第31話 鍵は食べ物ではありません
【緊急速報】茜さん、鍵を食べました。つむぎちゃん、巨大化しました!?
― 月曜の朝、中瀬家の浴室救出作戦があまりにも力技すぎる!! ―
月曜日。
午前八時十三分。
中瀬は、とっくに起きていた。
正確には、午前六時四十一分から。
そして、午前六時四十一分から、同じ姿勢だった。
単純に、動けなかったからだ。
つむぎは、午前零時ちょうどに元の大きさへ戻っていた。
中瀬は、その瞬間に気づいた。
重さが変わった。
そこにいる気配も、変わった。
けれど、お尻はまだ彼の顔の上にあった。
気持ちよさそうに眠ったまま。
一方、望月茜は。
自分の部屋にある、青いサルの等身大抱き枕を抱く時と同じように、中瀬にしがみついていた。
手足の長い、あの抱き枕だ。
ただし、今回は抱き枕ではない。
人だった。
本物の。
青くもない。
中瀬は、疲れ果てていた。
あまり眠れていない。
よだれまみれだった。
茜は寝ている時までしゃべり続けるのだ、と本人は言っていた。
首も痛い。
つむぎの重さで、何時間も顔の向きを変えられなかった。
もう、終わりのようだった。
まだ始まったばかりの一日が。
午前八時十七分――
「やああああああああああああ!!」
茜の肩が跳ね上がった。
朝八時十七分に出していいとは思えない速さだった。
両手は、反射的に戦闘態勢へ入った。
「……」
「……」
自分が目を覚ましたのだと気づく。
二回、瞬きをした。
中瀬を見る。
その中瀬に、自分がどう乗っているのかを見る。
下を見る。
外に出る大騒ぎ、その一。
「やああああああああああああああああああ!!!!」
茜は、そのまま走った。
浴室に飛び込み、鍵をかけた。
その叫び声で、電柱にいたハゲワシが目を覚ました。
ハゲワシが文句を言った。
その声で、つむぎが目を覚ました。
ゆっくりと。
大きく伸びをする。
起き上がった。
文字どおり、中瀬の頭に座って。
まだ気づいていなかった。
辺りを見る。
足を見る。
(大きい……)
手を見る。
(私、大きくなった?)
立ち上がった。
床に足をつけた。
「大きくなった!! 元に戻ったよ!! ヨォォォォチ!!」
つむぎは家中を跳び回り始めた。
全身を揺らしながら。
呪いから解放された者の勢いだった。
中瀬は、ソファに寝たままだった。
天井を見る。
今日という一日を、頭の中で処理していた。
浴室では、茜が隅で震えていた。
よく思い出せないことについて、必死に考えている。
(ど、ど、ど、ど、ど、ど、どうして、あんなことができたの!? やあああ! お、覚えてない! 覚えてないよ! 覚えてるべきなのに! あああ、恥ずかしい!! 待って、よかった! よかった……よくない! 絶対、中瀬くんに嫌われたあああ!!)
居間では――
つむぎの、外に出る喜びの大騒ぎを、家全体が受け止めていた。
七十センチの体に戻って。
五歳くらいの子どもとされる姿で。
走る。
壁を跳ね回る。
そのうえ、物たちに朝食まで作らせていた。
パンはトースターへ。
牛乳はコップへ。
牛乳に味をつける、あの怪しい粉も。
中瀬がスーパーで、かわいいと思って深く考えずに買ったものだった。
「あはははは! 戻ったよ!!」
勢いよく椅子に座る。
もう、口には食べ物が詰まっていた。
「いただきまぁぁぁぁぁす!!」
猛烈な勢いで食べ始めた。
中瀬は、静かな恐怖を覚えながら見ていた。
何も言わなかった。
トイレを使いたかった。
けれど、茜と顔を合わせるのも、少し恥ずかしかった。
結局、近くの公園の公衆トイレを使いに行った。
中瀬は、新聞を脇に抱えて公園を歩いていた。
疲れていた。
体が痛かった。
寝方のせいでもあり、昨日二階から落ちたせいでもある。
歯も痛い。
喉も痛い。
特に理由もなく、足の親指まで痛かった。
スーツ姿だった。
高いものではないが、高そうには見える。
月曜日に働く男の、六割くらいと同じだった。
小さくて忙しい町が、目を覚ましていく。
仕事へ向かう人。
もう帰ってくる人。
扉の開いたパン屋。
その中に、自分が教えている学校の制服を着た生徒たちが見えた。
(……ああ、そうだ。忘れるところだった)
スマホを取り出した。
電話をかける。
「どうも、クゼさん――」
ガンッ!
電話の向こうで、大きな音がした。
中瀬は待った。
「おう、中瀬くん!! いってぇ……!」
「クゼさん、大丈夫ですか?」
「うん」
「……では――」
「何だよ、あの話! 日本の教育当局にクビにされたって――」
「しーっ。大丈夫です。お願いしたいことがあるんですが、質問はしないでほしいんです」
「どんなお願い?」
「質問なしで」
「……」
「聞いてください……」
中瀬は、クゼと何かを計画していた。
けれど今は、少しだけ時間を進めよう。
家に戻った中瀬は――
立ち止まった。
目の前の光景を見た。
つむぎが、浴室のドアノブを両手でつかんでいる。
足は、ドアの板に突っ張っていた。
全身の力で、引っ張っている。
その向こう。
浴室からは、死を待つ人のような茜の声が聞こえていた。
「諦めないで、茜さん!!」
「む、無理だよ……もう、つむぎちゃんには会えない気がする……」
「いやあああ! そんなこと言わないで!!」
中瀬は見ていた。
(下手な芝居に見えるくらい、妙に生々しい。問題は、本当に起きていることだという点だ)
深く息を吸う。
二人のところへ歩いていった。
「つむぎちゃん、私に何かあったら……あなたと、中瀬くんのことが大す――」
「何があったんですか?」
「……」
浴室の中が、完全に静かになった。
「な、中瀬くん、おはよう! まだ会ってなかったね……」
つむぎは、驚くほど落ち着いて言った。
足はドアに。
手はドアノブに。
そのままで。
「おはようございます、つむぎちゃん。元気そうで何よりです」
つむぎが笑った。
「ちょっとお! 私、ここで死ぬかもしれないんだけど! 忘れないで!」
「望月さんも、おはようございます」
「お、お、お、お、お、お、おはよ――」
「それで……」
中瀬は、状況を上から下まで見た。
「何があったんですか?」
「茜さんが、すごくそわそわしてて。鍵穴に差してあった鍵に腹が立って、食べちゃったんです」
「……」
「本当に腹が立ったんだもん! あの鍵が悪い!」
「あっ、でも、茜さんのお腹の中の鉄は心配しなくていいよ。それは大したことじゃないから。後で私が出せるし」
「……」
「問題は、中瀬くんのドアを壊しちゃいけないから、どうやって開けて茜さんを助ければいいのか分からないことなの」
「……」
中瀬は、この日初めて大きく表情を変えた。
見ているものも、聞いていることも信じられない。
口が開いていた。
目が、すべてを物語っていた。
(信じられない)
「だ、大丈夫です。ドアは壊しても――」
その一瞬で。
つむぎは、別のものになっていた。
筋肉の塊だった。
巨大。
太い腕。
盛り上がる筋肉。
身長二メートル半の姿が、あまりにも自然に廊下へ現れた。
そして、ドアを殴った。
ドォォォォォォン!!
ドアが爆発した。
粉塵が、辺り一面に舞った。
その一撃の後には、木も、ドアも、何一つ残っていなかった。
それを見た中瀬は、諦めた。
普通の人に戻った。
朝食を取りに行った。
(望月さんが、あの鉄で溶けてくれればいいのに)
「茜さあああん!!」
「つむぎちゃあああん!!」
二人は抱き合おうとした。
今のつむぎの前腕と、茜の大きさは同じくらいだった。
茜は、その腕に飛び込んだ。
「ありがとう!!」
「無事でよかった!!」
中瀬は新聞を読んでいた。
たばこを吸っていた。
ブラックコーヒーを飲んでいた。
つむぎが、コーヒーの匂いを感じた。
くしゃみをした。
その瞬間、能力に気を配るのを忘れた。
「やっ!」
「やあっ!」
つむぎが元の姿に戻った。
茜が、その上に落ちた。
二人とも転んだ。
顔を見合わせた。
笑った。
中瀬は、何も言わなかった。
午前八時五十九分。
本当に、一日は始まったばかりだった。
少し、変わった始まり方で。
「望月さんのお腹から、鍵を出すのを忘れないでくださいね」
中瀬は、念のため言った。
二人とも、もう忘れていた。
「あっ、そうだった! 早く、つむぎちゃん! 気分が悪くなってきた! もう、だめかも――」
「いやあああ! 茜さん、待って! 私が助けるから!」
「……」
午前九時。
つむぎは、専門家さながらに、危険な手術の真っ最中だった。
茜の体を全部透明にする。
指を入れる。
胃の中から鍵を取り出す。
痛みも、苦しみも、これといった問題もなく。
中瀬は、その日二杯目のコーヒーを飲んでいた。
ベランダで。
平和に。
今回も最後まで読んでくださり、ありがとうございます!!
(*´꒳`*)
皆さまが読みに来てくださること、そして応援してくださることが、本当に嬉しいです!
よかったら、絵文字で今回の感想を教えてくださいね!
★で応援していただけたら、さらに大喜びします!!
ヽ(>∀<☆)ノ
いつも温かい応援を、本当にありがとうございます!
次のお話でも、もっと楽しんでいただけますように!
それでは、また次回お会いしましょう~!!
(。・ω・。)ノ♡




