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9.レオンハルトの両親

 本当にこの馬車は大公家に向かっているのかしら。もしかしたら大公家の名を騙った人さらい集団かも。貴族の娘ならそんなに美人じゃなくても高値で売れるとか?


 だが辿り着いた先は間違いなくグレゴーニュ大公の屋敷だった。昨日訪れたばかりの・・・。昨夜は夜だったのでよく見えなかったが、まるで王宮の様な巨大な建物だ。


“ ここに住むなんて恐れ多いわ・・・ ”


 そんな事を考えながらとてつもなく大きな玄関を入ると、両側にはずらっと使用人達が客を出迎える為に立ち並び、中央には執事長を初めとした5人の執事が立っていた。もうこれだけでトリニティには怖いという印象しかなかった。お母様の言うように、やっぱり私には大公妃なんて無理だわ。何かの間違いでありますように。


「朝早くからお呼び出てして申し訳ありません。何しろ大旦那様と大奥様は本日出立されますので、その前に是非トリニティ様とお会いしたいと申しておりまして」


 風格がありすぎて威圧的に見える執事長だが、物言いは柔らかで少しホッとした。


 大旦那様と大奥様って事は大公閣下のご両親よね。出立されるとはどういう事かしら。ちょっとした旅行にでも行かれるのね、きっと。


 朝食もまだだったトリニティは前大公夫妻と共に食事をとるらしい。案内されて広いダイニングに入ると、待ちかねたように前大公夫人が近付いてきてトリニティの両手を握りしめた。


「まあ、何てかわいらしいお嬢様なの?初めまして、レオンハルトの母のナターシャよ。こっちは夫のアズヴェルト。息子は今日は近衛の引き継ぎだとかで朝早く出かけてしまったの。全く。せっかく未来の花嫁が来てくれるというのに、気が利かない子でごめんなさいね」


 どうやら期待したように『何かの間違い』ではなかったようだ。とりあえずトリニティは淑女の礼をしながら自己紹介をし、3人で朝食をとる事になった。


 前大公夫妻はさすがあの破壊力が半端ない超絶美形のレオンハルトの両親らしく、前大公夫人は輝く金色の髪に翡翠色の瞳の、光を纏った美の女神と呼ぶにふさわしい美人で、夫の前大公もキリッとした太い眉とスッと通った鼻筋、細い顎が全て正確に配置されたような整った顔立ちだ。どちらかと言うとレオンハルトはその黒髪と瞳の色以外は母親似だろう。


 夫妻はとても仲が良いようで、レオンハルトが大公位を継いだら2人でのんびり旅行に出る事を楽しみにしていたらしい。まずは隣国のサルベリア国へ行って、それからリルフェンメル、アリストテレア・・・色々な国や有名な都市の名前が出る度に、トリニティはドキドキしてきた。


「あの、随分とあちこちに行かれるのですね、旅行期間はどれ程なのですか?」


 するとナターシャはあっけらかんと答えた。

「そうねぇ。1年くらい?でも気に入った国があったら、そこでしばらく住んじゃうかも」


 ええ?1年?住んじゃうって、まさか永住されるとか?


「ふふっ、ナターシャはブレスデンに住みたいとか言っていたな」

「でもその前にルピア海を船で渡ってみたいわ。きっと素敵な船旅になるわね」


 聞いているトリニティはもう食事どころではなかった。大公妃の仕事は屋敷の管理だけではない。大公を私的に支え、文化事業の視察、王家のパーティや諸外国からの賓客をもてなし、細かいところでは国家が運営する孤児院などを視察し、上流の貴族夫人から寄付を集めたりと多岐にわたる。


 とてもではないが、何も知らない、しかもまだ王立学院を卒業したばかりの小娘に務まるはずはない。それなのに一番頼りにしたい前大公夫人は、もう今日には遠くへ旅立ってしまうのだ。

 だがまるで新婚旅行に行くように楽しそうに話している目の前の2人に、とても旅行を延期してくれとは言えなかった。


 真っ青になっているトリニティに気が付いて、ナターシャが首を傾げて尋ねた。

「どうしたの?トリニティ。緊張しなくてもいいのよ。それとも食事が口に合わない?」

「い・・・いえ・・・」


 どうしよう。言ってしまおうか。とても私には無理だと。でもそれって婚約の話をお断りする事になるのよね。そんな短慮な事をしたらお父様とお母様は、アーガード家は・・・。でもこのままではきっとこの大公家の顔に泥を塗る事になる。そんな事になるくらいなら・・・。


 トリニティは震える手をぎゅっと握りしめた。


「奥様。私はまだ学院を卒業したての若輩者でございます。こんな私では奥様の代わりはとても務まりません。もし大公家の御名を汚すような事にでもなれば、私一人の責任では済みません。ですから・・・」

「トリニティ」


 婚約の話は考え直して下さい、と言おうとしたのを遮るようにナターシャが立ち上がってトリニティの横の席に座り、膝の上の震える手を握りしめた。


「私達は何も心配していないわ。勿論明日から貴女にはたくさんの教師について多くの勉強をして頂かなければなりません。でも決して焦る事はないわ。貴女がちゃんと出来るようになるまで、広く長い目で見守って下さるよう国王陛下や王妃様にも頼んであるし、王太子妃にも貴女の教育に携わって頂けるよう手配してあるよ。あの方は良く出来た方だからきっと色々な相談にも乗って下さるわ。だから一人で悩まなくてもいいのよ。


 それでもどうしても無理だと思ったら息子に言いなさい。あの子はぶっきらぼうな所もあるけれど、とても優しい子なの。必ず力になってくれるわ。トリニティ。私達が何も心配していないのはね、息子が貴女との結婚を決めた時、こう言ったからなの。


『トリニティ・アーガード伯爵令嬢は、何事にも真面目で勤勉で努力家です。何より一度決めた事は必ずやり通すという強い信念を持っている。だから何も心配する事はありません。どうか彼女を信じてあげて下さい』と。それはもう嬉しそうにね、言ったの。今までどんな女性の事も褒めた事が無かったのに、あの子がそこまで言うなんて、私は感激してしまったわ。ね?あなた」


「昨日パーティが終わって帰って来たらいきなり『結婚したい人が居ます』って言い出したので、かなりびっくりしたけどね」


 トリニティが顔を上げると、アズヴェルトも笑いながら優しい瞳を向けてくれた。








 近衛騎士団の演習場では今日も多くの騎士や騎士見習い達が剣を交えて腕を磨いている。ここでのレオンハルトは伝説だ。18歳で入隊したその日に団長以外のここに居る近衛兵全員と剣を交え、全員に勝利した。近衛の中には腕に自信のある猛者や長年剣の道一筋に己を鍛え上げて来た者が多数いたが、一度に20人を相手に戦うレオンハルトは勇者と言うよりもはや疲れを知らない魔獣のようであったと、当時を知るものは畏敬の念を持って語る。


 剣を弾き合う音が絶えず響いて来る騎士団の団長室で3人掛けのソファーに足を上げて横たわっているレオンハルトは、何をするでもなくぼうっと天井を眺めていた。騎士団長のオーギュスト・ロッソ-は9年来の友である元副団長に少々迷惑そうに声を掛けた。


「朝も早くから何をしに来たんだ?もう副団長の引き継ぎは終わっているだろう」


“ そうだ、その通りだ。とっとと屋敷へ戻れ、このバカ男! ”


 壁際に立っている侍従のジャン、もといプリンテュクスは思った。最近イライラすると口が悪くなるのは元々のジャンの性格なのかどうかは分からないが、とにかく今日はトリニティが屋敷へやって来る日なのだ。それなのにこの男はありもしない引き継ぎの理由などをつけて屋敷から離れ、何をやっているんだ?


「そうやってゴロゴロしているんなら新人に剣の稽古でも付けてやれ。今年は活きのいいのが一杯居るからな」

「いいのか?」

 嬉しそうにパッと顔を輝かせて剣を持って立ち上がったレオンハルトに、プリンテュクスは慌てて声を掛けた。


「閣下!もうすぐ大旦那様と大奥様が出発なさいますよ。お見送りしないでも宜しいのですか?それに今日はトリ・・・」

「父上母上には昨日のうちに挨拶を済ませている。演習場に行くぞ」


“ はぁぁ?トリニティの話題を遮った?明らかに避けている。どういうつもりだ! ”


 剣を持って廊下をのしのしと歩きながら、レオンハルトは心の中で自分の心に言い訳をしていた。


“ だって、どんな顔をして会えばいいんだ?9年前の事をトリニティはすっかり忘れているみたいだし、10歳も年上の男が権力を笠に着て無理矢理婚約を迫ってきた、何て思われていたら・・・ ”


 はぁぁ・・・。考えただけで大きなため息が漏れる。こんな時は身体を動かしている方がいい。後ろから異様な目つきでにらみ付けてくる侍従の事は無視して、レオンハルトは演習場に入って行った。



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