20話 わたしだけじゃ、足りなかった?
S1タームの試験が終わった翌日、僕はミュージックビデオの編集へ戻った。
試験前に大まかな形までは作ってある。
残っているのは、映像を切り替える位置の調整と、場面ごとに異なる色や明るさを整える作業。それから、曲名とバンド名を表示するタイミングを決めることだった。
大学の講義が終わった後、玲奈と部室へ向かう。
机へ並んで座り、前回保存したところから映像を再生した。
「試験の後に見ると、少し違って見えるね」
「数日空けたからじゃない?」
「佐村君は、どこか直したくなった?」
「前半を少し短くしたい。最初に日菜の顔が見えるまで、今のままだと長い気がする」
「わたしは好きだけどな。何が映るのか気になるし」
「初めて見る人も、そこまで待ってくれると思う?」
「曲を聞きに来た人なら待つんじゃない?」
玲奈の言うことにも理由はある。
映像だけを見る人間には長くても、もともと日菜たちの曲を知っている人なら、静かな始まりも受け入れられるかもしれない。
『公開後、最初の十五秒以内に視聴を中断する割合を下げる場合は、現在より早く日菜の姿を提示する方法が有効です』
『顔を見せなくても?』
『はい。日菜本人だと認識できる情報があれば、視聴を継続する理由になります』
「顔を出す位置は変えずに、その前へ日菜の手を入れてみようか」
「窓に触ってるところ?」
「うん。二秒だけ」
映像を差し替え、最初から再生する。
工場の床へ落ちる影の後に、窓へ触れる日菜の指先が映る。その後ろには、輪郭のぼやけた横顔が僅かに残っていた。
「さっきよりいいかも」
「僕もそう思う」
「意見が合ったね」
「玲奈の意見を残したまま、僕が気になったところも直したからね」
「そう言われると、わたしが譲ってもらったみたい」
「二人とも譲ってないよ。映像がよくなっただけだろ」
「そういうことにしておく」
玲奈が再生位置を最初へ戻した。
身体の関係を持つ前と比べても、作業中の会話は大きく変わらない。
ただ、同じ画面を覗くときの距離は少し近くなった。肩が触れても、玲奈は身体を離さない。
僕も、その程度の変化をわざわざ指摘するつもりはなかった。
「昨日まで試験だったのに、もう編集するんだね」
「待ってる人がいるから」
「日菜さん?」
「バンドの全員。それに、玲奈も完成させたいだろ」
「……うん」
「なら、続きをやろう」
日菜だけのために作っているわけではない。
高瀬のギターも、宮原のベースも、黒川のドラムも、この曲には必要だった。
玲奈が見つけた場面も、栗原さんやほかの部員が撮った映像も使っている。
そのすべてを、一曲の中へ収める。
作業を始めて二時間ほど経ったところで、栗原さんが部室へ来た。
「試験はどうだった?」
「問題ないと思います」
「それならよかった。映像は?」
「前半を少し直しました。今から全体を見てもらえますか?」
「見せて」
照明を落とし、壁へ映像を投影する。
三人で最初から最後まで見る。
再生が終わると、栗原さんは最後の日菜の場面をもう一度表示した。
「ここ、少し長いかもしれないな」
「僕は残したいです」
「残すことには反対してない。もう少し見たいと思うところで切ったほうが、印象に残る場合もあるってこと」
「どのくらい短くしますか?」
「まず半秒。比べてみよう」
日菜が振り返る場面を、半秒だけ短くする。
元の映像と交互に再生した。
僅かな違いだが、短くしたほうは、日菜の表情が変わりきる直前に画面が暗くなる。
「わたしは、こっちが好きかも」
玲奈が短いほうを指した。
「理由は?」
「日菜さんが何を考えてるのか、決まる前に終わる感じがするから」
僕も、もう一度見比べる。
撮影した表情を残したいという気持ちだけなら、長いほうがいい。
しかし、この映像を見る人間に必要なのは、僕が気に入った場面をすべて見せられることではなかった。
「短いほうにします」
「いいのか?」
「はい。残したい場面だからって、長ければいいわけじゃないので」
元の映像を消さずに残し、短いものを本編へ入れる。
その後は曲名とバンド名の位置を調整し、完成時に表示する関係者の名前を確認した。
撮影、照明、制作協力。
その中に、
『企画・編集 佐村和希』
という文字が入る。
自分の名前を表示した状態で再生すると、少しだけ落ち着かない。
「名前、これでいい?」
玲奈が尋ねた。
「間違ってないよ」
「そうじゃなくて、もう少し大きくしなくていいの?」
「全員同じ大きさでいいだろ」
「一番作業してたの、佐村君なのに」
「撮影した人がいなければ編集もできないよ」
「じゃあ、次は撮影も全部やる?」
「一人で?」
「佐村君でも無理?」
「一人で何台もカメラを動かすのは無理だよ」
「佐村君でも無理なことあるんだ」
「普通にあるよ」
「なんか安心した」
「何に?」
「ちゃんと人が必要なんだなって」
玲奈が画面へ視線を戻す。
名前の大きさは変えなかった。
光洋包装に動きがあったのは、その翌日だった。
講義の休み時間に、ジンから声が届く。
『大手コンビニエンスストアが、新しい紙容器を一部地域で導入すると発表しました』
『光洋包装のもの?』
『発表資料に会社名はありません。ただし、容器の形状と素材は事前の予測と一致しています』
証券口座を開く。
千円を下回っていた光洋包装の株価は、すでに千百円を超えていた。
『市場も気づいてるっぽいね』
『光洋包装との関係を指摘する投稿が増加しています。現在の株価は千百十二円です』
『全国で使うことは決まった?』
『いいえ。発表されたのは一部地域における試験導入です。問題がなければ対象地域を拡大する方針ですが、時期と規模は確定していません』
『売却価格はどうする?』
『千百三十六円を推奨します。それ以上では、全国導入を前提とした評価が含まれ始めます』
『なら、確定してる分だけもらおう』
千百三十六円で、百株の売り注文を出す。
その日の午後、株価が指定した価格へ届き、注文は成立した。
十万一千八百円で買った株が、十一万三千六百円へ変わる。
利益は、手数料を考慮する前で一万一千八百円。
口座に残していた現金を合わせれば、運用資金は十四万円を超えた。
『全国導入が決定した場合、再び購入する方法もあります』
『そのときの価格と条件を見てからだね』
『はい』
さらに上がる可能性は残っている。
だが、発表されていない全国導入まで期待して持ち続ければ、最初に買った理由とは違う取引になる。
利益を確定し、証券口座を閉じた。
目の前では、亮太が次の授業で使う資料を探している。
「佐村、これ今日必要だったっけ?」
「二枚目だけ使うって言ってたよ」
「一枚目しか持ってない」
「裏に印刷されてる」
亮太が紙を裏返した。
「本当だ」
「見つかってよかったね」
「今、少し馬鹿にした?」
「事実を言っただけ」
「試験が終わってから、佐村が前より余裕あるように見える」
「試験前も余裕はあったけど」
「それを自分で言うから腹立つんだよな」
講師が入ってきたため、そこで会話を終えた。
六月八日。
撮影から二週間後、ミュージックビデオの試写を行った。
大学の教室を借り、制作へ参加した部員と、日菜たちのバンドが集まる。
日菜以外の三人と顔を合わせるのは、撮影の日以来だった。
打ち合わせの段階では、大学へ入って一か月ほどの僕へ企画と編集を任せることに不安を感じていたように思う。
今日は、その答えを見せることになる。
「和希」
日菜が僕の隣へ来た。
「完成したんだよね?」
「昨日までに確認は終わったよ」
「先に少しだけ見せて」
「全員で見るまで待って」
「わたしにも?」
「日菜だけ先に見せたら、ほかの三人に悪いだろ」
「一秒でも?」
「一秒見たら、その次も見たくなるよ」
「分かってるなら見せてくれてもいいじゃん」
「あと十分くらいだから待って」
不満そうに唇を尖らせたが、日菜はそれ以上頼まなかった。
栗原さんが機材の接続を確認し、教室の照明を落とす。
スクリーンに最初の映像が映った。
工場の高い窓から光が入り、日菜の影だけが床へ伸びる。
窓へ触れる指先。
歌が始まり、ガラスへ映った横顔が現れる。
演奏が重なるにつれて、画面の切り替わりが速くなっていく。
高瀬の指が弦の上を動き、宮原が身体を揺らしながら音へ合わせる。黒川が振り上げた腕の先で、光が一度だけ弾けた。
曲の後半で初めて、四人全員が同じ画面へ入る。
最後に、日菜が振り返る。
音が消えた後も、その表情だけが僅かに残った。
画面が暗くなり、曲名とバンド名が表示される。
続いて、制作へ参加した人間の名前が流れた。
最後の文字が消えても、すぐには誰も話さなかった。
暗い画面には、プロジェクターの弱い光だけが残っている。
「もう一回、見てもいい?」
最初に口を開いたのは日菜だった。
「もちろん」
映像を最初へ戻す。
二度目は、全員の緊張が少し解けていた。
高瀬は自分の手元が映った場面で隣の宮原を軽く叩き、黒川は演奏と映像の切り替わりを確認するように何度も頷いている。
日菜は、最後まで黙って画面を見ていた。
上映が終わると、高瀬が僕へ顔を向けた。
「最初に疑って、悪かった」
「自分たちの映像なんだから、確認するのは当然ですよ」
「でも、ここまでになるとは思ってなかった。次に作るときも頼める?」
「予定が合えば、やりたいです」
「今度は、最初から佐村君に任せるよ」
栗原さんが隣から口を挟む。
「佐村だけじゃなく、サークルへ依頼してくださいね」
「あ、そうでした」
「そのうえで、佐村を指名することはできます」
「じゃあ、そうします」
今回の映像は、僕一人で作ったものではない。
玲奈が気づいた修正も、栗原さんが撮った映像も、ほかの部員が運んだ機材も使われている。
その中で、次も僕に任せたいと言われた。
初めてソフトへ触れた上映会の日には、想像もしていなかった言葉だった。
試写が終わり、公開に必要な最終確認を進める。
日菜が僕の隣へ来た。
「和希」
「どうだった?」
「好き」
「MVの話?」
「今は、そう」
「ならよかった」
「自分が歌ってる映像なのに、自分じゃないものを見てるみたいだった。もちろん良い意味でね」
「日菜が持ってるものを、見えやすくしただけだよ」
「それ、褒めてる?」
「かなり」
「じゃあ、ありがと」
日菜はもう一度、暗くなったスクリーンを見る。
「わたし自分の声は好きだけど、映ってる自分を見るのはあんまり好きじゃなかったんだ」
「そうなの?」
「歌ってるときの顔変じゃないかなとか、立ち方が格好悪くないかなとか、いろいろ気になるから。でも、これは何回でも見たい」
「公開された後、自分でいくらでも再生回数増やすといいよ」
「一人で何万回も見ないよ」
「何回くらいなら見る?」
「今日は、帰ってから三回」
「もう二回見てるけど」
「それとは別」
「なら、好きなだけ見て」
日菜は満足そうに笑った。
「今日は一緒に帰れる?」
「片づけがある。終わるまで待てるなら」
「待ってる」
片づけには、予定より長く時間がかかった。
使用した機材をまとめ、公開用の映像と保存用のデータを分ける。
廊下へ出ると、日菜は壁際の椅子へ座り、バンドのメンバーと話していた。
僕に気づくと、鞄を持って立ち上がる。
「ごめん。遅くなった」
「本当に待った。途中で帰ろうかと思ったよ」
「帰ってもよかったのに」
「和希と一緒に帰るって言ったでしょ」
後ろから出てきた玲奈が、僕たちの会話を聞いて足を止めた。
「日菜さん、まだいたんですね」
「うん。今日はありがとう。映像、すごくよかった」
「わたしも完成したものを見られてよかったです。最後の表情、何回見てもいいですよね」
「あれは和希が、なかなか終わらせてくれなかったから」
「三回しか撮ってないよ」
「同じところを三回歩くの、結構恥ずかしいんだからね」
「三回目が一番よかっただろ」
「そうじゃなかったら、もっと文句を言ってるよ」
日菜は笑っていた。
玲奈は僕と日菜を交互に見た後、肩へ鞄を掛け直す。
「……じゃあ、わたしは帰るね。佐村君、また明日」
「うん。また明日」
日菜の視線が、玲奈から僕へ移った。
玲奈も一瞬だけそれに気づいたようだが、何も言わず廊下の先へ歩いていく。
「玲奈ちゃん」
日菜が呼び止めた。
「今度、ライブにも来てね」
「行きます。公開されたら、友達にも見せますね」
「ありがとう」
玲奈は笑って答え、今度こそ帰っていった。
僕と日菜も、少し遅れて建物を出た。
駅へ向かう道を並んで歩く。
大学から離れたところで、日菜が僕の手へ触れた。
いつもなら、そのまま指を絡めてくる。
今日は一度触れただけで、手は離れた。
「玲奈ちゃんと、仲いいよね」
「仲はいいよ。大学でもサークルでも一緒だから」
「それだけ?」
何を尋ねられているのかは分かった。
ここで隠しても、次に同じような機会があれば、日菜はまた気にするだろう。
「身体の関係もある」
日菜の足が僅かに遅くなった。
「いつから?」
「この前。編集してた日の夜」
「わたしと会った後?」
「うん」
「そっか」
日菜は前を向いたまま、しばらく何も言わなかった。
交差点へ差しかかり、赤信号で足を止める。
「いつ話すつもりだったの?」
「今日」
「わたしが聞かなかったら?」
「僕から話すつもりだった」
「本当に?」
「このまま日菜と会い続けるなら、隠すことじゃないから」
「わたしだけじゃ、足りなかった?」
「そういうことじゃない」
「じゃあ、どういうこと?」
「玲奈に求められて、僕も抱きたいと思った。断る理由がなかった」
日菜が僕を見る。
「正直すぎるよ」
「日菜が喜ぶ答えを作っても、後でもっと傷つけるだろ」
「今も結構傷ついてるけど」
「それは分かってる」
「分かってないよ。和希は、わたしがほかの男の人と寝ても平気なの?」
すぐには答えられなかった。
付き合っていないのだから、止める権利はない。
それでも、平気かどうかを聞かれれば違う。
「嫌だと思う」
「自分はしたのに?」
「うん。勝手なのは分かってる」
「そこは否定しないんだ」
「日菜の行動を決める権利はないけど、嫌だと思うのは変えられないよ」
日菜は唇を結び、信号の向こう側を見る。
「わたしも、そうやって選ばれただけ?」
「日菜と玲奈は違う」
「何が違うの?」
「日菜と会いたいときに、玲奈で代わりになるとは思ってない」
「それ、嬉しくない」
「同じものみたいに比べるほうが嫌だろ」
「じゃあ、どっちが好き?」
「今は、どちらかを選ぶとは言わない」
「逃げてる」
「ここで日菜だと言えば、安心させられると思う。でも今の僕は、その先まで約束できない」
「言ってくれないんだ」
「言わない」
信号が青へ変わった。
周囲の人間が歩き始める。
僕たちも横断歩道へ入ったが、日菜は少し離れたままだった。
駅の入口が近づく。
「今日は帰る?」
日菜が顔を上げた。
「帰ってほしいの?」
「日菜が僕といたくないなら、駅まで送る」
「嫌だよ」
声は小さかった。
「玲奈ちゃんとしたって聞いて、何とも思わないわけない」
「うん」
「でも、一人で帰ったら、もっと嫌なことばっかり考えそう」
日菜の手が、もう一度僕の手へ触れる。
今度は離れなかった。
「和希の部屋、行ってもいい?」
「もちろん」
「玲奈ちゃんも、あの部屋に泊まったんだよね」
「そうだよ」
「今は嘘でも違うって言ってほしい」
「ごめん」
「本当に、そういう嘘は言わないんだ」
「日菜に、何が本当だったか疑わせたくないから。これからも嘘は絶対言わない」
指を絡めると、日菜が握り返した。
先ほどより力が強い。
二人で駅へ向かう道から外れ、僕の部屋へ向かった。
部屋へ着いても、日菜はすぐには僕へ触れなかった。
鞄を置き、いつも座っている場所へ腰を下ろす。
僕は冷蔵庫から水を取り出し、二人分のグラスへ注いだ。
「ありがとう」
「うん」
日菜は受け取ったグラスを両手で持ち、一口だけ飲んだ。
「しないの?」
「日菜が触れてほしいと思うまでは」
「いつもは、そんなこと言わないのに」
「今日はいつもと違う」
「玲奈ちゃんにも、こうした?」
「日菜と玲奈を比べる話はしたくない」
「わたしが聞いてるのに?」
「比べた答えを聞いても、日菜は楽にならないと思う」
「それは和希が決めることじゃない」
「聞きたいなら答えるよ。ただ、聞いた後で消せないから」
日菜はグラスへ視線を落とした。
「……やっぱりいい」
「分かった」
隣へ座るが、こちらからは触れない。
しばらく何も話さずにいると、日菜が僕の肩へ頭を預けた。
「これからも、玲奈ちゃんとするの?」
「それは……たぶん、する」
「わたしとも?」
「日菜が会ってくれるなら」
「会うよ」
「なら僕も会いたい」
「そういうところだけ、迷わないんだね」
「日菜と会いたいかどうかは、迷ってないから」
日菜が顔を上げる。
「それ、もっと早く言ってよ」
「今聞かれたから」
「聞かれなくても言って」
「日菜に会いたかったし、今日一緒に帰れて嬉しかった」
「……もう一回」
「会いたかった」
ようやく、日菜が少し笑った。
僕のシャツの袖を掴み、自分から身体を寄せてくる。
「キスして」
『ジン。共有を切って』
『視覚と聴覚の共有を停止します』
その夜は、日菜が自分から僕に触れられるようになるまで、急がなかった。
ミュージックビデオは、翌日の夜に公開された。
日菜たちのバンドの公式チャンネルに、完成した映像が表示される。
題名の下には、曲名とバンド名。
説明文には撮影場所や制作協力者と一緒に、企画と編集を担当した僕の名前も載っていた。
最初の一時間で再生された回数は、百二十回。
ライブ映像を見た人や、以前からバンドを知っていた人が中心だろう。
『公開されている反応は?』
『現在までのコメントは、すべて肯定的です。歌声、映像の色、最後の場面について言及する内容が多く確認されています』
翌朝には、二千回を超えた。
これまで日菜たちが公開した映像の中で、最も再生されたものは四千回ほどだという。
その半分に一日で届いた。
《二千超えた!》
日菜から、再生回数を囲んだ画像が届く。
《昨日から何回見た?》
《六回》
《思ったより普通だった》
《同じところばっかり見るのはもっと多い》
《最後?》
《うん》
《自分の顔でしょ》
《和希が撮ったわたしだから》
その言葉には、すぐに返事を送れなかった。
《気に入ってくれてよかった》
《それだけ?》
《僕も気に入ってる》
《映像が?》
《今は、そう》
《意地悪》
日菜から笑っている顔の記号が届いた。
三日目に、学生や若いバンドの楽曲を紹介している個人アカウントが映像を取り上げた。
そこから、再生数の増え方が変わった。
一日に数百回だった数字が、数千回ずつ増えていく。
一週間後には、三万七千回を超えていた。
有名な歌手の映像と比べれば、小さな数字だ。
しかし、日菜たちの過去最高だった四千回の十倍近い。
バンドの登録者は六百人以上増え、これまで出演したことのない規模のライブハウスからも連絡が来たそうだ。
《次のライブ、前より大きいところから誘われた》
《聞いた。よかったね》
《和希のおかげ》
《歌がよくなかったら、映像を見てもライブへは呼ばれないよ》
《でも、見つけてもらえたのは映像があったからだし》
《なら、僕の分もあるね》
《かなりある》
映像を見た人間が、曲を知る。
曲を気に入った人間が、次のライブを探す。
画面の中で増えていた数字が、現実の客席へつながろうとしていた。
一本の映像で、有名になったわけではない。
音楽だけで生活できるようになったわけでもない。
それでも今まで届かなかった相手へ、日菜たちの曲が届いた。
そして僕が作った映像が、その入口になっている。
制作費は、バンド側が追加した分を含めて十二万円だった。
スタジオ、機材、交通費などを差し引いた後、参加した部員へ報酬が分けられる。
企画と編集を担当した僕が受け取ったのは、一万五千円。
光洋包装の取引で得た一万一千八百円より多い。
『今回、映像制作に使った時間を時給へ換算しますか?』
『しなくていい』
『投資と比較する場合、作業時間も必要な情報です』
『金だけなら投資のほうが早いに決まってる』
『では、映像制作の利益をどのように評価しますか?』
机の上に置いた封筒を見る。
中に入っているのは一万五千円。
それとは別に、証券口座には十四万円を超える資金がある。
パソコンの画面では、公開されたミュージックビデオが再生されていた。
最後まで流せば、僕の名前も表示される。
『僕の名前が残った。次も頼みたいと言われた。日菜たちのライブにもつながった。今回はそれでいいんだよ』
『金銭以外の成果を含めるという意味ですね』
『そういうこと』
封筒を机の引き出しへ入れる。
その直後、日菜からメッセージが届いた。
《今日も見た》
《何回目?》
《もう数えてない》
《自分の映像なのに飽きないんだね》
《見るたびに好きになる》
《なら作った意味があったよ》
《次も和希に作ってほしい》
《依頼はサークルへお願いします》
《急に仕事の返事》
《僕を指名するのは自由だよ》
《じゃあ絶対指名する》
日菜とのやり取りを終える前に、玲奈からもメッセージが届く。
《明日、午後から部室来る?》
《行けるよ》
《公開した映像の反応をまとめたい。あと、新しい相談も来てる》
《どんな内容?》
《前のMVを見た人から。佐村君にも参加してほしいって》
サークルの共有場所を開く。
届いていた文章には、撮影してほしい内容と、おおよその予算が書かれていた。
最後に、今回のミュージックビデオで企画と編集を担当した佐村和希にも、できれば参加してほしいと添えられている。
依頼は僕個人ではなく、サークルへ届いたものだが、映像の末尾に一度だけ表示された僕の名前を相手が拾ったということだ。
『明日の予定は?』
『講義終了後に二時間四十分確保できます。サークルの集まりへ参加しても、ほかの予定に影響はありません』
『なら、受けたいって栗原さんに伝えておく』
『承知しました』
栗原さんへメッセージを送り、依頼文をもう一度読む。
引き出しへしまった一万五千円とは別に、僕の名前が次の仕事を連れてきた。




