第6話 髪が灰色になると、家具が飛ぶらしい
【速報】新しい服が嬉しすぎて家が揺れました。
―― 超能力少女との生活、毎日が予想外です。――
オムレツを作れば大喧嘩。
お昼寝しようとすれば叩き起こされる。
そして気づいた。
服も。
歯ブラシも。
布団も。
この子には何もない。
急いで買い物へ向かおうとした、その瞬間――
「おようふく!」
少女は飛び跳ねた。
その喜びだけで、
家まで揺れ始める。
普通の子育ては、
今日もどこかへ消えていきました。
皿の上に、オムレツがあった。
きつね色。
きれいに折りたたまれている。
いい匂いが、台所いっぱいに広がっていた。
茜は三人分の皿を置いた。
芸術作品を完成させ、世界がそれを認めるのを待っている人の顔で。
座る。
腕を組む。
待つ。
「……」
「……」
「……」
女の子は、興味深そうに皿を見た。
米の入ったブリキのバケツを、椅子代わりにしていた。
両手で、間違った持ち方のままフォークを握る。
決意を込めて、オムレツへ突き立てようとした。
中瀬が箸を取る。
一口。
かむ。
評価を待つ、無言の数秒。
長かった。
茜の目は、輝いていた。
こんな言葉を期待して。
(望月さん。ただのオムレツかもしれませんが……今までで、いちばんおいしいです)
想像するだけで、うれしくなった。
もちろん。
中瀬の口から、そんな言葉は出なかった。
「ビーフ味のラーメンの方がよかったです」
「どういうこと、中瀬くん!?」
怒りが、物理法則を無視した速さで駆け上がった。
茜は彼を見つめた。
テーブルをひっくり返す価値があるか、計算する顔で。
ないと判断した。
そして、自分を罰するように、さらに速く食べた。
「あっちのラーメンとは、全然違うね!」
女の子が、満足そうに食べながら言った。
「ラーメンじゃない! オ・ム・レ・ツ!」
女の子は、目を丸くした。
もう長くなりすぎた新しい言葉の一覧に、もう一つ加えようとしている。
「あなたには、もう二度とインスタントラーメンなんて食べさせない!」
女の子には、それが愛の告白のように届いた。
もう二度と、食べさせない。
頬が、丸く、赤くなった。
中瀬が、小さく舌を鳴らした。
「何!? 一生ラーメンの方がいいってこと!?」
「言っていません」
「今、言った!」
「言って――」
「じゃあ、食べて!」
どこからか、茜の手にラーメンの袋が現れた。
そのまま、中瀬の口へ押しつけようとする。
彼は、こんなことをされるために育ってきたわけではないという尊厳を保ちながら、よけていた。
向かいでは。
女の子が、穏やかにオムレツを味わっていた。
昼食のあと、中瀬は寝た。
遠慮もなく。
予告もなく。
ただ、寝に行った。
女の子はテレビを発見し、床に座って目を輝かせていた。
色がいっぱいで、にぎやかな番組。
すっかり夢中だった。
歌まで、もう間違えてまねし始めている。
茜はソファから、笑顔で見ていた。
(何とかなったかな……って、大変!)
考えが、突然冷水のように降ってきた。
(歯ブラシがない。歯、磨けるの? 服もない。お風呂もまだ。タオルもない。シャンプー。石けん。パジャマもない。何も――)
自分でも驚く速さで、ソファから立ち上がった。
女の子の横を、止まらずに通り過ぎる。
中瀬の寝室へ直行した。
彼は、世界に何一つ問題がない人の顔で眠っていた。
その顔から、十センチ。
茜が現れた。
「起きて」
「……!」
「中瀬くん、この子、何も持ってない!」
彼の両目がそろって開く前に、もう言葉が機関銃になっていた。
「歯ブラシも、服も、タオルも、靴も、布団も、何にもない!」
中瀬は、ゆっくり起き上がった。
呼吸。
処理。
(本当に、騒がしい人ですね……)
「買いに行かないと……」
茜が見た。
「……」
「そんなの分かってる、中瀬くん!」
彼は、枕の方へ戻った。
茜が耳元へ行く。
「中瀬くーん!」
「……!」
「もう少しだけ、寝たいんですが」
ごく妥当な願いだと思っている声だった。
「もう十二分も寝たでしょ!」
寝室の入り口に、小さな頭が現れた。
興味深そうに、二人を見ている。
「私の、新しい服!?」
髪は緑。
ものすごく、緑。
「そう! 新しい服!」
女の子の目が、一気に変わった。
うれしくて、仕方がなかった。
跳び上がる。
床が揺れた。
揺れた。
本当に。
棚の物が動いた。
テーブルのコップが、数センチ滑った。
「あ」
「お、落ち着いて! ああ、髪、緑!」
「緑の髪……」
中瀬が、ベッドから出た。
しばらくして。
中心街は、そう遠くなかった。
三人は出かけた。
午後は、あっという間に過ぎていった。
店から店へ。
袋から袋へ。
女の子は、子ども服売り場で一着ずつ試着した。
小さな体には似つかわしくない、モデルの真剣さで。
その一秒一秒を、楽しんでいた。
ドラッグストアでは、暗いところで光るピンクの歯ブラシを見つけた。
「光る必要はないですね」
中瀬は、正直だった。
「私も欲しい!」
茜は我慢できず、もう一本取った。
結果。
暗闇で光る、ピンクの歯ブラシが二本。
靴売り場では。
中瀬が棚の前で止まり、難しい暗算をしているように、黙って眺めていた。
「中瀬くん……この靴、値段見て」
見る。
左目が、わずかに動いた。
「高いですね」
「でしょ!」
隣で、女の子は何もないところへ小さく笑っていた。
周りの人の考えを聞きながら。
世界でいちばん面白い番組を見ているような顔で。
「でも、買わないと」
中瀬が言った。
「何で!? 数週間で大きくなるんでしょ!?」
「だからこそ、今はちゃんとしたスニーカーを――」
「中瀬くん、サンダルにしよう」
「サンダルも、数日で小さくなりますよ」
「そしたら、売ればいい」
「売るなら、サンダルよりスニーカーでしょう」
「買うなら、スニーカーよりサンダルでしょ」
見つめ合った。
結果。
スニーカーと、サンダル。
もちろん、中瀬の支払いで。
寝具売り場では、茜と女の子が、試せる布団をすべて試し終えていた。
「これ、気持ちいい!」
「楽しいね、もちすきさん!」
女の子は、また別の布団に飛び乗った。
専門家の顔で評価する。
そして、高い棚の掛け布団を指さした。
厚い。
重い。
持つ前から、二キロありそうだった。
「あれ!」
「あれは厚すぎるよ。暑いし、もっと薄いのにしない?」
髪が灰色になった。
徐々にではない。
一瞬。
「は、灰色!?」
顔が変わった。
下唇が、前に出る。
口元が、逆さまの笑顔になる。
目が、潤み始めていた。
子どもが泣き出す、その直前の潤み方。
始まったら、半端では済まない種類の。
周りの物が、回り始めた。
最初は、ゆっくり。
それから、速く。
畳まれた毛布が、一枚、棚から浮かび出した。
もう一枚。
飾り用のクッションが、通路をふわりと飛んでいく。
周りの人たちは、見た。
よけた。
下がった。
「お、落ち着いて……! 中瀬くん、あの布団取って!」
中瀬は、抱えていた三百個の買い物袋を、遠慮なく床へ置いた。
棚の布団を取る。
見た目どおり、重かった。
大きくて、高価な赤ん坊でも抱えるように、両腕で抱きしめた。
茜は女の子を抱き上げ、思いつくものすべてで気をそらそうとした。
テレビの番組。
ピンクの歯ブラシ。
新しいサンダル。
「ほら、ほら……泣かなくていいよ。中瀬くんが取ってくれたから!」
「取りましたよ」
布団を抱えたまま、彼も言った。
女の子が瞬きをする。
布団を見る。
中瀬を見る。
髪が茶色へ戻った。
それから、少しずつ。
ピンクになった。
「色が変わった! もう大丈夫!」
毛布が着地した。
クッションも、だいたい元の棚へ戻った。
茜と中瀬は、一秒ほど顔を見合わせた。
今の、何?
そういう顔。
それから、周りの人へ向き直った。
「すみません! この子……表現が豊かで!」
誰にも、何も分からなかった。
三人は走って逃げた。
家に着いた頃には、もう夜だった。
中瀬は袋をすべてリビングの床に置き、少しだけ天井を見ていた。
全力を尽くしたのに、まだ仕事が残っている人の疲れ方だった。
「もう、十分です」
茜と女の子は、もう袋を開けていた。
新しい服を比べ、夢中ではしゃぐ。
体の疲れとは、明らかに無関係な元気さ。
二人とも、疲れ切っているはずなのに。
そんな気配は、一切なかった。
中瀬は、お茶を取りに行った。
「望月さん」
台所から呼ぶ。
「今日は、ご自宅に帰りますか。この子は、こちらに残して」
「ああ、だめ! 今夜は、この子と寝たい!」
中瀬が、カップを手に入り口へ現れた。
茜を見る。
女の子を見る。
また、茜を見る。
(どちらが子どもなんでしょうね)
「今日は、ここに泊まった方が楽でしょう。二人で寝室を使ってください。私はリビングで寝ますから」
「だめ! 私の家に行こうね!」
女の子が茜を見た。
中瀬を見た。
何を決めているのか、よく分からなかった。
「私の家」
茜が自分を指さす。
「それとも、この人の家」
人類の未来に関わる議題みたいな、真剣さだった。
そして、素早く思った。
(うちに来たら……オムレツより、もっとおいしいもの食べようね。ラーメンよりも)
女の子が瞬きをした。
笑った。
「もちすきさんの家」
「……?」
「ヨォォォチ! 今日は、お泊まり会!」
中瀬は、黙ってお茶を飲んだ。
場面転換。
駅。
夜も更けていた。
買い物袋だらけの二人が、ホームでバランスを取ろうとしていた。
「頑張って!」
「はい、もちすきさん!」
「もちづき、ね……」
電車が来た。
二人は乗り込んだ。
疲れ果てて。
買い物袋に埋もれて。
一人の髪は、ピンク。
もう一人の髪は、どんな鏡台でも救えない状態。
こうして二人は、日本でいちばん予想外のお泊まり会へ向かっていった。
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