28話 周辺の雨雲と風です
大学の授業が再開すると、僕の一日は以前より細かく分かれるようになった。
午前は授業を受け、空いた時間に教習所へ通う。広告の絵コンテと撮影計画を作り、夜は、四社のうち低温輸送を扱う南央物流の株価と、ジンが新しく見つけた投資候補を確認する。
その間にも、玲奈や直人と昼食を取り、栗原先輩から届くメッセージへ返事をする。
忙しくはある。
ただ受験勉強の頃と違い、すべて自分で選んだ予定だ。
『今日の技能教習は何時から?』
『午後四時十分です。三限終了後に大学を出れば、移動時間を含めて二十三分の余裕があります』
『その前に栗原先輩と話せる?』
『昼休みの残り時間が十四分あります。サークル棟との往復を考慮すると、会話に使えるのは六分程度です』
『短いな。メッセージで済ませよう』
冬広告の撮影準備は、前回より早く進んでいた。
予算が増え、撮影場所も二か所になったことで、必要な人手も増えている。
栗原先輩から送られてきたスタッフ表には、一人分だけ空欄が残っていた。
『玲奈に声をかけても問題ない?』
『必要な作業を事前に説明すれば、対応可能と判断します』
『映像の撮影経験はあるからね』
玲奈へメッセージを送る。
《今度の広告撮影、補助スタッフが一人足りないんだけど、やってみる? 日当も出るよ》
《いくら?》
《一日一万二千円。二日間》
《やる》
返事が早い。
《仕事内容を聞かなくていいの?》
《佐村君が紹介するなら、変な仕事じゃないでしょ》
《撮影機材の運搬、記録、出演者の立ち位置の確認。朝は早いよ》
《大丈夫。誰の広告?》
依頼してきた会社と、徳山理央が出演することを伝える。
しばらく返事が途切れた。
《あの徳山理央?》
《たぶん、玲奈が考えてる徳山理央》
《今フォロワー二十万人くらいいるモデルだよね》
《よく知ってるね》
《佐村君よりは女の子に詳しいから》
その比較は僕に不利すぎる気がする。
撮影前の顔合わせで、玲奈と理央は初めて会った。
理央は事務所の担当者と一緒に現れ、会議室へ入ると僕の隣にいた玲奈へ視線を向けた。
「生沢玲奈です。今回は撮影の補助で参加します」
「徳山理央です。よろしくお願いします」
玲奈も普段より少し硬い表情で挨拶を返したが、憧れている芸能人へ会ったような反応ではなかった。
知名度のあるモデルを前にしても、必要以上に浮つかない。その点では、玲奈を呼んで正解だった。
「佐村君とは、同じ大学なんですか?」
理央が尋ねる。
「はい。同じクラスで、映像制作のサークルも一緒です」
「いつも和希君がお世話になってます」
「理央さんは僕の母親かなんかですか?」
「監督が失礼なことを言わないよう、見張っておいてください」
「徳山さんにも失礼なこと言っちゃってるんですね」
「玲奈、そこで納得しないでくれる?」
二人が顔を見合わせ、同時に笑った。
撮影日が近づくにつれ、天気予報が変わり始めた。
当初は二日間とも晴れる予報だったが、前日の時点で、初日の午後に雨が降る可能性が出ている。
『雨は避けられない?』
『撮影地から西へ離れた地域で、局地的な雨雲が発生しています。現在の進行方向と風速を維持した場合、午後一時前後に撮影地へ到達します』
『一般の天気予報は?』
『午後の降水確率は三十パーセント。短時間の小雨とされています』
『実際には?』
『午後十二時五十分から一時二十分の間に降り始め、二時間以上続く可能性が高いと判断します』
予定では、午前中に室内、午後から屋外を撮ることになっていた。
このまま進めれば、外へ出る頃に雨が降る。
雨天用の予備日は設けているが、撮影場所とスタッフをもう一度押さえれば、費用も増える。何より、理央の予定を簡単に動かせるとは限らない。
栗原先輩へ連絡し、撮影順を入れ替えたいと伝えた。
《明日は午前に屋外を撮ります。室内を午後へ移したいです》
《天気予報だと、夕方まで大丈夫そうだけど》
《午後一時までには降ると思います》
《何を見たんだ?》
《周辺の雨雲と風です》
《先方には俺から確認する。場所を入れ替えられるなら、その順番でいこう》
社長と撮影場所の管理者からも了承を得て、その日のうちに全員へ変更後の予定を共有した。
撮影当日の空には、薄い雲が広がっていた。
朝の時点では雨の気配もなく、天気予報も午後まで曇りのままだ。
集合場所へ来た玲奈は、肩から大きな鞄を提げていた。
「それ、何が入ってるの?」
「必要かもしれないもの。タオル、絆創膏、裁縫道具、充電器、飲み物、携帯食」
「初めての遠足?」
「撮影で必要になるかもしれないって、佐村君から送られてきた資料に書いてあったんだけど」
「全部持ってきたんだ」
「いらなかった?」
「いや。助かるよ」
玲奈へ渡した資料には、想定される問題と、その対処に必要な物をまとめていた。
すべて持ってくるとは思わなかったが、真面目に準備した人間へ、余計だったとは言えない。
理央は集合時刻の十分前に到着した。
薄手の服の上からコートを羽織り、最初の撮影場所へ移動する。
「和希君」
「仕事中です」
「まだ何も言ってないけど」
「理央さんが仕事以外の話をしそうだったので」
「今日は終わった後、空いてる?」
「やっぱり仕事以外じゃないですか」
「答えは?」
「編集用の素材確認があります」
「終わったら?」
「何時になるか分かりません」
「連絡して」
近くで聞いていた玲奈が、僕と理央を交互に見た。
「何?」
「別に。監督、撮影始まりますよ」
「玲奈まで監督って呼ばなくていいから」
屋外では、理央が街中を歩く場面を撮影した。
前回と同じように、歩く速度や視線を細かく変えていく。
今回は一人で過ごす休日がテーマだ。
誰かを探しているようには見せず、目的地へ急いでもいない。店の窓に映った自分を見るともなく眺め、風が吹けばコートの前を押さえる。
動きすぎれば服より演技が目立つ。
何もしなければ、ただ歩いているだけになる。
「次は、奥の店を見ながら歩いてください」
「何の店?」
「入ろうか迷ってる店です」
「欲しいものがあるの?」
「特にありません。何となく気になって見てる感じで」
「難しくない?」
「理央さんならできますよ」
「今さら褒めても遅いから」
「できないなら別の動きにします」
「やる」
理央が開始位置へ戻る。
同じ道を歩き、店の前を通り過ぎる直前に僅かに速度を落とす。視線を残しながら先へ進み、一度だけ振り返った。
『今のは?』
『歩行速度、視線、コートの見え方に大きな問題はありません』
「OKです。次へ移りましょう」
「一回でいいの?」
「よかったので」
「そこはちゃんと褒めるんだ」
「仕事ですから」
理央は満足そうに撮影位置から離れた。
午前十一時を過ぎる頃には、雲が少しずつ濃くなっていた。
『雨雲は?』
『予測より早く接近しています。撮影地への到達は午後零時四十六分前後です』
『屋外の残りは?』
『現在の進行速度を維持すれば、撤収を含めて三十七分です』
「次の場面、準備ができた人から始めます。休憩は屋外を撮り終えてからにしましょう」
予定していた休憩を後ろへ移し、撮影を続ける。
スタッフから不満は出なかった。
玲奈も頼んだ機材を先に運び、理央の立ち位置へ印をつけていく。
最後の場面を撮り終えたのは、午後零時二十三分。
映像を一度だけ確認し、撤収を始める。
機材を車へ積み終え、全員が室内の撮影場所へ入った直後、窓へ小さな雨粒が当たった。
数分後には、向かいの建物が霞むほど強くなる。
窓の外を見た広報担当者が、驚いたように僕へ振り返った。
「本当に降りましたね」
「少し早かったみたいです」
雨が降る未来を知っていたわけではない。
公開されている情報から、ほかの人より早く予測できただけだ。
昼食を挟み、午後は室内の撮影へ移った。
借りた部屋の窓際へ椅子を置き、理央には本を読んでもらう。
カメラは、道を挟んだ向かいの建物に設置している。
窓ガラスを流れる雨が、予定になかった背景を作っていた。
『雨を残したほうがいい?』
『冬商品の映像としては、室内との温度差を強調できます。窓面へ反射する光量を下げれば、理央の顔も明瞭に記録できます』
照明の位置を少し変える。
理央には、カメラを意識せず、本を読んだままでいるよう伝えた。
「本当に読むだけ?」
「はい。面白くない本ですけど」
「演技しなくていいの?」
「退屈になったら、そのまま窓の外を見てください」
「いつ?」
「理央さんが飽きたときです」
「指示が雑」
「飽きたふりをしてほしくないので」
撮影を始める。
理央はしばらく本を読み、ページを一枚捲った。
次のページへ進む途中で手が止まり、窓の外へ顔を向ける。
雨を眺めたまま頬杖をつき、数秒後に本へ戻った。
『今の表情は?』
『事前に撮影した映像には見られない変化です』
「終わりです」
理央が窓越しにこちらを見る。
離れた建物からでも、何か言いたそうな顔をしているのが分かった。
初日の撮影を終えた後、玲奈と二人で機材を確認した。
「玲奈、明日も来られそう?」
「大丈夫。思ってたより疲れたけど」
「初日だからね。何か困ったことはあった?」
「仕事は大丈夫。それより、徳山さんと仲いいんだね」
「仕事は二回目だよ」
「それだけ?」
「何が聞きたいの?」
「別に。佐村君が撮影中にあれだけ言っても、徳山さんが全然怒らないから」
「必要なことしか言ってないよ」
「ふーん」
玲奈も、それ以上は言わずにケーブルをケースへ戻した。
玲奈と別れた後も、その日の素材を一通り確認した。
作業を終えた時点で、時刻は午後九時を過ぎている。
《終わりました》
理央へ送ると、すぐに既読がついた。
《遅い》
《何時になるか分からないって言ったでしょ》
《明日も早いから、今日は寝る》
《ごめんね。おやすみ》
《次はもっと早く終わらせて》
こちらの仕事が遅いように言われるのは納得できなかったが、明日の撮影もあるので言い返さなかった。
二日目の撮影も、大きな問題はなく終わった。
終了後、玲奈には二日分の日当として二万四千円が支払われた。
封筒の中を確認し、少し嬉しそうに笑う。
「普通のバイトよりいいかも」
「頻繁にある仕事じゃないけどね」
「また人が足りなかったら呼んで」
「ちゃんと働いてくれるなら」
「昨日も今日も働いたでしょ」
「だから、次も頼むかもしれない」
「最初からそう言えばいいのに」
撮影素材の整理を始めた頃、南央物流が月次の輸送実績を公表した。
低温輸送の取扱量は、前年同月を大きく上回っている。
株価は発表当日から上がり始め、数日後には一株千三百九十円へ届いた。
『売る?』
『現在の価格には、来月以降の成長も一部織り込まれています。短期的な期待利益は低下しました』
『なら売ろう』
二百株すべてを売却する。
税金と手数料を差し引いた利益は、四万三千円ほど。
先に売却した二社の分と合わせれば、帰国後に確定した利益は十六万一千円になる。
確定した利益だけを足しても、投資へ戻した百万円は、一か月も経たず百十六万円を超えた。
冬広告の報酬十四万円は、まだ含まれていない。
教習所では、第一段階の技能教習を終えた。
修了検定では一度もエンストせず、坂道発進やS字、クランクも問題なく終える。
仮免許の学科試験にも合格し、仮運転免許証を受け取った。
『これで公道を走れる?』
『条件を満たす指導者が同乗し、車両へ仮免許練習標識を表示すれば可能です』
『一人では?』
『無免許運転になります』
『分かってるよ。確認しただけ』
次からは、教習所の外へ出る。
スポーツカーを買う予定はまだないが、免許を取るまでの距離は半分ほどになった。
広告の初稿を会社へ提出すると、その日のうちに栗原先輩から電話が来た。
「先方の反応、かなりいいぞ。修正も商品のロゴを出す時間だけだ」
「なら、予定より早く納品できますね」
「それと、前回の広告を見た別の会社から、誰が作ったのか問い合わせが来てるらしい」
「どんな会社ですか?」
「化粧品会社。今回の依頼主より規模は大きい」
「仕事の依頼ですか?」
「まだそこまでは決まってない。ただ、担当者へ佐村の名前と過去の映像を見せてもいいかって聞かれた」
「構いません。サークルで制作したことも伝えてください」
「分かった。話が進んだら連絡する」
電話を切る。
六十万円の広告は、まだ納品も終わっていない。
その映像が公開される前に、以前作った一本が、次の仕事を連れてきていた。
自分の部屋へ戻り、編集の修正を終えたところで、日菜からメッセージが届いた。
《十月二十日、空けておいて》
《一日?》
《できれば》
《僕の誕生日だから?》
《分かってるなら聞かないで》
《何するの?》
《当日まで秘密》
《予定は空けとく》
すぐに既読がつく。
《絶対だからね》
『十月二十日の予定を終日空けますか?』
『うん』
『登録しました』
日菜が何をするつもりなのかは分からない。
ただ、十九歳になる日の予定は決まった。




