第3話 勇者一行
勇者クライドが殺された。
今朝、日課の早朝トレーニングに誘うために、勇者の宿泊していた部屋を訪ねた戦士アルバートが第一発見者だった。戦いの中でどんなに深い傷を負っても勇猛さを損なうことのなかった彼が、聞いたこともないような甲高い悲鳴をあげていた。
それを聞いて駆けつけた僧侶エドは、血の海になった宿屋の一室で、クライドの遺体に狂ったように回復魔法をかけていた。しかし、バラバラの死体に回復の効果はない。仮に伝説の蘇生魔法だったとしても、首がないのでは同様だろう。
私、魔法使いのエリザベートも、その部屋に辿り着いたときには過呼吸になってしまった。しかし、そんな二人を目にしたせいか、しばらくして多少の落ち着きを取り戻し、官憲へ連絡することができた。
後に官憲から聞いたところ、あの日クライドに呼ばれて宿屋の周囲を固めていた五名の官憲もまた、近くの林にて遺体で発見されたようだ。
「あの殺人ピエロめ……っ!」
夜、官憲の事情聴取から解放されて、遅めの晩餐をとっている最中。武闘家のルーカスが目を血走らせて拳を握っている。
この場に居るのは、私とルーカスだけだ。
エドは回復魔法の使いすぎにより、魔力切れで倒れてしまい、今は病院だ。
かわいそうなアルバートは、幼馴染を惨殺されたショックで錯乱してしまい、官憲に保護されている。
ルーカスはちょうど、指南役として付近の武術道場で寝泊まりしていたため、遺体の発見に立ち会うことはなかった。
ルーカスは幸運だったと思う。パーティメンバーのあんな姿は、一生に一度だって目にしたくないものだ。
しかし、殺人ピエロか。
狂戦士ソニー・ビーンを表す言葉として、これ以上適切なものはないだろう。
仮にも戦士職なのに、なぜか遊び人のようにゆったりとしたピエロの服を着て、顔を白塗りにした男。
出で立ちは遊び人なのに、戦闘になるとどこからともなく大きな鉞を取り出し、それを振るってモンスターを八つ裂きにしていた。それはもう、必要以上に八つ裂きにしていた。
しかも、普通の狂戦士は戦闘中にトランス状態に入ると、「うおおお」とか「おりゃああ」といった雄叫びを上げるはずなのだが、ソニーは違った。
「キャハーッ」とか「ヒャハハーッ」とか、笑いながら戦うのだ。
ピエロの格好をしているから陽気な奴かと思えば、戦闘中以外は異様に静かで、食事のときにも一人で何か、皆とは別のものを黙々と食べていることが多かった。かと思えば、わけのわからない話題で突然饒舌になることもある。
クライドが奴をパーティに入れてから3カ月ほど冒険をともにしたが、薄気味悪い奴という印象が強かった。口には出さなかったが、他のメンバーから見ても同じだっただろう。
「次に会ったら、俺のこの拳で胴体に風穴を開けてやるっ!クライドの墓の前まで引きずって行って、謝罪させてから殺す!!」
ルーカスはソニーの次に新しいパーティメンバーだが、それでも2年近くの間一緒に旅をして、同じ釜の飯を食い、艱難辛苦を乗り越えてきた仲間だ。
ルーカスとは、彼の故郷の村で出会った。魔族の襲撃を前にしても、彼は村の者だけで戦うと言い張っていたが、クライドはそんな意地を無視して先に魔族軍へ斬り込んだ。
結局、ルーカスは「余計なことをしやがって」と毒づきながら私たちと共闘し、そのまま仲間になった。あのときから、二人はずっと親友だった。
クライドの死に憤るのはルーカスだけではない。私だって、クライドを殺したソニーを許せない。
しかしその前に、クライドの故郷にいるクライドの妹に、このことを知らせなければならなかった。
旅の途中で一度だけ会ったことがある。兄を慕う、やさしそうな娘だった。たしか、ボニーという名前だったはずだ。
クライドの死を告げるのは、パーティメンバーである私たちの責任だろう。明日にでもこの街を発ち、彼女のいる村へ向かわなければならない。かなりの距離を戻ることになるが、構わない。
勇者がいなくなった以上、私たちの旅はここで終わりだ。
暗澹たる気分で、ほとんど減っていないパスタをつつく。正直、食欲がない。
旅の中で遺体を見たのは初めてではない。魔族に滅ぼされた村も見たし、人型の敵を殺めたこともある。
それでも、今回ばかりはとても食べる気になれなかった。
ルーカスも同じなのか、怒りすぎて食事を忘れているのかわからないが、皿の上のピザはほとんど減っていなかった。
結局、料理はほとんど減らないまま、私たちは宿へ戻った。
ひどく疲れているはずなのに、目を閉じると凄惨な光景が浮かんでくる。眠れる気がしない。
それでも明日は来る。少しでも休まなければならない。
そう自分に言い聞かせて、私は無理やり目を閉じた。
どれほど眠れたのかわからない。浅い眠りと覚醒を何度も行き来した気がする。
夜が明けきる前、宿の廊下が騒がしい物音で満ちているのに気づいて、私は身を起こした。
嫌な予感がした。
扉を開けると、宿の主人が青い顔で廊下を走っていた。階下からは怒鳴り声と、慌ただしく駆け回る足音が聞こえる。
「何があったんですか」
呼び止めると、主人はぎょっとした顔でこちらを見た。私がパーティメンバーの一人だと気づくと、言いにくそうに視線を逸らす。
「その……さきほど、病院を出た僧侶の方が……」
心臓が、嫌な音を立てた。
「エドが、どうしたんですか」
「宿へ戻る途中で、路地裏で倒れているのが見つかったそうです。今、官憲の方が――」
最後まで聞かず、私は階段を駆け下りていた。背後でルーカスが何か叫んだ気がしたが、振り返らなかった。
早朝の空気は冷たかった。走るたび、肺が焼けるように痛む。
通りの先に人だかりが見える。官憲の外套、野次馬のざわめき、そして石畳に広がった赤黒い染み。
「通してください!」
自分でも驚くほど鋭い声が出た。官憲たちが顔を見合わせ、一人が黙って道を開ける。
その先に、エドがいた。
壁にもたれるように倒れていた。僧衣は腹のあたりから大きく裂け、血で重たく濡れている。片腕は不自然な方向に曲がり、喉元には爪でえぐったような深い傷が走っていた。
目は、まだ開いていた。
「エド!」
駆け寄って膝をつく。冷たくなっていくエドを、私は抱きしめた。血で魔法衣が汚れるが、構わない。
背後から追いついたルーカスが息を切らしながら立ち尽くす。
「……くそっ」
エドの唇が、かすかに動いた。
「エド、しゃべらないで。今、誰か僧侶を――」
首が、ほんのわずかに横に振られた。
そして、掠れた声が漏れる。
「……笑って、いました」
全身がこわばる。
「……屋根の上から、ずっと……見ていて……」
言葉の合間に、血の泡がにじむ。
エドは焦点の合わない目で宙を見つめたまま、震える息を吐いた。
「ごめんなさい……クライドを……救えなかった……のに……」
「そんなこと、言わないで」
私の声は、自分でもわかるほど弱々しかった。
「……もう、誰も……近づけては、だめです……」
そこで声が途切れた。
目だけが、何かを探すようにわずかに揺れ、それきり動かなくなった。
私はしばらく、エドを抱いたまま固まっていた。現実感がなかった。
昨日まで、生きていたのだ。誰よりも優しくて、争いごとが嫌いで、それでも仲間を癒やすために最前線まで来てくれる男だった。
そのエドが、もう二度と口をきかない。
ぐしゃり、と嫌な音がした。
見ると、ルーカスが石畳を殴っていた。拳の皮が裂け、血がにじんでいる。
「あの野郎……」
低く、獣の唸り声みたいな声だった。
「あの野郎……俺たちを、一人ずつ殺すつもりだ」
その言葉で、ようやく思考が動き出した。
一人ずつ。
クライドが死んだ。
アルバートは壊れた。
エドも殺された。
次は誰だ。ルーカスか、私か。それとも、もう無関係の誰かが犠牲になっているのか。
昨日、ボニーのもとへ知らせに行こうと思った。旅は終わりだと思った。
けれど、終わってなどいない。終わらせてもらえていないのだ。
「エリザベート」
ルーカスが立ち上がる。目が血走っていた。泣いているのか怒っているのか、もう見分けがつかない。
「やるしかねえ」
私はすぐには答えられなかった。
勝てる保証など、どこにもない。クライドが死に、官憲も殺された。今の私たちに何ができるというのか。
それでも、石畳の上のエドを見下ろしていると、胸の奥で別の感情がじわじわと広がってきた。
恐怖ではない。
もっと鈍くて、重くて、逃れようのないもの。
責任だった。
ソニーの異様さに、気づいていなかったわけではない。
気味が悪かった。怖かった。何を考えているのかわからなかった。
それでも私は、見ないふりをした。クライドが何とかするだろうと、どこかで思っていた。仲間である以上、波風を立てるべきではないと、自分に言い訳していた。
その結果が、これだ。
クライドが死んだ。
エドも死んだ。
これ以上、誰かが死ぬ前に。
「……ええ」
自分でも驚くほど、声は静かだった。
「私たちの責任で、終わらせましょう」
ルーカスが、ゆっくりとうなずく。
その拳は血に濡れたままだった。
朝の薄い光の中、私はエドの閉じきらなかった瞼をそっと閉じた。
それが、私たちの旅の終わりであり、狂戦士ソニー討伐の始まりだった。




