第5話 地を抉る
エリザベートは苛立っていた。ソニーの足取りが掴めない。
――いや。
そもそも、自分はあの男の何を掴めていたのだろうか。
ソニーは3カ月ほど前、勇者クライド一行に加わった新参の狂戦士だった。
だが、過ごした時間の長さの問題ではなく、パーティの誰一人として、彼のことを知らなかった。
どこから来たのか。
何を考えているのか。
なぜ戦うのか。
白塗りの下の素顔さえ、誰も見たことがない。
「クライド、あの男を仲間にしたのは、完全に……あなたの失敗だよ」
誰に言うでもなく、愚痴が漏れる。
当時、クライド一行は、今後さらに激しくなるであろう魔王軍との戦いに備えるため、戦力増強の必要に迫られていた。
そのさらに1カ月前には、魔王軍四天王のひとり、残虐のゲイシーとの激闘があった。
激闘の中で折れた、クライドの剣。その代わりが必要だった。
傷が癒えきらないまま潜った、伝説の洞窟。
手練れの魔物たち。削れていく魔力と体力。
立ちはだかる、魔族の戦士長。
もうダメだ、そう思ったときに、頭上から落ちてきた影。
鉈で一刀両断される戦士長。
その影こそが、ソニーだった。
何を考えているかわからないところがあれど、会話自体は通じる。そして、戦闘においては抜群に頼りになる。
クライドは、文字通り降って湧いたような新戦力に興奮し、そのままソニーをパーティに勧誘していた。
エリザベートはソニーに若干の嫌悪感を持ってはいたが、強く反対することはせず、ソニーの加入を許してしまっていた。
「あのとき……私が、反対しさえすれば」
重い後悔を、そのまま呑みこむ。それは腹の底で、責任に変わる。
「手がかりはなし、か……」
隣でルーカスが呟く。しかし、エリザベートはあることに思い当たった。
「血……」
「血だと?血の跡を見つけたのか?」
「いや、そうじゃなくて……あいつは戦闘後、いつも血まみれだった。だけど翌日にはきれいになってたよね」
「そりゃあ、水浴びしていたからな。あいつは特に川での水浴びが好きで……そうか、川か」
「あいつはもう、国王から指名手配されてる。人里に現れたら騒ぎになるはずだよ。人目につかない川」
「候補が多すぎるな……あいつの足なら、もう山を3つ越えてても不思議じゃない」
「でも、それを探すしか、今の私たちにできることはない」
それに、と付け加える。
「どうしてあいつは、エドを襲った?」
「そりゃ、あいつが最低の糞野郎だから」
「そうじゃなくて」
ルーカスの罵倒には心底同感だが、エリザベートの言いたいことはそこではなかった。
「追放された復讐なのか、なんなのかわからないけど。あいつは私たちを狙っている。それなら、遠く離れてはいかないんじゃないかな」
「……指名手配されて、勇者一行から憎まれているんだぞ。逃げるのが当たり前じゃないのか」
ルーカスの疑問はもっともだ。しかし、エリザベートには、言語化できない確信があった。
「私の、勘みたいなものだけど……あいつは、近くにいると思うよ」
ルーカスはしばらく俯いた後、小さくうなずいた。
「近くに川があったよな。農民が使うっていう、生活用の。あれの上流は、たしか険しい山だったはずだ」
川沿いに、山を登っていく。
「ルーカス……ルーカス!ちょっと、速すぎ」
「何言ってる。勇者一行ならこれくらい」
「そういう問題じゃない!もっと慎重に動けって言ってるの。次の瞬間、そこの木の陰から襲い掛かってきても不思議じゃないんだよ」
エリザベートの指摘に、ルーカスは一瞬固まった。
「……悪い」
小さく呟き、ルーカスはエリザベートに手を差し伸べる。エリザベートはその手をとり、険しい岩場を登っていく。
はやる気持ちは理解するが、相手が相手だ。気が付いたら全滅していた、などということにならないよう、一歩ずつ確実に足を進めていく。
何時間歩いただろうか。ふと、ルーカスがエリザベートを制止する。
「……血の臭いだ」
ぞわり。背筋を冷たいものが走る。
エリザベートは杖を構え、空中に魔力で輝く魔法陣を展開した。
ルーカスは両手をやや広げ気味に構え、全方位への警戒を敷く。
臭いの元は、もう少し上流だった。
――獣の死骸か何かであってくれ。
ソニーの手がかりを求めてきたはずの二人は、いつの間にか、無意識にそう願っていた。
しかし、その期待は裏切られた。
「……人、か……?」
茂みに隠れていたのは、筋肉質な大男。
しかし、自慢だったであろう剛腕はあらぬ方向を向いている。肩から先、すべての関節を逆向きに曲げられた痕跡。
そして、胴体。肋骨が外を向けられている。
その中身は、空っぽだった。持ち去られたのか。
「血まみれでわかりにくいけれど、地肌の色が赤色……魔族ね、この男」
少しでも手がかりを得ようと、ルーカスが死体を裏返す。
背中に、見覚えのある文様。
かつて戦った魔王軍四天王・残虐のゲイシーと同じ、山羊の頭を模した図形と数字を組み合わせた入墨がしてあった。
ゲイシーの数字は「Ⅳ」。この死体の数字は……「Ⅱ」だった。
「闘牙の……ブンディ」
エリザベートが呟く。
かつて、王都の図書館で読んだ書物にあった名だ。
魔王軍四天王の中でも随一の武闘派。直接戦闘なら魔王軍に右に出る者なしとうたわれた、一騎当千、最強の魔族。
「それが……こんな……」
ルーカスが絶句する横で、エリザベートは奮い立つ。
ブンディの死体はその破壊状況とは裏腹に、少しだけだが、まだ温かい。
抉れた地面。砕かれた岩。戦闘の痕跡。
「ブンディと戦って無事なはずがない。今こそ好機!急ごう、ルーカス!」
ブンディの目を閉じさせていたルーカスが、ハッとして立ち上がる。その全身から闘気が立ち上る。
「思い返せばあいつはいつも、敵の頭上から襲い掛かる。最初に会ったときもそう、エドも『屋根から見ていた』と言っていた。頭上に気を付けて進むぞ、エリザベート」
全方位、特に上方向への警戒を強めながら、二人は川沿いを進む。
水音はいつの間にか遠くなり、足場は細く削られていた。片側は、切り立った崖だ。
足元で、小石がひとつ、崖下に転がり落ちたとき。
木の上の人影が、二人の目にとまる。
緊張が走り、二人は対空迎撃の態勢をとる。
人影は動かない。
……違う。
その違和感に気づいた瞬間、ルーカスの右腕が宙を舞った。
雄叫びとも悲鳴ともつかぬ声が、谷に響く。
崖下から這い上がったピエロは、すでに鉞を振りぬいていた。
「本当はルーカスとも遊びたいんだけどさ」
血を払うでもなく、そいつは笑った。
「エリザベートはメインディッシュだからね。その見事な脚。じっくり煮込んで柔らかくしたら、きっとトマトソースにすごく合うと思うんだよ」
支援、治療。いや攻撃。
エリザベートが逡巡した一瞬の間に、片腕のルーカスが一歩、前に出た。
断面に闘気を叩きこむ。血が止まる。
「逃げろ。振り向くなよ」
短く言う。
「馬鹿言わないで。この追跡を始めたときから……一蓮托生でしょ」
言う前から、ルーカスにはわかっていた。お前はそう言うだろう。そんなお前だからこそ、俺は……。
言葉にならない想いを残った左の拳に込める。間違いなく、ルーカスの生涯で最高の威力を持った一撃。
その一撃は大地に向けて放たれた。
崖が崩れ落ちる。
「ルーカス!!」
エリザベートの叫びも虚しく、ルーカスは落ちていく。ピエロを道連れに。




