第11話 絶対に選んではいけないもの
【速報】絶対に選んではいけない選択肢を選びました。
― 土曜日のボランティア、開始5分で不穏な空気に!? ―
老人ホームでのボランティアに参加することになった望月明音、中瀬俊介、そしてつむぎ。
「今日は平和に社会勉強!」
……のはずだった。
ところが、活動内容を選ぶことになったつむぎが、よりによって望月が全力で避けたかった「子どもの後片付け」を迷わず選択!?
受付スタッフは笑顔。
望月は絶望。
中瀬は状況を理解できないまま巻き込まれる。
そして待っていたのは――
個性が強すぎる五人のおじいちゃん・おばあちゃん!?
果たして三人は、この“平和とは程遠い”ボランティアを無事に乗り切れるのか!?
「土曜日って、老人ホームでボランティアを募集してるんだよね」
茜が、あの顔をした。
思い付いた瞬間。
説明し終わる前から、その案が大好きになっている顔。
「つむぎちゃんを連れていこう!!」
中瀬は、少し黙った。
その間に、順番に思い出した。
この一週間。
壊れた眼鏡。
ショッピングモールの小さな地震。
自分が飛び出した窓。
そして。
望月茜の口から出る「簡単」は、辞書とは別の意味を持っていること。
「……どうやって?」
「すっごく簡単!!」
しばらくして。
三人は、老人ホームの前に立っていた。
茜。
変装済み。
サングラスだけ。
つむぎ。
違う髪型。
お揃いのサングラス。
頭には、布。
理由は不明。
でも、本人がどうしても付けたがった。
中瀬。
いつも通り。
変装なし。
まともな人だったので。
入る前に、茜が横へ囁いた。
「……作戦通りにね」
目を細める。
国家機密でも伝えるような顔だった。
「まるで工作員ですね」
「一応、そうだから」
その時の中瀬の顔。
唯一無二。
人生で二度は出ない種類の表情だった。
「行こう、つむぎちゃん!!」
「はい!!」
二人は、建物の持ち主みたいな勢いで先に入った。
中瀬はタバコに火をつけた。
話が済むまで、外で待つことにした。
受付。
「……すみません」
茜が近付いた。
少し違う声。
少し違う姿勢。
室内なのに、サングラス。
受付係が見た。
すぐ分かった。
何も言わなかった。
――この人なら、やるよね。
老人ホームで働き、いろいろ見てきた人の穏やかさだった。
「その……土曜日のボランティアなんですが……」
「はい。何をお知りになりたいですか?
参加をご希望ですか?」
「そ、そうです!」
「それは素敵ですね」
受付係が笑った。
「土曜日に、ご家族そろって老人ホームで活動なんて」
外から様子を見ていた中瀬は思った。
――今の、皮肉か?
「か、か、家族!!
あははは!!」
茜が笑った。
最初から存在していない役になりきろうとしている人の笑いだった。
受付係は、落ち着いてファイルをめくった。
内心では楽しんでいた。
非常に、仕事のできる楽しみ方で。
入居者が、受付を通り過ぎる。
荷物を受け取る人。
お茶を取りに行く人。
茜は、一人ずつ目を逸らした。
さりげなく。
まったく、さりげなくなかった。
「では、ご家族の皆さん」
受付係が、目的のページを見付けた。
「おじいちゃん、おばあちゃんたちと一緒にできる活動が、いくつかありますよ」
茜の顔が、少し曇った。
――おじいちゃん、おばあちゃんたち。
誰のことか、よく分かっていた。
「水泳、ボードゲーム、公園のお散歩……
それから、もう少し刺激のある活動でしたら――」
受付係が続ける。
「通称『子どもの後片付け』もあります」
その名前を付けたのは、茜だった。
ある日。
ある口調で。
受付係は、細部まで覚えていた。
茜の顔が、もう少し曇った。
選ばせない。
絶対に。
何も言わず、自然に流せばいい。
目立たず。
何事もなかったように――
「さて、お嬢ちゃん」
受付係が、つむぎへ少し身を屈めた。
「どれにする?」
つむぎは、最初から全部聞いていた。
――一番いいものを選ばなきゃ。
――勉強しに来たんだから。
――社会性を身につけるために。
――今日を、最高のお出掛けにしなきゃ。
外を見る。
中瀬。
タバコ。
何も知らずに、落ち着いている。
茜を見る。
「子どもの後片付け」という言葉だけで、必死に絶望を隠している。
つむぎは、その顔を見なかったことにした。
集中。
――今日を、最高のお出掛けにしたい。
その瞬間。
初めてのことが起きた。
心から、強く願った言葉が。
知らなかった扉を、開けたみたいだった。
確信が来た。
速く。
真っすぐに。
疑う余地がなかった。
――すごい。
――初めて、こんな感じがした。
つむぎは、受付係を見た。
「『子どもの後片付け』がいいです!!」
茜の顔が、悪くなった。
非常に。
「えええええええ!?」
受付係が笑った。
種をまいて、その場で収穫した人の笑いだった。
茜は、受付係へ目を向けた。
――覚えててくださいね。
そんな目。
どすどす歩いて、入口へ行く。
扉を開けた。
「中瀬くん。来て」
「……?」
中瀬は、顔を見た。
タバコを消した。
何も聞かずに入った。
今、選べる中では最も賢い行動だった。
茜はつむぎのところへ戻り、しゃがんだ。
「つむぎちゃん!!
なんで、よりによってそれ!?」
つむぎが、深く息を吸う。
まだ、あの新しい感覚に胸が弾んでいた。
突然やってきた確信。
知らなかった感覚が、目を覚ましたみたいだった。
「もちすきさん!
今日を忘れられない日にしたいって、すっごく強く思ったの!」
茜は、一秒目を閉じた。
「つむぎちゃん……」
「そしたら初めて!!
『子どもの後片付け』だって、すっごくはっきり分かったの!!」
「……忘れられない日には、なるよ」
運命を受け入れた声だった。
茜が先に歩いた。
残念ながら、道を知っていた。
後ろでは、つむぎが自然に中瀬の手を握った。
廊下を歩いていく。
髪は、緑。
とても楽しそうだった。
「……何をしたんですか、お嬢さん」
「分かんない!!
でも、すっごく嬉しいです、中瀬くん!!」
「……それは、よかった」
あの声。
あの疲れ。
この子の幸せには、自分が何かを支払うことになる。
そう分かっていても、歩き続ける人の声だった。
受付係は、三人を見送った。
――本当に、行っちゃった。
ファイルへ戻る。
――まあ、そのうち泣きながら戻ってくるでしょう。
活動室は、茜の記憶通りだった。
五人の入居者。
半円に並んだ椅子。
机の上には、来る前から散らかっている物。
普通の老人ホームとは、まったく違う空気。
茜が、この集団のお世話を愛情たっぷりに「子どもの後片付け」と呼んでいた理由。
子供みたいに振る舞うから。
診断とは、関係なかった。
医学的な説明もなかった。
「ただ、全員おかしいんです」
以前、茜はそう断言していた。
この部屋が恋しいとは、まったく思っていない顔で。
三人が入ると、五人が扉を見た。
考える。
分かる。
「望月さーーん!!」
「茜ちゃーーん!!」
声が重なった。
久しぶりに会えて嬉しい。
でも、過ぎた時間を落ち着いて受け止める気はない。
そんな勢いだった。
茜は、笑いながら近付いた。
どこか、この場所で育ったような笑顔だった。
「おはようございます!!」
「あら!! その二人は誰!?」
一人のおばあさんが、中瀬を見ていた。
もともと声が大きい。
小さい音量という機能は、なかった。
何かを評価するような目。
一方、つむぎは後ろへ下がっていた。
年を重ねた顔。
知らない声。
今まで見たことのない場所。
中瀬の脚の後ろに隠れ、少し大きくなった目で前を見ていた。
中瀬が一歩進む。
姿勢。
適切な声。
何度もやってきた人の正確さ。
「皆さん、おはようございます。
初めまして。中瀬俊介と申します。
本日は精いっぱい務めますので、よろしくお願いいたします」
沈黙。
完璧な自己紹介だった。
声の大きなおばあさんが、茜へ向き直った。
頼んでもいない恋愛話で、目が輝く。
「まあ、茜ちゃん!!
こんなに素敵な旦那さんがいるなんて、聞いてな――」
「だ、だ、旦那!?
違います!! 違います!!
全然違いますから!!」
「あら、よかった! その方がいいわ!」
おばあさんは、あの目で中瀬を見続けた。
中瀬は、反応しなかった。
一切。
茜は、心の中で叫んだ。
――中瀬くん、このばか!!
――何か言ってぇぇぇ!!
深く息を吸う。
まだ脚の後ろに隠れているつむぎのところへ行った。
「つむぎちゃん……怖がらなくて大丈夫だよ」
中瀬は、つむぎを一秒見た。
考えた。
言った。
「こう考えてください。
望月さんが年を取ったら、きっとこういう場所にいるんです」
沈黙。
茜が振り向いた。
ゆっくり。
非常に、ゆっくり。
「中瀬くん。
このばか。
誰に向かって――」
つむぎは、安心した。
一歩、前へ出る。
中瀬の脚の後ろから出て、期待に満ちた五人の前に立った。
深呼吸。
背筋を伸ばす。
中瀬と、まったく同じだった。
間も。
声も。
表情も。
「皆さん、おはようございます。
初めまして。中瀬俊介と申します――」
止まった。
こほん。
咳払い。
何人かは、もう笑っていた。
「つむぎです。
本日は精いっぱい務めますので、よろしくお願いします」
五人が、同時に拍手した。
とても大事なものを見た。
とても可愛くて。
とても真剣なものを。
そんな、全員の誇らしさ。
つむぎが振り向いた。
部屋の中で、一番大事な二人へ囁く。
「……ちゃんと、普通に見えた?」
茜は、両手の親指を立てた。
大きな笑顔。
顔から胸まで広がる、あの誇らしさだった。
中瀬も頷いた。
つむぎの顔が、ぱあっと明るくなった。
茜は、元気を取り戻して五人の前へ進んだ。
「ヨーーーチ!!
中瀬くん! つむぎちゃん!」
両腕を広げる。
「紹介します!!
私の大好きな、騒がしくて、とっても特別なお友達です!!」
五人が、同時に椅子の上で張り切った。
それぞれに、物語がある。
それぞれが、唯一無二。
そして。
普通という言葉が、どんな意味であっても。
誰一人、普通ではなかった。
もっとも。
今、扉から入ってきた三人には。
とても、よく合っていた。
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