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10.カールロイの末路

 食事のあと、すっかり準備が整った前大公夫妻は屋敷の者全員に見送られ、元気に旅立って行った。玄関の外まで見送りに出ていたトリニティは後ろを振り返り、この全景もはっきりしない屋敷を見上げ、その荘厳さと目眩がしそうな大きさに再び圧倒された。


“ 今日からこの屋敷の全ての采配を任されるのね。この私如きが・・・。大丈夫。この家なら立派な家令も居るだろうし、何と言っても5人も執事が居るのだから、いきなり全てをやれとは言われないわ。他の方々だって、まだちゃんと婚約も結んでいない小娘にあれこれ言われたくないだろうし ”


 執事長がこれから暮らす事になる部屋へ案内すると言ってトリニティの前を歩き始めた。最初は賓客用の客間、正式に婚約が調ったら大公妃の部屋にランクアップするようだ。


「明日からですが、トリニティ様には7人の専任の教師が付く事になっております。どれも一流の講師陣なのでご安心下さい」


 な、7人も・・・?もう多少の事では驚かないと思って居たが、まだまだ続きそうだ。


「ダンスやマナー、礼儀作法などの淑女教育は全て終えておられるでしょうが、こちらでは王太子妃と同じ教育を別に受けて頂く事になっております」


 王太子妃教育・・・。先ほどナターシャとの会話で王太子妃の話題が出て来たが、やはり彼女と同じような教育課程になるようだ。


「それから学習の方ですが、政治、経済、歴史・・・歴史は3部構成になっており、国家の歴史以外に王家と我が大公家の歴史も学んで頂きます。それから算術、科学、天文学、地学・・・」

「天文学と地学?そんなものまでですか?」

「これからトリニティ様はたくさんの有識者と接する機会が増えますので、少しでも会話の糸口は持っていた方が宜しいでしょう」

「はあ・・・」


 次々と目まぐるしく変わる状況に、気の抜けた返事が出てしまった。


「それから外国語は5カ国語を学んで頂きます」

「ご、5カ国語?」

「大公妃様は王家が国外の賓客を招いて行われるパーティにも出席なさいます。せめて茶会で交わされる程度の語学力は必要になるでしょう」


 お茶会って、雑談が出来る位って事?それってもう堪能と言えるレベルでは?


 部屋に入って直ぐにロザリーが楽な服装に着替えさせてくれた。目眩がしそうなほど絶望に顔を青ざめさせているトリニティに気を遣ってくれたのだろう。ロザリーがお茶の用意をしに部屋を出て行った後、トリニティは呆然としてベッドの端に腰を下ろした。


 昨日から続く怒濤のように押し寄せる運命に翻弄されて、まるで嵐の中オールのない小舟に乗って大海原で波に飲み込まれそうになっている、そんな気がする。初めてお会いした前大公様ご夫妻はとても優しい方達だった。それだけでも救いだが、その優しい方達はもう居ない。出発の時、奥方様は不安そうにしている私に気が付いてそっと抱きしめて下さった。


「大丈夫よ、トリニティ。私に出来たのだから貴女にもきっと出来るわ」

「奥方様・・・」

「トリニティったら。もうお義父様、お義母様と呼んでくれなきゃ。ね?」

「はい。お義父様、お義母様、行ってらっしゃいませ。旅のご無事をお祈り申し上げております」

「いい子ね、トリニティ。結婚式には一度戻って必ず出席しますからね」


 本当に優しい方達だった。あんな素敵なご両親に育てられたんだもの。レオンハルト様もきっと優しい方に違いないわ。


 レオンハルトの事を思った時、まだ彼とは一度もまともに会って話をしていない事を思い出した。


『トリニティ・アーガード伯爵令嬢は、何事にも真面目で勤勉で努力家です。何より一度決めた事は必ずやり通すという強い信念を持っている。だから何も心配する事はありません。どうか彼女を信じてあげて下さい』


 私の事を何も知らないはずなのに、大公様ははっきりと自信を持ってそうおっしゃった。やっぱりどこか他のご令嬢を私と取り違えているような疑念も在るけど、そんな風に言って下さっている方をいつまでも疑っていては駄目だと思う。


 やってみよう。出来るとか出来ないとかじゃない。そんな事考えずに、ただがむしゃらに、ひたすら真っ直ぐに努力しよう。私を信じてくれる人達の為に。私を選んでくれた貴方の為に。


 トリニティは胸の前でぎゅっと両手を握りしめた。









 エセルスト侯爵家の一室。


 今まで自分が暮らしてた部屋とは似ても似つかない粗末な暗い部屋の隅で膝を抱えながら、カールロイは何故こんな事態になったのかずっと考えて居た。婚約破棄をした大公家のパーティから3日、ずっとこの部屋に閉じ込められ、粗末な食事と水しか与えられず、いくら父や母の名を呼んでも誰も来てくれなかった。もはや精神的にも限界だった。


 どうして僕がこんな目に遭わなきゃならないんだ?僕はただ、あの見た目も地味で中身も地味なトリニティと婚約なんてしているのが耐えられなかっただけなのに。どうしてなんだ。

 答えの出ない堂々めぐりを繰り返していた4日目の朝、やっと扉が開かれ、父が呼んでいると使用人が言って来た。


 ああ、やっと、やっと許しが出た。これで元の生活に戻れるんだ。そう思って父の書斎に行く。だがエセルスト侯爵の顔は暗く沈み込み、内から怒りの炎を体中に湧き上がらせているようで、もはやどんな言い訳も通じないように思えた。


 大丈夫だ、大丈夫。僕はただ一人のこの侯爵家の嫡子だ。確かに大公家で失敗はしたけど、絶対に父上は許してくれる。


 息を飲んで侯爵の前に立つ。彼は息子の顔も見ずにいきなり切り出した。


「今すぐこの家を出て行け。お前は廃嫡にし、妹の息子のフェルディナンドを嫡男として迎える。お前は平民となり、北の僻地で自分で畑を耕しながら生活をするがいい。寝るだけの家と小さな畑だけは与えてやる」


 カールロイはびっくりして思わず叫んだ。

「ち、父上!お願いです、助けて下さい。僕はあなたの息子でしょう?」


「侯爵家がこの件できちんと対処が出来なければ、次に出てくるのは王家だ。そうなるとお前一人廃嫡するだけで事は済まなくなる。侯爵家自体の存続の危機だ。お前の首一つで済むのなら喜んで儂はお前を切る」


「そ、そんな、父上。嘘でしょう?ぼ、僕は確かにたった一度ミスを犯しました。でもそんな事で・・・」


「そんな事?侯爵家と伯爵家で正式に交わされた婚約を勝手に破棄し、大公家に多大な迷惑を掛けたのにか?いいか。アーガード家からは目を剥くような違約金を請求されている。土地と資産をかなり手放さなければ払い切れない金額だ。だが最初の契約でそう決めてあったのだから、払わねば我が家はこの貴族社会から居場所を失うだろう。


 言っておくが、お前はアーガード伯爵家だけでなく、グレゴーニュ大公家にも喧嘩を売ったのだ。大公様は自分の顔に泥を塗り、婚約者に不実な態度を取り続けたお前に非常にお怒りだ。北方の鉱山送りにならなかっただけ感謝するんだな。あそこでは2年以上の生存率は5パーセントだ。お前はまだ2年以上生きながらえる機会を与えてもらえた。手にまめを作り額に汗して働き、己の愚かさを反省するがよい」


「そ、そんな・・・」


 駄目だ駄目だ。僕にそんな生活が出来る訳ない。重い物なんか持った事もないのに・・・。


 父の言っている事がまるで現実ではないような気がする。それでも何とか逃れる道を考えた。

 

 そうだ、マーガレットなら。彼女の所に婿に行けば何とかなるんじゃないか?

 

 そんな息子の甘い考えを見透かしたように侯爵は続けた。


「ああ、それとあの愚かな男爵令嬢だが、お前と共に平民として畑を耕して暮らすか、同じく平民として地方の修道院に行くか、どちらにするか尋ねた所、同じ平民なら衣食住の揃った修道院がいいと言ったそうだ。あちらも随分みっともなくわめいていたそうだが、昨日の内に王都を出立している。お前はせめて元貴族らしく黙して行くのだな」


「そ、そんな、マーガレットが・・・?僕を見捨てた?僕達は真実の愛で結ばれていたはずなのに」


 まだ言うか、と言わんばかりにエセルスト侯爵は鼻で笑った。


「お前の言う真実の愛など、絶対的な権力の前では塵ほどの価値もないわ。さあ、最後の温情として彼の地までは馬車で送ってやる。言っておくがこの家の物は何一つ持ち出す事は許さん。その身一つで出て行くのだな」


 最後の言葉を吐いて父親が書斎から出た後、力を失ったカールロイは床の上に崩れ落ちた。



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