第13話 誰も止められなかった。
【緊急遠征】平均年齢高めの登山隊、まさかの出発決定!?ツムギ隊長、世界一高い山を目指します!!
— 老人ホーム。
今日の目標は、
安全。
平和。
誰もケガをしないこと。
……のはずだった。
三年前の思い出話から飛び出した一言。
「ハイキングに行こう!」
しかも参加者は――
やる気満々のお年寄りたち。
すでに完全装備。
そして、謎の旗を掲げるツムギ隊長。
目的地は近所の公園。
しかし本人たちの気分は、
世界最高峰への大遠征。
止める中瀬。
諦める明音。
勝利する民主主義。
こうして軽トラックは、
夢と希望と大量の荷物を乗せて――
今日も元気に出発します。
老人ホームで、一番にぎやかな部屋。
間違いなく、一番うるさくて。
一番おかしな部屋が。
今。
静かだった。
ものすごく。
静かすぎた。
心配になるくらいに。
そして、この沈黙が意味することは。
ただ一つ。
全員が、同じ答えを待っていた。
「今日は、何して遊ぶの?」
茜は、考えた。
今度は、本当に。
『一日中、楽しめることじゃないと……』
『でも、誰も怪我しないやつ』
『料理?』
『ダメ』
『ゲーム?おもちゃ?美容サロン?』
『あぁぁ……もう……』
何も、思いつかなかった。
創造力。
不在。
宮本が、首を傾げた。
「前みたいなことをしたらどう?」
茜の顔が、少し固まった。
「あの……三年前の……?」
特定の出来事に、傷つけられた人の顔だった。
「そう!!あれよ!」
「ああ、忘れられないわねぇ!!」
高橋が、嬉しそうに会話へ入った。
よく覚えている人の声だった。
「忘れられない……」
茜は、あの日からずっと。
忘れようとしていた。
つむぎが、袖を引いた。
「もちすきさん、何があった日?」
「ふ、船が……ひっくり返った日……」
部屋に、小さな笑いが広がった。
一斉に。
佐伯以外。
三年前には、まだここにいなかった。
物語の途中から参加した人の落ち着きで、みんなを見ていた。
「バ、バランスを崩しただけです!!それだけ!!」
茜は、必死に弁明した。
「そうだったねぇ。望月ちゃん、かわいそうに……」
田中が、優しく頷いた。
「そもそも!!」
茜は、勢いよくポーズを取った。
劇的に。
深い怒りを込めて。
「全部、藤原さんのせいですからね!!」
「私ぃ!?」
藤原が、目を丸くした。
突然の攻撃だった。
「でも、一番楽しかったのは船じゃないでしょ!?覚えてない!?」
高橋が、場をなだめようとした。
沈黙。
誰も。
船で起きた、面白くて悲惨な出来事以外。
覚えていなかった。
「……何を言ってるんだろう」
田中が、ぽつり。
「小さな川のことしか思い出せないわ……」
宮本も、首を傾げる。
「別の日と混ざってるんじゃない?」
藤原にも、心当たりがなかった。
三人が、顔を見合わせた。
年齢のせいかもしれない。
別の出来事と、混ざっているのかもしれない。
高橋が、叫んだ。
「その川まで、歩いて行った時よ!!」
どんっ。
全員の記憶が、同時に戻った。
目が、輝いた。
元気が、増した。
藤原が、立ち上がった。
宇宙から直接、任務を受け取ったみたいに。
茜は、始まる前から諦めた。
「ハイキングに行こう!!」
「ちょっと待っ――」
止めようとした。
でも。
もう、何をしても無駄だった。
遅すぎた。
部屋の隅にある、謎の戸棚。
必要な時には何でも出てきて。
必要ない時には、存在すら知らなかったものが出てくる。
あの種類の戸棚が。
元気いっぱいの、四組の手で開けられた。
茜は、部屋の真ん中に立っていた。
深呼吸。
『つむぎちゃんに、全部の登山道へ木を倒してもらえば!!』
『日本中の空に、嵐を起こしてもらえば――』
自分で、自分を止めた。
『能力、使っちゃダメなんだった……』
しゅうう……。
がっかりして、しぼんでいく風船みたいだった。
その隣に。
中瀬が、現れた。
幽霊みたいに。
すでに、スマホを持っていた。
文字を打つ。
何も言わずに、茜へ画面を向けた。
『八十歳以上の高齢者にしてはいけないこと』
中瀬が、囁いた。
「ハイキングは、八十歳以上の方にしてはいけないことの上位三つに入っています」
茜は、画面を見た。
横を向いた。
唇を、尖らせた。
「……みんなが決めたんだもん」
中瀬は、反応しなかった。
その時。
こほんっ。
誰かが、咳払いした。
二人が、振り向いた。
つむぎだった。
準備が、できていた。
四人のお年寄りの前に立って。
手には、旗。
どこから出てきたのか。
誰も、知らなかった。
目は。
任務を引き受けた人の目だった。
その後ろの四人も、同じ顔をしていた。
何が来ても、立ち向かう。
つむぎは、ハイキングが何なのか、よく分かっていなかった。
でも。
その概念には、全力で参加していた。
「ヨチ!!」
旗を、掲げる。
「世界で一番高い山の頂上に着いたら……ここに立てます!!」
半秒。
沈黙。
中瀬が、言った。
「子どもにしては、ずいぶん真剣な声ですね」
佐伯に、選択肢はなかった。
茜にも。
なかった。
茜は、目の前の光景を見た。
旗を持つ、つむぎ。
遠征に向けて装備を整えた、四人のお年寄り。
佐伯を支える、中瀬。
五分で、世界中の登山道を潰すことはできない。
受け入れるしか、なかった。
『でも、まだ邪魔はできる……へへへ』
茜は、あの顔をした。
少し間の抜けた。
少し悲しそうな。
計算し尽くした顔。
「でも……どうやって、そこまで行くんですか……?」
これで、行けなくなるはずだった。
「茜ちゃんの車!!」
高橋が、叫んだ。
要求だった。
質問する前から答えを知っていた人の、自然さで。
茜の目に残っていた輝きが。
その瞬間。
消えた。
つむぎは、もう出口へ行進していた。
旗を持って。
受付に着いた。
受付の女性が、顔を上げる。
「……え、何――?」
先頭は、つむぎ。
立派な、七十センチ。
背中には、漁網。
顔には、カラフルなスポーツサングラス。
お年寄りたちを率いていた。
堂々と。
そのすぐ後ろ。
高橋は、九十年代の帽子をかぶっていた。
紀元前の。
手には、懐中電灯。
昼だった。
トレッキングポールも、使っていた。
前髪が邪魔にならないように、ヘアバンドまでつけていた。
その隣を、宮本が歩く。
背中には、大きなリュック。
中身は。
水だけ。
腰には、武器でも入れていそうなポーチ。
でも。
片方のポケットには、日焼け止め。
もう片方には、虫よけ。
そして、もちろん。
二〇〇〇年代の、革のブーツ。
まだまだ、現役だった。
隣の藤原は、ものすごく真剣だった。
つむぎと、よく似た目をしていた。
どんな試練でも、受けて立つ。
軍服。
手には、ロープ。
襟元には、偽物の政府スパイのバッジ。
準備は、万全だった。
続いて、田中。
つむぎとお揃いの、サングラス。
日焼け止めで、真っ白な顔。
シャツのポケットには、家族写真。
戦争へ行く人が、持っていくみたいに。
さらに。
首からは、白い本格的なカメラが下がっていた。
そして、その後ろ。
佐伯が、中瀬に支えられて歩いていた。
中瀬は、佐伯よりかなり大きかった。
片腕で、佐伯を支えながら。
口には、煙草。
火は、ついていなかった。
つける時間が、なかった。
最後は。
茜。
手に、車の鍵。
顔は。
民主主義に敗れた人の顔だった。
四人のお年寄り。
一人の子ども。
勝てなかった。
受付の女性は、何も言わなかった。
ただ、目で行列を追った。
『……本当に、またやるんですね?』
答え。
やる。
本当に。
また、やる。
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