へ入る前、人通りの少ない柱の陰へ日菜の手を引く。
「和希、どうしたの?」
「今日はこれで終わり?」
「寂しい?」
「少しね」
答えると、日菜の表情が柔らかくなった。
「私も、もう少し一緒にいたかった」
腰へ腕を回し、身体を寄せる。
日菜が目を閉じる前に唇を重ねた。
最初は触れるだけのつもりだった。離れかけた日菜の唇をもう一度追い、後頭部へ手を添える。
息が混ざるほど近くで、何度も角度を変えた。
日菜の指がコートを掴む。
「……和希の家、行きたくなっちゃう」
「それは困るね」
「和希のせいでしょ」
「だって僕は今すぐ日菜を家に連れて行きたいから。僕のせいになるならもう一回するよ?」
返事を聞く前にもう一度強く日菜を抱き寄せながら、長い口づけをする。
どれだけ時間が経ったかわからないが、あまり引き留めても日菜に悪い。
唇を離し、顔を見合わせる。
「和希……」
「これ以上はやめとこうか」
切なそうな目で日菜が見上げてくる。
このままでは本当に家に連れ帰ってしまいそうだった。
「今年もよろしく」
「昨日も言ったよ?」
「直接はまだ言ってなかった」
「確かに。今年もよろしくね」
改札の向こうへ消えるまで、日菜を見送った。
一緒に過ごした一日には満足している。
だが、身体には抱き寄せたときの熱が残っていた。
帰りの電車へ乗り、理央とのメッセージを開く。
《今日部屋にいる?》
《いるけど。何?》
《今から行ってもいい?》
《急だね。今?》
《あと一時間くらい》
《遅い》
《ならダメ?》
《誰もダメとは言ってないでしょ》
《急いで行く》
《走って汗かくのは禁止》
部屋へ戻る予定を変え、そのまま理央の住む駅へ向かった。
マンションの呼び出しボタンを押すと、理央は返事もせず入口の鍵を開けた。
『ジン。理央の部屋を出るまで、共有を切って』
『承知しました』
扉の前に立つと、呼び鈴へ触れる前に扉が開いた。
理央は身体へ沿う薄手のニットと短いパンツを着て、髪を緩くまとめている。
「遅い」
「一時間って言っただろ」
「五十八分。もう少し早く来られたよね」
「汗かくギリギリまで急いだんだけど」
「入って」
部屋へ入ると、理央が僕のコートへ手をかけた。
「外、寒かった?」
「寒かった」
「急にどうしたの?」
「理央としたくなった」
「新年から正直だね」
理央がコートを脱がせ、壁際のハンガーへ掛ける。
振り返った身体を、そのまま壁へ押し戻した。
「ちょっと、待って」
「なに?」
理央の腰を抱いたまま顔を見る。
「……何でもない」
返事と同時に口を塞いだ。
理央の唇を開かせ、逃げられないよう後頭部へ手を回す。最初は押し返していた両手が、すぐに僕の肩を掴んだ。
理央が少し苦しそうにしたため離れる。
「和希君、なんか今日、力が強くない?」
「嫌なら言って」
「言ったら優しくしてくれるの?」
「本当に嫌ならね」
「なら、まだいい」
強気な目が崩れる前に、もう一度深く口づけた。
ニットの裾から手を入れ肌に触れると、理央の腹が僅かに震える。腰の線を辿り、背中へ回した手で身体を密着させた。
細い身体は押せば動く。だが、僕が触れるたびに自分から密着し、逃げ道を塞いでいるのは理央のほうでもあった。
首筋へ唇を落とす。
「ねえ、跡つけないでよ」
「仕事?」
「ないけど、見えちゃうから」
「ならいいでしょ」
「そういうことじゃ──あっ……あ」
最後まで言わせず、三つほど跡をつけたところで抱き上げた。
理央の脚が僕の腰へ回り、驚いた声が耳元で途切れた。
寝室まで運び、ベッドへ下ろす。
起き上がろうとした肩を押し戻すと、理央が睨んでくる。
「もう、今日強引じゃない?」
「早くしたいっていうのはある。でも、分かってきたこともあるんだよね」
「……どういう意味?」
それには答えず、理央の両手を頭の上で重ね、片手で押さえる。
「声、出さないように我慢して」
空いた手で身体のラインをなぞるたび、強気な言葉は短くなった。唇と舌を首筋や鎖骨を這わせるたび、堪えようと噛んだ唇から声が漏れる。
「声漏れてる」
「和希君の、せいでしょ……」
「理央がどこまで強気でいられるのかなって思って」
「性格、悪い」
「今さら?」
返事の代わりに耳の後ろを深く甘噛みすると、理央の身体が強く跳ねた。
僕の腕へ縋り、呼吸が整う前から、次にどこへ触れられるのかを待っている。
深く口づけながら、しばらくのあいだ色んな方法で焦らし続けていると、理央が声を抑えられなくなってくる。
理央が僕の言うことを聞かなくなったため、ピタリと手を止めた。
「……ねえ、なんで」
「理央が声出すから悪い」
「誰のせいだと思ってるの」
「さあ?」
「もう、さいあく……」
「理央はどうしたい? 続き、してほしいの?」
「……もういいから……おねがい、して」
消え入るような声だったが、その言葉を聞いた僕は、理央をベッドの上に膝立ちにさせ、壁に手をつかせた。
数時間経ち、外もすっかり暗くなった頃、理央は僕の胸へ顔を伏せたまま動かなくなった。
我ながら、呆れるほどの体力と精力だと思う。疲れてはいるし満足感もあるが、まだ完全に出し切ったという感じでもない。
「……もう、むり」
「それ何十回って聞いたけど、今度は本当に?」
「うん。次やったら、本気で蹴るから」
「分かった」
「ほんとにもう、どれだけやるのよ……」
僕は笑いながら手を止め、とんでもない量の汗で張りついた理央の髪を指で整えた。
「急に優しくしないで。死ぬほど強引だったくせに」
理央が何を言っても僕はやめず、理央は果て続けた。もちろん、本気でやめて欲しいかどうかは分かるつもりだし、それが今だったというだけだ。つまり、それまでは本気ではなかったということでもある。
「もう終わったからね。嫌なの?」
「……嫌じゃないけど」
「強引なのは?」
「うるさい黙れ」
理央が僕の胸へ頬を押しつける。
「はあ……お尻、ヒリヒリする……」
そう言いながらも満たされたような顔で目を閉じ、少しすると寝息を立てはじめた。
翌朝、理央が目を覚ます前に部屋を出た。
玄関には、昨夜脱がされたコートが丁寧に掛けられている。
理央を起こさず外へ出てから、ジンとの共有を戻した。
『何かあった?』
『脆弱性を報告した企業から、追加の質問が三件届いています』
『現実に戻された気がする』
『回答期限は設定されていません』
『今日中に確認するよ。帰ったら教えて』
『承知しました』
追加で求められたのは、問題が発生する条件、別の環境でも再現するか、変更できる設定の範囲だった。
自分で作った検証用アカウントだけを使い、規約の内側で確認する。
環境を変えると再現しない場合もあり、操作の間隔によって結果も変わった。成功したものだけでなく、失敗した条件も記録して返す。
最終的な評価が届いたのは、数日後だった。
報告した問題は、複数の条件が揃った場合に、第三者による重要なアカウント設定の変更へつながる可能性がある。
危険度は上から二番目。
企業は一時的な対策を終え、恒久的な修正を進めているという。
その下に、報奨金額が記載されていた。
一万五千ドル。
『日本円では?』
『現在の為替水準では、約百六十三万円です。実際の受取額は、送金時の為替と手数料によって変動します』
『正月に引いたおみくじ、金運は何て書いてあったっけ』
『欲を出せば失う、と記載されていました』
『色んな意味で欲を我慢しなかった結果、増えたけどね』
『報奨金は、まだ振り込まれていません』
『今くらいは喜ばせて』
『脆弱性の発見と適切な報告に対し、一万五千ドルと評価されたことは事実です』
『うん。今はそれを喜ぶだけでいいんだよ』
今年最初に増える予定の金は、株の利益でも映像の報酬でもなかった。
神頼みをした数日後、海外企業が僕へ百六十万円以上を支払うと決めた。
おみくじの金運より、ジンのほうが信用できそうだった。




