第12話 「お願いします」も言えるようになりたい!
【事件】はじめての自己紹介!?ツムギ、お年寄りたちとの“ほっこり初対面”が開幕!!
— 「よろしくお願いします。」
たった一言。
でも、それはツムギにとって大きな一歩だった。
初めてのお年寄りたちとの出会い。
照れ屋なおばあちゃん。
元お坊さんのおじいちゃん。
そして、相変わらず大騒ぎの明音。
髪の色は今日も自由奔放。
中瀬は今日も冷静。
ツムギは今日も一生懸命。
少しずつ広がっていく、
優しくて、あたたかい世界。
これは戦いの物語じゃない。
――"家族"が少しずつ増えていく日の物語。
茜は、最初のおばあさんの前へ進んだ。
テレビ番組の司会者みたいな勢いで。
「こちらは、高橋千代子さんです!!」
「こんにちはぁ!!よろしくねぇ!!」
高橋は、両手をぱたぱた振った。
嬉しそうだった。
ものすごく。
感情が全部、顔に出る人だった。
そして今、出ているのは。
喜び。
隠す気も、隠せる気配もなかった。
茜は、半円に並んだ椅子に沿って、次のおばあさんへ。
「こちらは、宮本鈴江さん!」
宮本は、控えめに顔を上げた。
紹介されることに、あまり慣れていないらしい。
「宮本さんは、すっごく器用なんです!!」
つむぎは、瞬いた。
知らない言葉。
また一つ。
中瀬は、宮本を見た。
それから、部屋を見た。
『器用な人が、どうしてこの部屋に……』
まだ、この部屋の仕組みを理解できていなかった。
「そんなこと言わないで、茜ちゃん……」
宮本の頬が、赤くなった。
肩まで、小さくなる。
でも。
茜は止まらない。
「本当ですよ!!先月、私にすっごく綺麗なラグを作ってくれたんです!!」
目が、きらきらしていた。
自分のラグに恋をしている人の目だった。
中瀬は思った。
『……ラグに?』
つむぎが、茜の袖を引いた。
「茜さん、器用って何?」
中瀬が、口を開きかける。
しかし。
茜の方が、早かった。
「宮本さんのこと!!」
宮本が、さらに赤くなった。
つむぎは、真剣な顔で確認する。
「宮本さん、器用?」
「そう!!器用な人っていうのは、宮本さんのこと!!」
「分かった!宮本さんは器用!」
「そう!」
「宮本さんは器用!」
「そう!!宮本さんは器用!!」
中瀬は、床を見た。
説明が、一歩も進んでいなかった。
宮本は、どこを見ればいいのか分からなくなっていた。
「もう、やめて……」
顔。
真っ赤。
でも、二人は続けた。
十秒ほど。
宮本の中で、行き場を失った恥ずかしさが膨らんで。
つい。
そばの壁に、手を当てた。
軽く。
本当に、軽く。
ぱきっ。
壁に、ひびが入った。
「……」
「……」
沈黙。
中瀬は、ひびを見た。
宮本の手を見た。
もう一度、壁を見た。
「宮本さん、怪我してない!?」
「鈴江さん、気をつけて!!」
高橋が、慌てて立ち上がろうとした。
なかなか立てない。
別のおばあさんは、もう立っていた。
「すっごいわね、鈴江さん!!」
宮本も、立っていた。
胸に手を当てて。
『またやってしまった』
という顔で。
「長く仕事してきたけど、こんなの初めて見たわ!」
「皆さん、ごめんなさい……!」
壁を壊したというより。
重大な罪を犯したような謝り方だった。
みんなが、宮本の周りに集まった。
大丈夫かと聞く人。
手を確かめる人。
壁を見て、なぜか感心している人。
長年、一緒に過ごしてきた人たちの動きだった。
茜は、その輪の外にいた。
特に驚いていなかった。
驚く必要が、なかったらしい。
その時。
高橋が、宮本の耳元へ顔を寄せた。
「鈴江さん……今がチャンスよ」
「……何が?」
「ほら、あちらの。かっこよくて、筋肉もある方に、抱っこしてもら――」
「もう、大丈夫そうですね」
落ち着いた声が、割って入った。
二人のおばあさんが。
同時に。
残念そうな顔になった。
そこにいたのは、一人のおじいさんだった。
いつの間に。
この部屋にも、落ち着いた人がいたらしい。
おじいさんは、三人へ向き直った。
そして、丁寧にお辞儀をした。
年齢からは想像できないほど、綺麗な動きだった。
「田中源蔵と申します」
穏やかに笑う。
「よろしくね、お嬢ちゃん」
つむぎも、笑った。
嬉しくて。
髪が、緑になった。
ものすごく。
緑に。
「緑!?」
茜が声を上げた。
まるで、初めて見たみたいに。
中瀬は、深く息を吸った。
茜は、つむぎの前へ駆け寄る。
「つ、つ、つむぎちゃん!!」
つむぎは、自分の髪を見た。
「あっ」
それから、慌てた。
「ご、ごめんなさい!!」
集中。
眉を寄せる。
頬を膨らませる。
目を、ぎゅっと閉じる。
ものすごく頑張っていた。
髪は。
緑のままだった。
高橋は、その顔を見ていた。
胸の奥が、きゅうっとなる。
『うちの孫も、このくらいの頃……』
思い出して。
ますます、顔が緩んだ。
中瀬は、つむぎをしばらく観察した。
それから。
「望月さん」
「はい!?」
「髪の色は……つむぎちゃん自身の性質なんだと思います」
「え!?」
「自分で操る能力ではないのかもしれません」
つむぎは、まだ頑張っていた。
とても。
とても頑張っていた。
中瀬が、その肩を軽く叩いた。
「大丈夫。もうやめていいよ」
つむぎが、目を開ける。
お年寄りたちは、興味深そうに見ていた。
不思議そうではある。
でも。
長く生きてきた人たちだった。
簡単には、大騒ぎしない。
一人を除いて。
茜は、半秒だけ目を閉じた。
『分かってた』
「藤原さん……」
「すっごーーーい!!」
藤原が、走ってきた。
八十八歳。
走ってきた。
つむぎは、少し後ずさった。
勢いが、すごかった。
中瀬が、ぽつり。
「八十八歳で走れる方がすごいです」
藤原は、指先でつむぎの髪を確かめた。
「色が変わるの!?本物みたいね……かつら?緑には意味があるの?あっ、暑いと――」
「藤原さん」
田中が、控えめに咳払いした。
「あっ。そうね」
藤原は、二歩下がった。
思い出したように、姿勢を整える。
「藤原佳代です!つむぎちゃん、会えて嬉しいわ!!」
つむぎは、藤原を見た。
茜を見た。
もう一度、藤原を見た。
田中が、小さく笑った。
そして、改めてつむぎへ向き直る。
この人の周りだけ。
時間が、ゆっくりだった。
「つむぎちゃん。社会性を身につけたいんだね」
つむぎが、固まった。
『ミッションを知ってる!?』
茜も、固まった。
『田中さんも、超能力者!?』
思考が走る。
『それとも、政府のスパイ!?』
さらに走る。
『私たちの任務を確認しに来た!?』
止まらない。
『もしかして、本当はおじいさんじゃない!?』
そして、なぜか。
『政府、絶対お金払ってくれないじゃん!!』
中瀬の顔は、変わらなかった。
『見てれば分かるだろ』
それだけだった。
つむぎは、何と答えればいいのか分からなかった。
優しく話しかけられているのに。
緊張で、言葉が出ない。
田中は、すぐに気づいた。
「緊張しなくていいよ」
声も、ゆっくり。
「基本の挨拶を覚えに来てくれて、嬉しいんだ」
周りの人たちも、頷いた。
急がせない。
待ってくれる。
つむぎが、言葉を見つけるまで。
田中は、少しだけ身をかがめた。
「こういう時はね、『お願いします』とか、『こちらこそ、よろしくお願いします』って言うんだよ」
つむぎは、真剣に聞いた。
「それから、相手を大切に思う気持ちを込めて、お辞儀をするんだ」
つむぎの目が、ぱっと輝いた。
「分かった!」
姿勢を整える。
「こちらこそ、よろしくお願いします!!」
ぺこっ。
必要以上に、深いお辞儀だった。
田中も、お辞儀を返した。
八十七歳。
もっと深く。
五人が、笑った。
拍手もした。
小さな子が、立派に挨拶をした。
それだけで。
十分、嬉しかった。
つむぎの頬が、桃色になった。
中瀬は、その様子を見ながら。
別の一人にも、気づいていた。
少し離れた場所に座る、おじいさん。
言葉が、ない。
動きも、少ない。
敵意は、感じない。
ただ。
三人が入ってきてから、ずっと見ていた。
一度も、目を逸らさずに。
中瀬も、見返した。
その時。
藤原が、田中へこっそり囁いた。
機密情報を伝えるみたいに。
「佐伯さんも、忘れないで」
「ああ、そうだったね」
田中が、そのおじいさんへ手を向けた。
「こちらは、佐伯宗一郎さん」
佐伯は、静かに三人を見た。
「以前は、お坊さんだったんだよ。今は、沈黙の誓いを立てていらっしゃるんだ」
「お坊さん!?」
茜が、驚いた。
この施設で。
五年も働いていたのに。
知らなかった。
「『手がかかりすぎるお坊さん』と呼ばれていたそうでね」
茜は、佐伯を見た。
そんなに手がかかる人には、見えない。
『……私がつけたあだ名も、そんなに悪くないのかも』
つむぎは、もう佐伯の近くにいた。
好奇心に。
ブレーキが、なかった。
「お坊さんって何?」
佐伯が、つむぎを見る。
「佐伯さん、お話ししないの?」
見ている。
穏やかに。
ゆっくりと。
「しゃべるの、嫌い?」
返事は、ない。
つむぎは、考えた。
そして。
ひらめいた。
『心を読めば分かる!』
でも。
禁止されている。
『ダメなんだった』
しかし。
知りたい。
『いいことに使うだけなのに……』
早く、社会性を身につけたい。
佐伯が、何を考えているのか知りたい。
でも、使ってはいけない。
髪が、灰色になった。
緑になった。
灰色。
緑。
茜が、首を傾げた。
「……髪、バグった?」
本気の疑問だった。
中瀬が、つむぎのそばにしゃがんだ。
低い声で。
落ち着いて。
「つむぎちゃん。佐伯さんのこと、ちゃんと尊重しよう。いい?」
つむぎは、少し黙った。
それから。
「……うん」
高橋が、両膝をぱんっと叩いた。
「さて!!」
部屋の空気が、一気に切り替わる。
「今日は何して遊ぶの、茜ちゃん!?」
五人が、茜を見た。
期待に満ちた顔で。
中瀬も、見た。
『手のかかるお年寄りと、パズルをするだけだと思っていた』
でも。
それだけでも。
すでに、かなりの情報量だった。
茜が、口を開いた。
その前に。
藤原が、話し始めた。
「茜ちゃんが、また遊びに来てくれて嬉しいわぁ!」
「前に、釣りに行ったの覚えてる?」
「茜ちゃん、船から落ちたのよね!!」
「私、忍者みたいに飛び込んだのかと思ったわ!」
「あの川、深さ六十センチしかなかったのに!」
「茜ちゃん、溺れたのよ!!」
全員が、笑った。
懐かしそうに。
楽しそうに。
みんなで持っている、いい思い出だった。
少なくとも。
茜以外には。
藤原は、腕を組んだ。
確信に満ちた顔で。
「私はスパイなのよ!いい!?」
中瀬が、茜を見た。
茜は、天井を見た。
つむぎは、二人を交互に見た。
理解しようとしていた。
『茜さん、本当に六十センチの川で溺れたの……?』
溺れた。
高橋は、まだ楽しそうだった。
「それで……」
五人が。
同時に。
少し、身を乗り出した。
まるで、一つのアンテナみたいに。
「今日は、何して遊ぶの?」
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